いつまでも君が好きな人
引き出しの中には見たくないのに捨てられないものが溜まっていく。
督促状、土産にもらった知らない街の絵葉書、昔の女の写真、出しそびれたラブレター。
三十歳になってから高校の同窓会に出向く男女の割合はどれくらいのものだろうか。全国平均がどれほどか知らないが、早川町は確実のその平均を引き上げる役割を担っている。大都市から離れ、顔見知りの営業するスナックと国道沿いのパチンコ以外に娯楽がないこの町では同窓会は貴重な晴れの舞台だ。
役場前の旅館の宴会場は、一年の三分の一はこうした催しで埋まっている。残りの三分の一は商工会や青年会の会合で、最後の三分の一は結婚式か法事が行われているはずだ。
森幹太はその宴会場の壁に寄りかかっていた。
高校時代と比べて太った、禿げた、窶れた青年たちに混じって奇跡のように変わらない若々しい顔がちらほらと見える。客観的に見れば幹太も若い方に分類されるだろう。客商売の自営業は上から押さえつけられないからか、見習う大人がそうだからか、とにかく人を若く留めさせる。それは客の入らないバーを営む幹太にも当てはまっているというわけだ。
幹太は誰ともろくに話をせずに、じっと一つところを見つめている。笑い合う女達の輪の中。安いワンピースや、年齢に釣り合わないミニスカートの女に混じって、場違いに仕立てのいいスーツを着ている女を見ている。短すぎるショートヘアーのおかげで細い首筋と鋭い顎のラインが剥き出しになっている。幹太だけが知っていたはずの耳朶の裏の小さなほくろさえ暴かれてしまいそうに見えた。
幹太は柔らかな白いうなじを思い返した。
「幹太」
寄ってきたのは多野仁だった。仁は日本男性の平均的な身長である幹太より頭一つも背が高い。横幅もそれに相応しく立派な体格だ。磨けば光るその肉体も冴えない白いポロシャツとグレーのパンツのせいで固太りの中年と大して変わらないように見える。
幹太は軽く片手を上げて挨拶を返した。
「幹太、なあ、聞いたか? 栞、春にはこっちに戻ってくるって」
いつもは無駄に大きな声を精いっぱい潜めた仁は、緊張した面持ちだ。
「へえ。そう」
「なんだよ、澄ましちゃって。嬉しくないのかよ?」
仁は幹太の隣で壁に背を預けた。
「あいつに憧れてたのはお前の方だろ」
高校時代、仁はずっと栞を目で追っていた。幼馴染の幹太は仁のために遠回りして栞と同じ通学路を使ったり、部活中の栞が良く見える場所に何時間もつきあったりしたものだ。そのくせこの小心者は告白することもできずに高校を卒業し、二人は遠いところにある別々の大学へ進学した。
栞は仁の甘酸っぱい初恋の人。
「でも、栞と付き合ってたのは幹太だろ」
「あん?」
仁は眉を八の字にして、申し訳なさそうに幹太を見下ろした。
「俺に気を使って隠してくれてたのかもしれないけど、こんな小さな町じゃあさ」
こんな小さくて娯楽の少ない町で、隠し事などし通せるはずがない。どこにでも住人の人目があって、たいていの場合、彼らは新しい情報に飢えている。
それは幹太にも十分に身に覚えのあることだ。
幹太はちらりと仁の顔を見たきり、また先ほどのショートカットの女の方へ目を向けた。仁もつられるように彼女を見つめる。談笑する女たちの輪の中で、彼女は特別に美しかった。
「……付き合ってなんか、なかった」
仁は幹太を振り返る。
「でも、俺」
「俺とあいつの間には、何もない」
幹太は強い口調で繰り返した。その腕を仁の手が掴み、自分へと向き直らせる。
「じゃあ、どうしてこの町を出て行かないんだよ。こんな寂れた町、幹太には全然似合わない。自分だって分かってるだろ? 幹太の店はカッコいいけど、ここじゃ流行らないって。栞を待ってたんじゃないのかよ」
「おお、どうせ流行ってねえよ。心配してくれんなら、せめてお前はしっかり通って飲んでくれよ。引っ越そうにも元手ってやつがいるんだ。若い奴らがたくさんいる町は、どこだってここよりはお高いんだぜ?」
おどける幹太に、仁は食い下がる。
「どうしてちゃんとした恋人を作らないんだよ。お見合いだって断ってるだろ? 昔からあれだけモテたんだ。これまでにいくらだってチャンスはあったはずだろ?」
幹太は仁の分厚い胸を拳で小突いた。
「見合いを断ってるのはお前だろ」
仁が言葉に詰まる。
「昔はヤンチャがちやほやされたこともあったけどな、いいか、お前。年を取れば周りの見る目も変わる。遊び相手じゃなくて結婚相手を探そうと思ったら、俺よりもお前の方がずっと優良物件だ。役場勤めで仕事は安定。人柄は温厚。おまけに、いまでも母校の野球部の練習を手伝いにいくスポーツマンときた。それでも、お前もまだ結婚してないよな? 決まった女もいない」
幹太はひたりと仁を見た。
「お前が、あいつを待ってたんだろ」
幹太は、親指でショートヘアーの女を示した。
仁は口を堅く結んで答えない。それが仁の答えだ。
栞は甘酸っぱい初恋の人で、仁はもう十四年も初恋をこじらせている。
「もう余計な心配すんなよ」
幹太は仁の大きな背中をぐいと押した。
「今度こそ、しっかり告白して振られて来いよ。店に来たら、ちゃんと慰めてやっから」
その日から仁が幹太のバーを訪れることはなく、幹太は貴重な得意客を一人失った。
ある日、一通の手紙が届く。差出人は多野仁と野瀬栞。
「遅えんだよ。二人とも」
幹太は封を切ることもせずに、それを引き出しにしまった。
あらすじをきちんと書くと、本文を読む意味が無くなってしまうくらいの短編なので思わせぶりなあらすじにしてしまいました。すみません。