黒い奴
「避けろ!!」
叫び声が聞こえた瞬間、私の体は空に放り出されていた。
上下が逆さまになって、眼下のほうに何か黒っぽいものが見えたと思った途端に、頭からめいっぱいの重力を感じた。
「ひゃぁぁあああ!!!!っ…っぐっ…」
喉が締まる。
人は一定以上の恐怖を味わうと、悲鳴も出なくなるんだな。
息もできなくなるんだな。
こんなこと、知りたくなかった。
「なにリラックスしてるんだ!!!」
近くで声がして、私はいつの間にかギショウに抱えられて一緒に宙を舞っていることに気がついた。
「避けないと死ぬだろう!!」
「う…ぐ…っいま…」
「本当にお前はよく寝るヤツだな!!」
私の心境とはかけ離れたツッコミを入れられ、いろんな感情が襲ってきて何から言えばいいのか分からない。
『そのニンゲンがお前の新しい主人か。そっちの方を最初に狙っておけばよかった』
黒っぽい<何か>が、私たちに横を向いたまま喋った。
頭部からすっぽりと分厚いボロきれをかぶり、首と思われる辺りを金のベルト金具で留めている。
二足歩行の犬のような姿勢で、チラリと見える顔は、なんとなくイグアナのようだとも思った。
声は野太く、野太すぎてなんと言っているのかギリギリ聞き取れる程度だった。トラックのエンジンが喋れたとしたら、こんな声じゃないだろうか。
『なんの利益があってギショウを助けたのか、全くもって理解できん。だが、脱獄を手伝った罪は重い』
その黒い奴は、空中でピタッと浮いたまま顔面だけこちらに向けた。
『そのニンゲンを、魔界へ連れて行き処罰す』
る、と言いかけた黒い奴は、ギショウが左手で何かした瞬間にビチチッという電気のような音とともに光り、そして発火した。
黒い奴は空中で仰け反り、後ろ側に一回転して地面に落ちた。
その光景を見て、私はギショウの右腕の中で固まることしかできなかった。
なにが起きたの?
なんで私は吹き飛ばされたの?
なんであいつは燃えたの?
「逃げるぞ」
左の耳元に、まるで黒い奴に聞こえないように配慮したかのように言うと、私を軽々と抱えたまま十数メートル下の車道へ飛び降りた。
飛び降りる最中、ギショウに
「声を出すなよ」
と低く言われたが、その声を聞き終える前に私は意識を手放した。