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夢見る暗殺者  作者: 瀬戸 生駒
暗殺者の嫁入り
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第1話

 左右に3人づつ、6人の「脇」をはべらせて、センターで舞う師匠は上機嫌だった。

 披露宴を前にしてのリハーサルのリハーサル、さらにその前段階の練習で、観客の1人もいないただの稽古。

 音楽も生演奏ではなくミニコンポだが、確かな手応えを感じていた。

 特に左がいい。

 もうじき結婚するらしい資産家の令嬢と聞いたときは、ただの箔付けかと思ったが、存外に筋がいい。

 裕福な家の娘らしくがっついたところがなく、変に目立とうとすることもない。

 ともすれば忘れそうになるくらい存在感が薄くなることもあるが、それは自分の舞に同化しているからで、鼓1拍どころか箏一弦の遅れもなく、自分の舞の艶を増してくれる。

 さらに、決して先走ることもなく、センターを、つまり自分のポジションを狙うこともない。

 なるほど。夫を助けて内助の功に尽くす良妻になるだろう。


 曲調が力強さを増す。

 クライマックスが近い。

 手首の返しがぴたりと決まり、無観客の練習で終わらせるのはもったいない出来だ。

 いま舞台上にいるメンバー、特に左翼の娘をキープしつつ、この演舞を常時できるようになれば、自分は流派内で上位が狙える。

 70才まで舞台に立てれば、つまり残り数年で、文化勲章叙勲も十分あり得る。

 もちろん少なくない運動資金は必要だが、くだんの娘は財布つきだ。

「教室」なんてどさ回りもどきをしなくても、文化勲章があれば本家本部で上に上がれる。

 そうなれば、たとえ足腰が衰えて舞えなくなっても、少しの講演をして本部で座っているだけで、死ぬまで安泰だ。


 あ。

 師匠は気がついた。

 知らず知らず、自分の将来設計の大部分を、この娘に依存している。

 気まぐれを起こしたり、飽きて退会されると、自分の将来も瓦解する。

 それだけは避けなければならない。

 もっとも、所詮は世間知らずの「お嬢様」だ。

 調子づかせず、かといって凹ませるでもなく、鼻先に美味しそうなニンジンを見せてやればいいだろう。

 長くても、自分が叙勲するまでの辛抱だ。

 いや。この娘と舞っているのは正直楽しいし、手応えを感じる。

 辛抱とすら感じない。


 演目が終わって、舞台上に座り、お茶を飲みながら反省会。

 師匠は自らの目論見に従って、やんわり口を開いた。

「あの花びら、きれいで合うとったけど、いきなりやから慌てたわ。

 アドリブもたまにはええけど、ちゃんと『送って』くれなぁなぁ」

 赤面して小さくなる左翼にいたこの娘、釉葉と師匠の両方を見て空気を読んだほかの演者が調子を合わせる。

「自分の披露宴で舞うんやろ?やったら少し目立つくらいでええんちゃう?」

「けど、披露宴で『散り花』は、自分の時しかできひんで。

 ほかでやったら縁起でもないって怒られるわ」

 くすくす笑いが起きる。


 赤面の引いた釉葉は下を向き、むしろ辟易していた。

 京都人でもあるまいし、持って回った言い方で、「アンタは脇や」と念を押してくる。

 日本舞踊の面白さを教えてくれたのには感謝しているが、釉葉には極めるつもりは毛頭なかった。

 流派内のちっぽけな序列争いにも興味はない。

 そもそも、この教室にしても、父が知人から「それなりの格式がある、それなりの舞踊教室」とすすめられただけで、師匠に心酔なんてこれっぽっちもしていない。

 むしろ、エセ京都人気取りなのに苛つきすら覚えるが、日本舞踊の世界で「京都ブランド」は金看板で、ほかの教室に移っても大差ないだろう。

 いや。教室の格式が上がるほど、京都信仰は強くなる。


 さっきの「セルフ膝かっくん」は、八つ当たりしようにも自分のミスだ。

 苛つきをこらえて、顔を伏せたまま「よろしくお願いします。すみません」と答えるしかない。

 それを待っていたかのように、師匠が

「ほな最後。もう1回通してやろか」

 そう言って立ち上がる。

 ほとんど予備動作を見せず、すっと立ち上がる所作は、人格はともかく美しい。

 扇子の動きは素人目にもわかりやすいが、日本舞踊の神髄は、足腰を中心とした所作に現れる。

 うぬぼれもあるが、還暦を過ぎてなお上昇志向を持つ師匠は、その意味では尊敬に値するかもしれない。

「今度はアドリブ禁止な」

 さらに脇から声をかけられ、釉葉は苦笑で返すしかなかった。


 自分も師匠をまねて立ち上がろうとしたとき、合図も挨拶もなく、教室の扉が開かれて、若い男が飛び込んできた。

 その男を見て釉葉は、思わず溜息が漏れた。


 身長178センチ。

 いわゆる細マッチョと呼ばれる体型で、スリムに見えて胸板は厚い。

 普段はコンタクトレンズだが、今はハーフフレームの眼鏡をかけ、制服でなくてジャケットをかぶっているから、ひょっとして非番だったのかな?

「制服」「非番」。

 彼が釉葉の婚約者であり、この春に挙式を予定している吉本巡査部長だ。

 とはいっても、調子に乗られても困る。

 TPOくらいわきまえろ!

 釉葉はきっと彼を睨みつけ

「吉本さん!ここどこやと思うとん!調子のってあんまり・・・」

 怒気を含んだ釉葉の声を遮って、吉本巡査部長が叫んだ。

「お義父さんが撃たれてん!重傷!来て!」


 それからしばらくの記憶が、釉葉にはない。

 吉本に連れられて日赤病院まで行ったのが、彼のRX-8なのかパトカーだったのかすら覚えていない。

 病院の横手。急患受け付けから入って手術室まで手を引かれ、その扉の上に灯る赤ランプだけが、なぜだか鮮明に記憶に残っているが。

 崩れかけたところで右手を引かれ、手前の部屋に引き込まれた。

 そこからは、ガラス越しに手術の様子が見える。

 が、顔は空気マスクで覆われ、誰だかわからない・・・ハズなのに、釉葉は父親だと直感できた。

 それを頭と心が拒む。

 手はもちろん、首や胸、太ももにまで何本ものチューブが繋がれ、そのなかでも目立つ赤いチューブの先にあるパックが、ひっきりなしに交換されていた。

 よく見ると、横たわる人物の腹に手をやり、せわしなく動かす医者の手術着の袖が、朱に染まっていた。

 感染症リスクもあって、移植手術ですら染まることの少ない部分。

 そこが朱に染まっているということは、それだけ出血が激しいのだろう。


 本来なら錯乱すべきかもしれないが、釉葉はむしろ落ち着きを取り戻しつつあった。

 出血があるということは、つまりは生きているということだ。

 おかしなたとえになるが、男に比べて女は毎月自分の出血を見ているだけ、出血に免疫があるのかもしれない。

 釉葉は軽い方だと思うが、それでも身体は重くだるく、座れても電車を避けたくなるほど。

 体温は1時間で上下にはね、電子体温計でエラーが出るほど低かったかと思ったら、1時間後には38度を超えていたりする。

 女だけが味わう理不尽に怒りを覚えないことの方が少ないが、「生きている」実感があるのも事実だ。

 毎回「今度こそ死ぬ」って思うけど。


 少し落ち着いて部屋を見渡すと、結構な数の白衣軍団が、せわしなく動いていた。

 書類の束を持って走り回っている看護師もいれば、計測器のような機械の前に陣取って、秒読みみたいに数字を読み上げ続けている男性もいる。

 手術室に隣接し、もっとも近くで現場を見られるガラス窓の中央に立つ男性が釉葉に気づき、奥の椅子に手招きされた。

 読み上げられる数字が気になるが・・・・おそらく血圧とか脈拍だとは思うが、液晶表示されている数字が自分の健康診断の数字と乖離しすぎていて、現実感がない。

 かといって、確かめたくもない!

 モヤモヤや未練を振り切るためにも、釉葉は招かれた椅子に腰をかけた。


 白衣の男性が、いきなり切り出した。眼鏡の奥の目を細めて書類に目をやり、釉葉と目を合わすのを避けるようにしながら

「まず、このまま目を覚まさない可能性もある。覚悟しておいてほしい」

「目を覚ましても、出血で脳への血流が十分でなかった場合、なにかの後遺症が残る場合がある。覚悟しておいてほしい」

「呼びたい人がいるなら、可能な限り呼んでもらっていいが、覚悟はしておいてほしい」

 そのほかにも、「覚悟しておいてほしい」を選挙カーみたいに並べられて、釉葉はむしろバカバカしくなってきた。

 責任逃れの予防線か?

 インフォームドコンセプトとやらで、医者は患者や家族に可能な限り説明するよう推奨されているが、選択肢も与えられず「覚悟してほしい」を連呼して、何を納得しろと?

 そもそも、可能性やリスクを並べるだけで数字を全く出さない。

 会社のプレゼンなら「帰れ!」ってレベルだ。

 医者になれてよかったな。

 民間企業に就職していたら、研究職を希望するとか以前に、総合職すら危ないぞ。おまえ。

 釉葉は適材適所の成功例(?)を、久しぶりに見た気がした。


 いっぽう、釉葉が飛び込んできたとき、医者は医者で彼女を「可哀相な子」かと思った。

 父子家庭の父親が銃撃された、被害者の娘という意味ではない。

 そのときの彼女の格好が、生死を争う場にあって、あまりに場違いだったから。

 白地に紫陽花の花をあしらった和服を着ていて、さらに襟元も裾も着崩れて、すさまじくだらしなく見えた。

 言葉を選ぶが、知的障碍者に見えた

 さらに、今がどれほど危険な状態かを伝えたが、反応が薄い。

 あるいは「死」というものが理解できないのかもしれない。

 幼い頃に片親を失った子供に、たまに出る症例だと、どこかの学会で聞きかじった気がする。

 なら・・・。

 医者はアプローチを変えて、一言告げた。

「A型の血が足りません」


 手術室入り口のベンチでは、スーツの3人がうずくまっていた。

 株式会社オリハラの、総務担当役員と総務部長、秘書室長だ。

 会話はない。

 スマホも使えない。

 もちろん銃撃されて生死の境をさまよう社長を案じてはいるが、創業者であり、関西では名の通ったカリスマ社長が撃たれたとあれば、オリハラの株価暴落は避けられまい。

 会社として買い支えたとしても・・・会社として買い支えるからこそ、今すぐ売り抜ければ、損は最小ですむ。

 が、ここにいては何もできない。

 中長期スパンで考えれば、あるいは本田宗一郎氏が亡くなったあとのホンダのように、少し耐えれば株価はV字回復するかもしれないが、あれはホンダという世界的大企業の体力があってできたことで、オリハラではじり貧のまま紙屑になる可能性すらある。

 なぜ、自分たちは今の立場になってしまったのだろう。

 なぜ、自分たちは病院に来てしまったのだろう。

 会社に残っていたら、さっさと損切りできたのに・・・・。


 悶々としていると、見知った顔が彼らの前を走り抜け、右手の扉に消えた。

 社長のお嬢さんだ。

 10分か20分か。

 出てきた彼女を見て、3人は息をのんだ。

 白い着物を着崩し、髪も乱れた姿で、番町皿屋敷のように一言

「A型の血が足りんのやて」

 そう言うと、角を曲がって、姿が見えなくなった。


 総務担当役員と秘書室長は顔を見合わせ、はっ!と駆けだした。

 携帯が使える場所。ロビーへ急ぐ。

 前提が間違っていたことに気がついた。

 オリハラは、グループ傘下に一部上場企業を抱えながら、自らは東証二部にいる。

 それは、折原家が事実上株式の70%近くを占有し、さらに自社保有株や持ち株会、銀行証券保険といった岩盤株主に取引先との持ち合い株によって、浮遊株が極端に少ないためである。

 S高S安といっても、動くのはせいぜい10万株価20万株、発行済み株式全体の5%に遠く届かない。

 日銀の口先介入で円相場が動く以上に、折原家の口先介入があれば、株価は好きに動かせられる。

 だからこそ「二部」なのであり、本来の相場でいえば、堅実に増益増収を続けているオリハラ株は、ホールドしかない。

「損切り」とか「見切り千両」とか言われるが、所詮は「損」。

 株の名義が父親から娘になったところで・・・あの娘、折原釉葉は、ひょっとしたら父親以上にしたたかで獰猛だ。

 幸か不幸か、2人は彼女と何度か言葉を交わし、それ以上に彼女の仕事ぶりを見ていた。

 あんなところで頭を抱え、無為に時間をつぶす無能は、それこそ「見切り千両」だ。

 そして「見切り」されるのは、株でも金でもなく、自分のクビ。

 己の有能さをアピールしないと。

 そんな娘を唯一たしなめられる人物は、今、手術室の向こうで生死の境をさまよっている。

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