幼馴染の仕返しはとても甘くて、切ない。
卒業式を間近に控えたある日、クラスの女子に幼馴染の河野のことを聞かれた。
「河野みたいな不細工な奴と付き合ってるわけないでしょ」
変な噂を立てられたくない。
咄嗟にそう思って、言い返した。
教室がしんと静まり返って、妙な雰囲気がした。振り返ると教室の入り口付近で立ちすくむ河野がいて、その顔が引きつっていた。
いつもなら、こっちこそお断りだと言い返す彼が珍しく何も言わなかった。
ただその丸い顔は引きつり、泣きそうにしているのがわかった。
それっきり私は結局河野と卒業まで話すことはなかった。
高校を卒業し、都会の大学に進学した。寮に入り、家に戻ることもしなかった。
田舎が嫌いだった。
誰もが私を知っているなんて嫌だった。
都会にでて、せいせいした。
他人に無関心な世界は、私にとって大歓迎だった。
誰も私の壁を壊そうとしなかった。
私は私の世界で生きていけた。
社会人になり、ますます家に帰らなくなったが、妹が地元で結婚することになり、仕方なく帰ることになった。
六年ぶりの帰省。
駅で降り、バスに乗る。
久々に乗ったバスは以前よりも小奇麗なものに変わっていた。ルートも変更があって、六年前より早く家の近くの停留所に辿り着く。
それからバスを降りて、家に向かって歩いた。
家に向かう途中、村の人が幾度となく、久しぶりねと話しかけてきた。
私は適当に愛想笑いし、曖昧に答えながら、家に戻った。
だから田舎は嫌なんだ。
愛想笑いをしすぎて顔を引きつらせながらそんなことを思った。
「お姉ちゃん、久しぶり」
そう言った妹は、顔を見せると玄関で満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。
「帰ってきてくれてありがとう。お姉ちゃん、田舎嫌いだから帰ってこないかもと心配だったんだ」
「……帰ってくるわよ。だって、妹の結婚式だもん」
妹は私より四つ年下で、高校を卒業し町の役場のアルバイトをしていた。そこで年上の公務員と恋仲になり、結婚することになったみたいだった。
「お姉ちゃん、今日は一緒に寝ようよ。明日から私は山田さんの家で暮らすから」
妹は私の腕を掴みそう言った。
かわいい妹、私のようにひねた性格じゃなくて、素直な子だった。
私には合わない田舎生活が、妹にはぴったりのようだった。
「母さん、今帰ったぞ。飯はまだか?」
妹と居間にいると父さんの声が聞こえてきた。母さんははいはい~といいながら玄関まで走っていく。
「美佳、帰ってきたのか」
相変わらず仏頂面の父さんは私の顔を見ると、ただそう言った。
無口な父で、いつも不機嫌そうな顔。
田舎嫌いなのは父の影響もあると思う。
父はこの村の出身じゃなかった。
父はこの村を毛嫌いしていた。
しかし三十年近く、ここに住み、いまさら元の場所に戻ることなどできず、父はこの村に住んでいた。
私は父のように不平を言って、この村に住みたくなかった。
だから、村を出た……。
村を出たことを後悔したことなどなかった……。
「さて、今日は村の人が飲みに来るわよ!籠さんとか今夜来るから。ぶーたらな顔するのはやめてよね」
「え!? なんで、何で来るの?」
「だって、あんたが久々に帰ってきたし、美貴の最後の夜でしょ? みんな来るっていうんだもん」
母の無邪気な言葉に私は言葉を失った。妹はそうなんだとのほほんとしている。父は無言で晩酌していた。
だから田舎は嫌なんだ。
村の人はほとんどが親戚で、事あるごとに皆で集まり飲んだ。
私はそういうのが嫌いだった。
今日集まるのもきっと、美貴を口実にただ飲みにくるようなものだった。
「そうそう、次郎くんも今日来るわよ!」
「……次郎。河野……」
「河野って。あんた本当に昔から変わってるわよね。なんでそんなに他人行儀なんだか……」
母が不思議そうに首をかしげた。
私はこの村で生まれて、育った、
でも村の子のようにあだ名で呼び合ったりするのが苦手だった。男子は呼び捨て、女子は苗字にさんづけて呼んでいた。
この村を出て、大学に行き、友達を作った。すんなりとあだ名で呼ぶ自分にびっくりした。
そしてこの村が苦手だということを実感した。
夜になり、人々が家に集まってきた。
最初のころは私に色々聞いてきたが、酒が入り、あとはどうでもよくなった。
ほっとして、主賓の美貴を置いて宴会を開く部屋から退散した。
そして、サンダルを履き、家の外に出た。
満天の星空が広がっていた。
都会では見られない美しい夜空だった。
そして、私の家に向かって歩いてくる人影を見た。
「……よお、ひさしぶり」
人影は私を見るとそう言った。
それが誰か分からなかった。
背がすらりと高く、ハンサムな男だった。
こんな人、村にいたんだ。
その人は私が凝視しているのを見て、苦笑した。
「美佳。俺だよ。俺。河野次郎」
河野?
六年前に会ったきりの河野を思い出し、今目の前にいる男と照らし合わせた。
確かに顔つきが似ている。
しかし、別人といってもいいくらい違った。
「驚いた?俺やせたんだ。眼鏡もやめたし。これでお前に不細工なんて言わせない」
河野はそう言って皮肉な笑みを浮かべた。
自分の顔が真っ赤になるのがわかった。
六年前、クラスメートに河野とのことをからかわれ、思わず言ってしまった言葉だった。本当はそんなこと思っていなかった。小学校からずっと同じ面子なのに、クラスから浮く私と普通に接してくれる河野に感謝していた。
ただクラスメートにからかわれ、嫌だったから、とっさに出た言葉だった。
「美佳、俺の親父。中にいるんだろ?」
「……ああ、うん」
「まったく、すぐ酔いつぶれるくせに飲むんだからよ」
河野はそう言いながら家の中に入っていった。
側を通った彼から爽やかな石鹸の香りがした。
☆
翌日、妹の結婚式が無事に済み、彼女は山田さんの家に住むことになった。幸せそうな笑顔の奥に不安そうな様子が見て取れたけど、妹なら大丈夫だと思った。
「……美佳ちゃん!」
夕方、村から少し離れたところにあるスーパーに行くと、小林芽衣子にあった。高校のころは派手な様相で、もてていたのを覚えている。しかし、今はベビーカーに子どもをのせ、落ち着いた感じだった。
「美佳ちゃん、久しぶりね! 美貴ちゃんの結婚式、今日だったんだよね? 確か役場の消防課の山田さんと結婚したんだよね! 本当いい人にめぐり合ったよかったわねぇ」
「う……ん」
小林さんの言葉に愛想笑いをしながら頷いた。
さすが狭い世界……私よりも美貴の旦那さんを知っている感じで驚いた。
しかも小林さんとは高校生の時も、話をあまりしたことがなかった気がする。こうして親しげに話しかけてくること自体、不思議な気がした。
「美佳ちゃん、いつまでいるの? 今週末、盆踊りがあるのよ。美佳ちゃんも参加しない。皆参加するわよ」
小林さんはそう言うと笑った。
盆踊りか……。
そういえばそういうイベントがあったっけ?
小林さんに誘われるなんて思いもしなかった。
曖昧に笑うと小林さんに手を振って、別れた。
私は田舎に友達と言えるものがいなかった。
クラスの子とは小さいときからずっと一緒にいたのに、なじめなかった。
唯一、親しくしていたのが河野だった。
でも六年前のあの言葉で私は河野を失った。
唯一、友達だった河野を失った。
縁側に座って、ぼんやりと外を見てると虫の声が聞こえてきた。
静かな夜だった。
遠くで隣の家の笑い声が聞こえる。
河野の奴も家に帰っているのかな。
奴の家は、隣だった。
そのせいもあって、多分、彼は私に構っていたのではないかと思った。
でもあの言葉で彼を傷つけた。
昨日見た、皮肉な笑みがまだ脳裏に残っている。
きっと彼は私のことが嫌いだろう……。
「美佳、ちょっと次郎くんのところに行ってきてよ。昨日、借りてた食器返してきて」
「え~。なんで私が!」
「あんた暇でしょ。母さんの手伝いをするとか、そういう気持ちはないの?」
……うるさいな。
そう思ったが、暇であったし、久々の親孝行だと思い、ずっしりと重い大小の食器を持つと河野の家に向かった。
「美佳? ああ、食器か。貸して」
玄関に出てきた河野はそう言うと、私が両手で抱える食器を軽々と持ち上げた。
これで任務完了……。
「美佳、待ってて」
玄関から出て行こうとしたら、河野に呼び止めてられる。そして彼は家の奥へ入っていった。
私は少し考えたが、素直に待つことにした。
「悪い、待たせた」
河野はそう言って鍵をジャラジャラ持ちながら現われた。
「これから、盆踊りの練習があるんだよ。美佳も来いよ」
河野は靴を履くとそう笑いかけた。
盆踊り、
そういえば、小林さんが言ってったっけ。
今週末……。
今週末には帰るつもりなんだけど……。
「ほら、いくよ」
河野は玄関先で戸惑ってる私の手を強引に掴むと歩き出した。
「ほら、乗って」
そして家の車庫に回ると、助手席のドアを開け、座るように勧めた。
まあ、いいか。
とりあえず素直に車に乗った。
盆踊りの場所は村から車で五分ほどの町の体育館だった。
車の中で、河野は同級生のことを色々教えてくれた。
クラスの子が今何をしているのかとか、事細かに笑いながら話す。私は六年前の記憶を照らし合わせ、その変わりように驚いた。
しかし、一番驚いたのは河野の外見だったけど。
体育館につくと、見知った顔が何人もいた。
変わらない私の顔を見て、誰もが久しぶりと話しかけてきた。
六年前は仲良くなんて、できなかったクラスの子たちと普通に話せる自分に驚いた。
そして、あの時、見えなかったクラスの子たちの隠れた性格がわかり、なんだか驚きよりもむずがゆい気持ちになった。
結局、盆踊りの練習後、明日は月曜日だというのに、皆で飲むことになった。
飲むとますます、皆上機嫌になり、自分が饒舌になったのに驚いた。
六年前、あんなに距離があったクラスの子たちとこんなに打ち解けることができるなんて信じられなかった。
「参加してよかっただろ?」
「うん……」
車の運転代行を頼み、後部座席に河野と一緒に座りながら興奮が冷めやらなかった。
あんなに苦手だったクラスの子とこんなに話せる日が来るなんて思わなかった。
「みんなさあ。都会に行ってずっと帰ってこないお前を気にしてたんだよな。ほら、お前、いつも浮いていただろう?みんなさ、友達になりたかったけど、なんか話しかけ辛いって言ってたんだよな」
河野の言葉に苦笑した。
「お前、都会に行って変わったな。いいことだ。みんな驚いたぞ」
『美佳ちゃんってそういう人だったんだ』
そう言えば、そんなこと飲みながら言われた気がした。
「なあ。美佳。お前さあ。田舎に戻ってこない? おばさんもおじさんも寂しがっているぞ」
「……」
河野がじっと私を見つめてそう言ったが、答えを出せなかった。
やはり田舎が嫌だった。
「じゃ、ありがとうございました。お休みなさい」
代行の運転手を見送り、家に帰ろうとする。
するとふいに河野に手を引かれた。そして抱きしめられる。
「お前さ。俺と付き合わない? もう不細工なんて言わせない。俺は変わった。都会の男と同じくらいかっこいいと思うけど」
「……飲みすぎだよ」
私はどきどきする心臓を悟られないことを祈りながら、河野の腕から逃れた。
「今日はありがとう。おやすみ」
何もなかったように、彼に背を向けて家路を急ぐ。
河野に抱かれた体が熱かった。
あのまま、うんって答えていたら、本当に付き合えたのかな。
でもそんな甘い考えは、すぐに馬鹿げたことだったと思い知らされた。
河野が不細工と罵った私を好きになってくれるなんてありえない話だった。
☆
「美佳ちゃんって相変わらず、つんけんしてたわよね。本当、次郎に不細工なんてよく言ったわよね。昨日次郎、どうしたのかしら? うまく美佳ちゃんを落としたかしら? 許さないって言ってたし、当然よね」
それは翌日、母の代わりに買い物に出かけた時に聞こえてきた言葉だった。
町のスーパーの中にある、小さなカフェを通りすぎたときに、聞こえてきた。
そう話していたのは田中さんで、背を向けていて私がそこにいることが分からなかったみたいだった。
でも向かいに座っている北野さんが、私に気づき目を剥く。それで田中さんも私が聞いていたのがわかったみたいで、慌てて立ち上がった。
「美佳ちゃん! ごめん。そんなつもりじゃ」
田中さんが泣きそうな顔でそう言った。
やっぱりね。
そういうことか……。
だから田舎は嫌い。
クラスの子と打ち解けたなんて、馬鹿なことを考えた……。
「気にしないで。わかっているから」
そう言うと小さなカフェを慌てて後にした。
それからどうやって家に帰ったか覚えていない。
買い物をしてこなかった私を母が呆れていた。
でも蒼白な顔の私に何も言わなかった。
その夜、帰る準備をした。
あの冷たい場所に戻りたかった。
誰も私に構わないあの世界に戻りたかった。
「美佳……本当に帰るの?」
「うん、仕事も忙しいし。美貴も幸せそうだったから」
「そう……また帰ってくるのよ」
寂しそうな母を見ながら、バスに乗った。
バスから見る光景はやはり変わらなかった。
結局何も変わっていない。
やっぱりこの場所は嫌いだ……。
車窓からのどかな光景を眺める。帰ってきた時とは少し違うルートを辿り、バスは村を抜けた。そして駅のある町に着いた。
駅近くのバス亭で降り、信じられない姿を目に入れる。
河野が車を停め、私を待っていた。
「おばさんから聞いて追いかけてきた。帰るの?」
「うん」
「電車まだ時間があるんだろ? ちょっとコーヒー飲もうぜ」
河野はそう言うと強引に私を近くの喫茶店に連れて行った。
「田中から聞いたんだって?」
「うん、まあ。聞きたくて聞いたわけじゃないけど」
アイスコーヒーを二つ頼み、私達は窓際の席に向かい合って座っていた。
「傷ついた?」
「まあ……ね。でもやっぱりと思ったけど」
河野の言葉に淡々と返事をする。
そんな自分に私自身が驚いた。
「でも、みんな、美佳の変わりように驚いていたのは確かだぜ。だって六年前、お前の態度ひどかったから」
「……」
その言葉は私の胸をえぐった。
知っていたけど、事実を突きつけられて苦しかった。
「俺はお前が浮いているのがかわいそうだと思って、世話を焼いていた。でもあんな言葉を言われるなんて思わなかった」
『かわいそう』
河野から出た言葉に自分がまた傷つくのがわかった。
でも表情を崩さなかった。
傷ついていることを知られるのが悔しかった。
「本当、あの時不細工なんて言われるとは思わなかった。おかげでダイエットする気になったんだけどな。本当、痩せて、コンタクトにしただけで、もてまくってびっくりしたよ」
河野はそう続けて笑った。
「だから、お前が戻ってくるってわかって、仕返ししてやろうと思った。だって、あの時本当に傷ついたから」
何も答えず、ただ河野を見つめた。彼はそんな私から目線をそらさなかった。
「でも、つまんないよな。お前は引っかからなかった。こんなにかっこよくなったのに」
河野は残念そうに笑う。それは本当に悔しそうで、私の胸が痛みを訴える。
「……ひっかかりそうになったよ。だって、すごくかっこよくなったから」
「そう? 惜しかったなあ」
強がりな態度でそう答えた。
本当は勘違いしてしまいそうになった。
河野が自分のことを好きだなんて勘違いするところだった。
「河野……あの時は本当にごめん。本当はそんなこと思っていなかった。ただ皆にからかわれて嫌だったから」
「……わかってる。今はわかるよ」
河野はふわりと笑ってそう答えた。
その笑顔に心臓がどきどきするのがわかった。
くやしいが、河野は本当にかっこよくなった。
「じゃ、私、帰るね。電車がもう来る時間だから」
そう言うと席を立った。運ばれてきたアイスコーヒーは結局飲む時間がなかった。
「もう戻ってこないのか?」
「うん、私にはやっぱり村があってないから」
喫茶店から出て駅へ歩きながら、私達はそんな会話をしていた。
「……そんなことないと思うけど」
「……」
苦笑して河野の言葉を聞き流した。
やはりここは私の居場所じゃなかった。
「美佳!」
手を振って構内に入ろうとする私を河野が呼び止める。
「俺、嘘じゃないから。昨日、美佳と付き合いたいと思ったのは本当だから」
振り向かなかった。
本当だと思えなかった。
そして私の居場所に帰った。
☆
家に帰ると休みを返上して、仕事に戻った。
同僚達に田舎はどうだったと聞かれ、適当に笑って答えた。
適当な距離を保って、付き合う同僚達。
それが疲れた自分には丁度よかった。
家に帰って、冷えたビールを飲みながら、ぼんやりとテレビを見る。
安らぎの時間。
でもなぜか、心にぽっかり穴が開いたような気分だった。
頭に浮かぶのは河野の顔、そして一緒に飲んだクラスメートの子達。
結局、私は何もない。
数日後、盆踊りの前日。
メールを貰った。
『美佳。待ってるから。みんな待ってるから。次郎』
それは河野からだった。
メールを見たとたん、皆で飲んだこと、河野に抱きしめられたこと、あの時感じた、何とも言えない気持ちを思い出し、鼻がつんと痛くなるのがわかった。
涙が出そうになるのがわかった。
でも、河野のメッセージは信じられなかった。
きっと全部嘘、私をからかうつもりだと思った。
私が過ごしてきた学校、村、すべては私を受け入れてくれない。
私をつまはじきにする。
戻るわけにはいかなかった。
傷つくのは嫌だった。
『おはよう。今日は晴天だ。絶好の盆踊りの夜になりそうだ。次郎』
翌朝、河野からそんなメールを受け取った。
無視をした。
期待するのが嫌だった。
でもそのメッセージを何度も、何度も読まずにはいられなかった。
きっと、私をからかうつもりだ。
そんなつもりなわけ、ないじゃない。
午後五時、
『美佳、盆踊りが始まる。来ないのか? 次郎』
河野からまたメッセージが届いた。
携帯を机の上に、置き、じっと膝を抱えた。
河野の顔が浮かび、胸がどきどきするのがわかった。
午後五時半、
携帯を掴むと、小さな鞄に財布を入れ、部屋を出た。
そして駅に向かって駆け出した。
電車に乗り、町に向かった。
駅を降りると、色とりどりの提灯が道路の脇を飾り、屋台が所狭しと並んでいた。
確か、八百屋の近くにいるはずだ。
人の間を縫って進み、踊る人々を横目に先を急いだ。
八百屋の近くに行くと、同じ色の浴衣を着た団体が目に入った。
クラスメートの子達は私を見ると驚いた顔を見せた。
でも柔らかく笑うと温かく迎えてくれた。
そして、顔を出した田中さんがごめんと謝ってきた。
奥にいた、鉢巻を巻き、浴衣の袖をまくりあげた河野は、私を見るととびっきりの笑顔を向けた。
騙されてみようか。
あの笑顔に。
その笑顔を見てそう決めた。
笑われてもいい、騙されていてもいい。
河野の笑顔はかっこよかった。
「河野。私と付き合ってよ」
太鼓の音がリズミカルに聞こえ、人々が口々に唄を口ずさむ。そして浴衣を着た人や、洋服を着た人が軽やかに踊る。
そんな中、勇気を出した私の告白に河野が目を丸くしたのがわかった。
河野は、真っ赤な顔をしてどきどきしている私をじっと見た後、口を開いた。
「……俺が本気だと思ったの?」
「!」
やっぱり……。
その場を逃げ出したくなり俯いた。
「冗談だよ。好きだよ。美佳」
河野はくすっと笑うと、俯いた私の頬にそっとキスをした。
嘘かもしれない。
仕返しかもしれない。
でもその優しいキスに騙されることにした。