Episode1
十畳の寝室と一般家庭の四倍程の浴槽、筋トレができるほどのトイレに十二畳のリビング。
桐谷零がいるのは同い年である城風華蓮に与えられている部屋だ。十五歳に与えられるにしてはやや大きすぎるその空間。
零は僅かに緊張を浮かべながらポケットから包装された小箱を取り出す。
「これ……」
零が差し出したのは銀色のネックレス。中学生用のため、大人が付けるには小さいが、送る相手が中学生なら何の問題もない。
「どしたのこれ?」
「今日買い物行ったときにたまたま見つけて……たまたまというか、別に大した意味があるけじゃないんだけど……」
「このネックレスって確か……ペアルックの奴だよね?」
「――あ、いや、まあ、そうだったかも……?」
「……てことはもう一つは零が?」
「いや、まあ、まあ……」
零は華蓮の好奇の視線から目を逸らし、言葉を詰まらせる。
「じゃあ、さ。つけてよ」
そう言うと華蓮は等身大の鏡の前にイスを置く。そこに座り、色素の薄い長い髪を前に持ってきて首筋を露出する。
「お、俺が?」
「他に誰がいるのさ」
いたずらっこのような笑みを浮かべた華蓮は「早く、早く」と零を急かす。
「……マジで?」
ネックレスを渡して終わり、そう考えていただけに予想外の要求に零は戸惑いを隠せない。
「はやーく!」
こうなったらやるしかない。零は腹を決めて華蓮の後ろに回る。
そもそもネックレスとはどうつければいいのか、零は自分の中にあるデータを参照し、華蓮の頭の上を通るようにしてゆっくりとネックレスを前に持っていく。
あとは引き輪を金具に入れるだけ。だが、器用とは言い難い零のテクニックでは中々上手くいかず、もたついてしまう。
体温が上昇し、心拍数も増加する。髪からはシャンプーのいい匂いがするし、冷静を保ち続けるのは難しい。さっさと成功させないと手汗のせいで成功率がどんどん下がっていくのは明確だ。
零は軽く息を吐き出し、全神経を研ぎ澄ます。そして、カチャンという音と共に緊張が弛緩される。
「はぁ……」
「うんうん」
零は上手くできた安堵感で精一杯だが、華蓮は満足したように鏡を見ながら笑顔を浮かべている。
「でもこれ結構短いからあたし一人じゃ着脱は難しいね」
「え?」
「これ、付ける時は零に頼まなくちゃね」
「おいおい……」
そんなことを毎回請け負っていたら零の心臓がいつか破裂してしまう。
今でさえ千メートルを全力疾走した後と同じくらいに心臓は跳ねているのだ。
「別に取らなきゃいいだろ」
「……おお、つまり自分の贈り物を生涯ずっと身に付けろということだね?」
「なっ! そ、そんなこと!」
「いやぁ。零も中々重いねー」
「だ、だからそう言うわけじゃ!」
「……違うの?」
「だから違うって! 別にそんな大層なもんじゃなくて……」
「あたしはこれ、結構嬉しいんだけどな」
「え?」
からかわれすぎて真っ赤になっていた零は驚いたように華蓮を見る。後ろからなので顔は分からないが、耳が赤く染まっているのは判別できた。
「……俺はそれもう付けないからな。外したくなったら無理やり引きちぎれよ」
「……うん。分かった……もう外さない」
華蓮は軽く頷き、零は照れ臭くなって頬を掻く。
「じゃ、じゃあ俺もう行くから」
「あ、うん。おやすみ」
「ああ」
零は急いで華蓮の部屋を出て扉を閉める。
(あっ! 最後に振り返って華蓮の顔見とけばよかった!)
振り返る余裕がなく、華蓮の表情が確認できなかったのが悔やまれる。
「はぁ……」
広い廊下に敷かれた赤い絨毯、値段の程は知らないが安いものではないだろう。零はそんな絨毯を踏みつけながら肩を落として、自分の部屋に戻る。
零の部屋の造りは華蓮と全く同じ、中学二年生に与えられる部屋にしてはかなりレベルが高いものだ。
日本の首都である新宿に建てられたこの建物は外から見ただけではどこかの会社のビルにしか見えないが、中で行われているのは国でもトップレベルの秘匿性を持つ実験だ。
そして、その実験の被検体は六人の中学生。
研究者達が発見した未解明物質、人体のどこの器官が生み出しているのか、どのようにして発生しているのか、謎に包まれているそれを科学者たちは『オーラ』と仮名した。常識を超えた超常的な力を持つオーラ、そんなオーラを持つ六人の中学生。
彼らを一つに集め、WIZARDという名のもとにグループとして組織した。そして、そのグループの指揮権を持つのが現防衛大臣である國枝東吾という男だ。
零達が暮らすこの建物は防衛省による特殊研究機関、という名目の隔離施設だ。
外に出るには手間で、時には面倒な任務を与えられたりもするが、衣食住は揃っているし、別段困るようなことはない。
「そういえば……明日はまた任務か」
横浜の港で行われる予定の密輸、その密売人を摑まえるのが仕事だ。
「殺していいなら楽なのになー」
零は自分の部屋に戻り、ベッドの上でぼやく。
「でもまあ、失敗するわけにはいかないよな」
明日は初めて零が作戦を立てた任務だ。いつもはWIZARDの仲間である別の奴が立案しているが、今回は零が多少無理を言ってその役を代わってもらった。
理由は単純にして明確。
自分の有能さを見せたい相手がいるからだ。
少しでも凄いと思ってもらいたい、たったそれだけのことだ。
そんな少年の淡い恋心が、あの深く暗い絶望的な惨状を作り出すなど、誰も想像できなかった。