19・プリンセス ミナコ・1
ミナコ転生・19
『プリンセス ミナコ・1』
昭和二十年四月、前月の大空襲で肺を痛めた湊子は、密かに心に想う山野中尉が、沖縄特攻で戦死するまでは生きていようと心に決めた。そして瀕死の枕許にやってきた死神をハメた。死と時間の論理をすり替えて、その三時間後に迫った死を免れたのだ。しかし、そのために時空は乱れ湊子の時間軸は崩壊して、時のさまよい人。時かける少女になってしまった……今度は2013年の大阪から始まった。
いつものようにアベノハルカスを横目で殺して、ミナコは環状線に乗った。
先輩や仲間たちは送別会をやろうと言ってくれたが断った。
「そやかて、またすぐにお世話になるかもしれへんし!」
「ありうる!」
ミヤちゃんが突っこんでくれたので、笑えた。
「ミナコちゃんやったら、いつでも大歓迎。いつでも帰っといでや」
桂文枝に似たマスターの一言にウルっときたところだったので、涙を見せずにバイト先のコンビニを後にできた。
でも、環状線に乗ると涙が滲んできた。
鼻をかむふりをして涙を拭くと、もう気持ちは切り替わっていた。もうバイトの段階は過ぎた。これからは勉強だ。そして、一年半後には大学の入試だ。
ミナコは俳優になりたかった、それもイッパシの俳優に。
だから演劇部にも入らなかった。高校演劇は妙なクセがつくだけで、演劇科のあるどこの大学でも劇団でも、高校演劇経験者は敬遠される。歓迎してくれるのは、コンクールの審査員がやっているような泣かず飛ばずで、傾向の強い、学校の移動公演などで、高校としがらみができたような劇団だけだ。
去年、義理で大阪のコンクールの本選を観にいったが、芝居も審査もお粗末だった。最優秀をとったR高校は、大阪一の名門演劇部で、みんな熱狂して観ていたが、周囲では、ミナコ一人が白けていた。人の台詞が聞けていない。だから生きた台詞が吐けない。舞台に意味を持って存在している役者が一人もいない。
義理でも、ミナコは全部の芝居を観たので、その感想をブログに書いた。アクセスが一晩で五百を超え、コメントや、トラックバックが二十ほどきたが、その一つ一つに論理的に答を書いた。
返ってきたのは、ことごとく匿名で感情的なものばかりだたので、
――匿名や感情的な書き込みにはお答えしません――
と、シャットダウンした。
その後、最優秀のR高校の顧問が、日本でも有数の演劇科の卒業生であると知って、ショックをうけた。
その大学は、ミナコが入りたかった演劇科の大学の一つだったから。
ミナコの決心は固くなった。
大学は踏み台に留め、大学でコネをつけ、アメリカのアクターズスタジオに入ることである。で、とりあえず大学に入って三か月はやっていけるだけの資金を一年ちょっとで貯めたわけである。
「ごめん、真奈美。明日から晩ご飯は、あたしがつくるさかいに」
この、一年ちょっと、家事の半分。特に食事は、中学生の真奈美に頼り切っていた。お母さんも家事はやるが、料理はてんでダメ。小学校の最初の遠足で友だちの玉子焼きをもらって、初めて玉子焼きのなんたるかを知った。
それから、学校の先生や給食室のオバサンたちに料理を習い、真奈美も高学年になると、イッチョマエに料理ができるようになった。
母のことは嫌いでは無かったが、期待はしていなかった。母の奈美子はハンパな作家で、並のOLの三分の二ほどの収入しかなく、昼間は、この料理下手がレストランのパートに出ている。むろんオーダーを取ったり、配膳をしたりで、けっして厨房に入ったりはしない。
母の不思議でご陽気な性格には集客力があり、マスターも、ランチが終わった後、彼女が二時間ほど原稿を書くのを許している。
親子の仲は互いに楽観論者であることもあり、悪くはなかった。
ただ、違うのは。母は根拠のない楽観であるが、姉妹のそれは、将来を見据えた計画性があることである。
もう一つ、小さな不満は、姉妹二人の父親が違ていて、そのいずれとも縁が切れていることである。
ミナコの父は外国人であった。ミナコは、遺伝子の三分の二は父からもらったようで、特にその外見は、どう見ても欧米人である。
方や、真奈美は純和風。AKBのなんとか言う子に似ていて、テレビのソックリショーで、二等賞をとったほどである。真奈美も天然で、似せようという努力をいっさいしない。AKBのソックリさんで出て、歌いも踊りもせず落語の小話をやっては一等賞は無理だ。もっとも審査員の落語家が、その道を勧めたが、本人は明るく笑い飛ばし、その実、どこか真剣に考えてもいる。
ドロロロロ……
その夜、静かだがお腹に響くエンジン音をさせて、ダニエル・クレイグみたいなオッサンがミナコの家を訪れてきた……。
運命が旋回するときに音がするとしたら、きっと、この時のエンジン音のようなものの違いない。




