第6話
釉葉が部屋を出ると、扉の横に吉本と、さっきの2人が立っていた。
松永運転手との会話中、それとはなしに聞き耳を立てたりしたが、会話はなかったと思う。
ひょっとしたら、吉本が捜査本部内で本当に孤立している可能性もあるが、それよりも、こんな一般の人も通る廊下で捜査機密を話すはずもないし、本部に帰ってから情報交換すればいいだろう。
事態や容体に急変があれば話は別だろうが、3人とも無言だったと言うことは、「便りがないのが無事な便り」ってコトかな?
釉葉はつとめて脳天気に
「おまた♪」
その声を合図に吉本が2人の警察官に敬礼し、2人も答礼した。
吉本の先導でエレベーターに乗った。
釉葉が、駐車場のある地下1階を押すが、後ろから伸びた手が釉葉の手を覆う形で、1階のボタンを押す。
あれ?
松永運転手の容体を外科の医師に尋ねるのかとも思ったが、1階にあるのは外科は外科でも「外来外科」だ。
入院患者のための外科医師なら、2階か3階だろう。
エレベーターを降りると、吉本は釉葉の手を引いて、玄関に向かう。
外に出て、タクシー乗り場に待機しているタクシーに手を上げると、リアのドアが開いた。
釉葉を先に押し込み、吉本が続く。
「福原へ」
タクシーは動き出した。
メーターをセットしてから、タクシードライバーはリアシートの二人を見た。
男は黒っぽい今風のスーツ、女は紺色だが、やはりスーツだ。
身なりはドレスコードを守っているが、打ち合わせしたようにも見えない。
そして行き先は福原。
……そういうことか。
ひとり合点のいったドライバーの口角が上がる。
福原は、神戸でも有数の歓楽街というか風俗街だ。
一見すると、女の方は頭を茶色くしているので若干若く見えるが、どちらも20代後半だろう。
卒業した学校のクラスメイトでも入院し、お見舞いに来てばったり遭遇して、焼けぼっくいに火がついたってパターンか。
女の方はわかってないのか、わかっていてカマトトぶっているのか、きょろきょろと、外と男の顔を交互に何度も見ている。
こういうとき、ヘタに声をかけてはいけないのは知っているが、「福原」だけじゃ、行きようがない。
「福原のどこですか?」
「通りの脇で降ろしてください」
やっぱり!
ドライバーは、自分の読みに自信が持てた。
男がホストだったとしたら、あるいは女がホステスだったら、降りるべきポイントは決まっている。
自分が定宿にしているホテルがあるから。
それがないということは、水商売がらみではない。
もちろん、福原にも普通の生活をしている一般市民はいるが、それなら銀行やコンビニなど、わかりやすい目印を指定するはず。
福原の、俗に言う「通り」には、ショッピング街の小売店よろしく風俗店が集まっている。
ソープやキャバクラが並ぶ裏には、アフターのためのラブホが並ぶ。
今は午前11時前で、道が混んでいても30分もあれば余裕だろう。
こんな時間に開いている風俗店はないが、脇に1本それればラブホが林立する。
その正面にタクシーで乗り付けるのは野暮もきわまるが、だからこそ「通りの脇」となる。
この男、まじめそうな風貌にそぐわず、案外遊び慣れているのか?
ならば……再度リアシートを確認し、到着前にはじめてシートカバーを汚しそうな雰囲気でないのを確認すると、ドライバーは前方とメーターに集中した。
この手の男は、タクシー料金は札で払い、たいてい「釣りはチップで」となる。
もちろん、女に格好をつけるために。
メーター連動のプリンターに記録される金額と、実際ドライバーの手にする金額の差は、税金のかからない実収入となる。
もう少し貫禄があれば、1万円札が期待できるが、それには若すぎる。
それならそれで、福原へのルートを頭の中で組み直し、
「ちょっと遠回りになりますけど、こっちの方が早いと思います」
と、バイパスを経由するルートを提示した。
嘘はついていない。
最短コースの生活道路を抜ければ、信号のタイミングにもよるが、2800円。
バイパスだと、遠回りになるが確実に早く到着でき、3200円。
メーター上は400円の差しかないが、ドライバーが手にできるチップは、200円と800円、4倍の差が生まれる。
少しでも早く始めたい相手に「早く着く」は、最高のセールストークだろう。
早く着けばその分自分の車も回転率が上げられる。
いいことずくめだ。
……それにしても、無口な客だ。
口説く段階は終わり、その後のプレイを想像しているのか?
ヘタにトークに失敗して、魚を逃がすのがイヤなのか?
この手の客には、ヘタに話題を振るよりも、こちらも無口でいた方がいいことを、後期高齢者に近いタクシードライバーは、経験で知っていた。
こっそり変なプレイをしていてシートを汚すにも、その前に臭いでわかる。
そのプレイに混じりたいと思うには、彼はすでに枯れすぎていた。
タクシーは、バス停のくぼみを利用する形で、左に寄せて停まった。
計算通り3200円。男はチップ込みで1000円札を4枚出すと、お釣りも待たずに車を降りた。
釉葉も神戸は長いが、初めて来る街だった。
ただ、消灯しているとはいえけばけばしいネオンや、壁やガラスに貼られた下品な写真から、ここが「そういう街」だとは察しがついた。
昼前で客引きはいないが、存外にカップルというかアベックは多い。
吉本は迷うことなく釉葉の手引いて歩き、何度か角を曲がって、ビジネスホテル風の外観を持つ、このあたりではシンプルなホテルに入った。
入り際、釉葉は普通のビジネスホテルには見られない「ご休憩」という料金設定に気がついたが、ここまで来て騒ぐのもみっともない。
吉本は、浮気を疑わせるほどスムーズにフロントに行き、フロントに人影はなかったが、自動販売機のような機械の前に立った。
1000円札を数枚入れると、いくつかの照明がついて、その部屋の内装が見える。
その1つを無造作に押すと、缶ジュースのように、下にキーが落ちてくる。
そのキーを持って、階段で2階に上がった。
キーを回して室内へ。
さすがにシーツ交換はしてあるようだが、タバコと香水と、そしてあの特有の臭いが残っててむせそうになる。
前に立つ吉本の顔は、釉葉からは見えない。
朝からこんな調子だったし、今の今まで黙っていたが、あの「臭い」が決め手になって、我慢の限界を超えた。
怒鳴ろうと口を開くタイミングを察したか、おもむろに吉本が振り返り、釉葉の唇を人差し指でつつく。
「もう少し黙っていろ?」
釉葉は、了解と、リミット5分の両方の意味を込めて、左手の指を全部立てた。
それを見て吉本はいきなり服を脱ぎ、使用目的のわからないたらいのような容器に入れていく。
最後には、靴下も靴も脱ぎ、パンツ1枚になってバスルームへ。
バスルームの閉まる音とシャワーの音が聞こえてきた。
が、吉本はシャワーを浴びていなかった。
すぐパンツ1枚で戻ってきて、部屋の中央のキングサイズのベッドに腰掛けると、朝から息を止めていたかのような大きな息を2回。
「さて、どこから話そうか」
問われても、釉葉の回答は1つしかない。
「はじめから、ぜんぶ!」
吉本は、音が聞こえるほど大きな息を、もう1度吐いた。
言われて吉本は、壁際のTVに目をやった。
「こんなとこでニュースやバラエティ観るあほ、おらんやろ?」
「そら、なんかAVでも流すんちゃうん?」
「フツーはな。けど、せっかくのラブホなんやから、自給自足したら安上がりやん?」
スマホの自撮りもあるし、そういうのが流行しているのかと釉葉は考えたが
「他人がやってるの観て興奮する人もいてるらしいし……自分らのプレイを録画して、わざとデータ持ち帰るのを忘れて、それを観られるので興奮する人もいてるらしいわ」
「ヘンタイさんやな」
「そんな人らのために、ホテルが自発的に録画して、編集してくれるトコもあるよ」
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ホテルが自発的に?
客の了解なく?
「サービス」の意味がわからなくなってきた釉葉に、吉本はたたみかけるように
「で、なかには裏DVDとか、ネットにアップして小銭稼ぐとこもあるんよ。
僕はゆずさんに、そんなんでデビューして欲しないんや。
あ。主演女優のギャラは、編集手数料と相殺して、ゼロが相場な」
要するに、ラブホによっては盗聴・盗撮してるトコがある、ってことだな。
「したらここは?」
「僕が知ってる中じゃ、シロ」
「知ってる中?」
「僕、生活安全課やで」
言われるまで忘れていたが、二人が知り合ったのは釉葉が変質者の「情報提供」に行った警察署で、その窓口になったのが生活安全課の吉本だった。
父親が撃たれたあと、ずっと釉葉についてくれていたから忘れていたが、吉本は暴対でも刑事課でもない。
それが釉葉にぴったりついてくれていたのを、釉葉は警察上層部か吉本の厚意くらいに思っていたが、このご時世に厚意で公私混同とも取られかねない許可が出るはずもない。
あ。そうか。
それで以前言ってた「県内出張」だ。
出張先で職掌外の行動があっても、そこは「臨機応変」ってワケか。
……だけ?
あ!
釉葉は、もう1つの可能性にたどり着いた。
パトカー内の会話は、もれなく録音されている。
一般の市民相手では、監視社会だの令状が云々とうるさく言われるが、身内に向けてなら「不祥事防止」で名分が立つ。
そうなると、警察は盗聴・盗撮・ストーカーの技術もノウハウも持っている。エキスパートと言っていいほどに。
その気になりさえすれば、警察手帳からペン、靴にいたるまで、貸与している物すべてに盗聴器を仕込むくらいは造作もない。
釉葉はあらためて、吉本を見た。
パンツ一丁なのはこのためか。
この場所を選んだ理由も同じ。
今朝からの言動も、そう考えれば理解できる……が、そこまで神経質になるほどの会話か?今。
「僕、明日からしばらく東京の警視庁に出張になるんや」
……なるほど。
あくまで可能性の話ではあるが、折原社長襲撃の立案を釉葉が行い、吉本がハブになる。
生活安全課は市民の相談窓口と同時に、犯罪には至らなくても好ましくない情報提供があれば、相手に「事実確認」をする。
その相手が、暴力団関係者の場合も少なくないだろう。
ラブホテルでの盗撮・盗聴についても、被害の一報は生活安全課に入り、それを裏DVDにして売るのも、生活安全課の職掌だ。
実際には、その実働に暴力団関係者が関わっている場合が多く、そうなると組織犯罪対策課に職掌が移るが、そのグレイゾーンでは生活安全課と暴力団の接触は避けられない。
釉葉と暴力団に接点はなくても、吉本巡査部長をハブなりデポにおけば話は簡単だ。
身内である吉本巡査部長すら「参考人」とみなし、被害者の娘の釉葉さえ参考人と見なす。
因果な商売だけれども、この二人セットに暴力団関係者が接触すれば、一網打尽にできる。
が、当然ながら二人と暴力団員の接触はなかった。
となると、暴力団関係者は「手間代」を誰にどう請求する?
東京の警視庁に行っている吉本か、あるいは地元にいて実際に金を持っている釉葉か?
もちろん、彼らと直接接触していない釉葉が財布を開くことは通常ならあり得ないが、犯行立案が彼女なら、おそらく拒めないだろう。
なんなら囮捜査よろしく警察官が暴力団員を装って柚葉に接触し、財布を開いたところで緊急逮捕、そこから芋づる式という作戦も成立する。
この手の金は、口座間取引ではなく、基本現金というのも、証拠には好都合だ。
「って、あれ? 私、容疑者なん?」
「僕もやけど……正直わからんのよ」
こんな回りくどいマネをしておいて、いまさら「わからん」はないだろう。
そう詰め寄る釉葉に
「こういう時にアレやけどな。
病院で、特定の看護婦さんが当直した夜に限って、患者さんが死にまくるってあるらしいんや。
そういう看護婦さんは『憑いてる』って、しばらく当直を外れるんよ」
「オカルトやな」
タイミングもあるし、その看護婦さんの当直日数が他の看護婦さんの2倍あったら、患者の死亡に当たる確率も単純に2倍になる。
とはいえ柚葉自身、そんな曰く付きの看護婦さんに父親を任せたくはない。
「で。警察でも、周囲で人が死にまくってる人を『憑いてる』って言うて、こっちは逆に監視を強うするんや。
それでな。ゆずさんなんやけど……前の会社で先生の息子さん、そのあと元同僚、ストーカーもどきの興信所職員から……今の会社の先代社長なんか、一家心中で7人死んどるんや。
ほかにも、心中やら自殺やらがまだまだあって、あげく今回の折原社長やろ?」
「あははは……両手で足りんな」
そこで釉葉は気がついた。
自分は、参考人の手前ではあるけど、少なくともグレイゾーンにいる。
近い可能性は吉本にもあって、それを切り離して……引き算があれば、当然足し算もある。
監視のつもりの吉本が共同正犯なら、ダブルスパイの可能性も浮上する。
捜査情報が釉葉に流れるのを防ぎつつ、吉本の目と耳をふさぐには、遠くに出張させればいい。
そのうえで、釉葉と面識のない私服警察官を尾行に立てれば、それとは知らない釉葉のガードは甘くなり、暴力団との接触が起きる可能性が高まる。
そもそも、暴力団は現金商売だ。
手形のように120日も待ってはくれない。
暴力団の体力にもよるが、おおむね2週間から長くて1ヶ月だろう。
その間、釉葉と暴力団の接触がなければ捜査は振り出しに戻るが、可能性が1つ消せる。
捜査本部の吉村警視は、可能性を広げるターンから、絞り込みに入っていたのか。
釉葉が黙り込んだのを見て、吉本は「危ない」と思った。
3年ほどのつきあいだが、こうやって釉葉が黙って考えたあとは、たいてい碌でもない結果になる。
考え方が、根本からずれている。
将棋で言うなら、対局相手も周囲も相手を詰みに持って行こうと考えるが、追い込まれた柚葉が考えるのは詰みから逃れるために駒を動かすことではなく、将棋盤を放り投げて、勝負そのものをつぶそうとする。
しばしば勘違いされるが、釉葉は思慮深いのではなく、むしろ場当たり的な瞬発力にこそ、本領を発揮する。
吉本の目に気がついた釉葉は、おもむろに服を脱ぎだした。
ここはそのための場所で、連れてきたのも吉本だが、吉本にその気はなかった。
女と違って男は、メンタルで「男の子」が元気にならないといけない。
吉本の狼狽をよそに、釉葉はためらいも恥じらいもなく全裸になり、バスルームに入っていった。
そこから、この部屋に入室直後に吉本が脱いだ衣類一式を入れた、用途不明のたらいのような物を引っ張り出して、バスルームの扉を閉めた。
壁のカーテンを開き、窓というかマジックミラー越しにバスルーム内を覗くと、釉葉は髪を洗っている。
5分後、髪だけを洗って釉葉が出てきた。
あっけらかんとタオルで髪をわしゃわしゃしながら、
「次、吉本さんな。顔作ってるから、5分ですませて♪」
そう言うと釉葉は下着だけを身につけ、ベッドサイドに腰掛けて、姿見を利用して本当にメイクを始めた。
…………。
しばらく惚けていた吉本だが、はっと気がついて、自分もバスルームに入る。
頭を冷やすため、あえて冷水にした。
自分の持つ知識やノウハウを利用し、逆手に取ったつもりだった。
貸与されたアイテムは、靴も含めて遠ざけた。
シャワーを流しっぱなしにしたのも、雑音で会話を消すため。
フロントが無人のホテルにした。
ただ……「人間」を失念していた。
ホテルのフロントには、ラブホテルに限らずビジネスホテルでも、なかば義務化されているように、ほぼすべてに 防犯カメラがある。
ここから三宮に戻るためにはタクシーを使うしかないが、タクシーにはドライバーがいる。
この時間、福原で拾ったカップルが髪の毛すら濡らしていなければ、逆に浮く。
吉本が自分で用意し、伝えた情報からそれ以上の状況を読み取り、とっさに「らしさ」を作り上げるさまに、吉本は舌を巻いた。
残りの人生で何度釉葉と勝負しても、おそらく全敗に近いだろう。
だからこそ、たまたまに偶然が重なった勝利ではあっても、その勝利はおそらく甘美だ。
ライバルにもなれず、一方的な片思いだとしても、結婚後も片思いができる相手など、そうはいない。
そう考えれば、自分は幸せではないか?
流しのタクシーを拾って、日赤病院へ。
「自分、何ニヨニヨしてん?きしょいで」
問う釉葉に吉本は応えず、代わりにタクシードライバーが
「美味しいごちそうを思い出してるんじゃないんですか?」
と、含み笑いで応えた。
釉葉はそれに苦笑で応じ、日赤病院で降りるとき、吉本の頬に軽くキスをして「またな」で分かれた。
吉本はそのまま労災病院へ。
ドライバーが
「まだ二人とも若いですけど、研修医の先生ですか?
彼女さんと同じくらい、患者さんも大切にしてくださいね」
たまらず吉本は吹き出した。




