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禁書庫と故郷


 


『ねえ、帰りましょうよ。山に懲りてしまいましたか』


 山を走る黒い影――颯影駒(はやてかげこま)、補佐役か。

 目はとじたままでいい。

 よるのひえたくうきがここちよい。

 ゆるりとまるまったままでいたい。


 まだまどろむとき。

 だからうごかないあたまでことばをこぼした。

 

「かえりたいに、きまってる。やまはあたしの、いきるいみ。かわるような、ものじゃない」


 すこしあれたかぜ。

 はっぱのさざなみのおくから、ふるえるこえが小さく問う。

 

『じゃあ、何故帰らないのですか』

「いまのままじゃ、またきずつけてしまう。しょこすら、まだたどりついてない」

 

『じゃあ……何を支えに生きるの。爺の声も、蒼天さまもいない世界を?』


 低く落ち着いた声に僅かに不安がまじる。

 伝えてやらなきゃ。だいじょうぶだよって。

 

「じいは、あたしのなかにいる。ししょうは、しんじてまっていてくれてるもの。やるべき事をなして、早く、帰らな、きゃ――?」


 どこに帰るというの。ここは山。

 帰る必要なんて、ない、はず。

 

 違う。後頭部がぞわっとした。

 あの大きな三日月は欠けた山は、まだ目蓋の裏に焼きついている。

 もう昔の山には戻れない。名も称号もない。

 帰ったところで繋がりは絶えている。

 

 まだ雪冷えをふくむ風のなか、三日月の形をした山を見上げた。

 山の色は芽吹きはじめたばかりの和毛の銀茶、そこにほんのり薄緑がにじむ程度だった。

 穿孔の魔術はそこにあったすべてを壊した。


 風が吹く。

 

 たてがみが流れ、その強さで動けなくなった。

 誰かの顔したあたしがあたしを責める。

 今まで見ないふりをしてきた。

 それがいっぺんに襲いかかってきた。


 滝なんて望まなければよかった。

 なんでこんなことしたの。自業自得。

 でも色々渡り歩いて知った。

 どこでだって、はぐれものでなくたって、あたしは異物。


 あの山でしか、息ができないあたしがいた。

 山はなにものにも代えられない。


 耳裏で小さい誰かが語りかける。思わず眉間に皺がよる。


『ねぇ、本当にまだ待っているかしら。そもそも、約束なんてその場限りでいいじゃない。適当なものを据えればそれですむんだから、守る必要なんてないでしょう?』


 約束はそんなものじゃない。

 山は春めいてきたがまだ若葉は枝のなかに眠っている。

 強い風は三日月の山を揺らすけど葉は散らなかった。


 ひくりと胸の奥がうごいた。

 身体の底から違和感が湧き上がる。

 

 全部あたしが勝手に決めているだけじゃないか。

 身体に力を入れて震えを堪える。

 ゆっくり深呼吸して、落ち着かなきゃ。

 しょこ、書庫を探すんだ。


 大丈夫、師匠の言葉を信じよう。

 


『本当に? もう鉱脈も岩も朽ち、木も空の色も変わったのに。万年経っても、状況が変わらないものなんてあるかしら?』

 

 

 枝から芽を出した葉が嵐に散りとぶ。

 早回しで季節が巡るなか、主不在の三日月山は変わってゆく。

 山の上部は崩落した。

 水を失って乾いた土や砂を風が巻き上げて、どこか遠くへ運んでいく。


 あたしは目的を忘れて、ただはぐれものとして彷徨う。

 気づけばかつての山はただの高台となり、山脈の一峰ですらなくなっていた。

 時が経つのをとめることはできない。

 魔術に精通しているはずの師匠にだって。

 

 蒼天さまは平坦な森を見て、小さくため息を吐いた。

 何度も振り返りながら中央の頂きへ戻った。

 

 そして、二度とこちらを見ることはなかった。


 


  *

 

 


「――っ!」

 

 反射的に目をひらいて手を伸ばす。

 なにもない。

 高台も蒼天山脈も。

 静かな暗闇だけがあった。


 何度も瞬きした。

 なにも映らない。

 僅かな光の反射すらない。

 曇りの夜だってもう少し何かが映る。


 まだ心臓がばくばくと暴れている。

 深呼吸して、辺りを見まわす。

 何も見えない。ここどこ。

 確か月岳にいたはずなのに空気がしっとりと濡れている。


 僅かな流れが頬を撫でていた。

 少し湿って冷えた夜の匂いはとても落ち着く。

 耳が少し熱くなり、流れゆく水や葉擦れの音がかすかにきこえていた。

 

 それでも視界は塗り潰したような黒のまま。

 なにも見えない。思わず指先で目尻に触れる。

 ちゃんとまぶたは開閉していた。

 目だけが見えなくなってしまったのか。


 頭も心もぐちゃぐちゃだ。

 深呼吸する。

 まずは心を落ち着けよう。

 ゆっくり呼吸を繰り返す。

 

 さっきのは悪夢か。

 もう何度も見ている嫌な夢。

 だけど本当じゃない。

 あたしは今も書庫を探していて、師匠は今日も山脈を守っている。


 山を預かっていてくれる。大丈夫。

 頭をひとつふって前を向いた。

 

 

 視界の端で金色の線が表れては消える。

 繰り返し。なんだろう。

 優雅な曲線……樫の葉の輪郭か。


 木、森、下草、川。

 辺りを見まわせば、微かに白金色の線はそこかしこに走る。

 一瞬だけ夜風と光を反射して、輪郭だけを縁取った。

 真っ黒な炭の奥で呼吸する火の気配にも似ていた。


 けど、それより温度がない。

 もっと身近で遥かに遠い。

 

 風の音が森をかけぬけた。

 水辺独特の冴えざえとした空気がつられてあとを追う。

 さくさくと踏む感触と踏まれた葉の青いにおいは、間違いなくそこにあった。

 

 足元の下草すら白金の影の輪郭を映すだけで姿は見えない。

 草も木も小さな川も視界は時折走る金の輪郭だけ。

 

 最低限の光しかない世界。 

 肉体の制限で灰色のグラデーションが精々だ。

 だが心はその限りではないらしい。

 

 ひとたび木だと知ってしまえば、勝手に色を見いだし周辺までをもほんのりと染めてしまう。その色が本来の色と違っていたとして、見えない以上誰がそれを問うことができるだろう。


 

 目を落とせば自分の身体すらそうだった。

 反射は一方向からしかこない。

 なのにそちらに光るものは見あたらなかった。

 

 見まわしても誰もいない。

 未や羊飼いも、もうひとりのあたしすら。

 何も見えない。

 耳を澄ませていると、小さな音が上流から聞こえてきた。


 見えない光源の方向だ。

 時折かすめる輪郭を頼りに上流へ向かう。

 

 暗闇のなか時折金きらめく小川を眺めながら進む。

 あたしの水より魔術が静かで澄んでいる。

 

 本当に水だろうか。

 じっと目を凝らせば、水底を微かな線で小石や小魚、豊かな水草が優雅に揺れていた。

 争いや不和の気配はなくただひたすら静かで穏やかだった。

 

 小さな音は次第に轟きにかわった。

 落ちては砕ける流れ。

 水にしては微妙に違う。

 聴き慣れない音に首を傾げながら進む。


 旅の合間に見た、人間の使う楽の音が奥に隠れているふうに聞こえる。


 木々を避けて進んだ先は行き止まり。

 滝だ。思ったよりずっと大きい。

 見上げた金線は霞むほど遥か彼方から。


 落ちては滝壺へぶつかって川に戻る。

 その飛沫を見ていると、知らぬことが頭に浮かぶ。

 着火の魔術の危険な使い方。飛ぶ鳥の羽根に秘された魔術構造。

 なにか分からないけど、意味ありげな断片の数々。


 眺めるうち、ばらばらだった感触がひとつにつながった。

 水じゃない。『智』すら知らない学の流れ。

 誰かがどこかで見つけた切れ端。

 そういった小さな発見が集まって瀑布となり、ここに注いでいる。


 滝の割に川が小さいのは何故だろう。

 見上げると、対岸と思っていたところは、川の中の水草だった。

 視線をあげるが、対岸は見えなかった。


 ふと金線が煌めいて、流れが逆流して見えた。

 

 

「だれ?」


 突然の声に飛び上がって後退る。よくみると滝の手前の大岩に腰掛ける、ひときわ暗い影があった。

 金線がまったくない。影のような人の型。

 闇夜の黒豹すら作為的に見える。


 高くも低くもない、不思議と馴染む声は、穏やか。

 だけど、くもった夜の底なし沼みたいな危険も感じた。

 

「ここは立ち入り禁止の個人書庫――おや?」


 懐かしいのに、恐ろしい。

 爪先や尾は勝手に震え、心臓は早鐘を打つ。

 胸の奥から新月だ、と叫ぶ声。まさか。


 でも、その微かなありさまは、夜空を往く暗い月によく似ていた。

 胸の奥からひび割れた悲鳴があがった。


 ――ちゃんと見てきたはずだった。

 でも何もかもが、その方のそばにいくには足りない。

 

 


  *


 

 

 頬が風をきる。

 空気を追い越す。

 ひょうひょうと鳴いている。

 我にかえったあたしは走っていた。


 見えないなかをただ息せききって逃げていく。

 音はあたしの呼吸だけ。

 何故こんな必死になっているの。

 

 分からない。ただ衝動があった。

 捕まってはいけない。追ってきていたらどうしよう。

 そんなことないと思うけど。

 でもだから一刻も早く遠くに逃げなければ。


 前方から匂いがした。

 胸のなかに仄かな温かさがともる。

 

 清浄でほろ苦い、爽やかなかおり。

 最後に見た師匠の髪は早春色だったな。

 

 疲れはじめていた身体が急に軽くなる。

 最速でそこへ向かった。羽をひとうちして飛びあがる。


 ひたすら飛ぶことに集中する。光を見つければあとは早い。

 

 いくらも行かないうちに背を地にうった。

 だけどぶつかったものは見えない。


 進んだあたりへそっと指先を伸ばす。

 ねっとりした感覚に思わず指をひっこめた。

 ぬめる何かが手に付くような不快感を堪えて、見えない壁に指を伸ばす。

 硬い感触。そこから先は進まない。


 爪先から拒絶が染みこんでくる。

 軽く境界に指先を添え、左右上下に駆ける。

 どこまでも阻む壁がなくなることはなかった。

 指先のぬめりを水で落としながら先をみる。


 ここまでしか許されない結界。

 

 その結界の上で光の色が揺れる。

 大きく線が動いた。

 なんだろう。後ろにさがる。

 触っていた結界の上で光が線をむすび、絵が動いた。


 それは遥か遠いはずの、懐かしい姿だった。

 

 故郷の隣山の頂き。

 蒼天さまが風に吹かれていた。

 山脈の主たる彼の髪は若葉と蒼葉へ移りかわる。もう初夏。

 あたしの山を見おろしながら、師匠はそっと懐を撫でた。


 蒼天さま。


 山はあの向こう。

 あたしが生きたいと思った場所が、あの先にある。

 結界の向こうの山を、爪先で柔らかくなぞった。


『帰りたい気持ち、無いわけじゃないのね』


 背後からもうひとりの声がする。

 振り返っても誰もいない。


「まだ帰らない」

『そうね。目的を果たしていないから?』


 赤子をあやすような声にはトゲが含まれていた。


『だけど、その必要がなかったら?』

「どういう意味?」

 

『呼べばいい。離れている必要はないかもしれない』

「意味が分からない。山は動くものじゃない。それにまだ、何も解決してない」


 あたしの山を喰らった魔術。だけど。

 山惑いを撃退し、苺に礼をしようとする魔術。


「ねえ、あたしの心、本当に分からないの?」

 

 振り返れば空気がわずかに揺れる。

 見えないけど、首を傾げたような気配を感じた。


『もう分からないの――私は帰りたいだけ』

 

 世界に混ざっていくことの大事さを知らないものなのか。


『ねぇそれより、ここなら山も魔術も両立するのよ。この地は新月の領域のひとつ。そのせいで穴があかなかったわ』

 

 月が魔術で作った仮想領域か。

 師匠も仮想領域を持っていた。

 よく体を動かすための場所として。

 あたしもよく放り込まれて追いかけまわされたっけ。


『ここならみんな同じようにあることができるわ』

「あのね。たとえ動かせたとしても、山は山にあるべきなの」

 

『でも、寂しいよね? 帰りたいって言っていたね?』

「そういう意味じゃない」

『なら――もういいや』

「え?」

『あたしのこと、大体分かった』

「ちょっと、ど――」

 

 どう言う意味。そう訊いたつもりだった。


 顎があがり、師匠の姿を目が捉える。

 師匠が二重に見える。なんで。

 後退ろうとして、何故か手を伸ばしていた。

 思う通りに体が動かない。


 師匠に、山に、手を伸ばすのは誰。

 どうしてあたしの身体が動くの。

 

 不意に微かな声が響く。

 たった一瞬だった。でもそれで十分だ。


 

 帰りたい。

 ちゃんと月らしく綺麗にするから。

 たくさん魔術を蓄えて、帰るんだ。

 あの方が綴じゆく空へかえりたい。

 


 視界と音が遠くなる。

 気づけば身体を奥から観察していた。

 さっきすれ違ったのは、穿孔の思いか。

 帰りたい。それはあたしも同じ。


 けどそのために、あたしや山を取りこむのを許せるものでもない。

 

 手はおりない。

 目を逸らそうとして、へらりと笑う感覚がした。

 思う風に動かない。

 違和感が警鐘を鳴らす。自分の身体が気持ち悪い。

 

 伸べた爪先に力がこもる。

 口を開かないことに安堵した瞬間、頬裏の魔術が熱くなった。

 まさか。頬と反対に胸が冷えた。

 集う魔術を散らそうとするが、ぴくりとも動かない。


 ためられた魔術はそのまま陣から指先へと流れた。

 閃光。まっすぐ結界を貫く。

 すぐ次の結界にぶつかり消えた。

 ほっとするのも束の間、更に魔術を編みあげて放つ。


 闇雲に暴れ、力ずくで動かそうとする。

 でもなにも変わらない。

 言葉にならない喚き声を脳裏であげる。

 ただ目の前で起きることを見続ける。

 

 不意に爪先がわずかに震える。

 かすかに呼吸が同調した。

 制御が戻った……?

 次の瞬間、爪先にこめられる力で、気のせいだと思い知った。


 放たれる魔術が止められない。

 張られた結界に次々と穴があく。

 

 今度は山まで届くかもしれない。

 あるいは、師匠は。身体の内側であたしは震えた。

 嫌という感情すら穴があいて、どろりと暗い感情の海に溶ける。

 もしかして故郷を取りこみたいとあたしは思っていたのだろうか。

 ならあたしの思いなんて、もう、いらない。

 

 いくつ目かで結界の様子が変わった。

 質が違うのだろう。

 結界を抜けるたび魔術は細かく分裂していく。

 そのまま無数の小さな矢となってふりそそぐのが見えた。


 師匠……!


 咽喉はぴくりとも動かない。

 最後の結界を抜けた瞬間、師匠は鋭くふり向いて、片手をふるう。

 

 結界だ。表面が反射する。

 おさまる前に次弾が結界に到達する。


 戻った時には師匠はしゅわりと魔術が漏れだす胸を押さえ、こちらを真っ直ぐ見据えていた。

 

 瞬間、ふ、と口の端がわずかにあがる。

 いつもあたしを見るときの、優しくはないまなざしで。


 声はきこえない。

 だけど、「だいじょうぶか」と口が小さく動いた。

 

 衝動のまま、意識を、心をよじる。止めたい。

 どうしたら身体を止められるだろう。

 爪先や体のどこか一部だけでも使えたらいいのに。

 一片のきっかけも掴めない。

 泣きたくても涙腺すら冷えたままだ。

 

 勝手な身体はゆるやかに首を傾げる。

 穴になってなくなった分の魔術が、あたしのなかに入ってきた。

 すぅ、と身体の感覚がまた薄くなる。

 穿孔は笑みを浮かべ、更に魔術を編みはじめる。


 ふと、思いつく。魔術は意志でできている。

 だから今のあたしにも魔術を編むことはできる。

 身体の魔術は止められないけど、身体に魔術をかけることはできる。


 使えるのは、あたしの身体にないもの、心の中にあるもの。


 爺の言葉の語録。


 それは肯定の言葉。

 だけどそれをひっくり返せば、あたしの呪いの証拠でもある。

 できれば、そんな悲しいものにしたくない。

 それでも、身体を止めることはできる。

 反転させた語録を媒介に身体ごと、魔術に還ることは難しくない。

 

 生のただなかにいるからこそ、きっと道のりは遠い。

 ひどく苦しむのは分かっていても、今を止めることはできる。

 でも、なんのために、言葉を尽くしてもらってきたのか。

 

 きっと爺なら好きなようにしろ、と言ってくれる。

 爺はいつだってあたしの意志を優先してくれた。

 だからこそ駄目だ。

 爺を否定する行為など、あたし自身が許せるものか。


 もっと他の方法があるはずだ。なにかないか。

 なにかなにかなにか、なにか。



 ――穿孔を穿孔するのは?


 魔術そのものじゃなくていい。

 対象は頬の、魔術陣。穴をあけるだけなら、消えない。

 穴の位置と深さは――これくらいでいいかな。

 これなら、穿孔の魔術が独立したりしないはずだ。

 

 ここは仮想領域。矛盾は表より余程強く反動を起こす。

 最悪矛盾により、術者として魔術にすり潰されるかもしれない。仕方ない。

 魔術へ還るのにそんな忌避感はない。

 痛いのは仕方ない。覚悟できてる。


 だけど、あんまり痛いのは耐えられないかもしれない。

 そうならないように組み上げよう。


 動かない身体を離れ、魔術陣を意識する。

 魔術と意志を織り編み、稼働する魔術に変換する装置だ。


 そのまま使えば穿孔に気づかれてしまう。

 必要な部分以外の陣の記述を、意識の上で編みあげよう。

 本来意識だけでは足りないから陣を使う。

 それができないから、代わりの圧縮方法を考える。


 幸い『智』は使えた。

 更に集中すれば、身体を意識しない分、何百倍も早く思考や計算が積み上げられた。

 調べて分かったのは、言語だけじゃあたしの意識の上から魔術陣がはみ出してしまうこと。

 

 ならば組み合わせて圧縮応用しよう。

 感覚を研ぎ澄ます。絵も歌も踊りも。表現になりうるすべてを総動員し、意識の上へと濃縮して組み立てる。

 最後に回避接続構造をつくり、魔術の領域の上で陣と接続した。

 

 穿孔は今、あたしの身体と山に意識が向いている。好機だ。

 動かせない体内で熱が暴れる。

 必要な魔術の流れを編みあげる。

 

 穴をあけるのは、恒常の追加記述のあたり。

 でもあいた途端に使えなくなるのも困るので、記述に回避構造を繋ぎつけた。

 その結果魔術の支払いは即時になった。

 出力は最小だけ、代わりに出力時間を自分で制御する。


 意識の一部をちぎって動力源に変える。

 そして今作った記述に放り込む。

 

 穿孔、出力。


 三日月ほどの明るさの、静かな光。

 頬裏にちくちくと刺さる感覚がした。

 あたしの魔術のほとんどは体に取られている。

 

 気づけば穿孔の魔術のもとになる原資が足りない。


 小さな思い出から少しずつ焚べる。

 思い出、『智』、あたしをあたし足らしめる大事な記憶。

 やっとふつふつと焼き切れるような感覚に、指先から力が抜けはじめたその時だった。

 


「こら。おいたは、しまいだ」

 

 

 

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