2.入社
「はい、採用。明日からよろしくね」
「はっや」
気合を入れた自身のスーツ姿に意味があったのか、と。早起きして作り上げた自身の顔も、ぽかんと開いた口で台無しではなかろうか。
成人式でも使えるように、と買った一張羅なのだが、ようやく二度目の活躍の場となったのに、機能した時間はカップ麺が出来るよりも早かったのではないか。カップ麺とは比べるまでもない高価なスーツの効力が、カップ麺よりも短い時間で終わるとか、なんかもう、涙がちょちょぎれそうです。
会社の入ったビルに到着して、エレベーターに載ってフロアにたどり着く。そして扉が空いてすぐの、その言葉なのだから。
「社長、流石に早すぎないっすか?」
もっと言って、と目で訴える。
羨ましいことに、彼の格好はパーカーにジーンズといったラフな格好だった。私が総菜店を手伝い出したことで未生まれた最大の利点は、ラフな格好で充分だということにあると思う。それくらい、お硬い格好が嫌いなのに。
よく見れば社長もよく似た格好をしていて、更によく見ればパーカーに企業名がプリントされているのが分かる。これがこの会社のユニフォームなのだろうか。
社長はパーカーを見つめる視線に気が付き、そのロゴをアピールしている。少しブカブカとしていて、彼の線の細さが目立つようだった。雪斗のほうが筋肉がありそうだ。
「いや、だって想像していたよりも美人だったから……、という発言は、今の御時世に良くないな。単に、雪斗の連れてきた人なら信用できる、というだけさ。あ、履歴書は預かるよ」
「あ、はい」
「おー、写真写りもいいねー」
「社長」
「あ、こういう発言も駄目か。いやー、この会社は温室だから。悪いね」
「いえ、迷惑な客はよく居ますから」
「……結構、気が強い?」
「感じたとおりです」
失敬な。と雪斗を睨むが、どこ吹く風を体現するかのように口笛を吹いている。その姿に思わず抱えたダウンジャケットを投げつけたくなった。慣れないヒールで踏みつけてみるか? それで折れても嫌だしなぁ、と考えを改め、実行には移さないけれど。
もちろん、折れる折れないはヒールの話である。雪斗の履く靴は頑丈そうで、私の攻撃はアピール以上の効果は表れなさそうだから。
「ははっ、仲がいいねぇ。そうだ、ついでにオフィスでも見学していくかい? あとの諸々は雪斗に任せてあるし、この後は、ゲームを遊ぶための端末を支給するくらいしかやることがないけど」
「ここに通う必要って、あります?」
「ないね。基本的に、会議やなんやらはゲーム内でもできるから。オフィスは僕の城のようなものだね。あ、そう言えばまだ名乗っていなかったか。鴨三田、鴨三田一だ。よろしくね」
握手をして、彼の案内で社長室へと向う。オフィスには幾つものパソコンが並んでいたが、向き合っているのは二人しかいなかった。目が合った一人に頭を下げると、笑顔で手を振ってくれる。アイドルのような、愛嬌のある笑顔が特徴的な男性だった。
「あいつはまだ学生。講義サボってこっちにいるんだよ」
雪斗の解説が聞こえたのか、その笑顔が引きつっている。私には当然経験がないのだが、単位に余裕がないのかもしれない。
社長室は左側の壁一面が本棚となっており、ファンタジーを題材とした小説が数多く置かれていた。興味を引くものも目に付いたが、流石に場は弁えているつもりであるため、ほいほいと本棚に近寄ったりはしない。
テーブルの上に置かれた、ヘッドフォンとゴーグルが一体となったような装置の説明に耳を傾けた。
「これが端末。一般的なモデルだけど、持ってる? 持ってないか。それならちょうど良かった。うちのゲームしかインストール出来ないように設定されてるから、個人用のものとは使い分けて欲しかったからね」
「ただで貰えるんなら、これほど嬉しいものはないですね。へぇ、これが今どきのゲーム機ってやつですね」
手に持ってみると、思ったよりも重くない。素材のせいだろうか。昔懐かしの玩具のように、肉抜きして軽くしているとか? 子供の頃のことを思い出して、思わず笑い出しそうになった顔を引き締める。
あの頃のレースでは、雪斗は負けてばかりだった。軽すぎてよくコースアウトをしていたから。重くても確実にゴールできること。それ徹した私は、まぁ、ほどほどだった。
「そう。バッテリーを内蔵しているから、充電でもいいし、コードを繋げても遊べる。あ、コードを繋げている時は気を付けてね」
コントのような光景を想像して、三人で笑った。
「端末内で操作できる専用のショッピングサイトなんかもあって、購入したデータをゲーム内で楽しめる機能もあるよ。例えば……、服を買って着てみたり、本を買って読んでみたり」
「あ、本も読めるんですね。そういう機能に制限は掛かってます?」
「好きに使っていいよ。ただし、経費では一切落ちない」
「それは残念」
浮かべた笑みから、彼には冗談のように伝わっているだろう。けれど、半分くらいは本気で残念がっている。人の金で何かをするという行為は、やはり気分が踊るものもあるのだろう。古本屋でプレゼントを強請ろうか、そう下心が湧いて出た。
「設定は分かる?」
「いやー、この手の機械はちょっと苦手ですかね」
「あ、俺がこいつを送りがてら手伝うんで」
「そう。じゃあ、これはこのまま持っていっていいよ。紙袋は必要? あぁ、パーカーもあげなきゃか。サイズは……、ちょっと失礼」
そう言って、鴨三田は部屋を出ていく。戻ってきた彼は、オフィスで見かけた女性を連れていた。
「はい、男は一応出ておこうか。瀬名さん、よろしく」
出ていくと、瀬名と呼ばれた女性は抱えていたフィルムに包まれたパーカーをテーブルの上に置き始めた。
「瀬名カレンです。このロゴのデザインなんかも考えたんですよ」
「へぇ、そうなんだ。あ、私は熊野百花です。えっと、サイズは……」
丸みの帯びたデザインが可愛らしいと褒めながら、自分のサイズを探し当てる。夏用のTシャツもあるらしいが、それは郵送すると彼女は言った。
「因みに、ゲームするだけの仕事をどう思う?」
気になっていたことを訊いてみる。自分で話に乗っかったくせして、ちょっとばかり他人の目が気になったのだ。
「私はゲームが趣味ですから、仕事にすると嫌になりそうだなー、と」
あぁ、そういう考えもあるのか。流されるままに進んできた自分には、ちょっと寝耳に水な回答だった。
興味のない人はその仕事内容に引っかからないし、好きな人は仕事にするのに敬遠する。なるほど、道理で人が集まらないはずだ。これで雑誌に寄稿する、スポーツとして活躍を目指す等といった要素があれば違ったのだろうが、業務内容は単にゲームをするだけなのだから、不安に思う所もあるのだろう。
草野球をする仕事です。しかしプロ野球ではありません。社会人野球でもないよ。でも給料はもらえるからね。栄誉は特にないけれど。それでモチベーションが維持できるかどうか。……そういう解釈で、問題ないだろうか。
ならあの時、夢を持ったまま進学をして、小説家なり編集なりを目指していたとしたら。もしかしていたら好きだったものを楽しめなくなり、挫折していたのかもしれない。自分は自身で進む道を決めるよりも、流されたほうがうまくいくのかも。
なんだかんだ、私はきっと、運がいい。
「やっぱり、もらった給料で趣味を楽しみたいですよね。百花さんもそう思いません?」
「分かる。なんかこう、勝ち取った感がない?」
「あるー」
控えめのノックが響き、素早く連絡先を交換する。これから、その勝ち取った成果を求めに行くのだ。新たにできた友人に、その報告をしてみてもいいだろう。
「なんか嬉しそうだなぁ」
古本屋に寄った後、お洒落な喫茶店で食欲を満たしてから高速に乗った。首都高を走りながら軽く観光案内を受け、そのまま東名へ。
滅多に地元を離れない幼なじみを楽しませようとしたのだろうか、なかなか無駄の多いルートなのだろう。ガソリン大丈夫? と問い掛けると、現実を見せるなと怒られた。
「そう? なんだかんだ休みも盆暮れにしかなかったし、こんな旅行みたいのも高校の修学旅行以来かも」
「高校では沖縄だっけ。中学は京都と……」
「奈良。大阪だったら、テーマパークにでも行きたかったけどね」
「小学校では、東京で野球を見たもんな。中学でも同じようなものだと思ったら、さ」
「神社仏閣がメインだもんねぇ。映画の撮影所が結構の癒やしだったっけ。……ちょっと失礼」
「なんだよ、何撮ってるの?」
「記念のツーショット。ついでにカレンに連絡も。会社でも女性に優しいかー、って」
すぐに届いたメッセージには、「実は彼氏?」との文字。私としてはそんな気はないのだけど、彼としてはどうなのだろう。もしも――。
回答は、「本人次第」。困ったときは、バトンを放り投げておくに限る。
「あの人、一応は社長に次いで偉い人だからなー。そこは弁えておけよ」
「はいはい。てこと、あの人が私の上司?」
「いや、お前の上司は俺。仮称、クエスト攻略課の長は俺」
「おうおう、社会人経験もまだまだ浅いのに、出世したじゃん」
「だろ? まぁ、社長とは付き合い長いからなぁ」
大学入学してすぐ、ゲーム関係のサークルに入った際に先輩から紹介されたOBが鴨三田兄弟だったらしい。
仲良くなったのは他愛もない話がきっかけで、雪斗が初めて自分で買ったテレビゲームが、鴨三田兄弟にとって、とても思い入れの強いゲームだったことにある。その日は、ファミリーレストランで遅くまで話に花を咲かせたものだと、いつか電話でも話していた。
「まぁ、私よりは浅い付き合いだろうけど」
「ははっ、何を張り合ってんだよ」
「なんとなく? あ、それより海老名のサービスエリアには寄ってよ。お母さんにメロンパンを買っていきたい」
「親父さんには?」
「買ってく買ってく。でも、本人が食べるとは限らない」
パン好きの母親が人にパンを残しておく確率は、まだまだ未知数である。私も、そこには逆らわない。自分の分は、車内で食べておくのは決定事項だ。
帰宅して、端末の設定のために雪斗を部屋に案内する。高校時代からはそうそう変化はしていないが、あるとすれば部屋の中央に陣取る大きな犬、だろうか。
「この子はウーフ。まだ会ったことなかったよね」
「あ、あぁ。はじめまして」
「大人しい子だから。そんなビビらなくても大丈夫」
「び、ビビってねーよ。それより、サクッと設定を終わらせよう」
「はいはい。ウーフ、大人しくしといてね」
上目遣いで私達を眺める彼は、しばらくはそこを動きそうになかった。それに安堵を見せたのか、雪斗がため息をついたのを見逃さなかった。
「まず、スマホと端末をケーブルで繋いで、自分の写真を読み込ませる。繋ぐと専用のページに飛ぶから。一般のものだとアカウントを共有させたりするが、これは社用だからそれはなし」
「……よし、出来た」
「終わったら横になって。端末を装着すると、ゴーグルの内側と外側についたカメラで全身をスキャンしてくれるから。バイタルチェックをしてくれる機能でもあるから、なるべく平常心で」
「はいはーい」
言われたとおりにすると、ゴーグルの内側に広がる画面に自身の姿が映し出された。
「個人情報を入力する場所があるだろ? 目線で操作できるから、名前と生年月日を入力する。それで終わり」
「へぇ。結構簡単だ」
「そう。社用じゃなくても、スマホと連動させればもっと簡単。あ、通信は……」
「あ、自動で感知した。パスワードを入力すればいいの?」
「そう。自分の家の、憶えてる?」
「そんなわけない。ちょっと確認してくるわ。外しても大丈夫?」
「大丈夫」
メモを取って戻ってくると、目と目で見つめ合う奇妙な二人組。通じ合っているのだろうか。尻尾はゆらゆら動いている。嫌っている反応ではない。
「可愛いでしょ」
「おわっ、びっくりしたなぁ。いや、まぁ、かわいいけど」
「この子に会いたくなったら、いつでも来ていいよ」
「……誘ってる?」
唸りを上げたうちのボディーガードの好感度は、何気ない一言で一気に下降するらしい。




