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日本史上最大のミステリー魏志倭人伝の完全解読に挑む  作者: ひだまりのねこ


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第三十六話 百襲姫の国家戦略


 さて、そもそもなぜ百襲姫は外交に力を入れたのでしょうか?


 それは、これまで何度か書いてきましたけれど、強い倭国を創るためです。


 大陸では繰り返し覇権国家が誕生しては消えていきます。どれほど強力な軍事力を持ち、高度な技術を持っていたとしても、です。


 紀元前、大陸で王朝が崩壊し、あるいは民族が追われるたびに、彼らは「東の果ての理想郷」を目指しました。日本列島は文明の保存庫であり、最後の逃避先だったのです。


 楚、呉、越、斉、古蜀(三星堆文明)、夏、煌めくような文明の輝きは理不尽な力によって踏みにじられ滅ぼされました。

 

 日本列島は海に囲まれていたことで侵略を免れてきましたが、230年に呉が大船団を送り込んできたことで現実的な脅威と向き合うことになりました。


 数万年と言われる縄文文明は平和ゆえに大陸のような戦争に特化した文化ではありません。そして日本の母系社会というのは、安定と調和に優れますが、中央集権的な富国強兵とは相性が悪いのです。かつて世界中に存在していた母系社会が滅んだ理由がそれです。母系は共存共栄には向きますが、弱肉強食の父系世界では生き残れなかったのです。


 百襲姫が実現を急いだのは、大陸からの侵略にも対抗できるだけの強い国家を創る必要性を理解していたからです。 


 倭国連合は、対等な諸国の上に巫女王が立つという母系社会特有の構造を持っていますが、百襲姫のように優れたリーダーがいなければ機能しません。


 百襲姫は、日本という母系社会に男系的な中央集権国家を創りだすという至上命題を達成するために大陸との外交を展開したのです。


 

 ここで前回の話に戻ります。


 247年の狗奴国問題と魏の使節団の派遣の裏に隠された本当の目的とは一体何でしょうか?


 もちろんどこにも書かれてはいませんが、それを炙り出す方法はあります。卑弥呼以前と、卑弥呼後の倭国を比べてみればいいのです。そこに答えが隠されています。


 わかりましたか?


 一つ目は前方後円墳の出現と大和国家の成立です。


 もう一つは――――


 馬です。


 つまり、卑弥呼が大陸との外交で手に入れたものとは――――


 巨大な建造物を創る土木技術と、中央集権的な国家の設計図、馬、そして馬関連技術です。


 これだけじゃピンとこないですよね?


 隠れているキーワードは高句麗です。


 245年、魏は高句麗を破り大量の捕虜が発生しました。


 何時の時代も戦争捕虜というのは扱いが難しく負担が非常に大きいものです。魏は高句麗の支配地域を空白地帯にしましたが、直接治めることはしませんでした。あまりに本国から遠く統治コストが合わなかったからです。


 魏にとって高句麗の捕虜はコストがかかる上に反乱のリスクがあり厄介なだけでしたが、倭国にとって高句麗の人材は非常に魅力的でした。


 高句麗は北方の軍事大国でアジア有数の騎馬戦力を持ちながら、山岳地帯を本拠地としており、山岳土木技術の水準は最高レベルに達していました。国土の大半を山が占め、馬がいない倭国にとっては喉から手が出るほど欲しいものです。


 243年に倭国が大規模な使節団を派遣していたのは、魏の高句麗遠征を支援するためだったと考えますが、事前に捕虜の引き渡しを協議していたのではないでしょうか。魏にとっても厄介者を海の向こうへ遠ざけることが出来ますし、倭国は欲しい技術が手に入るので互いにウインウインな取引です。

 

 245年に難升米が帯方郡に居たのも、高句麗捕虜を受け入れるためと考えれば自然ですし、247年に王頎が帯方郡太守に着任しましたが、彼は高句麗遠征の英雄で王を地の果てまで追い詰めた将軍です。その彼がなぜ帯方郡太守となったのか? 高句麗戦の責任者として捕虜の移送と倭国への引き渡しをしたと考えれば筋が通ります。狗奴国問題は、あくまで人員を倭国へ送るための大義名分であったのではないでしょうか。


 倭国へ派遣された張政らは、19年という長期任務、卑弥呼の死後帰国したことから考えて、高句麗捕虜の移送と監視、そして卑弥呼から依頼された大規模プロジェクトへの協力・アドバイザーであったと考えます。


 大規模プロジェクトとは前方後円墳のことです。もちろんそれだけではなく、法律や様々な分野、技術の移植が行われたはずです。


 当時の使節団というのは、海外派遣=移住です。よってミニ国家ともいえる大人数の集団で構成されます。外交官だけでなく、文官、書記官、通訳、医師、占星術師、技術者、料理人、護衛、交易担当、儀礼担当名等々……家族も含めると一つのコミュニティ単位が丸ごと来るのが普通でした。


 百襲姫は、狗奴国問題を口実にして魏という当時の最先端技術とシステムを導入し、同時に高句麗という倭国に足りない技術を持つ人材も手に入れたのです。


 さて、人材は手に入れましたが、問題は馬です。高句麗は騎馬民族ですから、馬がいなければ彼らの技術の半分は無意味になってしまいます。


 当時、馬は非常に貴重で、呉などは常に馬不足に悩んでいました。公孫淵と組もうとしたのも、馬を手に入れるためと言っても良いくらいです。


 高句麗は、名馬の産地である濊から馬を調達していました。


 皆さま覚えていますか? 濊って、245年に反乱起こして帯方郡太守・弓遵を戦死させた国ですよ。その濊を滅亡の危機から救ったのが難升米です。


 滅亡を免れ、魏の官位(安撫)を得ることで地位を保全することが出来たわけですから、馬を倭国へ提供してくれたと考えるのが自然です。馬と一緒に飼育員や専門家も派遣してくれた可能性が高いでしょう。


 濊は古来より「果下馬かかば」と呼ばれる、果樹の下を通れるほど小柄で極めて精強な馬の産地として有名です。高句麗が欲したように、山岳地帯でその真価を発揮するので、倭国の事情にもぴったりなのです。


 

 つまり、この247年というのは、高句麗の集団が倭国にやってくる理由が説明できると同時に、濊から馬を調達することが出来た狙ったようなタイミングなのです。前後の倭国の動きを見る限り、明らかに意図したものだと私は考えています。


 当時の倭国連合が直面していたのは、急速に拡大する社会を維持するための「管理システム」の欠如でした。銅鏡百枚はそのための支配ツールでしたし、前方後円墳は、自らの権威を永遠に可視化するために必要だったのです。 魏という大帝国の官僚制や法体系を導入することで、部族連合から「中央集権国家」への脱皮を図る、というのが百襲姫の国家戦略だったということです。



 さて、次回はこの仮説をより掘り下げて補強してみようと思います。どうぞお楽しみに。


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