第7話
こんなやりとりも知らず、釉葉は西宮署に電話を入れた。
「押収されてる物を取りに行ってもいいですか?」
「明日にでもどうぞ」と言われた。
自分への嫌疑は、完全に晴れたようだ。
それを帰宅した父親に告げると
「俺も行くから、一緒に会社まで来い」
はっきり言ってしまえば、釉葉はこの会社がキライだ。
子供の頃、会社がまだ小さかった頃は、工場のおじさん達に遊んでもらって、すごく楽しかったのを、うっすら覚えている。
が、いつの頃からか、釉葉が会社に顔を出すと、空気が張りつめるようになった。
最近はそれが痛いほど感じるようになって、呼ばれない限りは行かないようにしている。
もちろん釉葉も子供でもないから、自分が嫌われているわけではなく、社員がどう接していいかわからなくてとまどっているだけだとわかっている。
釉葉の父親は専制君主であり、彼女は「姫」なのだから、接し方を間違えると自らのクビが飛ぶ。
そんなリスクを押してまで、彼女と親しくなろうというたくらむ野心家は、ほとんどいない。
子供の頃大好きだった社内探検もやめ、社長室に籠もっていると、時間がたつのがすごく遅い。
父親の威厳を保つため、うたた寝もできず、テレビのバラエティもダメだ。
スマホゲームでもすればいいのかも知れないが、あいにく釉葉にその趣味はなかった。
ひたすらヒマだった。
自宅から西宮署まで、彼女の運転でも往復1時間あれば余裕だ。
それをわざわざ三宮まで出て4時間も費やすのも馬鹿馬鹿しいが、それ以上に寸暇を惜しむ社長である釉葉の父が、こんなムダをするとは思えない。
釉葉が西宮署にいい感情を持っていないのは確かだが、この歳になって子供のケンカに親が出てきたら、誰よりも釉葉が恥ずかしい。
まして、父親が権力や財力をバックに仕返しするようなら……釉葉は全力で父親を止める!
そんな使命感を密かに、釉葉は心に秘めた。
時間は11時前。
秘書室長が後部ドアの左右をあけ、釉葉達をエスコートする。
そしてそのまま助手席に乗り込んだ。
それを見て釉葉は誓いを固くした。
西宮署前で二人をおろし、秘書室長を乗せたまま、リムジンは駐車場の隅へといった。
違和感を感じつつも、釉葉はベージュのハーフコートを左腕にかけ、胸に抱えてビルに入った。
今日の釉葉は、女子会のノリを意識して、白を基調としたロングのワンピースで、早春をイメージさせるピンクの花びらがランダムに散っているデザイン。
襟元の小さなボンボンがワンポイントで、いわゆる「神戸嬢」スタイルだ。
父親はいつものグレイのダブル。
以前、少しはオシャレを意識させようと父親のクローゼットを開けたところ、同じようなデザインの服が何着も列んでいるのをみて、膝からくじけた。
TPOや個性はネクタイやタイピンで表し、ステイタスは靴や腕時計で示すのが男のおしゃれらしい。
あるいは、メーカー企業らしく、このダブルスーツが制服の感覚なのだろうか。
その二人が署のカウンターで用を告げると、別室に案内された。
簡素だがソファとテーブルがあり、サイドボードには花瓶が置かれているのを見ると、応接室なのかもじれない。
奥行きのある、6畳ほどだが完全に閉じられる、ちゃんとした個室だ。
ノックがあって、今はチェックのワイシャツ姿だが、ストライプコートの刑事が入ってきた。
それが睨みつけるどころか、慣れない笑顔を作ろうとして、泣き顔のようになっている。
釉葉は吹き出すのをこらえるのに苦労した。
彼は警察手帳を開いて桜の代紋と名前を示し、さらに自己紹介して2人に奥の椅子を勧めた。
習慣が無意識に出たのか、それとも社会常識か、扉から遠い上座だ。
「このたびはわざわざご足労いただきまして、申し訳ございません。
すぐに持って参りますので、検品をお願いできますか?」
それに釉葉の父は
「めんどくさいし、かまんよ。ハンコどこ?」
と、軽く返す。
「せめて写真だけでも確認頂けませんか?」
って、立場が逆だ。
「ダンボールに詰めて車……車ですよね?運ばせます」
「ありがとう。それよりタバコかまん?」
いやいや。
常識的に考えて、ダメだろう。
部屋のどこにも灰皿はないし、入ってすぐの階段下に喫煙室があったぞ。
ツッコミを入れかけた釉葉より先に、刑事は
「失礼しました。すぐ持ってこさせます」
何があったか知らないが、こちらが一方的に優位にあるのはわかった。
それともう1つ。
「長居するぞ」というメッセージ。
ほどなく赤ジャンパーを脱いで、ワイシャツにジーンズという間抜けな格好の若者が灰皿を持って入ってきて、そのまま年配刑事の横に座った。
釉葉の父親がタバコに火をつけるのを待って、年配刑事が口を開き、頭を下げた。
「ヤクザが全部吐きました。お嬢さん、申し訳ありませんでした」
いあ。全部って、2件とも?
したらヤクザもエライ災難やなー。
「元、ヤクザな。新聞で見たよ?」
訂正する釉葉に、赤ジャンパーが喜々として蘊蓄を語る。
「組長クラスじゃなかったら、ヤクザは逮捕されたらすぐ、さかのぼって破門状を出すんですよ。
もちろん、その前に因果を含めるから、余罪もかぶってくれて、こっちも大助かりなんす。
もっとも頂上作戦の時は、チンピラが出頭する前に頭を捕まえないとだめなんで、ヤクザよりも時間と勝負ですね」
どんどん口が軽くなる赤ジャンパーを遮って、年配刑事が頭の前で手を合わせた。
「社長さん!」
つづく言葉は、釉葉の想像の斜め上を行っていた。
「あのパソコン、勘弁してください!
いま株やったら、私ら全員インサイダーで一発免職ですよ」
「あんたら、株やるん?」
「いや。自分らは株とかFXとか全然わからんですけど、パソコンいじる部署の連中は、あらかたやってます。
ここだけの話、署長から株とかの禁止令が内々で出てまして。
やってる連中にしたら、目の前で札束が燃えるのを指くわえて見てるようなもんらしくて、自分ら、署内ですごい肩身が狭いんです」
あ。そか。
今の時代、パソコンは証拠の宝庫で、真っ先に押収する。
ただ、釉葉の父親のパソコンは、あり得ないレベルの極秘情報が、幅広い業種をまたいだ企業について記録されている。
これを見たあと株の売買をして「インサイダーだ!」って言われたら、言い逃れできない。
警察署ぐるみと見なされてマスコミに載ったら、いくら否定しようとしてもムダ。
本部長のクビが飛ぶ。
自分たちのクビも危ないし、つながっても将来はない。
こんなブービートラップを押しつけられたのか。
えらいもんに手を出してもうたなー。
「見ざる言わざる聞かざる、っていうやん?
自分らが言うてないなら俺らも聞いてないし、見られてないでもええよ?」
これで、赤ジャンパーをのぞく全員が、その意図を悟った。
「住吉の家令ですわ。
お嬢さん、近く結婚されるんでしょう?」
年配刑事が呟くと、釉葉はたまらず吹きだした。
「ごめん、マジ聞いてないわ」
「言ってませんから」
しれっと刑事が答えた。
「パスワードがわからんかった、でええやん?
お互いに見てないし、聞いてない、な。
お疲れ様♪」
笑いを押し殺しながら腰を浮かせる釉葉を見て、年配刑事が赤ジャンパーに視線をやる。
そのまま入り口ドアのほうに目を動かす。
はっとして、赤ジャンパーがドアの方に走り、ドアを開けた。
「市民の目がありますので、ここで。
ご足労ありがとうございました」
「市民に愛される警察、な」
視線を交えることもなく、むしろお互い意識して目をそらして、警察署のビルを出た。
車まで歩きながら、「帰り、住吉行くで」
言われて釉葉は理解した。
こっちが「ついで」だったんだ。
彼の目は、娘を気遣う父親のそれではなく、冷徹な経営者の目をしている。
顔は笑っていたが、それは娘の無事を喜ぶものではなく、イタズラを思いついた子供の笑み。
釉葉は気を引き締めなおした。
父親の狙いが「住吉」とは限らない。
ひょっとしたら、自分で遊ぶつもりかも知れない。
少なくとも今、かれは父親の顔をしていないから。
リムジンのリアシートに座ると、タクシーくらいのノリで「住吉まで。下道」と告げ、ついで秘書室長に「資料まわして」と。
助手席に座っていた室長が差し出す分厚いA4封筒を釉葉が受け取ると、「目、通しとけ」。
封筒の中身は、作成した秘書室長が一番よく知っている。
上場企業なら法律で義務化されている、決算書と試算表。
直近のを含め過去3年間はもとより、まだ発表されていない今期の決算を、試算表などを集めて「見込み決算書」を作ったのが、今回のアピールポイントだ。
同じ期間について、チャートを月足・週足・日足でそれぞれ作った。
さらにサプライズとばかり、相手企業の取締役全員の、本人はもちろん家族も含めて、家族構成と資産状況も調べ上げた。
助手席のセカンドミラーを使って、こっそり後部座席を盗み見る。
釉葉は社長の一人娘だが、軽そうな茶色い頭の小娘だ。
事実、血筋と個人で保有する株式を考えれば取締役に名前を連ねていない方がおかしいのに、秘書室にすら入っていない。
おそらく、父親ですら匙を投げたというか、育てるのをあきらめたか。
政略結婚に使う駒なら、中途半端に会社の内部事情を知らない方が、使い勝手がいい。
そう考えると、確かに男好きのしそうな、整った顔立ちをしている。
秘書室長は密かに、釉葉のことを見下していた。
「いくらまで?」
「10、かな」
「なら、フツーで10、ムリして20やけど、34は押さえときたいなー」
ブランドバッグでもねだっているんだろう。
あとの数字は、バッグの型番か?
どこのブランドカタログを見ているのか、何となく気になった彼は、再びミラー越しに後部座席を見た。
釉葉は、彼が渡した資料に見入っていた。
まず、普通の小娘の興味を引くものではないし、見ても意味がわかるはずはない。
それを理解して、それであの発言だとしたら。
秘書室長は、自分の血の気が引く音を、聞いた気がした。
資料に目を通せるのは、せいぜい10分。
「下道」というのが時間制限のサービスだとしたら、それが5分。
会話の意味が、全然変わってしまう。
「10」は、「万」じゃなく、もっと大きな単位。
続く数字はパーセント?
電卓もパソコンも使わずとも、今の株価と発行済み時価総額がわかれば「10%」という数字は出せる。
が、「20%」は、チャートと試算表や決算書が読めなければ、まず出ない。
渡した資料は東証一部上場企業で、それをみて「34%」は、経営権を意識してのものだと思うが、尋常な手段ではたどり着けない。
それを口に出すと言うことは、やっぱり世間知らずのバカ娘か、あるいは……。
そういえば、2人で警察署に入って、1時間ほど出てこなかった。
何をしていたのか?
考えれば考えるほど、秘書室長は後部座席の小娘が、小娘だと思っていたものが、バケモノに感じてきた。
自分は今までもさんざん、この小娘を見下してきた。
あるいは男として年長者として、無理矢理のこじつけでも見下したかっただけかもしれない。
会社に帰れば、社長の椅子にもっとも近いのは釉葉の婿と、半ば公然と言われている。
それは社長が会長に退いたあと、院政をひくのに都合がいいからだと秘書室長は勝手に解釈していたが、もし後部座席に座っているのがバケモノだとしたら。
秘書室長は、その肩書きが示すとおり、「室長」でしかない。
ときには取締役を凌ほどの発言力を持つが、その力の源泉は社長であって、自分が虎の威を借る狐だと自覚している。
しかし、釉葉がそうだとは限らない。
むしろ、虎が猫をかぶっている可能性の方が、今となっては高い。
そもそも、娘大事で会社を傾けるようなバカ社長ではないことは、仕えている彼が一番よく知っている。
「なあ?」
「はい!」
いきなり釉葉に声をかけられて、背筋が伸びる。
「アポとれた?」
「ムリ」とは言えない、許されない。
ヘタをすれば、この電話1本で、彼のサラリーマン人生が終わる。
「住吉まで下道で」という時間のリミットを切られたのは、彼も同じだった。
携帯電話を握る手に、汗がにじんだ。




