(2) 沈黙の滞在⑤
リャンミオの来日とともに、藤原にリャンミオから電話が入った。
「藤原さん、私です。分かりますか?」
「いえ、分かりません。どなたでしょうか?」
次世代型小型タブレットを片耳に当てながら、研究所の誰かのいたずらであるか勘ぐってはみたが見当がつかなかった。
「藤原さん、今話しているのはムーブですか?」
「そうです。ムーブです」
「それならDMモードを切り替えてお話しましょう」
「分かりました。少し待ってください」
DMと呼ばれるモードに切り替えた。
このタブレットは2段階の折り曲げでサングラス状に変形でき、サングラスの中には今話している相手の映像が映る。
サングラスとして使用するときは搭載のカメラは使えない。
相手位置の特定と認証が確認できると地球の軌道上にある次世代衛生カメラが本人の特定をし、その映像が相手のサングラスに映る仕組みになっている。
この組織では通常通信装置となっている。
「もしかして、あの時の」
「中国のリャンミオです。今日から休暇を取って日本に遊びに来ました」
「この時期に日本に来るとは中国も。あっ、そうでした。中国はDH開発対象外国でしたね」
「はい。他の国は大変でしょうが。日本はお二人で開発されておられるとか」
「イザベルと二人でやっていますが役割は別々なので、暇な時は暇を持て余してるくらいです」
しまったと思ったときには遅かったと藤原は思ったがすでに時遅し。
「それは良いことをお聞きました。それではお時間のある時に藤原さんに日本を案内して頂きたい」
「暇といっても、日本中を案内というわけにはいきませんが」
「日本には渡部さんも居られますし、渡部さんに交渉して、藤原さんの休暇願いを出して頂こうかしら」
リャンミオの口調が少し変化したことに藤原は気付いた。
「あなたはやっぱり」
「あの時、気付いていたのでしょう」
「あの時は不確かではありましたがリャンミオさんの言葉で、今、確信に変わりました」
「それでは、ご案内していただけますよね」
「分かりました。渡部さんに休暇願いを出せないか交渉してみます」
「良いお返事をお待ちしております。それと、私の休暇期間は無期限ということになっています」
「そういうことですか。確実に休暇を取るのでイザベルの方には」
「ご理解いただけたのならいつまでもお待ちしておりますが、あまりにもお返事が遅いと」
「なるべく、早くご連絡できるように努力します」
「それでしたら、私も今のところは行動を起こすことは控えることにします」
「それでは後ほど」
「楽しみにしております」
藤原からするとリャンミオの思惑に気付いた時点で交渉の余地は残されていなかった。
リャンミオからすると藤原に会いたい一心は抑えて、相手に有無を言わせないための交渉術を使ったと言っていい。
あの時とは日中交流晩餐会のダンスの時だった。
場面をその晩餐会に巻き戻してみる。
「イザベル、みなさんがお前と踊りたいと言っておられるよ」
「わたくしは、このままお兄様のお隣で同じようにゆっくり休んでいたいのです」
「俺は誘われることもないし、こういう場所に来ると、いつもよりゆっくり出来るからいいがお前は本日の主役だぞ。自分の仕事は全うしないと」
「いえ、遠慮させていただきます」
「俺に言われてもなあ。交流なんだから少しぐらいは踊ってこないと」
「いいえ、このままここにいます」
その時イザベルに今日のもう1人の主役、組織の中で中国の龍才児と言われるハオが声を掛けてきた。
「イザベルさん、僕と少し踊っていただけませんか」
「おっ、君は確かハオ君だったね。いいよ、いいよ、強引に連れて行ってくれ。本日の主役の2人が踊れば、この晩餐会の場は和むしね。イザベルも少し踊って来い。ハオ君なら安心だろう」
「分かりました」
ハオの差し出す手に恥ずかしそうにイザベルは手を差し出し、ダンスの場に2人の姿が消えていった。
その後すぐの事だった。
「藤原さんですよね」
「はい、そうですが」
「ハオ様のお目付け役をしております。リャンミオと申します。あのお二人も仲良く踊っておられますし、私たちも踊りませんか」
「あなたみたいな綺麗な人のお誘いとあらば」
「では、行きましょう」
この時の指先の硬さに藤原は違和感を感じていた。
(この指先、細いのに何故この様なものが出来ているのだろう)
それを察したかのようにリャンミオがわざとらしく手を離してしまった。
「お恥ずかしいですが趣味でギターを弾いておりまして」
「しかし、右手」
「藤原さんの洞察力はすばらしいですね。そうです、左利きなので右の指先で弦を押さえますので、右の指先がこんな風に」
「こちらこそ、女性に恥ずかしい思いをさせてしまい、申し訳ない」
藤原はしまったと思いながら、頭を下げてすぐに謝った。
「改めて、こんな私でも踊っていただけますか?」
「こちらこそ、改めてよろしくお願いします」
しかし、何故か、藤原はその違和感から抜け出せずにいた。
その途中でイザベルとハオとすれ違う時にイザベルからのムーシンパシィが来た。
(お兄様、お美しい方と踊っておられますね)
(イザベル、これは違うんだよ。どうしてもと誘われて、誘いを断るのも悪いだろう)
(こういう場でないとゆっくりする機会がないというから私はお誘いしませんでしたのに)
(それにこの女性、少し気になるところがあるんだ)
(お綺麗ですから、お気になるお気持ちも分からなくはありませんが)
(そういうことじゃない。分からないか)
(わたくしは何も感じませんが。お兄様の気のせいではないのですか。それともわたくしへの言い訳をされているのですか)
(そんなわけないだろう。しかし、それが何なのか、まだ分からないし、お前の言うとおり、ただの気のせいかもしれない)
(お兄様、そろそろ切りますよ)
(分かった。お前、ハオ君とお似合いだな)
(そんなことはありません。ハオ様には申し訳ありませんがお兄様の代わりをしていただいているだけです)
(まあ、そう怒るな。日中スタッフともにお前たちの仲のいい姿にいい雰囲気を作り出しているみたいだ)
(今日はそれもお仕事だと言われましたので、日本帰国後のご褒美を楽しみにしております)
(分かった分かった)
このムーシンパシィの会話中、ハオはイザベルの心ここにあらずのような表情が不思議に見えていた。
それはリャンミオも同じだったが、その原因については分からなかった。
「藤原さん、心ここにあらずという顔をされていましたがどうかされましたか?」
「いえいえ、ハオ君とイザベルが仲良く踊ってくれているかなと少し考えていました」
「私よりも妹さんの方が気になるのですね」
「日中の友好のためにも2人が仲良く踊っているのか、気になっていたんですよ」
「私に言い訳は必要ありませんよ。それと、踊っていただいてありがとうございました」
「そろそろ終わりですね。人生で初めてリャンミオさんのような美女と有意義な時間を過ごせることができました」
「私の方こそ。ずっと座っておられたのにダンスのうまい方とは思いませんでしたので驚きました」
「昔、嗜む程度には教室に通いまして。あっ、それから今度お会いするときはギターの方もぜひ聞かせてください」
(本当は時間のある時に晩餐会のダンスの練習のためにとイザベルにせがまれ、うまくなってしまっただけだとは口が裂けてもいえない。イザベルもこれほど、うまくなる必要があったのか、今にして思えば、疑問が残る)
「分かりました。今度お会いする機会には、ぜひ、聞いてください」
(ばれてはいないと思うが、ギターを覚えることになってしまうとは)
「それでは、リャンミオさん、またお会いする機会に」
「はい」
2人は最後に両手でがっちりと握手をして別れた。
藤原は改めて、左の指先と右の指先の硬さを比べていた。
この時、一瞬だが、藤原の瞳の色が輝いたように見えたが、それは自分の錯覚だとリャンミオは自分に言い聞かせた。
それよりも今、自分の手に残る藤原の手のひらのぬくもりがリャンミオの全身を駆け巡っているような感覚に捉われている自分自身に戸惑っていた。
「ハオ様、申し訳ありません。イザベルさまの片腕といわれる男の秘密は何一つ掴めませんでした」
「いいんだよ、リャンミオ。それにお前はもう暗殺者ではなく、僕のボディーガードなのだから、兄に何を頼まれたのかは知らないが、そのことを忘れないように」
「申し訳ありません」
「それより、リャンミオ。お前、顔が赤いみたいだ。熱があるなら、薬を飲んで早く寝た方がいい」
「そんなことは」
自分の頬を触って確認してみるがやはり少し熱かった。
「今日は少し早めに休ませていただきます。代わりのものを数十名、マオさまのお近くに配置しておきますので何かありましたらすぐにあのボタンでお呼びください」
「分かった」




