(2) 沈黙の滞在③
「私の存在価値はない」
スミスは自分の個室でシャワーを浴びながら叫んでいる。
「生みの親であるバーバラは私の目の前で軍部に射殺され、もう1人の生みの親であるミスターワタベは私の成長を見守ることもなく、その実績を買われ、日本の所長としての地位に浮かれ、帰国していった」
渡部が日本の所長になり帰国した本当の経緯をスミスは知らなかった。
バーバラの強い推薦で渡部が日本所長に任命されたことをスミスは知らない。
「あの男だけは絶対に許さない」
バーバラ射殺当日に場面は移る
(スミス誕生後1年目)
「ミスターワタベ、スミスの成長は私の希望です。どんなことが起きようとこの子さえ生きてくれれば私は構いません」
培養装置の中で成長中のスミスを愛しそうに覗きながら、バーバラは渡部と話している。
「しかし、バーバラ。この子の成長スピードは」
「分かってます。今では組織内で呪われた子と言われているようですね。1年目でまだ少年のまま。肺の人工移植には成功したものの、呼吸の弱弱しさは少しの改善しか見られずですからね」
「組織では処分という方向で話が進んでいるらしいが本当なのか」
「九分九厘その可能性が高いです」
「それでも、この子を助けたいと思っている?のか」
「アメリカの象徴、ファーストバースとしての存在、それだけでなく今世界で一番の頭脳をもっている新人類としての誇り」
「それが今では」
「ただ肺のサイズが異常なだけで神の災いを受けた欠陥品。まだ本物の新人類ではない。世界で一番の頭脳を持っていても絶えず培養液の中で眠らなければならないということでは使い物にはならない」
「新人類というよりも、もうすでに人としても扱われていない感じだからな」
「ミスターワタベ、この子を助けることは出来ませんか。この子の本当の生みの親はあなただと私は思っています。その為にはここにいてはいけません」
「この子の親はあなただ、ミスバーバラ。私はその誕生にヒントを与えたに過ぎない」
「前々から組織には推薦しておいたのですがようやくあなたの日本所長就任が決まったみたいです」
「私に何をしろと」
「最後まであなたは私に冷めた言い方をされるのですね。あとこれが私からのお祝いです」
「最後」
その言葉の意味を渡部は勘違いしていた。
「あなたのいうことが正しいのなら、あなたの家族も培養することにより生き返りますね。この培養装置を利用すれば。それがあなたを笑顔に戻してくれるのかしら」
「いや生き返りなどあってはならない。私は自分の家族にそれを望まない。ち、違うな。私は家族を殺した張本人だからな。恨まれる事はあっても」
渡部の口元が動かなくなった。
「あなたの抱えている過去は組織の資料で読みました。しかし、あれは不運の事故としかいいようがない」
「私があんなものを作らなければ。いや、持ちかえるのをやめておけば。研究よりも家族との絆を大事にしていればあんな事は起きなかった」
「あ、あなたは自分を責めて生き続ける事で」
「そういう方法でしか自分自身を苦しめることができないと思ったからな」
「あなたがここに来た経緯もあの事に関係しているの」
「それはない。私自身が隠している真実には誰もたどり着けない。あれはただの事故として処理されているからな」
「私には話してくれた」
バーバラが微笑んだその時だった。
突如として軍部が乗り込んできたのだ。
「バーバラ所長、あなたはスミスのデータを改ざんした疑いがもたれている」
「もう気付いたの。その通りよ。あの子は本当はもっと賢い子なの」
「まさか」
渡部の脳裏にバーバラの「最後まであなたは私に冷めた言い方をされるのですね」という言葉が蘇ってきた。
「おい、待て、待ってくれ」
外部から訪れている渡部の言うことなど聞くはずはない。
組織の規則違反として、バーバラは反論の機会を与えられることもなくたった1発の銃弾にその場で倒れこんだ。
この時点での組織内の軍部の圧力と権力は強く、重要機密データの改ざんなど許されることはなく、逆らうことも許されなかった。
「どうしてお前たちは人の命をいとも簡単に殺すことが出来る」
渡部の怒りを知る由もない顔で死体の処理班を残し、後の者はそそくさと撤収しようとしていた。
「お前たちには心というものがないのか。自分の家族や友人が殺されてもその表情が出来るのか」
その答えにバーバラを撃ち殺した本人が笑いながら答えた。
「ミスターワタベ。我々が殺す事はあっても、この組織を裏切らないかぎり、殺されることはない。あなたこそ、今の自分の立場が分かっているのか。命令さえ出れば、あなたをいつでも殺せるのは私たちの方だ」
「いつまでもその立場に立っていられると思っているのか」
「今この場であなたも巻き込まれたことにして殺してもいいんだけどね」
渡部はこの時に来た5人の全員の顔を心の奥に強く強く刻み込んだ。
「処理班、ちょっと待ってくれ。最後の挨拶くらいさせてくれ」
「分かりました。5分でいいですか?私たちも軍部の下っ端なので上に睨まれると困りますのでなるべく早くお願いします」
「ありがとう」
渡部が処理班として来ていた青年の名札を見た。
スミス
「ミスターワタベ、私がこの後もし上に立てることが出来たら、こういうことは止めさせます。仲間内で討議の場所も与えられず射殺ということなどあってはならない。あなたの言葉で心の奥で感じていた苛立ちのようなものが少し楽になった気がします。私の立場が変わればいいんですね」
「その通りだ、スミス君。バーバラの死を無駄にしないで欲しい。私も日本に帰国することになってはいるが改めて、受け入れようと思う。このバーバラの最後の言葉だからな」
バーバラを強く強く抱きしめながら渡部は人目も憚らず泣き続けた。
5分だけであったはずのバーバラとの最後の別れがスミスの計らいもあり、10分を越えていたが、その後、軍部からの連絡が入り、慌ててスミスはバーバラの亡骸を移動用ベッドの上に渡部と二人でゆっくりと乗せたあと、研究所を後にした。
自分の目の前で大事な人がまた亡くなったのだが、渡部の両拳は力強く握られていた。
「立場。軍部。組織。これが世界の縮図であり、現実というのか。私は私自身を許すことが出来ないが、この現実世界というものはそれを越えて許すことが出来ない」
ポケットから見え隠れしていたバーナラのお祝いと渡された日本の着物柄の便箋の中身が気になり徐に開けてみることにした。
そこには思いもよらぬことが書かれていた。
渡部自身も本心は同じ事を感じていたのかもしれない。
親愛なる渡部さま
私は気付けば、あなたのことを好きになっていました。
こういうことを書くのはあなたと同じく苦手なので上の1行に留めます。
もちろん、母親がわりとして、スミスのことはあなた以上に大切に思っていますが
あなたの抱え込んでいる深い傷についてあなたが話してくれたことは嬉しかった
そして、それでもあなたが生き続けていることを考えると涙が止まりませんでした
もちろん、あなたの前では泣きませんでしたが
あの時、私より大きなあなたの体を精一杯抱きしめた時のぬくもり
あなたというものが私よりも小さく、か弱い人間に感じれたことは
あの夜以来、ずっと忘れることは出来ませんでした
私にはあなたの事もスミスの事も守れる強さがありません
これから私がしようとしていることもあなたの傷をより深くさせるかもしれません
あなたにとって、私がそういう存在であるならの仮定で書いているわけですが
スミスのデータ改ざんは私がわざとやりました。
そのことで軍部が私の処分をどのようにするかは理解できています
それでも、スミスという私の息子の命の延長を考えるとそれ以外に方法がなかった
自分の息子を守るために一生に一度の下手な演技を見ても笑わないでね
その事であなたとスミスを悲しませる結果となるかもしれませんが許してください
研究所でのあなたとの毎日のやりとりは私にとっての青春でした
日本ではこういう時間を青春というらしいですね
私の母親は仕事に夢中になり多忙すぎて青春というものを知らないと言っていましたが
バーバラには是非経験してほしいと微笑みながら話していたことを
思い出しました
最後になりますが、スミスにある赤い痣の原因と処置方法を見つけてください。
最後の最後までお願いばかりでごめんなさい。
愛していました。
バーバラより
この手紙の存在を知るものはいない。
渡部はすぐにこの手紙を燃やしてしまった。
自分の心の中に強く強く閉じ込めたといっていいだろう。
この後、スミスの成長とともにデータの改ざんどおりの成長をスミスは見せた。
渡部はこの事件の後、日本に帰国し、日本の所長に就任することになった。
悪化の一途を辿っているスミスのもつ赤い痣について、個人的な調査という名目でイザベルにも調べさせてはいるが現在でも解明には至っていない。
そして、バーバラの遺体の処理をしたもう1人のスミスは現在渡部の研究所の一員である。
自らの警備人員として渡部が引き抜いて日本に連れ帰ってきたのだった。
バーバラの亡骸は母親のいる日本の地に静かに埋葬された。
渡部は時間のあるときを見計らっては自分の家族とバーバラの墓を訪れている。
バーバラは組織によって射殺されたが組織内の詳細なデータには、組織の壊滅を狙うものが研究所に進入し、渡部に向けられた銃口にバーバラ自ら飛び込み、撃ち殺されたことになっている。
培養液の中にいたスミスはこの事件を見ることはなかったが詳細なデータが位置する場所は自分の目の前を表示していたのだ。
渡部自身も重い口を開くことはなかった。
それがスミスのためでもあると思ったからだ。
自分を憎むことでスミス自身の生きる糧になればいいとも思っていた。
バーバラの願いは未だ叶わずもスミスの痣の研究も継続中だ。
これが渡部という人物を日本の所長にさせた事件であり
スミスが5年の歳月を経ても培養液の中で自分の進化を促そうとしている理由である。