第一話 始まりは幼少期の思い出
『うちのご先祖様はね、ヒナのお姫さまとクマの王子さまなんだよ』
子どもの頃、祖母から聞いた話が記憶に残っている。
「クマの王子さま? 毛むくじゃらなんだね」
たしかそんなことを言った記憶がある。祖母の笑う顔が印象的だった。
私は毎年、夏と年末年始は北九州に住む祖母の家で過ごしていた。生まれたのも北九州の門司。門司港と関門海峡が私の庭だった。
祖母は料理上手で知的でユーモアのある素敵な女性だった。早くに夫を亡くし、女手ひとつで大会社を切り盛りし、私の母を含む四姉妹を育て上げたいわゆる女傑とでも言うのだろう。
母を含め叔母たちは全員名門女子高を経たお嬢さま、祖母に似て全員おっとり美人という女系家族だ。
そんな祖母からご先祖様の話を聞いたのはたぶん最初で最後だったと思う。
祖母が亡くなってから母に聞いたが、祖母の二代前までは巫女の家系だったらしい。九州でも古い家系で、本当かどうかはわからないが、あの卑弥呼の時代まで遡るとかなんとか。
当時はロマンチックで素敵、くらいにしか思っていなかったが、それまで漠然と感じていた他人とは違う感覚はそのせいなのかも、と妙に納得したものだ。
私は本が大好きで、その中でも特に神話や昔話が大好きだった。
日本の昔話や神話はもちろん、小学生の時には世界中の神話関連の本はほぼすべて読破していたし、三国志や中国の昔話も当然夢中で読んでいた。
そんな私が日本史上最大のミステリーとまで言われる魏志倭人伝、そして邪馬壹国、女王卑弥呼の謎に惹かれないはずもなく。
小学生から中学生にかけて関連の本を読みまくった時期があった。
純粋に読み物として面白かったのと、謎解きしているみたいで楽しかったからだ。
ただ、様々な説を読みながらも、私の中で漠然とした違和感、モヤモヤした想い、そんなものが積み重なっていつしか離れてしまったのだ。
畿内説? 北九州説? いやいや、あり得ないでしょ。
九州は基本的に女性が強い。
女王や女神、たくさんの姫たちの活躍伝承が各地に色濃く残る土地だ。女王国と聞いて真っ先に思い付くのが九州。祈祷やシャーマン、巫女の文化の密度が他の地域とは全く違う。一度祖母の先祖が祀られている場所へ連れて行ってもらったことがある。小学校入学前だったこともあり、場所も覚えていないのだが、その異様さ、空気に圧倒された。私は他の人が感じられないものを感じられるし、見えないものが見える。その時の体験は強烈そのものだった。
数十メートルはある巨大な蛇が横たわり、正体不明のものが飛び回る、まるで異世界に迷い込んだのかと思ってしまった。
九州は人と神との境界が曖昧なほど濃密で距離が近い。山や川、海、どこにでも強い力を感じるし、古代の伝承がいまだに生きているのを感じる。
魏志倭人伝が伝える古代女王国の姿、そして――――卑弥呼。
私にとっては理屈抜きに九州そのものだった。
でも北九州じゃない。
もちろん私の庭である北九州だったら嬉しいけど、よく知っているからこそ違うと断言できる。宗像三女神の伝承や神功皇后の伝承が多く残るからこそ違う。この地に女王国があったと思われる伝承は無い。
そもそもそんなことは魏志倭人伝の記述を読めばすぐわかるのに。
じゃあ邪馬壹国は、女王国はどこにあったの?
私の中では結論は出ていた。でもその時はまだ子どもだったから、それを証明する方法がわからなかった。
それから私は大人になり、なんとなく邪馬壹国から距離をとっていた。理由はモヤモヤするからである。
そして――――先日、本当にたまたま偶然、久しぶりに邪馬壹国に関する考察記事を読んだ。読むつもりはなかったのだが、導入部分に惹かれたのと、しばらく邪馬壹国関連から距離をとっていたから、何か進展でもあったかな? という軽い気持ちだった。
途中までは良かった、むしろこれまで読んだ中では断トツで納得できる内容で、私の考えと重なる部分が多かった。
これは期待出来るかも――――?
そう思った私の期待は途中であっさりと裏切られた。え……? これ前半と後半別人が書いたんじゃないの? っていうくらい後半は斜め上方向に行ってしまった……。
そうだった……これがあるから読むのをやめたんだった。
そして――――そのモヤモヤ、消化不良感は数日続いて仕事や学業にまで影響が出てくる始末。
「はあ……仕方ない、誰も書いてくれないなら、私が書くしかないか」
正直私自身が納得しているのでそれで良いと思っていた。
でもふと祖母の話を思い出してしまったのだ。
『うちのご先祖様はね、ヒナのお姫さまとクマの王子さまなんだよ』
歴史は紐のようなもの。
点と点が繋がって時間を超えて過去と現在を繋いでくれる。
祖母の話を母は知らなかった。他の叔母たちが聞いているかもしれないが、あの時たまたま話してくれなかったらそのまま消えてしまったかもしれない。
私には子がいないので、私が死ねばこの話を知るものはたぶんいなくなる。他の血族で繋がるのかもしれないが、それほど伝承や云い伝えというのは脆く危うい。
あれほど有名な古事記ですら何度も危機に陥りながら奇跡的に命脈を繋いで来たのだ。
歴史は必ずしも真実を伝えるものではない。人々の想いが紡いだまだら模様の組みひものようなもの。
それでも、だからこそ歴史の荒波に耐え、何百年、何千年も昔の人たちと繋がれる。
誰かが必死に生き、何かを成し遂げ、誰かがそれを喜び、あるいは悲しみ、それを後世に伝えようと願った。
正史、神話、昔話、伝承、様々な形で紡がれてきた細い紐、立場によって矛盾することもあるかもしれない、必ずしも真実とは限らない、時代を経て変化した部分もあるだろう。
でも共通しているのは、その時代を生きた人々の想いは本物だということ。
仮に未来人が私たちの記録を見ることが出来たとして、個別の記事やブログ、書籍の信憑性はともかく、それらを丁寧に読み解いていくことである程度全体の空気を類推することは可能だということ。記録を残そうとするのは人間の根源的な欲求であり、それは強い想いに突き動かされることで発露する。
長くなってしまったが、ようするに何が言いたいかというと、
私も死ぬ前にちゃんと書いておこうかな、と思ったのだ。
魏志倭人伝の矛盾? 女王国はどこにあったのか?
良いでしょう、私が全部すっきり解決して差し上げます。
興味がある方も無い方も、良かったら最後までお付き合いくださいませ。
大丈夫、それほど時間は取らせません。
なるべくわかりやすく、シンプルに。
準備は出来ましたか?
よろしい、それでは一緒に出発しましょう!!
魏志倭人伝が伝える女王国へ。




