嵐の前の静けさ
その人は私と共に歩いている。
雑木林と崖にはさまれるような格好の、コンクリート舗装された緩やかな車道沿いを下っていた。
片側1車線の緩いカーブが1.5キロほど続いていて、だんだん住宅地に差しかかる、という中途半端な田舎って感じの風景。
ただ、今歩いている下り坂からは街並みが見渡せて清々しい。
3月という気候から、少し肌寒さが残るが風も気持ちいい。
今の私がニュートラルな感情だったら、この情景を全身で噛み締められたんだろうな。
ギショウ。
確かそう名乗っていたと思う。
古本屋で私が見た絵本のタイトルに、少し違ってはいたけど、今、斜め前を少し早足で歩くこの人の名前らしきものが書かれていた。
「さっき、契約が何のことかわからないと言っていたが」
「…」
私は目も合わせず、こくこくと嫌そうに頷いた。
さっきから何回か同じ問答をしたので、もう声に出して反論する気力もない。
「確かにあの血の証はお前のものだ」
「…あっ」
あ。
あれかー!!!
…あー。
一度、昼下がりの穏やかな空を大きめに仰いだあと、ため息と共に思わず声が出た。
切れた小指の先がかゆくなっている。
「あれかー…」
「なんだ、わかってるんじゃないか」
「いや、わかってるんじゃなくて。今わかったんです。あー…あれかー」
「そう、それだ。通路を作った場所は看守にすぐバレる。早めにこの地を離れたほうがいい」
なんか私ぐるみで進行する感じの言い回しだ。
私の拒否の意思表示を他所に、なんの迷いもなく話を進めるこの人になんとなくイラっとして、前に回り込んで立ち止まらせた。
ギショウと名乗る人と、目が合う。
「ちょっと、状況が全然飲み込めなくて。えっと、まず私の事情から説明させて下さい。
私、明日引っ越しで遠くに行くんです。で、今日はたまたま本屋に寄ってて、昔うちにあった本が置かれてて懐かしくて手に取ったってだけで。
ギショウ、さん…がさっきから言ってる『道を作った』とかってのは私が原因みたいだけど、全然そんなつもりじゃなくて」
「そんなつもりじゃなかったとしても、そうなったんだ。もうその部分の話はいいだろう」
よくねーよ!
なんかめっちゃ腹立ってきた!!!!
「てかさっきの看守ってくだり、なに!?」
「俺は無実の罪で投獄され、毎日拷問を受けていた。あの本に書かれていただろう」
あんな不気味な本読んでない。
そう言おうとした時だった。