第5話
週末土曜日午前9時。
釉葉はメイクチェックと衣装合わせに余念がなかった。
と言っても、基本は先日芦屋署に行ったときのもの。
母子家庭というイメージから、コートはカシミアではなくウールにした。
色はもちろん黒。
ただ、あのときは首の後ろで束ねていた髪をほどき、かわりに黒ネクタイを締めて。
ルージュのツヤを調整していると、スマホが震えた。
「吉本巡査長」
時間厳守だな。
今回は父親も公認だし、今更ご近所の目を気にしても仕方ないので、家の前まで迎えに来てもらった。
吉本巡査長は、黒いマツダRX-8だ。
変な改造もしていないし、意味不明のぬいぐるみや、逆に意味ありげなファイルや封筒もない。
きっちり車内を片づけて吉本巡査長は車の左側に立ち、門を出た釉葉を見て、助手席のドアを開けた。
「ありがと」
そう言って釉葉は右手を伸ばし、リアドアのレバーを引いて観音開きのリアドアを開き、後部座席に身体を滑らし着座して、ドアを閉めた。
しばらく呆然としていた吉本巡査長だが、数秒おいて我に返って手にしていたドアを閉め、運転席側に戻って、シートに身を沈めた。
それからギアを入れるまでに、およそ1分。
ようやく車は動き始めた。
たったこれだけ。
それで立場の上下や釉葉の気持ちは伝わる。
察せられないバカに用はないし、わかれば……「下」は、「上」より先に声をかけることははばかられる。
しばらく、車内を沈黙が支配する。
往々にして、沈黙は罵倒よりも、相手を苦しめる。
その苦痛から少しでも逃れようと吉本巡査長は「音楽でもかけましょうか?」「寒くないですか?」と釉葉に問うが、もちろんスルー。
再び訪れた沈黙が重く、痛い。
もっとも、あまりいじめすぎて逆ギレされても面倒だし、そもそも吉本巡査長を虐める気はない。
「なぁ。吉本さん?」
不意に声をかけられて、吉本巡査長の身体がこわばる。
「山下君の家、西宮なん?」
「はい」と返事する吉本巡査長に、釉葉は質問を重ねた。
「殺されたって、どんなん?ケンカ?刃物?犯人は捕まったん?」
ふーっと息を吐いて吉本は、
「犯人は、まだ捕まっていません。射殺体で発見されました」
「射殺って、拳銃?なら相手ヤクザやん!山下君、ヤクザになってたん?」
若いときはヤンチャだったらしいけど、前の職場では基本マジメに仕事をしていた。
それが事務所が解散して、ヤンチャに戻って、ヤンチャな事務所に入っちゃったのか。
「そか…山下君、ヤクザになってたんか」
呟く釉葉に、吉本は
「や。小さな整備工場で、油にまみれて、マジメに働いてたらしいっす」
を。関西弁が戻ってきたな。
「客にヤクザとか……ベンツとかもいじってたり?」
「知らんけど、ヤクザとつながりはないっぽいっす。あったら真っ先に浮かぶやろけど、そんなんは聞いてないし」
だんだん油断してきたな。
釉葉の方言がうつっただけかも知れないけれども、少なくとも過度の緊張はほぐれてきたみたい。
「けど、犯人ヤクザなんやろ?」
「やから、まだわかってないんよ。
拳銃が使われてるからその線が強いけど、接点が見つからないっぽいわ」
「私と逆のパターンやな」
そう言って苦笑してみせる釉葉に、吉本巡査長は叫んだ。
「あのとき、ボクがもっと積極的だったら、ちゃんとしてたら、ゆずさんを困らせることもなかったのに!
ほんま後悔してます。反省してます。今回は、ボクが全力で守ります!」
「面倒かけてゴメンな。
大丈夫。日本の警察は優秀やし、誤認逮捕もないやろ。
あ。日本の警察は優秀やから、自分も少し、また信用してみようかな♪」
これくらい甘えておけば、ちょっと引っ張れるかな?
はっきり言って、釉葉にはもう吉本巡査長に恋愛感情は全くないが、相手に思われるのは悪くない。
それに、使える手駒は多い方が、いざというとき強い。
しばらく走って。
「あ、あの信号でちょっと停まって」
手前に、大きなバイクパーツの専門店がある。
吉本巡査長はRX-8を入れ、さして広くはない、道路に面した駐車場に、バック1発で決めた。
それから、運転席のドアを開ける。
釉葉が身体をずらして手を伸ばし、その後ろのドアを開けて降りた。
いぶかしむ吉本巡査長に、釉葉は「手土産」と告げた。
店内は、釉葉にとっては謎の部品で雑然としていた。
もちろんバイクの知識があれば、それぞれのパーツが何で、陳列棚がそれぞれのジャンルにまとめられ、さらに排気量やバイクメーカーごとに整理されているとわかっただろうが、あいにくバイクに全く興味のない釉葉には、タイヤとバッテリー、あとはヘルメットくらいしかわからない。
そのヘルメット売り場で、フルフェイスのヘルメットを見比べた。
単純にTVでよく見かけるデザインで、流行っているんだろうってくらいの気持ちで。
が、実物が列んでいるのを見比べると、スリットとかインテイクとかで、予想以上にバリエーションがある。
首をひねる釉葉に、店員が声をかけた。
「サイズですか?バイクは何にお乗りですか?」
「M」と釉葉が応えたが、そんなものはないらしい。
センチ単位で違うらしい。
頭の形や目的でも変わってくるって聞いて、釉葉は「ショーツやなくてブラの感覚かな?」と思った。
けど、「フツーの」としか応えられない。
店員は質問をかえて
「バイクは何にお乗りですか?」
釉葉はバイクの名前なんか知らない。
アルファベット3文字ってくらいは何となく知っているけれども、英単語ならともかく、記号の並び方まで覚える気にもならなかったから。
そもそも、その並べ方に法則性はあるのか?
釉葉は持っている知識を総動員して
「あ……刀?」
たしか、そんな感じの名前を聞いたことがある。
「カタナですね。色は?」
こちらは強く「銀色!」
たぶん、コミュニケーションにズレは起きていると思うけれども、もう二度と来ることはないと思うから、修正する気もない。
「なら、これなんかどうでしょう?」
店員が陳列棚から降ろしたのは、黒色の、ガンダムみたいなデザインのヘルメットだった。
もちろんツノはないが。
「やから、銀色やったら」
「そろえるんですね。サイズは……」
店員は釉葉の後ろに立つ吉本巡査長に目をやり
「たぶん、これくらいだと思います。試着してみますか?あ、こちらのマスクしてくださいね」
うん。絶対にずれてる。
そう確信したが、
「ええです。それよかプレゼント用にラッピングしてもらえますか?」
50cmくらいの箱を胸に抱え、2人は店を出た。
吉本巡査長が助手席のドアを開けると、例によって釉葉はその後ろのドアを開けた。
複雑な表情を浮かべる吉本巡査長をちらりと見ながら、リアシートに箱を置く。
そして自身は、助手席に座った。
明らかに空気が丸くなり、吉本はダッシュで運転席に戻り、セルを回した。
RX-8は、軽やかに走り出した。
走り出してしばらくして。
「ボク、バイク乗りませんよ?
そりゃ、免許は持ってますし、タンデムもいいと思いますけど……カタナが好きなんですか?」
問う吉本に釉葉は、
「山下君にな。
消え物のがええかとも思ったけど、いらんかったら下取りに出したらええやろ」
「あ……。
けど、メットの下取りって、聞いたことないですね」
そうなのか。
黙ってしまった釉葉に、吉本巡査長は
「でも、喜ぶと思いますよ。ゆずさん、優しいんですね」
「今頃気がついたん?」
釉葉は笑った。
山下君の家は、西宮の下町にあった。
「母子家庭」のイメージそのままに、古い木造二階建てのアパート。
「ややこしなったらアカンから、ちょっと一人で待ってて」
言い残して、釉葉は一人箱を抱えて、アパートに向かった。
玄関脇のチャイムを鳴らした。
返事はあったが、ドアは開かない。
「折原釉葉と申します。山下く……山下さんに…」
やべ。ファーストネームを忘れている。
が、ドアは開き、釉葉は招かれた。
出迎えたのは、釉葉の父と同世代らしい、ボリウムのある女性だった。
もっと憔悴していると釉葉は決めつけていたが、とっくに四十九日も過ぎて、いつまでも落ち込んでもいられないだろう。
そもそも、メンタルの切り替えについては、男よりも女の方が得意だ。
玄関に入る前に一礼して、入ってもう1回頭を下げる。
奥に促されて、靴を脱いだら、そのまま膝で歩いて、深々ともう一礼。
奥と言われたが、入ってすぐ左側の引き戸を開けると、六畳の和室に小さな仏壇があった。
差し出されたマッチと線香を受けとり、火をつけて、小さく右手であおいで炎を沈める。
灰壺にさして、位牌と遺影に手を合わせ、頭を下げる。
一息おいて、何度目か、母親に頭を下げる。
それからようやく口を開く。
「これ、山下君に」
持ってきた箱を、畳を滑らせて、母親に差し出す。
もっと箱が小さかったらお菓子か何かとスルーされたかも知れないが、このサイズだと、やはり気になるだろう。
「不作法しますね」
そう断って、母親がラッピングをあけた。
出てきたのは銀色のヘルメット。
「山下君、バイク好きって言ってた思うから」
そう言う釉葉に母親は、正座のままヘルメットをおなかに抱え、そしてはじめて声を出して泣いた。
出された湯飲みに口を付けながら、二人は仏壇の前で故人の思い出を語り合った。
もっとも、ほとんどは釉葉がしゃべって、母親は涙を浮かべつつ笑って。
釉葉の話は、7つ貶して3つ褒めるってパターンで、ほとんどは職場での失敗談と、たまたまの成功談。
だが、故人をくすぐったいほど持ち上げるだけの「泣かせ話」と違って、よっぽど笑え、心にしみる。
「こんなお嬢さんと目の前までいって、あと一歩で死ぬなんて、ほんまアホの子やなー」
一段落して、母親が一人愚痴る。
「いやいや。婚約どころか、告白ももらってませんよー」
「ほんまヘタレや」
「けど、ヤクザとケンカしたんでしょう?やっぱ根性ありますよ」
フォローにまわる釉葉に
「鉄砲で、やろ。けどケンカなんかよーせんわ」
あれ?
「どうせ調子こいて怒鳴りつけたら本職やって、慌てて逃げようとして、後ろからパンや」
「誰か見てたんですか?」
「だーれも。けど死に顔見たらな。ほんまにキレイで青タンの1つもなくて。
ほんまヘタレや」
またしんみりする。
頃合いかな?
手を突き膝を伸ばして立ち上がりながら釉葉は
「長居しました。あ、山下君に伝言頼めますか?」
顔を向けて訝しむ母親に釉葉は
「この歳で未亡人にせんでくれてありがとう、って」
「このアホ、自分一人で死んでもて、私には孫も…娘も残してくれんかった。
アンタみたいな娘やったら、ウチはいつでも大歓迎なんやけどな。なんなら今からでもええで」
そう言って泣き笑いしながら、釉葉を玄関まで見送ってくれた。
RX-8まで戻ると、吉本巡査長はエンジンをかけたままシートに深く身を沈め、目を閉じていた。
たぶん昨日の夜は、勝手に、それも悪い方に想像を重ね、ろくに寝ていなかったんだろう。
ノックして起こそうかとも思ったが思いとどまり、車の横の花壇を囲うブロック塀を椅子代わりに腰を下ろした。
釉葉が山下君のところに長居していた間、吉本巡査長は待ってくれていた。
なら、今度は同じだけ、釉葉が待たないと不公平な気がしたから。




