信念深淵
ダブルガーデンには、闘技場というものが存在する。
その風貌は古来、人と人、人と猛獣が戦ったと記憶の残る古風のコロシアムを再現している。石や煉瓦で円状に囲まれ、砂で敷き詰められたフィールドはその壁の上から観察できる造りとなっている。
元々、闘争意欲に駆り立てられる学生の為に監視下のもと合法的に闘えられる環境として造られた闘技場だが、ブラックの様にそんなこと気にせず、場所を選ばずに暴れる学生が多いため使用されることは極めて稀だ。その為、人が訪れる事もほぼない。
だが、今日に限ってはその闘技場のフィールドに二つの人影があった。
一つは巨漢と言う言葉の似合う黒を基調とし、もう一方は幼子と言う言葉が似合う緑を基調としている。
ブラックとパールだ。
ブラックはその背中に己の等身大ほどもあるのでないかという大剣を抱えている。剣に宿るルビーは妖しく光っていた。それに対し、パールは何も武器を持たない。拘束もなにもされていないがその姿は明らかにひ弱だ。
だが、その瞳には強い輝きが宿っており、鋭い眼差しをブラックに向けていた。
「で、ボクに何の用?こんな場所に呼び出してさ」
パールはほとんど踏み込んだことのない、闘技場を見渡し警戒心を露わにした。その側には、人を縛るには十分程の長さの縄が落ちていた。
パールは校内で居るところ突然襲われ、気付けばここへ運ばれていたのだ。
「どうしたチビ委員長?いつもはあんな陽気なのによ」
「急に拉致されて、警戒しない人の方がどうかしているよ」
警戒心を露わにして威嚇するパールに、ブラックは皮肉の笑顔を向ける。
「ボクをここに連れて来て、どうしようっていうのさ」
「ここは闘技場だぜ?やることは決まっているだろ?」
「こんな弱いボクに?」
「言ったはずだぜ?俺は、お前にも興味がある、と。いや、お前にこそ、一番興味があると言っていい」
そう言ったブラックから感じるのは慈愛や求愛心などではなく、興味心と殺気だった。
「チビ委員長、いやパール。お前は今、世界をどう見る?」
「どうって?」
「いくつもの国が血肉を争い、領土を奪いあう戦乱の世が終わりを告げようとし、こんな生ぬるい学園まで築き始めやがった」
「良いんじゃないかな?平和を望むからこそ、みんな戦い続けたわけでしょ?ようやく一歩、前進するんだ」
「いや、人類は衰退する」
「どういう意味?」
「そのままだ。このままだと、人類は滅びる。だからこそ、俺は親父を超え、俺の新時代を築き上げるんだ」
剣の国の総司令官の息子。つまりは剣の国の皇子。地域によってはブレイドプリンスと崇められるブラック。その力は、一国の軍を指揮する権利すらもある。
ブラックは、ゆっくりと空を見上げながら両腕を広げて、この世の全てに宣言するかのように叫ぶ。
「見ろ、これが俺の作る新時代だ」
どこに隠れていたのか、観客席から突如幾つもの影が舞い降りた。ブラックの背後には五十を超えるほどの人影が並んでいた。その手に持つ武器は剣、銃、槍、斧、盾、ハンマー、布、ヌンチャク、モーニングスター等様々だ。
その顔ぶれにパールは驚愕した。
なぜなら、その顔ぶれは以前ブラックに襲われたと噂されていた者ばかりなのだ。
「武器で区別し、争う時代はもう終わりだ。これからは全ての優秀な人材を集め、優秀な者たちによって時代を構築していく」
この言葉に、パールは一つの結論を導き出した。つまりは、この人たちは襲われ、闘い、懐柔されたのだという結論を。
「そんなことしても、戦いは終わらないじゃないか」
「戦いが終わる?何を言っているんだ。『闘う』事は人間の本能じゃねぇか。いつの時代だって、戦いが無かった時代は無い。闘う姿を見て人は歓喜する。戦争が起これば、技術が発達する。最高じゃねぇか。何を終わらせる必要があるんだ?俺の親父はそれを分かっちゃいねぇんだ。よりによって、銃の国と手を組んでこんな『庭』まで作り上げるなんてよ」
「その戦いによって、流す涙や血があるでしょ!上に立つ者は常に下になる者の気持ちを考えなきゃいけない。第一、今の時代でそんな風にまとめあげて、何を敵とするの」
「そんなの決まっているじゃねぇか。この時代。どの国にも正式には属さず、皆から忌み嫌われる存在がよ」
「そ、それって……」
「そうだ『異人』だよ」
異人。それは、人ならざる人。人とは違う身体的特徴を持つ。その数は極めて少数だが、その特徴から『バケモノ』『怪物』『怪人』『鬼』『鬼人』『違人』等様々な迫害を受ける事が多く、ほとんどはその発見された時に始末される。
細かなことは分かっていないが、一般に『異人』と呼ばれる存在の出生は、異国の両親間に生まれる子供が多いことが判明している。
だが、その揶揄はただ見た目を現わしているものではなく、固体差こそあれその噂を裏切らないほどの能力を備えているのだ。下手をすれば、異人一人で軍と戦えてしまうほどの力すらもある。
「『異人』という化物を始末することにすれば、どの国も文句はねぇよ」
「そんな、彼らが何をしたっていうんだよ」
「何をしたってわけじゃねぇよ。ただ、その存在が罪なだけだ」
「そんなの、許されるわけが無い!」
「おいおい、実際『異人』のせいで犠牲も出ているんだ。お前も『紅夜の惨劇』の事くらい知っているだろ?」
「みんなが、あの異人のようなわけじゃない。何もしなければ、彼らに実害が無いよ」
「……ごちゃごちゃ、うるせぇんだよ」
ブラックの声が一段と低くなった。
「裏はとれているんだ、『異人』さんよっ」
背中の大剣を一瞬で抜き去り、パールを切り裂いた。
反射的に後ろに飛んで避けたおかげで、深い傷こそは付かなかったが、胴の周囲が破れ、やわ肌が露わにされた。
元々背が低いため、少しの破れで至る所の肌が露出したが、問題はそこではない。
パールの背後に『何か』が現れた。
茶色のふんわりしながらも真っ直ぐな毛並に、その先は白く塗られ尖っていた。その長さはそれほど長くなく、ゆったりとした服を着ていれば目立たないほどの長さだ。
しかも、パールのいつも着ている気ぐるみを思わせる服装なら余計にだ。だが、それは紛れもなく野獣のしっぽだ。それが、パールの腰から生えていたのだ。
パールの姿にブラックを除く一同にどよめきが走る。
「お前は、これから始まる革命の第一の生贄だ」
「……ブラック」
己の本性を見られたパールは、その悔しさに目に涙を浮かべ、下唇を強く噛みしめた。
「去りゆく者と交わす言葉はもうねぇよ。さらばだ、チビ委員長」
その大剣は、ゆっくりブラックの手によって空を上る。その光景はまさに罪人の死刑そのものだ。 異人は人類の敵だ。痛めつけようが犯そうが殺そうが止める奴は誰もいない。少なくともこの場には。
ブラックの下につく者も、それは言うまでもない。口で武器でブラックを止める者はいない。それどころか、この光景に歓喜している者までいる。
そう、ブラックの「下」につく者ならば、だ。
「そいつはちょっと待ってもらおうか」
空から声が聞こえた。その声に、再度、一同にどよめきが走る。ブラックは知っていたと笑顔を浮かべ、パールはその顔に希望の色を指した。
「ダイヤッ!」
突如、闘技場の壁の向こうから飛んできたダイヤにパールが歓喜の声を上げた。ダイヤは宙で身を翻し、軽やかな着地をして見せた。着地音の代わりに地面にわずかな砂埃が舞う。
だが、ダイヤはパールを一目見てすぐに無視した。その右手には、訓練用の剣が握られている。ダイヤが視線を向けるのは、いつの間にか距離を取っていたブラックだ。その瞳には好奇心に満ちていた。
「ここの壁、かなり高かったと思うが?」
「なに、駆け上がれない高さではないさ」
「……なるほど」
ブラックは笑みを引きつらせた。
「わざわざ祭りに招待してくれて、感謝しているよ」
お前には借りがあるからなと、ブラックは己の剣を構える。己の背ほどもある薄紅色の刀身で、ルビーの宝石が輝くその大剣を。
「間に合わないじゃないかって、ヒヤヒヤしたぜ。ところで、このチビ委員長をダシにすれば、必死になると考えたんだが?」
「そいつは見当違いってもんだな。俺は、戦いを挑まれても逃げねぇよ」
「ほう、お前も俺と同じ戦闘狂ってわけか」
「お前と一緒とは心外だな、雑魚が」
「昔から俺に関わったやつは崇め、祀り、恐れていた。お前ほど俺をコケにした奴は初めてだ」
額に血管を浮かばせながら、ブラックは手を挙げ仲間に合図を送る。
「てめぇら、そこの異人を始末しろ。俺は、このイカれた間抜け野郎を相手する」
その言葉を合図に、ブラックの仲間たちの刃が次々とパールに襲いかかる。