僕が人間でなくなった日
ふと目覚めると、全身金縛りに遭っていた。
手も足も、首でさえピクリとも動かない。金縛りと言えばやはり、顔面が大変なことになっている幽霊が、僕の上に張り付いててうらめしやーとでも言っているのかと思って頭上に目を凝らすが、まったくもってそんな様子はない。それなら何かの病気だろうかと勘繰ってはみたものの、よくよく考えれば、僕は生まれた時から五体満足の健康体、病気をしたこともなければ風邪もご無沙汰中である。前触れもなく突然病気になったとは考えにくい。
そんな訳で自分に思いつく原因はないという結論に至った。
じゃあこれは一体何なのだろうか。
というか、なんでこんなに僕は冷静なんだろう。普通はパニックに陥って、ギャーとかワーとか、何かしら心の中で叫んでしまうものではないのか。
そう思いながらも、自由に動く眼だけは落ち着きなくきょろきょろしているあたり、内心僕もびびっているのかもしれない。
そう自嘲気味に心の中で呟き、状況の把握に努めていると、新たな事実に気が付いた。
......これ、金縛りじゃないかも。
足を動かそうとしていると、妙な動きではあるが、僅かにピクリと動いたような気がした。
本当にほんの少し、だけれども。
さっきは体がすぐに動かなかったから、金縛りにあったと誤解してしまったようだ。なんて早とちりだ、と数秒前の自分に強烈なアッパーをかましてやりたい。
まあそれは後で考えるとして。
もう一度体を動かそうとするが、やはりどうやってももぞもぞとしか動かない。それでもどうにか、一人で寝るにはデカすぎる、このキングサイズベッドの端まで辿り着いた。そこから目の前にある、一階に続く廊下へとつながっているドアに向かって、母さんを呼ぼうと思ったのだ。早速僕はすうっと大きく息を吸い込み、「母さん!」と大声を出した。...と思うのだが、意に反して僕の声は引っ込んでいた。
ん?
そこでようやく初めて違和感を覚えた。なんで声が出ないんだ?
理由が分からず頭の中でうんうん唸っていると、ふと僕の目は、ベッドの脇に立てかけられた姿見に吸い寄せられた。
...はあっ?!
そこに映っていたのは、キングサイズのベッドにごろりと横に転がった、巨大な虫だった。
焦げ茶色のなんとも硬そうな口に、白く弾力のある、大きく膨らんだ柔らかそうな胴体。全身を包み込んでいる微量の毛。臀部は内部が黒くなっているのが外側からでも分かる。
...そう。僕は一夜にして、カブトムシの幼虫へと変貌を遂げていたのだ。
いやいやいや。そんなあっさりしていてどうするよ。
最初は冷静だったであろう僕の頭は、もうショート寸前まで追い込まれていた。
今映っているのはきっと幻覚だ。だってありえないだろう、常識的には考えて。
僕はもぞもぞと、鏡の視線から逃れるように更にベッドの端へと逃げ込んだ。
しかしもともとベッドの端っこにいた訳なのだから、
これ以上端に寄ったらどうなるか。
そのことを考える間もなく、僕はベッドから転がり落ちた。
ドスン!
巨大なサンドバッグを落としたかのような、ものすごい音が部屋に響き渡った。
何が起こったのか分からない。
混乱して呆然と部屋の床を見つめる僕の耳に、
1階から誰かが上がってくる音が聞こえた。
ほどなくドアをノックされる。
何事だという母さんの問いに答えることが出来ない僕は、
無常にも、ただ開いていくドアを見つめることしか出来なかった。




