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夢見る暗殺者  作者: 瀬戸 生駒
暗殺者の嫁入り
22/35

第2話

 実のところ、医者の第一印象は正しかった。

 釉葉は人命を「絶対」とは考えていない。

 もちろん軽くみているのではないが、あくまで「相対」だ。

 近親者には元気で長生きして欲しいし、自分が力になれるのなら努力は惜しまないつもりだが、自分の力が及ばないのなら、状況を見直し、最善を選ぶべきだと考える。

 そして今は……手術室の前で頭を抱えていても仕方がないし、医者の言う「覚悟」とやらをしても意味はない。

 A型の血が足りないのなら、足せばいい。

 それを、オリハラの幹部に伝えた。

 それに気がつかないほどの無能なら、人間相手の職種はムリだ。

 配置転換させよう。子会社のライン工にでも。

 が、ほんの少しでも頭があれば、社員に動員をかけるだろう。

 関連会社、取引先企業の従業員と家族まで含めたら、1万人くらいの血が入る。

 その血はすぐに使うことはできないとしても、血液銀行にプールされれば、出す方の躊躇もなくなる。

 血が足りないなんて言い訳は認めない!


 釉葉は吉本巡査部長に手を引かれ、廊下を歩いた。

 ふいに吉本がトイレの前で足を止めた。

「ゆずさん。ちょっと色っぽすぎるわ」

「へ?」

 言われて釉葉は自分の胸元と、足元を見て、ゲッと思った。

 裾がはだけて、襦袢が丸見え。

 どころか、踏み出している足は襦袢を超えて、生足まで出ていた。

 はっとして目の前のトイレに飛び込み、洗面台の鏡を見て「はふっ」と、悲鳴とも溜息ともつかない、変な声が出た。

 その声で、さらに情けなさが増した。


 着物は思いっきりはだけている。

 留め袖は肩まで開き、下は全開だ。

 かろうじて襦袢がひっかかりになって胸元全開は防いでくれていたが、その襦袢もはだけて、上から見ると自分で自分のブラが見える。

 身体の中央に帯がなかったら、釉葉の体型だったらとっくにスコンと落ちて、ストリーキング状態になっていただろう。

 その頼みの帯すら、波打って無残に崩れていた。


 マナー違反とは知っていたが、釉葉は身障者トイレに飛び込んだ。

 ここはほかの個室より広く、バーやフックもある。

 さらに、この個室には、壁際に折りたたみ収納されたベンチシートまであった。


 釉葉は、着物の襟をいったん戻してから、帯をほどいた。

 留め袖と襦袢も脱ぐ。

 ここまで乱れたら、場当たり的にいちいち直すよりも、ゼロから着直した方が早い。

 襦袢をふわりと羽織り直して腰紐を固結びする。

 襟を起こして、同じく留め袖。

 腰紐を仮止めして、襦袢の襟との重ねを調整し、固結び。

 帯の太鼓を作るヒマはさすがにないので、そのぶん余分に胴体に巻いて、浪人結び。

 余った帯を内側から、下から上にくるくる数回回すと、それっぽい形ができる。

 個室を出て、洗面台の鏡の前で襟を改めて正し、首の後ろを起こしてやる。

 もちろん、見る人が見れば略式を通り越してムチャクチャだが、和服を着慣れていない人なら十分ごまかせる。

 たぶん。

 最後に、頭に上った血を鎮め、気合いと頬紅を入れるつもりで、自分の両手で自分の頬を叩いた。

 顔を洗って・・・今更ながら自分がメイクポーチを持っていないことに気がついた。

 てか、スマホも何も持っていない。

 そのかわり、なぜだか扇子を後生大事に握りしめていた。

「はは……」

 苦笑して、頬に気合いをもう1回いれた。


 洗面室を出ると、吉本が壁に背中を預けて立っていた。

「吉本さん。そんなとこ立ってたら不審者やで」

 そう言う釉葉に吉本は

「ゆずさん。まだスッピンいけるやん」

 柚葉は怒るか恥じるか少し悩んで、優しく「アホ」と言った。


 吉本は、「405」号室の前で立ち止まった。

「404」は、例によってない。

 そんなに「4」がイヤなら4階もつくらなければいいと思うが、それはそれなんだろう。

 と。

 吉本は扉の前に立ち、ノック2回。

「吉本です」に、少しの間があって「よし」の返事が中からあった。

 吉本はドアをスライドさせると敬礼を作り、「失礼します」と、釉葉の手を引いて入った。


 部屋はベッドが2つある病室だが、ベッドの上にはシーツなどのリネンは一切ない。

 そのかわりノートパソコンが置かれていた。

 ベッドの目隠しカーテンや部屋に備え付けの謎機械は壁際に集められている。

 2人部屋といっても、見舞客や医師看護師が入れるように、部屋そのものは6人部屋くらいの広さがあるため、やけにがらんと広く感じる。


 中にいたのは、制服警官3人と、スーツが2人。

 おそらく彼らも、私服警官だろう。

 一番奥で腕を組んでいた制服警官が吉本に目をやると、吉本は無言で頷いた。

 それから釉葉の背中を優しく押し、制服警官も、彼の手前の椅子を促した。

 釉葉は小さく会釈して、その椅子に座った。

 吉本が釉葉の後ろで、直立不動の姿勢をとった。


 巡査部長の吉本がここまで姿勢を正す以上、相手はかなりの上官だなと、柚葉は思った。

 白髪混じりのグレイの髪を手ぐしで無造作に整え、黒縁眼鏡をしている、見た目50前後の男性だ。

 制服というのは、知識があれば階級から所属、名前まですべてわかる、名刺を全身で表しているようなものだが、残念ながら釉葉には読めない名刺だ。

 差し出された警察手帳が開かれて、はじめて「兵庫県警 警視 鈴村」とわかった。

 警視と言えば署長クラスだが、署長がこんなところに来るとは思えない。

 そもそも、それなら所属署の名前があるはずだが、なかったってコトは本部付けだな。

 ということは…………。

 思案する釉葉を一瞥して鈴村警視は吉本に目をやる。

 吉本は「大丈夫です」と強く断言した。


 鈴村警視は釉葉の頭のてっぺんから足の先までを見て、再び吉本を見て、もう一度釉葉を見た。

 それから少し間を空けて、噛んで含めるように、ゆっくり話し始めた。

 被害者は2人。釉葉の父と、専属運転手が負傷した。

 発砲音は8回。運転手は肩と脇腹を撃たれ重傷だが、命に別状はなく、意識はあるという。

 釉葉の父は腹部に3発あたり、さっき柚葉自身が見たとおりだ。

 犯行は、オリハラ本社の玄関前で、車を止めて運転手がリアドアをあけたところ、歩道からムリヤリ進入した2人乗りバイクにより車の左側から発砲された、と。

 このバイクはすでに、犯行現場のオリハラから3kmほど離れた場所に乗り捨てられていたのが発見されたが、1週間前に盗難届が出されていたらしい。

 なお、バイクのオーナーは大学生で、犯行時間に大学にいたことが確認されているとも付け足された。

 運転手は、ケガの程度と、最も近くから犯人を目撃していること、相手が組織犯罪者の可能性が高いことを勘案して、保護の意味も込めて労災病院に立ち番の警察官つきで入院させられたらしい。

 重傷の父は、設備と執刀医の都合から、日赤病院になった。

 執刀医は、神戸どころか西日本でも有数の移植外科の名医らしい。


 釉葉は正直戸惑っていた。

 聞きたいことや確認したいことはいくつもあるが、違和感がある。

 嘘は言っていないと思うが、そこまで言う必要があるかって情報がある。

 情報が整理できていないだけか、それとも含意があるか。

 いや。情報整理ができていないのなら、言わなければいい。

 つまり「含意」だ。


 鈴村警視も戸惑っていた。

 つい先刻、手術室前にいた警察官からは「半狂乱」と言われたが、目の前のこの娘は落ち着いて見える。

 着付けも、受け答えもはっきりしている。

 ……危ない。

 知的障害や認知障害があるのなら、まだ納得できる。

 が、幸か不幸かこの娘は、後ろに立つ吉本巡査部長との挙式が予定されていたため、人事が「身辺調査」を済ませていた。

 その結果は、手元のPCによると、心の病もなければもちろん前科もなく、ついでに借金もない。

 それどころか、手術中の父親は上場企業のオーナー社長であり、彼女自身も一部上場企業の監査役についている。

 はっきり言って、資産家だ。


 今回の事件ではすでに捜査本部が作られている。

 鈴村警視は、その本部長に指名されている。

 つまり現場を知り、事件を数多くこなしてきた経験がある。

 だからこそ「危ない」と感じる。


 このような事件の場合、被害者家族は「助けてくれ!」「犯人を捕まえて死刑にしてくれ!」と騒ぐのが、むしろ「普通」だ。

 ただし、助けるのは医者の仕事だし、犯人逮捕はともかく求刑は検察、判決は裁判官の仕事だ。

 それを諭しつつ、なだめ落ち着かせることが、仕事の始まりと考えていい。

 が、資産家の場合、別の結論を出すことがある。


 復讐。

 それも往々にして暴力団を利用しようとする。

 生半可に金があり、生半可に知恵が回ると思い込んでいるぶん、暴力団を「利用」できると自己過信していることが多い。

 が。実際には暴力団に骨までしゃぶられ、その資産はそのまま暴力団の利益に化ける。

 残るのは、肥え太った暴力団による抗争や、さらなる暴力事件。

 それは絶対に防がなければならない。

 暴力団との接触を断たなければならない。

 そのためには……鈴村警視は、もう一度吉本巡査部長を見た。


 なまじ経験があるため、鈴村警視は間違えた。

 彼は、実行犯を暴力団関係者と読み切り、バイクのタンデムから個人ではなく複数、つまり組みぐるみと考えた。

 目の前の、反応の薄い娘も、少し冷静になれば気がつくだろう。

 そして問題は、この娘が資産家令嬢と言うこと。

 暴力団には暴力団と考えかねない。

 なまじ社会的地位や経験があるぶん、この手の連中は暴力団を甘く見る。

 実際には、暴力団を1度使えば、それをネタに脅されて、いずれすべてを失う。

 奪った資産は、暴力団の活動資金となる。


 さらに踏み込むなら、資産家であり、本人も別の上場企業の役員に名を連ねているという。

 まだ確認していないが、この年齢で鈴村の年収の数倍の所得があるかもしれない。

 父親であるオリハラの社長が亡くなれば、相続する資産はどれほどになるだろうか。

 あるいは、実行犯に暴力団を雇ったとしたら……自分自身のアリバイは完璧になり、反応の薄さも「事件の発生を事前に知っていた」とすれば、つじつまが合う。


 可能性はもう1つ。

 オリハラは急成長しているが、本業の堅調さ以上にM&Aによるものも少なくない。

 買収された側は、そのときは資金繰りに窮して破産寸前だったとしても、V字回復する会社を見て逃した魚を惜しむだろう。

 それが嫉みから怒りへ、そして殺意へと変わるのに、そう時間は必要ない。

 実際にはオリハラの潤沢な資本力とスケールメリットがあって可能になったことが、弱ったところにつけ込み、はした金で自分からすべてを奪ったと考えかねない。

 その「はした金」で暴力団を使おうとする類例は少なくない。


 いずれにしても、この娘と暴力団を接触させないことが肝要だと、鈴村は考えた。

 少なくとも次の犯行リスクは減らせられるし、いずれのパターンにしても、そう難しい事件ではないと。

 このクラスの事件を解決すれば、「捜査本部長」や「県警本部付け」ではなく、「県警本部長」へのバイパスになる。

 そのバイパスはさらに延びて、警視庁や警察庁へと続くかもしれない。

 この娘には悪いが、災い転じて福とする、千載一遇のチャンスと考えた。


 釉葉は、しばしば周囲に誤解され、本人もそれに便乗して立ち回るためさらに誤解が増幅されるが、実はあまり含意や忖度のたぐいは使わない。

 もちろん、社会人として自分に向けられたものには気をつけているが、相手の理解力や想像力にゆだねるより、自分が動く方が確実で手っ取り早いと考える。

 だから釉葉には、「暴力団を利用しよう」なんて考えは、みじんもなかった。

 唯一鈴村警視が正しかったのは、彼の警察官としての最初の印象、「ちゃんと礼は返そう」だ。


 鈴村警視は釉葉に「お父さんの方に」と、手術室に戻ることを促し、吉本巡査部長を、さっきまで柚葉がいた椅子に座らせた。

 それを405号室を出るとき視界にとらえつつ、手術室前のベンチシートに戻った。


 手術室前に残されていた総務部長は、釉葉を一瞬別人かと思った。

 髪も着物も乱れ、幽鬼のようにポツリと呟いて去って行った釉葉が、1時間と立たない今、着物もきちんと着直し、目にも生気が感じられる。

 総務というのは、人間を相手にする職種だ。

 書類相手に格闘しているように見えて、その実は、書類を作成した人物を見る。

 その眼力は、ある意味人事部にも劣らない。

 その彼をして別人と錯覚させるほど、彼女は変化していた。

 それが彼の隣に座り、声をかけてきた。

「なぁ?」


 柚葉が総務部長に言ったのは、悪趣味なジョークか、あるいは本当の狂気か、判断に困る台詞だった。

「お父さんが撃たれたときの映像、会社の玄関前なら、監視カメラにのこってるやろ?

 私もちょっと見たいきん、前後1時間くらいSDカードに焼いてもらえん?

 いあ。私の披露宴でお父さんがアホなコトしたら、大スクリーンで会場にながしたるんよ。

 サプライズやろ?」

 本当にやったら確かにサプライズだが、自分の肉親が鮮血に染まるシーンを自分の披露宴で流す?

 そもそも、サプライズの相手は、今、手術室の扉の向こうで、生死の境をさまよっている。

 たとえ助かったとしても、彼女の挙式はこの春と聞いている。

 それまでに、披露宴に出席できるほどに回復すると思っているのか?

 手術に要している時間から考えても、かなりの重傷だ。

 日取りにこだわるのなら入籍だけ先に済まして、披露宴は延期か中止だろう。


 見た目はともかく、内心は動揺が収まっていないのかもしれない。

 こういうときは、下手なウィットよりも、愚直な方が安全なことを、総務部長は知っていた。

「守衛室長に言えば、すぐに用意できると思います」

「なら、すぐやって。

 あ。サプライズやから、ほかにはヒミツな」


 思い起こせば、彼女を見てから、彼女が呟いてから、総務担当役員と秘書室長、つまり直接彼女を知る2人の焦りは、その地位にあるものとして「失態」レベルだ。

 何が彼らをおびえさせたのか……考えて至った答えに、彼は自身で戦慄した。

「全部本気」

 冗談に見えて、全く躊躇のない娘だからこそ、なまじ管理職にいて労組の庇護がない自分のクビくらい、あっさり飛ばすかもしれない。

 愚直を決めたのなら愚直を通すべきだ。

 SDカードなぞ、あとで気の迷いだったときがついたとき、冗談にして笑って捨てればいい。

「すぐ、本社に電話します」

「あ。ホンマにヒミツやから、守衛室長さん?に直にな」

 これ以上、気の迷いや気まぐれにつきあっていたら、身が持たない。

 立ち上がり走り出した総務部長は、はたと気づいた。

 おそらく、今の自分は先に逃げた2人と同じ顔をしていると。


 入れ替わるように、吉本巡査部長がやってきた。

 釉葉と2人で、「手術中」の赤ランプを見る。

 その吉本を手招きして、さっきまで総務部長が座っていた場所、つまり自分の隣に座らせた。

 改めて赤ランプを見る。

 押し黙ったまま時間だけが過ぎ、ふっと赤ランプが消えた。

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