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夢見る暗殺者  作者: 瀬戸 生駒
恋する暗殺者
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第6話

 2~3時間は待つつもりだったけど、それほどの時間は必要なかった。

 二人組の男が、釉葉の前に立った。

 前から不思議に思っていたけれども、どこでこんなセンスのない服を売っているんだろう?

 1人はグレイ地に黒のストライプが斜めに走っているコート、もう一人は真っ赤なジャンパーだ。

「ナンパは気分ちゃうんよ」

 するとコートが胸元から手帳を出し、上下に開いた。

 中には桜のマークと、兵庫県警西宮署の文字。

「折原釉葉さんですね。任意ですがっ!ご同行願えませんかぁ?」

 と。その後ろから、声がかかった。

「任意でしたら、僕も同行していいですね?」

「おはよー。吉本さん」

「ご希望なら、ぜんぜんかまいませんよぉ?あなたはぁ?」

 威圧感をにじませる2人組に、吉本は言い切った。

「兵庫県警芦屋署。巡査長の吉本です」


 顔を見合わせて、コート……年齢もそうやけど、こっちが上司かなって男が

「芦屋署がこんなとこで何してるんや?フダが欲しいか?」

「折原さんの、元同僚だった方の弔いです。令状が必要ですか?」

「何とは言わんけど、一人で無期、2人目からは……すぐやで。

 それとツルんでたら、自分も無事で済まんぞぉ。警察の不祥事は勘弁して欲しいなぁ、ボクちゃん?」

 成り行きを黙って見守りながら、釉葉は内心ほくそ笑んでいた。

「よし、割れた♪」

 個人同士の諍いならともかく、お互いに所轄署の名前を出したら、あとには引けない。

 さらには、釉葉は誓って山下の射殺事件には全く関与していない。

 たった100ピースのパズルでも、2つが混じれば、難易度は何倍にもなる。

 西宮署は、自分の管轄内で起きた2つの殺人事件に釉葉を絡めようとするだろう。

 数学の図形問題なら、補助線は有効かもしれないが、間違った線を引けば、逆に問題を難しくする。

 時にはダミーの線を消すことも重要だ。

 どれがダミーでどれが本当に必要な線か、その見極めに必要なヒントを、彼らはお互いに絶ってしまった。

 もちろん、必要最低限の資料交換はするだろうが、文字にできないニュアンスは、人を介してしか伝えられない。


「もうええわ!芦屋署の吉本な!帰れ!」

 しばしにらみ合ったあと、声を上げる2人を背中に吉本巡査長は無言で勢いよくRX-8のドアを開け、運転席に乗り込んだ。

 今回は、助手席のエスコートはない。

 釉葉は自分でドアを開け、助手席に座ると「ごめんな」と。

 そして

「どーせオービスで見張ってるわ。安全運転な!」

「ありがとう、ゆずさん」

 息を吐いて頭を振って、吉本巡査長のRX-8はこれみよがしに道交法を遵守して、ゆっくり帰途についた。


 吉本巡査長のRX-8は、釉葉の家の前についた。

 吉本は釉葉をおろし、敬礼のポーズをとって、走り去った。

「ふふふ」

 釉葉はほほえんで、手を振って見送った。

 もちろん彼との「和解」が嬉しかったわけではない。

 芦屋署と西宮署の間に入った亀裂が楽しみだったから。

 あの敬礼は、おそらく無意識だと思うが、彼は間違いなくこの足で芦屋署に行く。

 そして上司の警部や、あるいは署長に、今日の西宮署の「横暴」を報告するだろう。

 もちろん表面的には、上司達は彼をなだめるだろうが、男女関係が絡んでいるとなれば、無碍にもできない。

 そもそも、吉本巡査長は芦屋署の「身内」であり、どこの組織でも、まして警察組織となれば、身内びいきは激しい。

 それは外部から来ている西宮署の連中にぶつけられる。

 車が見えなくなって、部屋に戻って釉葉は爆笑した。


 日本語には、意味不明な単語がある。

 その1つが「私立探偵」。

 日本の探偵には国家資格も免許も必要なく、届け出すら必要ない。

 すなわち「公立探偵」とか「公認探偵」は存在しない。

 すべて「私立」だ。

 さらに、いくつかの小説の影響で、「探偵=正義」と勝手に思いこんでいるが、すべてとは言わないが、多くの探偵事務所=興信所は、暴力団のフロント企業だ。

 電話帳に広告を出し、ビルの壁に看板を掲げるだけで、金を払ってネタがやってくる。

 夫婦間の浮気調査にしても、依頼者から金をもらって調査し、場合によっては調査対象の側に結果を先に報告して、口止め料をもらえる。

 この調査にして、依頼者からは調査対象の行動のリークを受け、場合によっては電話盗聴も公認で、尾行もとても簡単だ。

 まして相手が企業がらみとなると、才覚次第では、億単位の金を得られる。

 しかも、領収書のいらないヤツ。

 表面化する前に、スキャンダルの方がやってきて、内情をばらしてくれる。

 それを表面化させるか否かは、興信所の胸先三寸。

 相手が上場企業なら、インサイダーもやり放題だ。

 空売りをしたあとでネタをマスコミにリークし、株価が暴落すれば、差額はすべて「クリーンな金」になる。

 マネーロンダリング。

 暴力団にとって、これほど美味しい商売は、あまり無い。


 釉葉は、パソコンでウイキペディアを開いた。

 ウイキペディアによれば、西宮はいくつもの大手暴力団が入っている。

 その下部団体ともなれば、50や100はくだらないだろう。

 もっとも、山下君の母親に、正確な遺体の発見場所を聞いた。

 遺体を動かしたとは考えにくい。

 なまじ暴力団の縄張りが混み合っているため、犯行現場と遺棄現場を別にすると、別の組織への「なすりつけ」と見なされ、抗争に発展しかねないから。

 大きな暴力団の本部組織が直接動くのならともかく、小さな組織では、組の存亡に直結する。

 遺体の発見現場=犯行現場=そこを縄張りにする暴力団の犯行だ。

 ただし。

 道路や路地などは、どこの暴力団にも属さない緩衝空間だったりもするし、雑居ビルならフロアごとに縄張りにする組が違うことも少なくないが、そこまでは、さすがのウイキペディアにも載っていない。

 余談だが、このようなエリアでは客引きもトラブルを避けるため、およそ3m四方の場所を割り振られ、その外には出られない。

 その空間は客引きや彼らを雇う店が「買う」が、その利権は暴力団の重要な収入源の1つだ。


 と。

 釉葉は自分のミスに、ようやく気がついて、キータイプする手を止めた。

 根本的な問題。

「自分は何を狙ってるん?」

 自分をかぎ回っている興信所と、そのバックの攪乱じゃなかったのか?

 それが、山下君殺しの犯人とリンクしてしまったら、自分が不利な方向でスッキリしてしまう。

 それよりも、警察には迷走してもらっていた方がいい。

 警察が白を黒と言いくるめ、興信所のバックにいるだろう暴力団まであぶり出しても、全然面白くない。

 自分をダシにして、自分を苦しめた報いは、自分の手でカタをつけたい。

 たとえその過程でリスクがあっても……リスクはスリルと紙一重で、それをかわしつつ返り討ちにしてこそドキドキできる。

 釉葉がウイキペディアで手にできる程度の情報はとっくに警察もつかんでいるだろうし、つかんでなかったとしても、今回ヒントを与えてしまった。

 同じネタを手に同じコースを進んだら、個人は組織力に勝る警察に、絶対に勝てない。


 翌日、釉葉は久しぶりに、芦屋駅前のコンビニを覗いてみた。

 100円コーヒーを注文する。

 去年でクビになると思っていた店長は、幾分やつれて見えたが、まだ店長の名札をつけてエプロンをしていた。


 釉葉が手を挙げて挨拶をすると、あからさまに顔がこわばった。

 これはよっぽどのパワハラを受け、負い目もあるな。

 オーナーが言うには40過ぎの妻子持ちだそうだが、釉葉が取りなしていなかったら、問答無用でクビだっただろう。

 そして釉葉は、気分次第で、電話1本で店長をクビにでき、一家を路頭に迷わせることができる。

「おひさです。ちょっと静かにしたいから、裏、かんまんですか?」

 もちろん、店長に拒否権はない。


 バックヤードでモニターの前に座り、コーヒーを飲みながら、「で?」と尋ねた。

 店長は「すみません」を連呼するが、釉葉が欲しいのは謝罪ではない。

「あのあと誰か来た?私のストーカーは?自分、見てるやろ?」

「察しろ」という無茶振りはせず、具体的に質問を、応えやすいようにならべる。

「偽警官は興信所で……お嬢さん、もうじき結婚するんですか?

 相手方の家に雇われたそうです。怒鳴りつけて警察に行くって言ってやったら、逃げていきました」

「あと……私は、特にお嬢さんを監視してるとかはありませんので………」

 嘘をつけ。

 あんなことがあってなお、釉葉を無視できる大物が、そうそういるか。

 黙ってコーヒーを一口。

 それが伝わったのか、

「あ。時々モニターを見てたら、ですが」

 慌てて言い繕う。

 そしておもむろにモニターの向きを変えて

「ほら。いつもこの2人が、お嬢さんをストーカーしています」

 そこには男2人。

 やっぱ、尾行はあったか。


 本職として専門の訓練を受けていれば、よっぽど釉葉が気を張っていなければ、気がつけない。

 素人の興信所職員なら余裕だが、相手がプロとなればいいとこ五分五分。

 もっとも、自分のセンサーは「外」にもある。

「この2人だけ?」

「はい。いっつもこの2人が、通りの向こうから」

「ほら自分、やっぱ私を見てるやん?」

 慌てる店長に釉葉は苦笑しつつ

「ありがと♪ 知っとると知らんとやったら、気分がだいぶ違うんよ。

 オーナーには、あんまり虐めんように言うとくわ」

「ありがとうございます!」


 翌週火曜日。

 釉葉の父親は、あの地銀頭取の訪問を受けていた。

 今回は、釉葉は呼ばれていない。

 父親としては呼びたくなかったから。

 その代わりと言っては何だが、同じフロアから財務担当取締役と、代表権を持つ専務が同席する。


 社内政治は難しい。

 釉葉の父親は、自他共に認める専制君主だが、その権力基盤は保有する株式の多寡だけでは決まらない。

 時には反主流派も取り込み、同時に頭を押さえつつ、子飼いを集め育てなければならない。

 むしろ、反主流派は旗印が明確なだけ、御しやすい。

 問題となるのは中間派だ。


 銀行側は頭取と、秘書が2人。

 一人は銀行のバッジを付けているが、一人はつけていない。

 おそらく、銀行の秘書と、頭取個人の秘書だろう。

 あちらはあちらで社内政治をしているようだ。

 有能な秘書2人を競わせ、育てようと。

 その勝者はほどなく取締役の末席に名を連ねる。

 末席ではあっても、頭取の椅子にもっとも近い、有力者となる。


「雑談」は、穏やかに始まった。

 頭取が先日行ったというゴルフのスコアから、若い頃の失敗談や苦労談。

 おそらく全部ウソだが、驚いたり笑ったりしながら、話を促す。

 主演が頭取で進行が社長、観客は4人だ。

 そのうち頭取が

「社長はゴルフはされないんですか?」

 と、切り出した。

 先日のゴルフコンペでは、OBも交えてコースを回ったらしい。

「先輩に、信用機構で事務長をしている方がいらっしゃいまして」

「若い頃はシングルの腕前でしたが、歳をめされて、今回あがってみたら、私の方がスコアが良かったんですよ」

 信用機構の事務長を押さえましたという暗喩。

「ただ、人間としてはすばらしい方で人望も篤く、今度また、仲人を頼まれているそうです」

「東灘の会社の御曹司のようですが、ちょうど社長のお嬢様と年頃も同じらしく」

「私がお嬢様のことを存じていれば、間違いなくお嬢様を推薦しますけどね」

 傍目には、取引先企業社長の子供を持ち上げているだけに聞こえるが、東灘にある老舗企業の長男。年齢は釉葉と同じくらい。

 そこが信用企業に、釉葉の身辺情報調査を持ってきた、と。


 正直、釉葉の父は、相手を侮っていた。

 ゴルフと娘の話に絡めつつ、過不足なく情報を混ぜている。

「個別に特定できるかは、社長のお手並み拝見です」

 という挑発のオマケつきだ。

 ならこちらも、それなりの礼を出さなければならない。

 社長が財務担当役員をちらりと見ると、彼も目で頷いた。

「ちょっと大きな投資を考えていて、ひょっとしたら頼めますかね?」


 もちろん、そこらの地銀が用意できるくらいの金額なら、自己資本でまかなえるくらいはプールしてある。

 取引の拡大と長期の取引という、お願いしてるようにみえて、エサ。

 財務担当役員がファイルを開き、秘書たちと数字を詰める。

 ここまできて、専務は自分がダシに使われたと悟った。

 この取引が失敗したら、その場に立ち会いながら止めなかった自分も無傷では済まない。

 うまくいけば財務役員のポイントになり、中立派の彼は、社長側に大きく傾くだろう。

 それでも自らのダメージを最小限にとどめるには、このプロジェクトの完遂しかない。

 間違っても足を引っ張れない。

 そう。これは社内政治なのだ。


 煮詰まってきたところで、社長は両手でゴルフクラブを握るポーズをとり、腕を振った。

 トップがあらかたの方向を決めれば、細部の詰めは担当部署の、社員の仕事だ。

 このスイングは、「おわり」のサイン。

「近いうちに1回、ご一緒にラウンド願えますか?」

 問う社長に頭取は同じポーズを返しつつ

「1度と言わず、都合が合えば何度でもお願いします」

 こちらは外交。

 立ち上がり握手を交わす2人を前に、中立派のつもりの財務担当役員は、自分が強く社長に魅せられていることを自覚した。

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