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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

クリスタルボンボン

作者: 黒野 衣梨

ぜひ3時のおやつのお供にどうぞ

私は香水瓶やボディクリームなどが並ぶ戸棚から小さな箱を手に取る。一日一回のお楽しみ。

そういえばあの子は「どうしてここに並べるの?食べ物なんだから冷蔵庫でしょ?」と笑っていたけれど、私にとってこれは香水を身にまとったり丹念にボディクリームを塗るのと同じような習慣で、自分を高めるためのものなのだからこれの居場所は間違ってない。

丁度10㎝位の丸い薄っぺらな箱。蓋には月を眺める女の子の後ろ姿。パステルカラーで描かれたそれは私の趣味よりはいくらか可愛すぎるのだけれど貰い物だから文句は言えない。そんなことよりもこれは中身が大切なのだ。

少し力を入れれば簡単に歪んでしまいそう蓋をそっと外すと小さなビーズのような粒たちが現れる。「クリスタルボンボン」と言うらしい。先月あの子が彼氏と行った大阪旅行から帰ってきた際にふらりと私の家にやってきてお土産として置いていった。商品名までは知らなかったが、私はこのお菓子を知っていた。昔読んだ本に出てきたから。思わずその小説の作者名を呟いても無知なあの子は「だあれそれ?」とふわりと笑うだけだった。「甘いものとお酒が好きなあなたにぴったりだと思ったの。」と、それだけの理由でこのお土産を選んだらしいあの子はふわふわの茶色い髪を揺らしながら帰って行った。私はあの子がこれを置いていった日から毎日寝る前に一粒ずつ食べることにしている。淡いピンクとブルーとホワイトの三色。蓋と同じように中身までパステルカラーで作られたこれは確かにあの子が選びそうなものだ。三色それぞれ味が違うので私は占いのように目をつむって一粒選び取る。ピンクは花のよう香り、ブルーは少しスパイシーな香り、ホワイトはオレンジの香りのお酒が砂糖菓子に包まれている。きっとネットで調べればお酒の種類や名前なんかも分かるのだろうけれど私はあえてそれをしない。このおとぎ話の中にしかないようなお菓子を現実のものにしたくないから。今日私の指が選んだのはホワイトのボンボンだった。私は選び取ったそれをつぶしてしまわないようにしながら器用に箱の蓋を閉めて元通り戸棚に戻す。そしてすぐには口に含まずそのままボンボンを持ってベランダに出る。こうして月を眺めながらボンボンを口に含んでいるときだけは、私は自分があの箱に描かれているような可愛らしい女の子になっているような気がするのだ。こんなことをしているとあの子に知られたらさすがに笑われてしまいそうだけれど、あの子にしてはいいお土産を選んできたと思う。口に含んで舌でボンボンを弄んでいると次第に砂糖菓子が溶けて中のお酒がオレンジの香りとともにじわりと染み出してくる。甘い砂糖の後のかすかな香ばしさ。私は夜風を感じながらそれを味わう。やがてお酒も砂糖もすっかり口の中から居なくなってしまうと、残された余韻だけが私を包み込む。ああ、もう終わってしまう。また元のように特別なことなんて何も起こらない平凡な日常が迫ってくる。ついに余韻すら残らなくなると少しの寂しさだけが私の元に留まるのだ。私は毎日寂しさと共にベッドに入って眠る。目を閉じて暗闇に沈み込みながらあの子のことを考える。髪がふわふわのあの子。目が小動物のようにくりくりしていて眉毛は少したれ気味なあの子。唇が少し薄いことを気にしてるあの子。好きな人には一生懸命に向かっていって尽くしすぎてしまうあの子。花の香りがするような笑い方をするあの子。跳ねるような歩き方をするあの子。文字を読むと眠くなってしまって勉強が苦手なあの子。私が好きなあの子。私の気持ちになんて微塵も気がついていない愚かなあの子。

私はあの子と一緒に眠れたらどんなに幸せだろうと考えながら暗闇に身を任せる。

目を覚ましても隣にあの子は居なくて私はひとりぼっち。当たり前のことなのに少し残念に思いながら私は身支度を整えて仕事へ向かう。平凡で退屈な一日。

仕事を終えて家に戻り、晩ご飯を食べてシャワーを浴びる。そして寝る前にボンボン。夢のようなひとときを終えてまた眠りにつく。明日は休み。目覚まし時計に邪魔をされずに眠れる。明日は読みかけの本を読もう。そして天気がよかったら布団を干そう。

目を覚ましたのはお昼前だった。目覚まし時計には邪魔をされなかったけれど、部屋のチャイムがうるさくて起きた。誰だろう。どうでもいい人だったら無視してしまおうと思いながら扉の小さな穴から相手を確認するとあの子だった。これは無視できない。

寝癖でぼさぼさの髪のままドアを開ける。「いらっしゃい。」突然家に来るのはよくあることなので寝起きの姿なんて見せ慣れている。見せられる方は勘弁して欲しいと思っているかも知れないが。「まだ寝てると思って朝ご飯?お昼ご飯?みたいなの持ってきたの。一緒に食べよう。」彼女はきっとブランチという言葉も知らない。そんなこと知らなくても生きていけるのだ。私は彼女を部屋に招き入れ、紅茶を入れながら彼女が持ってきたサンドイッチを袋から取り出して皿に並べる。エビとアボカドのサンドイッチ。ポテトサラダのサンドイッチ。フルーツサンド。共通点の少ない彼女と私だけれど、サンドイッチが好物という点は一致しているので彼女はこうして休みの日にサンドイッチを持ってやってくる。私がブランチの用意をしている間、彼女は大人しく椅子に座って待っている。彼女以外の訪問者なんて居ないようなものだから、あの椅子は彼女のための椅子だ。普段は寂しそうな椅子も役目を果たせて誇らしげに見える。ポットもカップも十分に温まった頃を見計らってサンドイッチを乗せたお皿と一緒にテーブルに運んで彼女の前で紅茶をカップに注いであげる。彼女は私の入れる紅茶が好きだという。私は紅茶を注いでいる時の彼女のキラキラした顔が好きだ。自分の分もカップに注いで私の方にはミルクとたっぷりの砂糖を加える。彼女はストレート。私は甘いミルクティ。可愛らしい見た目に似合わず彼女は甘いものを好まない。それが私には女の子らしさの塊みたいな彼女の唯一の人間味のように思えて好きだ。フルーツサンドには生クリームがたっぷり入っているので私のものになる。彼女は食べないのに私のためを思って買ってきてくれたと思うとそれだけで嬉しい。彼女と居るとこんなにも好きが溢れてくるのに、彼女は気がつかない。愚かでお馬鹿な子なのだ。そして彼女は彼氏の話を始める。それは愚痴だったり惚気だったりするけれど私にとってはどちらにしても面白くない話なので適当に相づちをうちながら聞き流す。つまらなくなって「サンドイッチ美味しいね」などと関係ない話を振ると彼女は頬を少し膨らませて怒るのだ。その顔が見たくて私は何度も同じことをしてしまう。紅茶もサンドイッチも食べ終わる頃には愚痴も惚気も話しきって結局全然関係ない話を始めるのだからそんなに怒らなくてもいいのに。紅茶のおかわりを何杯かして、夕方までには彼女は帰ってしまう。ふらりと現れてふらりと去って行くのだ。どうして彼女がこうして私の家を訪れるのか分からないけれど、いつまでもこの関係が続けばいいのにと願う。彼女を家から送り出すときはいつもまた来てくれることを祈りながら「いってらっしゃい」と言う。一度「なんか目が怖いよ?笑って送り出して欲しいな。」と笑われたことがある。祈りが真剣すぎてしまったらしい。また笑われることのないようなるべく自然に微笑みながら彼女を見送ると部屋には静寂が訪れる。あの子が居なくなった後は室温が下がっているような気がする。そう考えてからあの子といると私の体温が高くなっているだけだということに気が付き恥ずかしくなる。何度も私はあの子が好きなんだと再確認させられる。そんなの求めていないのに。テーブルの上の食器を片付けながら今日の予定が狂ってしまったなと思う。もう日が落ちてしまうから布団は干せない。読みかけの本を読んで、お腹がすいたら晩御飯を食べよう。予定が半分しか実行できなくてもあの子が来てくれたという事実は私を幸せにする。

私はいつものようにボンボンの箱の蓋を開ける。気が付けばもう半分くらい減ってしまっていた。ボンボンを食べて眠る前にはあの子を思い出す。大好きなあの子を。ボンボンを食べきってしまったら眠る前にあの子を思い出すこともなくなるのだろうか。そんなわけはないだろう。こんなとき、私は愚かなあの子が羨ましくなる。私もあの子のように愚かになれるのなら、こうやって悩むことなく気持ちを伝えられるのに、と。私があの子のように愚かになるためには勇気が必要だ。そしてその勇気を手に入れるためには少し時間が要る。ボンボンをすべて食べきる頃には勇気が手に入っているのだろうか。私は今日も目をつむってボンボンをつまむ。


読んでいただきありがとうございます。

ガールズラブのタグをつけるほどではないかと思いましたが、アレルギーの方がいたら大変なので念のため。


クリスタルボンボンは実在するお菓子です。それが登場する小説があるのも本当です。

私は未だ食べたことも読んだこともありませんが。

興味がある方は調べてみてください。

今読んでる本が女性が語り部で会話が少ないものなので素直に影響を受けてみたら見事に改行が少なくなってしまいました。読みにくくて申し訳ありません。

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