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夢見る暗殺者  作者: 瀬戸 生駒
恋する暗殺者
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第9話・第2章-完/エピローグ

 釉葉は久しぶりに、紺色のスーツに袖を通して姿見を見た。

 前の仕事の時に着ていた、安い量産品。

 仕事を失って1年あまりゴロゴロしていたが、体型は誤差の範囲内をキープできている。

 スカートのホックも、きちんと締まった。

「さて、初出社~!」

 自分に言い聞かせるように、あえて声に出した。


 釉葉には、春先から決めていたことが1つある。

「就職しよう」

 ただしくは、

「一人暮らしをしよう」

 自分が自分であり続けるためには家を出なければならない。

 どうしても、父親に甘えてしまう。

 それを父親に宣言したところ、彼は引き留めるどころか「1つ、丁度いいのがある」と、就職先を紹介してくれた。

 そこへの就職を条件に、一人暮らしも承諾してもらった。

 マンションは三宮のレディスマンションで、セキュリティもしっかりしている。

 そして勤務先は、あの東灘の洋菓子メーカー。

 はっきり言ってしまえば、東灘というか住吉に通うのなら、自宅からの方が近い。

 それでもあえて三宮に部屋を持とうという釉葉の心情を汲んだ上で、父親の条件がこの会社だ。

 もちろん釉葉も、この話の裏にある「政治」に、すぐ気がついた。

 その上で了承した。

 お互いがお互いを駒として使う緊張感こそ、釉葉にとって気持ちの張りになる。

 もっとも、こんな面白い遊びを覚えてしまうと……

「あぁ。とうぶん結婚はムリっぽいなー」

 釉葉は一人愚痴た。


 時計はとっくに午前9時を回っている。

 電車もラッシュのピークは過ぎて、たぶん座れるだろう。

 まるっきりの重役出勤。

 黒いパンプスに爪先を入れた。


 初出社と言っても、アテンドは必要ない。

 何度か来て、少なくとも大雑把なビルの構造と、特に4階のレイアウトはつかんでいる。

 そもそも、彼女にはタイムカードすらない。

 エレベーターで4階に上がり、自分の部屋のドアノブを回した。

 自分の部屋。

 部屋のドアには「監査役室」のプレートがかかっていた。


 監査役は、会社組織図上は株主総会の真下にあって、取締役会からも独立している。

 社長からも不可侵。

 それでいて、取締役会に顔を出すこともできれば、社内散策もできる。

 この会社なら父親の会社と違って、自分の顔色を必要以上にうかがい萎縮する社員も少ないだろう。

 もちろん代表権はないし人事権もないが、出退勤も自由とくれば、釉葉のためにあるようなポストだ。

 もちろん、父親が釉葉に託した仕事も、ちゃんと気がついている。

 監査役の本来の仕事、社長のお目付だ。


 ここの社長は、もともと釉葉の父親の会社で専務だった。

 そして、反主流派だった。

 今は、あえて言うなら「非主流派」くらいで、反目しているワケじゃないけど、変な虫がたかってきて、どこで道を誤るかわからない。

 そのお目付として、父親はまず、自分の派閥の取締役を専務にしてここに入れたが、彼もつい先日までは中間派で、いまいち心許ない。

 で、釉葉がそのものズバリ監査役として、放り込まれたってわけ。

 あと、釉葉が快諾したのは、監査役は基本的に取締役とか、まして社長に祭り上げられることがないというのが大きい。

 御神輿は乗るより担ぐ方が面白いんだ。


 ドアを開けると、30台後半と50代くらいの男性2人が立ち上がって頭を下げた。

 自己紹介を受けたが、2人とも経理畑出身らしい。

「数字だけ数えて、必要以上に嗅ぎ回るようなことはやめてください」という、社長からのメッセージ。

 すでにゴングは鳴っていたのか。

 釉葉は小さくぺろりとルージュをなめて、1階店舗の店長の都合を聞くよう指示した。

 じつは、これにはあまり深い意味はない。

「勝手にやります」って社長に返事をしただけだ。

 顔がついにやけてしまう。

 やばい。すごくワクワクする。面白い。

 社長と自分と、どちらかが相手をKOすることは、たぶんないだろう。

 まずは1年後の株主総会まで、判定のための根回し勝負だ。

 社長もどうせ仕掛けてくるなら、もっと色っぽいハニートラップとかなら、かわいげもあるのに。


 と。釉葉は若い方の職員に、先に送っておいたダンボールを持ってこさせた。

 開封して、木製のブックスタンドのような物を組み立てる。

 曲線で構成されていて、ブックスタンドとしては使い勝手が悪そうだが、北欧あたりの流行か?

 彼が眺めていると、自分の机の、自分から一番遠いあたりに位置を決めたようだ。

 そして、その上に錦の袋に包まれた棒のような物を置いた。

 1本だけたれた、金色の紐と、その先に広がる房が和風を強調し、どちらかというと洋風な部屋で異彩を放つ。


「守り刀」

 それを眺めつつ、釉葉は鼻歌を歌った。

「ハニートラップ、ウエルカム♪」という誘いと、「返り討ちにする」っていう挑発と。

 この、明らかに浮いたアイテムは、新社長から釉葉の監視役として送り込まれた2人を通して、すぐ伝わるだろう。

 それと。

 釉葉の身辺を探れば、巡査長のボーイフレンドに、すぐ行き着くはず。

 彼は釉葉が就職して一人暮らしをすることを伝えると「異動希望届けを出します!」と言っていた。

 彼が三宮を希望するか東灘を希望するか、釉葉にはわからない。

 いずれにしても、タダでシークレットサービスが手にはいる。

 ストーカーになられたらちょっと鬱陶しいが、さぐり合いや出し抜き合いは、釉葉の大好物だ。


 いま、釉葉の未来は、公私ともに魅惑に溢れている。

 それだけに油断は許されないが、相手の油断も許さない。

 金色の房をもてあそびながら、目を細める釉葉に、年長の職員は子猫をイメージした。

 そのイメージが覆されるとき、彼はどんな顔をするだろう。

 それすらも、釉葉には楽しみだった。


                           --第2章・おわり--

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