Episode4
「零も双葉君のこと知ってたの?」
学校を出て最寄り駅に向かう道中、蒼空は零に尋ねた。
「あいつのこと知ってんのか?」
「え? うん。双葉修哉君。話したことはないけど、結構な不良だって噂だよ」
「……不良?」
「うん。素行不良で周囲の学校の生徒と頻繁に揉めてるって聞くよ」
「不良ね……あいつが」
「あいつ……?」
「いや、何でもない。それよりも――」
零は僅かに眉間にしわを寄せ、振り返る。
「どうかした?」
「……いや、気のせいか」
零は険しい顔を浮かべながらそう呟いたが、すぐにいつものつまらなさそうな表情に戻り、駅に向かって黙々と歩く。
零と蒼空の家は最寄り駅が同じで基本的にはいつもその最寄り駅で分かれているのだが、
「俺今日は買い物あるから」
零はそう言っていつもとは別の線に乗ってしまった。何を買うのか聞いても答えてくれず、蒼空は結局一人で電車に乗り、スマホを確認する。そこには今日新しく連絡先を交換したクラスメイトや、前のクラスメイトなどからの通知で溢れていた。
最寄りまでは五駅、蒼空は適当に返信を行いながら、呆然と景色に目を移す。
(今日だけでクラスのメンバーの概要は把握できた。後考慮すべきなのは……)
これからのクラスの中での立ち振る舞い、クラスの中心に位置してくるであろうメンバー、蒼空が二年二組を掌握する上で障害になりそうなものは特にない。
蒼空が思考を巡らせていると、電車は間もなく駅に着き、蒼空はホームに降り立つ。
駅から出た蒼空は自分が住んでいるアパートの方を向く。今日はこれから何もないしそのまま帰ろうと思っていたその時、
「すみません。ここに行きたいのですが」
スーツを着た三十代程の男性、エリートサラリーマンのような人に話しかけられた。
「え、ああ。ここは……」
蒼空は男性が持つスマホに目を向け、案内を促そうとしたその時、
(あれ……?)
体が浮くような妙な感覚、自分の意識と体が連動していないようなそんな状態。それが、気絶だと気づいた時には既に、蒼空の意識は抜け落ちていた。
☆
「で、どこなんだろうな、ここは」
蒼空と駅で別れて三十分、適当に電車に揺られた零は聞いたこともないような駅で下車し、辺りを散策していた。学校帰りの無意味な暇つぶしのようにも見えるが、零自身は明確な理由を持って動いていた。
人通りの多い駅近くの商店街を通り抜け、住宅街を抜けた零は廃工場のような場所に辿り着いた。
(まあここなら……)
周りは同じように潰れた廃工場のようなものが乱立しており、好んで近寄りたい場所ではないだろう。零はそんな廃工場にずかずかと踏み込んでいく。
錆びた扉を無理やりこじ開け、中に踏み入った零は工場の中を見渡す。
設備などもほとんど残っておらず、あるのは端の方に粗大ごみのようにしてまとめられている茶色の塊くらいだ。
電気は通っていないため明かりをつけることはできないが、天井の所々に穴が空き、そこから日光が差し込んでいる。そんな薄暗い工場の中で零は僅かに嘆息する。
「それで……一体誰なわけ?」
ゆっくりと振り返った零は入り口の方に声を向ける。工場に零の声が反響し、零が肩を竦めたその瞬間、
タタタタタッ、と最低限の足音と共に二十人程の武装兵が工場に飛び込んできた。全身に黒い甲冑のようなアーマーを装備しているため年齢も性別も判断できない。彼らは零を囲むように等間隔で並ぶ。
分かることは、零に対して敵意を向けていること、そして、そんな重装備にも拘らず俊敏に動けるということだけだ。
「……陸自? それとも――」
「桐谷零、抵抗せず大人しく捕縛されるのならば攻撃はしない。手を頭の上で組んで膝をつけ」
どうやら会話をする気はないらしい。
「連行先は國枝の所だろ? それは御免被りたいんだけど」
零は息を吐きだし、肩を落としたその瞬間、
バッ、という音と共に二十人が一斉に腰に付けていた拳銃を零に向けた。
「う、動くな! 動けば撃つ!」
零は僅かに眉を寄せながらもそのまま微動だにせず立ち尽くす。
(……どうしたもんかな)
マスクとゴーグルのせいで表情は分からないが、少しでも零が不用意に動けば発砲してこないとも限らない。
大人しく捕縛されて連行されるか、ここで抵抗するか。
「ま、捕まるわけにはいかないんだよな」
零の呟きが聞こえ、彼らが緊張を高めたその瞬間。
「――⁉」
彼らの眼前から零の姿が消え、その場に残るのは砂埃。
「ど――」
どこだ、その三文字を発するより前に、重装備の一人が鈍い音を上げて倒れた。
「なっ……!」
その事実に目を剥き、倒れた男に視線を向けたその時、そこには零がいた。
「大丈夫。気絶させただけ。逃げようかとも思ったんだけど、あなたたちのスニーキング能力はかなり高そうだから。家まで特定されるのはちょっと困るんだよね」
「こ、この……っ!」
冷静に話す零と対照的に、激情に身を任せた男は勢いよく引き金を引いた。
「おい! 待て!」
そんな男を止めるかのように仲間から静止の声が入ったが、その時には既に銃弾は零に向かって放たれている。
そこにいた面々は思わず目を瞑ってしまった。
国民を護るために自衛隊になったはずなのだ。
それなのに、命令とはいえ高校生を殺さなくてはならない。
やりきれない思いと、後味の悪い苦い感覚が口の中を汚染する。
カラン、という薬莢が落ちる音。
拳銃で撃たれて無事な奴はもはや人間ではない。
覚悟を決め、目を開けた先に飛び込んできた光景は、
「……ッ」
銃弾が当たってなお、その場に無傷で立ち尽くす零の姿だった。
いや、厳密には当たっていない。銃弾は零に当たるほんの数センチ前で何かにぶつかり床にコロンと落ちている。
「なっ、そんな、どうして……」
動揺する自衛隊員を前に、零は顔を曇らせ、呟く。
「すみません」
そのすみませんが何に対してなのか、そんなものを考える余裕は既にない。
「ま、待て‼」
できたのは零が動き出すその寸前に叫ぶことだけ。
目の前にいるのはただの高校生ではない。そんなことは分かっていたがこれだけの規格外を見せられては彼らも必死にならざるを得ない。
「……一歩でも動けば」
リーダー格の男は入り口を指差し、必死に冷静に告げる。
「彼が無事ではすまないぞ……」
「――‼」
入口にいるのは口にガムテープを貼られ、二人に両腕を、一人に頭を押さえられた蒼空。
モガモガと何かを言っているが意味を成す言葉にはならない。
「少し大人しくしろ」
拘束しているうちの一人が蒼空の首筋にナイフを突き当て、低く言う。その脅迫は十分効いたようで、蒼空は青ざめた顔のまま大人しくなった。
「お前ら……、自衛隊じゃないのかよ。関係ない一般人巻き込んで……」
「そんなことは分かってる! だが、我々にはこなさなくてはならない任務があるのだ。私達には、護らなくてはならない家族がいるんだ……」
「……クッ」
高校生を誘拐し脅迫、そんなものを自衛隊が行えば間違いなく大問題になる。だが、この任務に選抜されたメンバーの大切な人たちが担保にされていたら、任務を確実に遂行し、外部に漏れることもないだろう。
「國枝……っ」
これを仕組んだであろう張本人の名を苦々し気に吐き捨て、零は眼前の敵を睨む。
「大人しく、するんだ。そうすれば彼にもこれ以上危害は加えない。だから……」
「――できるのか?」
「え?」
「お前たちにそいつを殺せるのかって聞いてるんだ」
ポケットに手を突っ込み、零は毅然とした態度で挑発するかのように告げる。
「なにを――」
「自衛隊は殺すというよりは護るために運営されてる組織だろ。まして今の日本に戦争を経験した自衛隊員なんて殆どいないはずだ」
「だから何を――」
「できるのか? そんなあんたたちが善良な一般市民を殺すなんてことが」
「そ、それは……だが! 我々はやらなければならないんだ!」
その切羽詰まった訴えに零は顔を歪ませて目を伏せる。
「それは……分かります。きっとあなたたちも同じ被害者だから。だけど、本当に人を殺せるんですか? 人を殺す重みを、殺した後に背負う代価を、理解してるんですか?」
「なに、を……」
零から発せられる奇妙な圧に押され、隊員達は僅かに後退してしまう。
「さっき俺に銃を向けた時だって躊躇してたじゃないですか。人を殺した罪科は一生付きまとう。もしも法廷で裁かれなくとも、ずっと抱えていかなければならないんだ。あなたたちならそのくらい分かっているはずでしょ。人を殺すということは当事者だけの問題じゃない。大切な人を失った遺族がどれだけ苦しむか、普段災害救助をしているあなたたちが誰よりも知っているはずだ」
「……たとえ、そうだとしても……。我々は任務を遂行しなくてはならないんだ!」
リーダー格の男は零に拳銃を向け、叫ぶ。
それに呼応するかのように他のメンバーも銃を構えなおした。
「もう一度だけ言う! 大人しく連行されろ! 抵抗するようならば! 射殺許可も降りている!」
零に向けられる銃口は十九、そして拘束されている蒼空の首筋には依然ナイフが突き当てられている状態だ。銃を持つ手は小刻みに震えている。
祈っているのだろう。
願っているのだろう。
零が大人しく投降し、その引き金を引かなくていい結末を。
隊員達の気持ちも分かる。だが、ここで捕まり國枝の下に連行されるわけにはいかない。
零は瞑目し、ゆっくりと目を開ける。
「……じゃあそっちは頼んだ」
誰に向けて言ったのか、それとも独り言なのか。その瞬間、
「りょうかい!」
どこからともなく聞こえた声と同時に、蒼空の周りが土煙に包まれ、次の瞬間、その煙がボゥと一瞬で払われる。
聞こえるのは鈍い音とうめき声、そして、安堵の溜息。
そこには気を失った三人の自衛隊員と、ガムテープを剥がされた蒼空。そして、焦げ茶色の髪をした目つきの悪い少年が立っていた。
「なっ⁉」
三秒にも満たない出来事、事態の把握すらできないその状況で、面々は視線をそちらに移してしまった。
「――しまっ」
時既に遅し。
次の瞬間には十九人の自衛隊員は全員床に倒れていた。
自分が何をされたのか、どうして倒れているのか、分かるのは体の随所に感じる鈍い痛みだけ。
そんな倒れた自衛隊員の間を縫うように零はゆっくりと歩く。
「多分、大丈夫だと思いますよ。國枝だって俺を簡単に捕まえられるなんて思っていないはず。だからきっと、あなたたちが負けるのも想定の範疇のはずです。あの男は、きっと……」
カツカツと床を踏み歩き、零は蒼空の下に向かう。
「……、」
「ねえ、これっていったい……」
「詳しいことは、話せない。とにかく、早く帰るぞ」
「帰るぞ、って帰らせていいわけ? このまま帰らせたらまた狙われるんじゃない?」
零と蒼空の会話に割り込んだのは先程突然現れた少年だ。あくびをしながらけだるそうにしている。
「あ、っていうか、双葉君……だよね? なんでここに、っていうか助けてくれてありがとう?」
「ああ、まあ気にすんな。――それよりもこれからどうすんだ?」
「……はあ、仕方ないか……」
修哉に目を向けられ、零は軽く息を吐くとそう言った。
「待ってくれ……」
話を終え、歩き出そうとしていた零を倒れているリーダー格の男が呼び止める。
「彼はいつから近くにいたんだ。気配は全く……」
その問いに、零は答えずに首を振って当人に話を向ける。
「いつから近くにいたって答えなら、答えは学校を出た時だな」
「なっ、そんな……」
「修哉はお前らの後ろからずっと付いてきてたんだよ」
「そんな……私は二重尾行にも気が付かなかったのか……」
男が衝撃を受ける中、修哉は零に目を向ける。
「ちなみに零は最初から気付いてたわけ?」
「近くにいるとは思ってたけど、明確に気が付いたのはここに入ってからだ。俺はそこまで空間把握能力高くないしな」
零は素っ気なく答えると、廃工場から出て行ってしまう。
「それで、念のために聞いておきたいんだけど、俺のことは知ってるのか?」
「……予想はついている。双葉修哉。桐谷零と同じくWIZARDの一人――」
「ま、ある程度の情報は与えられてるってわけね。まあいいや」
修哉もそのまま廃工場を去ろうとしたが、その一歩手前で足を止めて振り返る。
「ちなみに、他のメンバーについての居場所とかは分かってたりするのかな?」
「…………」
「あっそ、まあいいや」
男は修哉の質問に答えず、修哉も拘泥する様子を見せずにその場を去った。
「え、えっと、し、失礼します」
そして、いまいち状況がつかめていない蒼空は何故か彼らに軽く頭を下げて足早に二人の後を追った。