表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

つよさ

作者: あくた咲希

 ぼくには、十さい年のはなれたねえさんがいる。ねえさんは大学生で、とうさんの知り合いの娘だ。今年の春から、ぼくの家にいそうろうしている。ぼくは女の人と話すのは慣れていなかったし、学校の友達にはからかわれるしで、はじめは、ねえさんのことがきらいだった。でも、もう半年もいっしょの家に住んでいるので、今ではぼくたちは、ほんとうのきょうだいのように仲良くなっていた。


 あつかった夏がすぎ、秋がはじまった。きのうまでほとんど毎日、朝から晩までバイトにあけくれていたねえさんも、きょうからいっしょにごはんを食べるようになった。ひさしぶりに手作りのハンバーグをほおばって、ぼくは、やけにきもちがふわふわしていた。

「大学生って、夏休みが長くていいなぁ。ぼくも早く大学生になりたい。そんで、バイトとか、旅とか、いろんなことするんだ」

 ぼくがうらやましがると、

圭介(けいすけ)みたいに、さいごになってあわてて宿題をしているようじゃ、いくら休みが長くってたって有意義に過ごせないわよ。いまのまま大学生になってもだめね」

 などと、ねえさんはきびしいことをいう。その横で、とうさんが笑いをこらえきれずに、ごつい肩をゆすっている。

「そうだぞ、圭介。いちごちゃんがうちにいるあいだに、しっかり鍛えられておけよ」

「ぼくが計画だおれなのは、とうさんに似たんだ。けっきょく、夏休みにディズニーランドに連れてってくれなかったじゃないか」

「しかたないだろ。仕事がはいったんだから」

 とうさんはちっともわるびれないで、白い泡のたったビールをぐびぐびのんだ。そんなふうに家族より仕事を優先させていたから、かあさんに逃げられたことをぼくは知っている。まぁぼくは、そんなとうさんでも、ぼくをおいていったかあさんより、好きだけど。

「来年こそは連れていってよね。ねえさんもいっしょに行こうよね」

「そうね」

 ゆでたまごのカラをむきながら、ねえさんはみじかくこたえた。白身に塩をふって、大きな口でかぶりつく。けっこう美人なほうだと思うのだけど、豪快だ。……「いちご」なんて、ふきだすぐらいにかわいい名前をしているのに。

 夕飯のあとかたづけを手伝って、ぼくは居間のソファにごろんとねころがった。とうさんはまだ食卓でビールをのんでいる。ねえさんは枝豆をゆでているようだ。

 台所のふたりがなんだか夫婦のように見えて、ちょっとだけ、へんなきもちになった。

「……ぼく、もうねる」

「もう? おふろ、わいてるわよ」

「きょうはいい」

「足ぐらい洗いなさいって」

 はみがきと、ねえさんがうるさいので足にお湯をかけるだけして、二階へあがった。部屋の窓があいていて、涼しい風がひっきりなしにふきこんでいる。せわしなく揺れるカーテンがあたったのか、机においてあった写真たてが、うつぶせになって床に落ちていた。

 ひろいあげると、ぼくと、とうさんと、ねえさんがまぶしそうに笑っていた。そうだ、ディズニーランドには行けなかったけど、三人でハイキングには出かけたのだった。ねえさんはものしりで、鳥の名前や、虫やとかげ、植物など、たくさんのことを教えてくれた。

 ぼくはベッドにねころんで、本棚からひっぱりだした図鑑をひらいてみた。見たことのある生き物には、蛍光ペンでまるをつけている。まだまだ知らない生き物のほうが多い。ねえさんは、どのくらい知っているのだろう。

 くしゃみがでた。半袖シャツでは寒い。着替えるのはもうめんどうで、ぼくはあたままでタオルケットをかぶって、目をとじた。


 次の日の学校帰り、ぼくは仲間と寄り道をしていた。ちょっと歩いたところに、溝と、小さな神社があるのだ。町内の案内がてら、ねえさんを連れてきたこともある。ざりがにや虫や魚の宝庫で、たまらなく魅力的な場所だ。ここにはいちおうルールというものがあって、六年生でいちばんつよい男子が代々、この狩場のリーダーを受け継いでいる。ぼくらはまだ三年生なので、上級生がいないときをみはからって、こっそり遊んでいるのだった。夏にさんざんやったざりがに釣りには飽きていたので、きょうはかくれ鬼をしていた。

 ふるびた手水石(ちょうずいし)のかげに身をひそめていると、そばでかさかさと音がした。細長いナイフに似た草のしげみから、一匹のへびが姿をあらわした。ぼくは悲鳴をのみこみ、息をとめた。へびは、ぼくなど気にもとめないようすで、すすすすす、と風化した敷石のうえを這ってゆく。かるく一メートルはあろうかという、おなかは白くて背中は茶色っぽい、立派なへびだった。ぼくはおもわず見とれた。

「へびがいるぞ!」

 だれかが唐突に叫んだ。隠れたところから、みんながわらわらと出てきた。ぼくも、なにかに背中を押されるようにして前に出た。四方八方を取り囲まれたへびは、這うのをやめて、首をもたげて、うねうねと動いている。

 ぼくらは、めったにお目にかかれない大物に、すっかりこころを奪われていた。このときはたしかに、ぼくらには、自然を畏怖するきもちがあふれていたはずだった。なのに。

 ひとりが棒きれをもちだしてきて、へびをたたいた。それが、はじまりだった。ぼくがぽかんとしているあいだに、みんなわれさきにと神社の階段にたてかけてあった竹ぼうきや、石ころなんかで、へびを攻撃していった。

「な、なにしてんのさ。へび、死んじゃうよ!」

 ぼくは、やっと声をあげた。すると、

「退治して、六年生に見せつけてやろうぜ」

「そしたら、おれらのことガキ扱いして、ばかにできないよな」

 ものすごく高揚した顔と声で、みんな口々にいった。とっさにはついていけないぼくを、弱虫などといって笑う。

「おい、そっちにいったぞ圭介!」

 せっつかれて、ぼくは手水のひしゃくをつかんだ。でも、へびに威嚇されて、ふるえあがってしまった。黒い、宝石のような目に射すくめられた。先のわれた赤い舌が、こちらにまで届きそうに思えた。

(こんなこと、やめようよ)

 のどもとまで出てくるけど、声にならない。

 ぼくが必死になっているうちに、だれかが投げた石が、へびの頭にヒットした。へびは、ぱたりと地面にふした。まだ、動いている。

 ――とどめをさせ。おれたちの勝ちだ。

 ぼくは、ひしゃくをもったまま両腕で顔をおおった。そのときだ。

「なにしてるの、あんたたち!」

 きこえてきたのは、天をつんざくような怒声だった。声をふりかえると、くずれかけた鳥居の下に立っていたのは……ねえさん。ねえさんは大またでつかつかとやってきて、赤い血をながすへびを素手でつかんだ。

 みんなが息をのみ、どよめいた。

「よってたかって、へびいじめ? このへびが、なにかしたの?」

 迫力のあるねえさんの追及に、みんながぼそぼそと答えるのを、ぼくはちぢこまってきいていた。できれば、ねえさんの視界に入らないようにと祈りながら。

「ふん。へびにさわれもしないくせに、上級生を見返してやろうって? 死んだへびを見せて、なにを自慢しようっていうの」

 ねえさんの言葉に、反論しようとしたやつもいた。でも、けっきょく、きまりの悪い顔で、ぶつぶついいながら帰っていった。

 ぼくはおろおろしているうちに、ねえさんのするどい視線につかまってしまった。

「圭介。あんたも、やったの」

 ねえさんの両手にのせられた、だらんとしっぽをたれたへびが、ふとい鞭のように見えた。ぼくは、にぎっていたひしゃくをとり落とした。かつん、と乾いた音がして、ねえさんの足もとにころがっていった。

「……ぼくは、やってない……」

 しぼりだした声は、われながら、ひどくみっともなかった。ねえさんは怒ったような、かなしいような、黒く濡れた目をふせて、へびをしげみの中におろした。

「へびは、つよい。息をふきかえせばいいね」

 ねえさんはそれだけいうと、ぼくをおいて、行ってしまった。


 秋がふかまり、日中でも半袖ではいられなくなったころ、ねえさんはお金がたまったといって、ぼくの家をでていった。

「もう、会えない? ディズニーランド、いっしょに行けない?」

 とりすがったぼくに、ねえさんは、

「圭介しだい、かな」

 困ったように口の端をゆがめて笑って、背を向けた。そのうしろ姿が、むかしの記憶のなかにある、かあさんとだぶって見えた。

 でも、なぜだか少しだけ、近く感じられた。


 それから月日が過ぎて、六年生になり、ぼくは例の遊び場をゆずりうけた。とうさんのすすめもあり、空手をはじめたせいで、からだはずいぶんたくましくなっていた。

 ひとり、境内で型の稽古をしていると、手水石のかげからへびが一匹、顔をのぞかせた。すすすすす、と這い出てきたからだは、ゆうに二メートルはこえている。

 ぼくはへびを見つめ、へびも、じっと二つの黒い宝石を向けてきた。赤い舌が、ちろりと宙をひとなめする。

 三年前の光景が強烈によみがえった。背すじがぞわりとした。見かけほどにはたくましくないこころを、いやでも思い知らされる。

 ぼくは、かつてねえさんが見せたような、あのつよさを備えたいと願ってやまない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ