第5話
意識せず、釉葉は監査役モードに入っていた。
エレベーターで4階へ。
ノックもせず、入り口のセンサーにカードキーをタッチする。
小さくピッと音がして、ドアのロックが開き、釉葉はおもむろに自分の部屋、監査役室に入る。
「おはよーございます」
意図して暢気な口調で挨拶したが、スタッフは息をのんだ。
定時前、就業時間前でリラックスしていてもいいし、釉葉にもとがめるつもりは毛頭ないが、油断しているときに不意をつかれたようだ。
「あー、ちょっと私用。すぐ消えるから、ゆっくりしててええよ」
それでも、あからさまに釉葉を凝視するスタッフに、
「社長来てる?
や。いちおう挨拶だけ」
社長室も同じ4階で、勝手に歩いて行ってもいいが、筋を通さないと後でややこしくなる。
ここがもう少し小さい会社ならそのへんは適当ですむが、なまじ図体がある分、手順が大切になる。
スタッフが内線をまわし、
「まだ来られていないようです」
「あ。そ」
そう言い残して片手を上げ、部屋を出た。
エレベーターで1階へ。
店舗になっている。
開店は10時で、まだ店は開いていないが、スタッフルームの裏から軽くノックして入る。
この会社の洋菓子は、関西限定ではあるが、贈答用としてはトップブランドの1つだ。
釉葉に気がついた店長は、もちろん驚いた表情を見せたが、それ以上にうれしそうに「おかえりなさい」と挨拶した。
釉葉は5000円の包みを2つ取って、1万円札を乗せて店長に差し出した。
店長は「持って行ってください」と代金の受け取りを拒んだが、
「こーゆーとこ、なーなーはアカン思うんよ」
と釉葉もかたくなになると、おもむろに自らレジを打って、1360円を乗せて返してきた。
「社員割引です。そのへんもキチンと」
2人は同時に吹き出した。
包みを紙袋に入れてもらい、そのまま通用口から外へ。
駐車場のマークXの窓をノックして、助手席に座り、包みを膝に乗せる。
「おまたせ。戻ろうか。あ、労災病院の方な」
怪訝な顔をする吉本に、釉葉は
「運転手さんもとばっちりでケガしてんやろ?お見舞いせな」
「やな」
そう言うと、吉本は車を出した。
帰りの車中でも、吉本は押し黙ったままだった。
「なぁ?」
拗ねたように釉葉が呟く。
「それだけ練って滑ったら、めっちゃ恥ずいで。自分でハードル上げてるで」
これには吉本も、さすがに苦笑した。
労災病院の手前で、釉葉は右後方から、かすかなモーター音を聞いた。
赤色灯を出した?
ただ、サイレンは鳴らしていないし、ビルのガラスに映るマークXを見ても、赤色灯は点灯すらしていない。
単に出しただけだ。
怒られて反省して、怒られるギリギリを狙ったのなら・・・そういうトライ&エラーは、釉葉の大好物だ。
怒られて萎縮して何もしなくなるよりも、アレンジしてリトライする生き方の方が絶対に楽しい。
外来患者や見舞客で渋滞が始まっている正門ゲートを回避して、職員用ゲートの方に回る。
ストレスフリーで駐車場へ。
なるほど。このための赤色灯か。
どこに駐めようかと見渡すと、壁際にパンダパトカーが先着していた。
ほとんどの駐車スペースは枠内に番号が記されていたが、その横数台分には番号がない。
きっと来客用だと信じて、吉本はバックでピタリと駐めた。
釉葉が紙袋を持ち、2人とも車を降りた。
問い合わせることもなく、吉本は黙ってエレベーターに乗り込み7階のボタンを押す。
7階は、エレベーター内の案内を見ると、外科の病室がならんでいるらしい。
7階でエレベーターを降りて、ナースステーションで病室を尋ねようかと思ったが、その正面の病室扉前に、2人の男が直立している。
ジャケットの色は黒と、黒地にピンストライプ。
が、スラックスは全く同じ濃紺だ。
「あー」
吉本とつきあいだして3年、前職も合わせれば5年以上この手の連中とは交わっているから、釉葉にも彼らが何者かわかった。
吉本は無言で近づき、身構える彼らの前で胸ポケットに右手を入れた。
留学経験のある釉葉にとっては、射殺されても文句が入れない動作だが、ここは日本だ。
吉本は内ポケットから警察手帳を取り出し、上下に開く。
2人は敬礼を返して、扉の前を譲った。
吉本は釉葉の方を見て、扉の方に首を回す。
自身は、左手の平を見せて、やはり横に動いた。
特にサインを決めていたわけでも打ち合わせがあったわけでもないが、社会人なら意味はわかる。
「一人でどうぞ」
モヤモヤするが、釉葉はムリヤリ笑顔を作って、扉の前の3人に敬礼をした。
3人が同じタイミングで答礼した。
病室に入る前、入り口のネームを確認する。
6人部屋のようだが、名前のフダは1枚だけしか収まっていない。
釉葉はノックをして、中からの返事を待たずにドアを開けた。
「おじゃまします」
運転手の他には誰もいないはずだし気配もないが、空のベッドはすべてカーテンが閉じられ、6人部屋が窮屈に感じる。
唯一カーテンが閉じられていないのが、右手の一番奥のスペースだ。
そこから、60代後半か70代の女性が背中を反らせてこちらを見たのと目が合った。
年齢からして、運転手さんの奥さんだろう。
釉葉は立ち止まって小さく会釈して、「折原です」と名乗って、再び歩き出した。
習慣か職業病か。
釉葉は運転手の顔より先に、つい周囲に視線を走らせる。
あくまで一瞬、目を動かすだけだが、カラフルな映像が流れる液晶TVと飲みかけのペットボトルに気がついた。
点滴チューブは1本だけで、父親がマリオネットよろしく何本ものチューブが繋がっているのと比べると、はるかに軽傷だとわかる。
点滴で栄養は足りているはずだが、食べたいという本能にはあがなえないのか、ゴミ箱の中にスナック菓子の袋が入っていた。
柚葉の顔を見て、運転手は慌てたようにTVに繋がったイヤホンを耳から抜く。
頭髪は真っ白で、肌色は前から頭のてっぺんまで広がっている。
鼈甲風の眼鏡をかけているが、いまどき鼈甲は手に入らないから、それっぽいプラフレームだな。
運転手がイヤホンのカナルをTVの横に置くのを待って、釉葉は深々と頭を下げた。
「今回は、とばっちりで大怪我をさせてしまって、申し訳ありません」
その姿勢のまま、おくさんのほうに身体を向けて、
「こちら。つまらないものですが、入院中の気慰めにでもなればと思いまして」
紙袋を差し出す。
運転手は恐縮しているようだが、奥さんはここぞとばかりにたたみかけてきた。
社長の日頃の行いが恨みを買って、こちらは大迷惑だ!
もちろん、入院中の休業補償は出るな!
慰謝料はどうなる?
そのへんまでは釉葉も織り込み済みだったが、言っているうちに自分で気が昂まったのか、社宅が狭いだの、夜が遅くて不規則な割に給料が低いとか、果ては子供の進路問題まで。
最後のは、オリハラにコネ入社させろって意味だろうし、社宅も社長車のリムジンとは別に自家用車の止められるスペース、さらには庭付きの戸建てを無償で貸与している。
給与にしても、そこらのタクシー運転手の2倍は払っている自信がある。
もちろん、迷惑料として、折原家から少なくない金額は包むつもりだが、あまり欲をかくようなら……。
車の中だけとはいえ、それなりに長い時間釉葉を見ている運転手は、釉葉の「……」に気づいて、慌てて妻を遮った。
目の前で深々と頭を下げているが、それだけに柚葉の顔が見えない。
確かなのは、このまましょげるような甘い娘ではない。
1億円も1万円も単純に数字として扱い、それを動かした結果一家離散や一家心中に至らせても、阪神タイガースが負けたほどにも気にとめない。
オリハラグループの急成長は、たしかに折原社長の豪腕に依るところが大きいが、社長が大きな方向を示し、現場が細部を詰める間に入って微調整・微修正をするのは、この娘だ。
見かけにだまされて油断し、破滅した人間は1人や2人ではない。
顔が見えないからこそ、逆に恐ろしい。
「お嬢さんの方が大変なんや!」
有無を言わせない、強い口調で叫んだ。
「TVでやってましたけど、社長、大丈夫なんですか?」
「ありがとう。山は越えたらしいですけど、まだ目を覚ましてないんで……ちょっと」
やっぱ、TVでやっていたか。
ただ、関西財界限定の有名人で、しかも死んでいないため、東京キー局の食いつきはないに等しいらしい。
「んと……運転手さん……あれ?」
とっさに自分の名前が出てこない釉葉に運転手は苦笑して
「マツナガです。松竹梅の松に、永遠の永で松永。
そういえば名乗ったことなかったですね。
というか、こうやってお話しするのも、ひょっとして初めてかも」
「ごめんなさい!」
決して短くないつきあいなのに、名前を尋ねたこともない非礼を釉葉はわびた。
「それはいいですから、そろそろ顔を上げてください。お嬢さん」
これ以上頭を下げたら、立位体前屈みたいな姿勢になる。
言われて釉葉は頭を上げ、神妙な顔を作った。
「TVで何か言うてました?
私、なんか病院にも警察にもハブられたみたいで、なんちゃわからんのですよ」
「彼氏は何も言うてくれんのですか?」
「あの人が一番口が堅いです」
かすかに場が和む。
「TVでもあまり言わんくなりましたね。
犯人がまだ捕まってないゆーか、絞れてないゆーか、そんな感じらしいです」
収穫なしか。
と、窓際に新聞がたたまれ、積み上げられているのに気がついた。
「ちょっと見せてもらえますか?」
松永運転手は、どうぞと束を渡してくれた。
さっと目を通しただけだが、銃撃当日の夕刊は、トップに白抜き見出しで記事になっている。
が、どんどん記事は小さくなり、今朝の朝刊からは消えていた。
細かく読むと、「重体」表記が、昨日は「重傷」になっている。
警察が情報を絞っているのか、ニュース価値が薄れているのか。
釉葉の父親は芸能人ではないし、オリハラもエンドユーザー、つまりパッケージに名前が出る商品を作っているわけでもない。
会社知名度は、一般的には低い。
むしろ釉葉の会社の方が、知名度だけならはるかに高い。
「お嬢さん?」
「ごめんなさい!」
新聞に集中するあまり、松永を失念していた。
とばっちりでケガをさせ、名前を知らなかったのも失態だが、さらに今のでワビは高くなった。
たぶん。
「会社としてはもちろん、私の家の方でも、できることはさせていただきます。
辞退されても、やらせていただきます!」
奥さんからのプレッシャーが薄れたのを逃さず
「肩、大丈夫ですか?おなかも撃たれたって」
松永も、この手の会話の機微は、車の中で何度か聞いている。
「もう2度とマウンドには立てないでしょうね。
腹の方は、お嬢さんぐらい締まっていたら当たらなかったと思うんですが、ご覧の通りメタボで。
もっとも、かすっただけですから、飯は食えます」
ジョークにはジョークで返す。
「うあー。プリン持ってきてもうた。
ケガやのうてメタボが悪化したら、ホンマごめんな」
「そっちの方が高くつくかもしれませんね」
釉葉は笑ってもう一度頭を下げ
「お邪魔しました。お大事に。
あ。お父さんの都合で車に乗らないだけですから、お給料は今まで通り出しておきますね」
そう言うと、病室を出た。
釉葉を見送って、扉が閉まるのを確認し、松永は彼の妻にささやいた。
「あの様子なら1本。100じゃなくて、もっと上かもしれん」
思わず顔がほころぶ妻に、しかし松永は釘を刺すのも忘れなかった。
「ヘタに機嫌損ねたら、10で終わるかもしれんぞ。
あのお嬢、それくらい気分で決めることあるから」
松永の妻は、小さく舌打ちした。
そうと知っていれば、おだてるなり何なり言い様もあったと後悔した。




