51・正念寺の光奈子・1
時かける少女・51
『正念寺の光奈子・1』
昭和二十年四月、前月の大空襲で肺を痛めた湊子は、密かに心に想う山野中尉が沖縄特攻で戦死するまでは生きていようと心に決めた。そして瀕死の枕許にやってきた死神をハメた。死と時間の論理をすり替えて、その三時間後に迫った死を免れたのだ。しかし、そのために時空は乱れ湊子の時間軸は崩壊して、時のさまよい人。時かける少女になってしまった……
そぼ降る雨の中、暮れなずんだ通りに面して葬儀会館の灯りが控えめに浮かんできた。
ひなのが死んだ実感は、この通夜に至ってまだ湧いてこなかった。
その死が、あまりに唐突であったこと。その死に顔が、あまりに安らかだったせいかもしれない。
ひなのは、中学からの友だちで、二人揃って演劇部だった。
「あ、見積書足りない。一っ走り行ってきます」
それが、ひなのの最後の言葉だった。
道具に使う布地の下見に行って、その種類が多いので、もらったサンプルと見積書を見比べていて、ケコミ用の布地の見積もりが抜けていることに気づいた。
うちの生徒会は、こういうとこだけ厳しく。ベニヤ一枚、釘一本買うにしても、見積もりを取らないと、予算執行……つまり、買いに行くことができない。
最後の瞬間は笑顔だったそうだ。
「おばちゃん、見積もりが……」
そう言いながら、ひなのは道を渡ろうとした。ゆるい三叉路の向こうから、セダンがやってきて、一時停止もしないでY字になった道の右上からやってきて、「く」の字に折れ曲がった角のところで、ひなのを跳ねた。ひなのは、ボンネットに跳ね上げられたあと、お店の柱に体をぶつけ、店内の布地の山につっこんで意識を失った。
救急車が来たときには心肺停止状態で、ついた病院で死亡が確認された。頸椎が折れ、中の神経が切れて、ほとんど即死ということだった。
知らせを受けて、病院に行ったとき、ひなのは霊安室に寝かされていた。
ひなののお母さんは、妹のまなかちゃんを抱きしめて、泣きじゃくっていた。お父さんは青い顔をして、口を一文字に結んでいた。
「すみません、わたしが見積もりを取りに行かせたばっかりに」
顧問の篠田祐理先生が、目を真っ赤にして、頭を下げた。
「先生が悪いんじゃない。悪いのは跳ねた車です!」
お父さんが、吐き捨てるように言った。そして止めどなくお父さんの頬を涙が濡らしていった。
ひなのを跳ねたのは、白っぽいセダンのレンタカーで、まだ逃走中だということだった。祐理先生は、そのまま、病院に残っていたお巡りさんから事情聴取を受けていた。こういう場合、被害者の行動に関わった人間は全て事情を聴取される。
「光奈子ちゃん。葬儀会館まで来てもらえないか」
「え、あたしがですか?」
「光奈子ちゃんちお寺さんだろ……それに、オレ失業中で……葬式なんか初めてだから。その……」
「わかりました、じゃ、ひなのをうちのお寺に」
「いや、バイト先の社長が、葬儀会館をとってくれたんで、そっちに……で、こまかい打ち合わせに付き合ってもらえないかな」
そして、光奈子は葬儀会館の営業のオバサンを前に、ひなののお父さんと並ぶことになった。
予算は、精一杯100万円。
正直きつい。
「ひなのは菊の好きな子だったから、祭壇は菊にしてください。受付は、お父さんのお友だち……いけますか。学校関係は、うちの先生がやります。屍衣は制服を着せてやってください。お通夜のお料理は助六、まだ暑い季節ですから……」
光奈子は、持っている知識で値切り倒した。最後の問題は宗旨である。
「たしか……浄土宗です。お寺さんにはいくらぐらいかかるでしょう……?」
営業のオバサンは、黙って指三本を出した。
「三万ですか」
「いえ、その……」
「三十万……」
で、光奈子は宗旨替えを提案した。光奈子の家は浄土真宗である。それぞれの開祖は法然と親鸞で、いわば師匠と弟子の関係、それほどの違和感は無い。
その夜、光奈子は夢を見た。
何か宇宙戦艦ヤマトの中で、敵と戦っている夢である。艦長はお父さん……でも、今のお父さんではない、謙三という大泥棒、え、お祖父ちゃんだった?
乗り組みは、泥棒仲間のミナミと、あとはよく覚えていないが、自分自身によく似た女の子たちであった。激しい戦いの中、目の前が真っ白になった。
「ミナコ、ちょっと思い出すのが早すぎる。別のミナコになってもらうわ」
あたしにそっくりな……でも、あたしとは、まるで違うあたしが命じた。
夢は三十分ほどで忘れてしまったが、しっかりしなければと思った。
幼なじみといってもいい、ひなののお通夜だ。
受付についたころ、お父さんである正念寺の住職が仏説阿弥陀経を唱え、親族の焼香が始まった。
祭壇のひなのは、きりっと口を結んで正面を向いた顔をしている。この写真は光奈子が選んだ。お母さんは写真をみるだけで泣き崩れてしまうので、お父さんに頼まれて選んだのだ。
いつも明るく笑顔を絶やさないひなのだったけど、それが仮面だったことは、親友であるあたしが一番分かってる。そういう思いで選んだ、演劇部に入部したときの写真である。期待と不安。そして、なによりも、ひなのらしい決意がそこには現れていた。イキイキとした決意、これがひなのにはよく似合う。
「これは、わしからの香典だ」
通夜が終わった後、お父さんは光奈子を呼び、お布施の中から三万円を抜いて渡した。光奈子はお布施の厚みから、最初の金額は分かっていた。多分十万円。失礼にならず、そして気持ちの伝わる金額を、父は渡したのである。
光奈子は、明日の葬式も手抜かりなく済ませるために、葬儀会館のコーディネーターとの打ち合わせに臨んだ……。




