(2) 沈黙の滞在④
WR中国地下研究所
「わが国の軍事力を持ってすれば日本など即座に領地ごと消し去ることが可能だ」
「しかし、我々は日本から技術指導に来てもらっていますし、今の会話が組織内のどこかで聞かれていたら、私たちの立場が抹消されてしまいます」
「同じ組織内での争いに関する規則をいっておるのか」
「そうです。我々も一国も早く新人類を誕生させることが今現在の課題なのです」
「リーよ、お前の言うとおりだ」
「チャン様、もしも途中で我々の策略がばれてしまえば、我々どころか、中国の研究所が米国の手に渡ることになるかもしれませんぞ」
「ここには研究所はあるが、わが弟の死によって所長は不在。中国各地から集められた優秀な人材もこの施設では能力不足。米国に渡った人材は米国の施設のなかで需要なポストについているというのに。これは我が国のやってきた政策の失敗だ。もっと早く私がこの国の上に立てていたならば、こういう事態は招くことはなかった。そして我が弟ハオが自殺に追い込まれることもなかった」
「申し訳ありません。私がもう少し早く気が付いていれば」
(実は私がこの手に掛けたのだがな)
「その事はもう良い。あの娘の誘拐もリャンミオに依頼した」
「死神リャンミオなどお使いになられてはこの国の恥を晒すようなものですぞ」
「リャンミオは」
間髪をいれず、リーが続く言葉を乗せる
「チャン様、それにこちらの命も危ない恐れが」
(まずい、これはまずいぞ。チャンも自殺に見せかけて殺そうとしていたことがばれる)
「それから、もう一つ。リーよ。お前は今日この場で退職することになった」
「な、何を言っておられるのですか、チャン様。ハオ様がいなくなったいまこそ、私がお傍にお仕えすることこそがあなたに対しての恩義」
「リーよ。なら、このことをどう説明する」
「リャンミオ、出てきてくれ」
大型培養装置の並ぶ一角の奥から1つの人影がこちらに近づいてきた。
「チャン様、お呼びでございますか」
「この男の始末はお前に任す。好きなようにしてくれ。なるべく長く生かして殺してくれ」
「チャン様、これはどういう」
その言葉の先を言う前にもう一つの人影が出てきた。
「リーよ、まさかお前が国家転覆を目論んでいるとは思っていなかったぞ。リャンミオが早く措置をしてくれなければ私はお前の思惑通りに今ここには立っていないだろうな」
「ハオ様、何故生きておられるのですか。確実に私はあなたを」
「そうだな。私は一度死んだ。死んだはずだった。しかし目の前にあるものは何だ」
目の前にならぶ大型培養装置がリーの視界全体を包み込んだ。
「ま、まさか、大型培養装置の効力を利用して」
「その通りだ。お前も知っている通り、私は試験管ベイビーだ。この装置は人体の細胞の活性化と損傷部分の蘇生も促してくれる」
ハオの生存に愕然とし、リーは体ごと、崩れ落ちた。
「リー、そういうことだ。観念するのだな」
「まだだ。まだだ。まだだ。ここで私は終わるわけにはいかない。中国のトップには私が立つのだ」
それは一瞬のことだった。
リャンミオの放ったと思われる針金のようなものがリーの足に突き刺さると、リーは意識を失い、倒れこんだ。
「チャン様、ハオ様、あとの処理はお任せください。1818の捕獲の件も承りました。吉報をお待ちください」
「よろしく頼む。それからこの度のハオの件、どれだけ礼を言っても言い足りぬが本当に良く助けてくれた。形ばかりの礼にはなるが今回の依頼の件とは別に、その倍の額をすでに振り込んでおる」
「ありがとうございます。この命を賭けましても必ずや連れてまいります」
「兄さん、イザベルさんを無理やりに連れてこなくても私がいるというのに」
「だからだ」
「兄さん、まさか」
「お前のあの娘を見る目は研究者の目をしていなかったからなあ。しかし、どの国も今はDHシステムというものの開発を急いでいる。幸いというか、この国はそのシステム開発の対象国ではない。対象国ではないが、お前とイザベルという2人の存在が組めば、話は変わる。未だ誕生を見ぬ新人類の成功も夢ではなくなる」
「しかし、今回の手段で連れてこられたとしてもイザベルさん自身が納得いかないと思いますし、この国の組織が抹消の窮地に追い込まれる可能性の方が高いと思われますが」
「心配するな。今回は無理やりにとは言ったがいつもとは作戦の意味合いが違うのだ」
「しかし、リャンミオは命を賭けてと言っていましたが」
「そうだな。これから一生を添い遂げるという意味では間違っていない」
「グノーシス(神の啓示とよばれている藤原のことを指す)に色仕掛けを使う気ですか?」
「普通の色仕掛けではない。中国最高の暗殺者死神リャンミオを派遣するのだ」
「イザベルさんの命の保証のかわりに、イザベルさんを中国に、リャンミオをグノーシスの妻にということですか」
「さすがハオだな。そういうことだ。リャンミオが日本にいる限り、イザベルの命の保証をしてやる。ただし、イザベルの身柄はこちらが握る。イザベルにも同じようなことを吹き込む。そして、その後、なるべく早めにお前とイザベルの結婚を大々的に組織内で公表するという計画だ」
「兄さん。私では無理です。イザベルさんには既に好きな人が」
「WQというもう1人の新人類のことか」
「いえ、グノーシスです。彼の方は大事な妹のようにしか思っていないようですが」
「それなら、よりいい提案ではないか。自分が嫁を娶ることによって、あの娘自身が大人の選択をするチャンスが出来るのだ」
「それにイザベルさんが惚れるぐらいだ。リャンミオでもグノーシスを虜にすることは出来ないと思います」
「その時はグノーシスを殺して、あの娘を連れ去って来いと言っておる」
「それでは我が中国の組織は」
「WRの象徴であるイザベルがこちらの手にあれば、いくら組織といえども、無闇に手出しはできない。それほどに最重要な存在なのだよ、あの娘は」
「兄さん、この案は絶対に成功を見ない。今すぐにリャンミオに中止の報を送ってください」
「この国はもう来るべきところまで来てしまっている。経済の崩壊も間逃れない。軍事大国としての脅威すら新人類の誕生により薄れてしまった」
「それは仕方ありません。コンピューター制御の現在の兵器ではすべてが新人類の制御化にされてしまいます。手持ちの核爆弾の数だけ我が国は自国を破壊するための時限爆弾を設置している状態です。それでも我が国には我が国の歴史と文化がある。進化するものだけが優位に立つとは限りません。この国が存続しているかぎりは私たちの生き方をすればいいのです」
「お前の言うとおりだハオ。この国に組織を入れてしまった私が言うのもおかしいが、この国に本来あの組織は入り込まなくても良かった。しかし、この国を守ることと引き換えに私は取引を受け入れてしまった」
「あの時は仕方ありません。国内経済の混乱の中でこの国が分断される状況下でもありました。しかし、今は違います」
「ハオ、それともう一つ、私は言い忘れていることがある。グノーシスの嫁になりたいのはリャンミオ自身なのだ。あの深く見つめる暗闇の中央に輝く光をもつ瞳にリャンミオが惚れてしまったのだ」
「あのダンスの時にですか」
「お前がイザベルに惚れたようにあの晩餐会のダンスの時にリャンミオもグノーシスに魅かれてしまったということだ」
「そうでしたか。しかし、それなら、それで正しい順序を踏んでいけば、まだその方が可能性が」
「ハオ、リャンミオは暗殺者一族に生まれた身だ。身分を隠すのは当たり前だが、一族の女の場合、告白した相手に振られたときはその口を封じなければならないのが一族の古くからの決まりだ」
「忘れていました。しかし」
「あとはリャンミオに任せてみるのだ。どういう結果になろうが、この国の誇りまでは消えはしないことをお前に改めて思い出させてもらった。しかし、お前はやはりあの娘のことが好きなのだな」
言葉なくしっかりと首を縦にして頷くハオだった。