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日本史上最大のミステリー魏志倭人伝の完全解読に挑む  作者: ひだまりのねこ


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第二十九話 卑弥呼共立前夜 地獄の二世紀




 古代史において私が一番重視しているのはなんだと思います?


 それは気候変動です。


 気候の変化は文明が高度で複雑になればなるほど致命的な打撃を与えます。なぜなら、文明とは環境への過剰適応によって成り立っているものだからです。その前提が崩れると脆いんですね。


 私たちは学校で『四大文明は大河の恵みで生まれた』と教わりました。しかし、事実はその逆です。文明は、絶望的な気候変動から生き残るための『究極の避難計画』として誕生したのです。


 エジプトやメソポタミアなどの四大文明は、決して豊かな自然の中で自然に生まれたのではありません。実は、急激な砂漠化という死の淵に立たされた人々が、生き残るために知恵を絞り、一つの『巨大なシステム(国家)』を作り上げた結果なのです。


 人々は生き残るためにナイル川やティグリス・ユーフラテス川の周辺に「集結」し、限られた水を分かち合うために「高度な組織(国家)」と「治水技術」を生み出しました。


 大河周辺は管理が難しく、そのままでは人が住めません。だからこそナイル川の氾濫時期を予測したエジプトのファラオや、天体を観測したメソポタミアの神官など、異常気象の中で「いつ種をまけばいいか」を教えられる知恵者が、神格化され王となったのです。


 私たちは人や国家で歴史を学びますが、実際は気候変動がまず存在し、それに対応するために人々が移動し結果争いが起こるというのが真実です。その視点がなければ本当の意味で歴史を紐解くことなど出来ませんし、ましてや古代においては言うまでもありません。各国の気候変動と文明の相関については、国立歴史民俗博物館の研究や海洋研究開発機構(JAMSTEC)の古気候データなどが非常に精緻な裏付けを提供しているのでご参考まで。



 さて、二世紀に起こった世界規模の気候変動は、アジアにおいても極めて甚大で絶望的な被害をもたらしました。大陸では二世紀後半からの急激な寒冷化によって農作物が不作となり、大規模な飢饉を引き起こしました。さらに、栄養状態の悪化に伴い大規模な疫病も流行し、人口が激減したと記録されています。それによって農民反乱(黄巾の乱)が発生。強大だった後漢が崩壊しました。これが魏・呉・蜀の「三国時代」へと繋がる動乱の真の背景です。


 もちろん朝鮮半島も例外ではなく、異常気象による災害が多発していました。 夏の干ばつや大雨、あるいは異常な低温が繰り返され、農業生産は極めて不安定でした。北方の寒冷化や動乱を避け、より温暖な南方の海岸部や日本列島へと新天地を求める人々が増えた時期でもあります。これが、列島への新たな渡来や技術流入の動機の一つになったと考えられます。


 そして、二世紀後半から三世紀初頭にかけての気候変動(寒冷化と長雨・洪水)が弥生社会に与えた打撃は、まさに「文明の崩壊と再編」と呼ぶべき凄まじいものでした。


 1. 環濠集落の放棄


 弥生時代を象徴する、周囲に堀を巡らせた「環濠集落」がこの時期に相次いで放棄されました。長雨と洪水によって平野部の環濠が泥に埋まり、居住不能になるケースが多発しました。防御のための堀も、守るべき食糧がなくなれば意味をなしません。集団が維持できなくなり、人々は食糧を求めて移動を開始しました。


 2. 高地性集落への避難


 平野を捨てた人々の一部は、山の上などの不便な「高地性集落」へ移動しました。洪水から逃れるため、より安全な高台へ拠点を移したのです。前回お話した淡路島の舟木遺跡などはまさにこの典型で、標高の高い場所に大規模な集落が築かれました。


 3. 稲作の壊滅


 水田稲作は、日照不足と冷夏に極めて弱いため、当時の主力品種はほぼ全滅に近い状態になったと考えられます。長雨によって水田が泥沼化し、根腐れや病害虫が発生しました。


 

 考古学的な研究でこの時期人口が減少していることが判明しています。人々は食料を求めて各地の首長や王の元へ殺到し、既存の社会システムは崩壊の危機に瀕しました。これが魏志倭人伝に記された『倭の大乱』の正体です。


 このままでは全員共倒れになってしまう、そんな絶望的で危機的な状況――――全国の王たちは話し合いました。もはや争っている場合ではない、誰かがリーダーシップを発揮してこの未曽有の危機を乗り越えなくてはならない、でも誰がそんな大仕事を成し遂げられるのか? 当時の日本は良くも悪くもフラットで横並びの状態でした。強力な王権によって全国をまとめるような人物も国も存在しませんでした。


 さらに言えば、当時の状況は軍事力や富によってどうにかなるものではありません。大陸風に言えば、天命が尽きた状態です。国家が滅べばその共同体に属する人々もまた滅んでしまうのです。もはや神にすがるしかない状況でした。



 だから――――彼女が共立されたのは必然でありました。


 そうです、全国の王たちによって推薦された女性こそが百襲姫でした。


 その天才的な頭脳で幼少期から水利と農業の女神と崇められ、天孫降臨、はるか神代の血を受け継ぐ楚の王統アワの皇女であり、未婚を貫きあらゆる勢力から距離を取っている孤高なる巫女王、最強の軍事力を誇る吉備は弟たちが、交易の拠点大和は甥っ子が、日向は彼女の兄弟が治めています。海路の聖地である淡路島はもちろん、四国、紀伊、伊勢、尾張、丹波、但馬、北九州、海上ネットワークは彼女の庭です。


 その聖なる霊力と智慧、そして卓越した先見性とリーダーシップを併せ持つ存在、歴史というのは面白いもので、絶望的な状況に陥った時、英雄が生まれます。そして――――彼女は紛れもなく英雄そのものでありました。



「皆顔を上げなさい、私が指揮する以上誰も死なせない、全員助けるわよ!!」


 百襲姫がまず行ったのはアワ系海上ネットワークなど海人族を総動員しての情報収集です。気候変動は全国規模ですが、それでも地域差はあります。被害が深刻な地域、余裕がある地域を把握し、優先順位を決めました。


 彼女はこうした事態に備えて以前から四国を中心に、アワ、キビ、ヒエ、ソバ、などの五穀を生産し、貯蔵させていました。アワやヒエなどの雑穀は、稲に比べて寒冷や乾燥、あるいは湿害に非常に強く、水田が壊滅するような冷夏でも一定の収穫が見込めます。ソバはアワやヒエと並び、あるいはそれ以上に「最強の救荒作物」として機能しました。


 蕎麦の驚異的な「救荒能力」


 蕎麦が気候変動という絶望的な状況下で選ばれたのには、植物学的な明確な理由があります。稲が半年近くかかるのに対し、蕎麦は種をまいてからわずか75日(約2ヶ月半)で収穫できます。冷夏で稲が全滅した後にまき直しても、その年の冬を越すための糧に間に合うのです。


 ソバは「痩せ地」や「寒冷地」でも育つ性質を持っています。洪水で田畑が荒れ、稲が育たなくなった土地でも、蕎麦ならば収穫が期待できました。


 最新の考古学的調査では、蕎麦は稲よりも早く、縄文時代(約9,000年前)から日本列島に存在していたことがわかっています。楚のあった大陸南方でも蕎麦は古くから知られていました。百襲姫は眠っていた古い作物ソバの価値を、この気候変動期に「緊急用食糧」として再定義し、全国のネットワークへ普及させました。ソバは殻がついたままであれば10年以上も貯蔵可能です。各地の「アワ(拠点)」にある備蓄庫には、アワとともにソバも「いざという時のスペア」として積み上げられていたのです。


 毎年11月に行われる新嘗祭(および即位時の大嘗祭)は、まさに気候変動からの救済を追体験する儀式です。稲だけでなく、アワを含む五穀を供えるのは、稲作が全滅しかけた時に「アワ」のネットワークが多様な穀物で命を繋いだ記憶の継承です。 阿波の女神である大宜都比売オオゲツヒメが食物を司る神として神話に登場するのは、彼女が実務的に食糧を差配した「アワの王統(百襲姫)」の投影だからに他なりません。


 伊勢神宮に毎日、そして大祭ごとに献上される「熨斗あわび(のしあわび)」は、淡路・阿波・志摩の海女たちが命がけで採ってきたものです。これらは列島存亡の危機から救った干しアワビに対する感謝の記憶そのものです。


 そしてアワ系拠点で大規模に行われていた製塩による塩もまた、命を繋ぐ貴重な物資であったのです。


 ですが、これらの食糧は積み上げられているだけでは役には立ちません。必要としている場所に迅速に運ぶ必要があります。


 そこで百襲姫はそれまで厳格にテリトリーを守ってきた各海人族にたいして海路の相互乗り入れと相互扶助を命じました。共通の儀礼や形式、貝符などを使って海上交通のルールを統一し、全国どこへでも自由に航行出来るようにしたのです。


 神話では、宗像三女神はアマテラス(天孫系・王権)とスサノオ(出雲・日本海勢力)の誓約(交渉)によって生まれたとされますが、これはまさに百襲姫による海路調整の逸話であると思います。


 阿曇のワダツミ三神、宗像の三女神、住吉の三神、主要な海路を押さえる海女族が共通の三神を祀ること、これらの神々がすべて日向で生まれたのは偶然ではありません。三種の神器に代表されるように三という数は王権そのものを象徴します。百襲姫はこれらの海人族を国家直属の正規海軍、実働部隊として物資の輸送、治安維持、情報収集を行いました。


 海路という高速道路を最大限機能させるためには、船というハードウェアだけでなく、「航路標識ナビゲーション・インフラ」というソフトウェアが不可欠でした。各地の神社の配置と篝火かがりびこそが、古代日本のネットワークを支えた「管制システム」そのものです。


 1. 神社は「古代のGPS・灯台」だった


 現代の神社は「お参りする場所」ですが、古代においては「航路の目印」としての機能が優先されていました。宗像大社(福岡)や住吉大社(大阪)、厳島神社(広島)など、古い神社は必ず「航行の難所」や「進路の転換点」となる岬や島に置かれています。例えば、三輪山(奈良)や富士山、あるいは各地の「神奈備かんなび」と呼ばれる山は、沖合から自分の位置を確認するための天然の目印でした。天孫降臨が高千穂から始まるのは、彼らが高千穂を目印としてやってきたからです。


 神社には「海人族」の専門家が常駐し、天候の観測や、篝火の管理を行っていました。


 2. 「篝火かがりび」という光のネットワーク


 夜間航行や霧の日の誘導には、物理的な「光」が必要でした。主要な岬の頂上には、交代制で火を焚く場所がありました。これが現代の「灯台」です。火を焚くことは、単なる目印ではなく、「今、潮の状態はどうか」「入港を許可するか」といった情報を送る光通信(光ファイバーの祖形)の役割も果たしていたのです。斉の方士たちは天文学に長けていました。星の位置と、地上の篝火を結びつけることで、暗闇でも正確な位置を知る「夜間高速ナビゲーション」を可能にしていたと考えられます。


 3. 神社ネットワークが「情報のハブ」になる


 神社が各地の要衝にあるということは、そこが「情報の集積地」であることを意味します。船乗りたちは神社(拠点)に立ち寄り、祭祀を行うと同時に、各地の最新情報を交換しました。百襲姫は、この「神社のネットワーク」を通じて「中央からの命令」を海路伝いに瞬時に全国へ伝播し、逆に「各地の動向」が中央へ集まる仕組みを完成させました。


 神社を管理し、火を灯し、神を祀ることは、すなわち「日本の物理的な物流と情報のすべてを管理することでした。これによって救援物資や人員が速やかに派遣され、各地の拠点が救われたのです。


 ちなみに、私はこの全国規模の救援活動の結果、アワ(アワ系ネットワークから)キビ(百襲姫の弟で実務を担った吉備津彦から)ソバ(楚との関連から)の名称が定着し全国規模で広まったと考えています。


 百襲姫が敷いた「広域相互扶助システム」において、効率的な役割分担は必要不可欠でした。そしてそれは一時的な救済策では終わらず、各集団の「得意分野」を固定し、永続的に社会を支える「職能集団(品部・伴造)」へと制度化されたと考えます。「祭祀と生産」を司る忌部氏、「軍事・運輸」を担う阿曇・宗像氏、「治安維持」を担う物部氏、「情報」を担う稗田氏といった風に。


 つまり、この救援チームがそのままヤマト王権の官僚機構(職制)へとスライドしたのです。


 そして――――神社は海上の目印としてだけでなく、英雄を讃える顕彰施設としての役割も担っていました。命懸けで働いた人々の記憶、感謝の気持ちを共有するための場所として機能したのです。日本の神社制度は、絶望的な状況下で「献身的に働いた英雄たちへの感謝」を、永遠に風化させないための記憶装置として誕生し、現代の私たちにも神話や伝承という形で伝わっているのです。


 現在も祭司長である天皇が祭祀を通じて全国の神々に祈るのは、かつて私たちの祖先が共に列島を救ったという記憶を共有し、各地の英雄(氏族の祖神)たちへの感謝を忘れないためなのではないでしょうか。


 拠点に集まり英雄たちへの感謝を祀り、生き残れたことへの喜びを皆で分かち合う祭り、そして役割分担をしてともに助け合うまつりごとこの「まつり」こそが日本という国体の原風景であると私は思うのです。 


 百襲姫が成し遂げた偉業は、たしかに賞賛すべきものでしたが、私が本当に素晴らしいと思うのは、列島が危機的状況に陥った時、各地の王たちは少ないパイを巡って争うのではなく、話し合いを、共存の道を選んだということです。


 かつて大陸を追われた人々を受け入れた縄文文明という温かい母系社会があったからこそ 百襲姫はその力を最大限発揮することが出来たのです。人々が彼女を信じたように、百襲姫もまた人々の力を信じました。


 この「和」の精神こそが、日本という国の原点であり、二千年経った今でも続いているのですね。私はそのことがとても嬉しく心から誇りに思っています。


 次回は、窮地を乗り越えた百襲姫の外交無双が始まりますよ。お楽しみに。


百襲姫の卑弥呼バージョン描きました(*´▽`*)

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
大河の恵みが文明を作ったのではなく、大河のそばで生きていくには文明を築くことが必須だった、ですか。 目から鱗です。
かっこよくも可愛らしい百襲姫さまですね〜。 気候と文明のつながりは、確かに、納得ですよね。川があるから栄えた、みたいに習いましたけど。気候変動から生き延びるため、と考えると、しっくりきます。 困難…
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