暗転
ダイヤ。登録名ダイヤ・クルージュ。
彼が一番嫌っている言葉は『仲間』『友情』『夢』『愛』……とにかく、甘い思想が嫌いだった。
それは、彼の過去が彼を変えたから。誰も気付かない、気付かれるわけにいかない彼の闇は今も戒め、縛る。
ダイヤは今、放課後の図書館を訪れていた。全部で五階からなるこの図書館ははしごを使っても届かないのではと言うほどの高さを誇る本棚がずらりと並び、螺旋階段の壁も本が詰められており膨大と言う言葉がふさわしい量の書籍が敷き詰められていた。
その中でも、新聞を主に備えられている四階でダイヤは一つの新聞を机に広げ、座っていた。
ダイヤの他に人はおらず、もしいてもそれは違う階へ通り過ぎるためだったり、図書係が整理で通ったりするだけで誰もダイヤに気を取りとめたりはしない。
目の前の新聞の日付は十年前を示していた。そこにあった少し古びた写真は森で血を流し倒れる複数の兵士や馬が写っていた。
ダイヤは写真の下の記事に目を向ける。
『○月×日、遠征に赴いていた剣の国及びその同盟国の軍は昨日未明、国外の森で突如何者かに襲われた。軍のほとんどは深手を負い、当社の調べによると少なくとも十名は死者が出ている模様。
奇妙なことに、武器が全て破壊されていたという情報が入ったが、政府はその真偽は不明と公表。帰還した者の話によると襲撃者は見たこともないような武器を使ったという。剣の国の総司令官はこれを全力で調査すると報じ、調査班が近日送りこまれる事が決定している』
たった一人による、事実上の軍全滅は当時国民を震撼させた。だが、調査は進まず未解決事件として処理されたこの事件は今ではその当時の月が紅に染まっていたことから『紅夜の惨劇』と語り継がれていた。
調査で分かった事は、襲撃者は尋常ではない身体能力を持っていたという事。そして、剣とも銃とも分からない武器だったということだ。
記事の最後まで目を通し、ダイヤの新聞を握る手は思わず力が入りしわが寄った。
何が……『紅夜の惨劇』だ。
この日は、己の全てを失った日の始まりだった。
新聞では、遠征と記されているが、その内容には裏があった。
記事を通し、彼の脳裏に過るのは真っ赤に燃える森にひっそりと建てられた家。心臓を貫かれた父の姿。血まみれになりながら必死に自分を逃がそうとした母の姿。そして、泣き崩れる己の姿。
その日までの記憶を思い出す。
口数は少なく厳しかったが、間違いなく愛を向けてくれていた父との思い出。
どんな時でも優しく自分を包みこんでくれた母との思い出。
そういえば、母は最後に何と言ったのだろうか?記憶を呼び覚ます。
自分は普段は使用していた暖炉の隠し通路を通るように母に指示された。だが、その後ろから母は追ってこない。今思えば涙を流しながら自分を見送った母を見たのが最後だ。そんな母の言葉は確か……。
「いつか必ずあなたにあなたを……くれる、……が現れ……、だから、あなたはその……のために……」
駄目だ、記憶に霞がかかっているかのように思いだせない。あの時、自分に何を伝えようとしたのだろうか?
でも、それ以降の事は覚えていた。
悲しみと怒りに染められた自分。
それから数年間、社会から隠れ必死に誇示汚く生き抜いた自分。
様々な思い出があるが、そのほとんどは自分一人だ。周りから忌み嫌われ、影で暮らすことを強制された。そんな厳しい環境に育ったからこそパールの様な甘い考えを持つものが嫌いだった。
ダイヤは己の胸で光るダイヤモンドの首飾りを見る。
今持つ、親との唯一の思い出の品だ。唯一の思い出だからこそ、大切で大事な品物ではあるが、己が天涯孤独の証のようにも見える。見ていて、気分が良くなる代物ではない。
そこまで考え、ふと今の自分を思い返す。
とある成り行きで、このダブルガーデンに入学した自分。だが、それまで一人で生き抜いてきた自分は、決して馴れ合う事を得意としなかった。必要性も感じなかった。だから、一人になることを選んだ。
結果、苦では無かった。しかし、人と関わりを持とうとしない自分に関わりを持とうとする人物が現れた。パールとサファイアだ。始めはとても鬱陶しかった。委員長だからと、仕事で自分と関わりを持とうとしていると信じ込んでいたから。誰にでも、自分のようなやつがいたら、そうするのだろうと。
しかし、追われ追いかけの関係を繰り返すうちに今ではそれが当たり前と思うようになった自分がいた。今は、それほど嫌ではない。本当に、一人の人として、自分を見てくれている。態度では示せないがどこか楽しいと思った自分がいる。
それは、家族以外ほとんど関わりを持ったことのないダイヤにとって、かつての家族と同じような感覚を感じた。
だが、馴れ合うわけにはいかない。自分は、周りを不幸にするだけの存在なのだから。
ーーふと、奇妙な感覚が襲った。
その違和感に気付き、辺りを見渡す。このフロアに自分以外はいない。いや、この図書館に自分以外に人の気配が感じられない。
この図書館は、授業に関係なく、人の出入りが横行していたはずだ。なのに、誰もいない。
いや、違う。
たった一人だけ、気配を殺して自分を見つめている者がいる。
「誰だ!」
ダイヤは、かすかに感じる人気の方へ向け、叫ぶ。声は虚しくも猛々しく、図書館に響いた。
その先は、自分からは死角になっていた本棚。
ダイヤに帰ってくる声は無かった。見せる姿もない。しかし、その代わりに一本の弓矢がダイヤを襲った。その軌道は寸分狂わず、ダイヤの眼球へめがけて放たれた。
だが、その切っ先はダイヤに届かない。
ダイヤは眉一つ動かさず、弓矢が己の目に届く寸前で掴み取った。速やかに敵と認識し、殺気を露わにした。
弓矢の犯人は、その殺気を感じ取ったのか、その場から気配を消した。
「……逃げたか」
ダイヤは己の持つ弓矢を見た。それほど殺傷能力が無さそうな切っ先の根本に、紙が巻き付けられていた。
「これは、矢文か?」
紙を広げると、やはり文字が並んでいた。その文章を読み、ダイヤは顔色を変えて矢と手紙を放り捨てて走り出した。
誰もいなくなった図書館にひっそりと落ちる手紙には、新聞から切り抜いたものと思われる文字でこう書かれていた。
『委員長の死刑を開始する。それに際し汝を闘技場へと招待する ブレイドプリンスより』