5. キミのことが大好きで
「……先輩?」
休日。二つほど離れた街で友達と買い物をしていた所、人気のない場所で生徒会副会長の先輩と思わしき人物を見かけた。
丁度一人だったから、声を掛けてみたのだけど……。
「ひっ……!」
その子は酷く怯えた様子で、表情も普通ではなかった。何か異様なものでも見ているかのような目だった。
――先輩じゃない……?
「ご、ごめんなさい……びっくりさせて……」
「こ、こないで……!」
そっと手を差し伸べるも、あまりに酷く怯えるものだから、とても普通ではない状態だった。
「……っ……!」
彼女は私から逃げようとするけれど、身体が言うことを聞かないのか、小刻みに震えだして動かなかった。
「ごめんなさいっ……! ごめんなさいごめんなさい……!」
次第に彼女は謝罪の言葉を並べながら、目尻に涙を浮かべていく。
「大丈夫だよ。私はキミに危害は加えないから」
状況を察し、咄嗟にギュッと彼女を抱きしめる。
「いや、いやぁぁっ!!」
最初は必死に抵抗していた。ただでさえ動かない手足を小さくバタバタさせて、私の身体を殴って。
それでも、私は彼女を離さなかった。
「大丈夫、大丈夫だから」
優しい言葉を掛け続けて、頭や背中をさすって、何回も何回も殴られて。
「大丈夫、大丈夫だよ。誰もキミを攻撃しないから」
ようやく、彼女も落ち着きを取り戻していった。
「落ち着いた?」
「……っ!」
私の顔を見るなり、またすぐに下を向いて震えてしまう。
やっぱり彼女、人が怖いんだ。
でも、私から離れないということは、私のことを少しは信用してくれたということだろうか。
それにしてもこの子……。
顔立ちも雰囲気もどこからともなく先輩に似ている。もしこの子が先輩と血縁関係にあったとして。
そもそも先輩に、妹なんていただろうか……?
―――
「大丈夫だよ」「誰も君を攻撃しないから」「怖かったね、よく頑張ったね」「大丈夫だから」
そういった言葉を掛けられる度に、私は彼女と妹を重ねてしまう。
妹と同じ安心感。安堵感。信頼感。目を瞑れば、まるで彼女が本当の妹のように感じて、心が癒されていく。
この人は私の敵じゃない、そう感じることに時間は掛からなかった。
「……落ち着いた?」
「……っ!」
それでも、やっぱり妹以外の人は怖い。彼女の顔を見ることも私にとっては耐えがたいことで、つい下を向いて顔を隠す。
「誰もあなたを責めないから」
でも彼女は、そんな私を責めなかった。ただ私に身体を貸してくれて、彼女の腕の中で小さく震える私に、また優しい言葉を掛ける。
そうして、時間だけが過ぎていく。
「……大丈夫? 立てる?」
首を縦に降って返答すると、彼女はゆっくり私を立たせてくれた。
「誰と一緒に来てるの?」
「……お、お姉ちゃんと…………」
「お姉さんか。じゃあ今から探しに――」
その瞬間、彼女は私に背を向こうとした。その光景がまるで、妹が私の傍から離れていくみたいで。
「い、いやっ!」
反射的に彼女の腕に抱きつく。私の傍から離れないでほしかったから。私を一人にしたいでほしかったから。
「で、でも探さないと……」
「嫌だ……一人にしないで…………」
「うーん……」
彼女は終始困り果てた表情を浮かべていた。
「あ、いや……その……ご、ごめんなさい……。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!」
我に返った私は、彼女に迷惑を掛けてしまったことに「嫌われるかもしれない」と思ってしまい、また謝ってしまう。
嫌われたら、また一人になる。嫌われたら、危害を加えられる。ありもしない現実に怯え、必死に謝った。
「……大丈夫、一人になんてしないから」
そんな私を優しく抱きしめる。
「そうだよね……一人は怖いよね」
暖かくて、癒されて、妹みたいで、また依存してしまいそうで……。
「じゃあ、もう少しだけ一緒にいよっか」
その曇りなき笑顔を見ると、まるで自分の存在が確立されたような気がして、心地が良かった。
私はまだ、孤独に対する恐怖を克服出来ていないんだ。
―――
私がこの子に手を差し伸べたのは、単なる優しさというのもあるけど、やっぱり一番は「先輩に似ていたから」なのかもしれない。
この子を助けることで、まるで私が先輩の唯一になれたという擬似的な快感を味わえる。
いつも綺麗で、優しくて、頼りになる先輩が、こんなに苦しそうに泣いていて、どうしようもなくなって私に縋るその姿に、つい心を奪われてしまう。
かわいい、もっと見たい、独り占めしたい、私だけのものにしてしまいたい。そんな邪な感情に支配されて、身体中がゾクゾクと震え上がる。
「……お姉さんと連絡とかはできない?」
「……うん」
気の滅入る声色と共に、彼女はスマホを取り出しては真っ暗な画面に虚無を見る。
「そっか……どうしようね」
彼女の身内と連絡が取れない状況に困り果てていた時。
「おーい」
都合が悪いことに、別行動していた友達と鉢合わせてしまった。彼女が私の横でビクッと肩を震わせていることを知らず、友人は駆け寄ってくる。
「探したよー、どこにいって……って、その子は?」
友人に彼女の存在がばれ、彼女は私にくっついて隠れる。私も咄嗟に彼女を身体全体で隠すように庇う。
その時の彼女の身体は、とても震えていた。
「……迷子だよ」
「迷子? ねぇ君、大丈夫?」
友人が悪気もなく彼女に話しかけると、彼女は「ひっ……!」と小さく悲鳴を上げ、私の服を力いっぱい掴む。
「……?」
「ごめん、この子人が怖いみたいでさ……しばらく二人にさせてくれないかな? 後でちゃんと説明するから」
「よ、よく分かんないけど、私もう少し買い物してくるね。また連絡するね」
なんとなく状況を察知してくれたのか、友人はそそくさとその場を後にしてくれた。
「大丈夫……?」
「……ぐすっ、うぅ……」
大丈夫な訳ない。
人間が怖い状況下で身内とはぐれて、赤の他人である私に会って、立て続けに私の友人と鉢合わせて、この子の精神も大分追い込まれているだろうから。
「よしよし、怖かったね。もう大丈夫だよ」
その不安な気持ちも、恐怖心も、全部私で癒してあげられたらいいのに。
私の身体を、差し出してでも。
―――
「はぁ……はぁ……」
どこを探しても見つからない現状に、段々と焦りが募る。
このまま一生見つからず、そのうち行方不明になって、そのまま――。
「……っ!」
想像したくもない未来が頭に思い描かれる。絶対に見つけなきゃいけない。でも、これだけ探し回って見つからないのも事実。
もう、どうしようもないのだろうか。このまま、もう見つかることもないのだろうか。
「……お兄ちゃんっ」
下唇を噛むようにして言葉を詰まらせた時、誰かが私の元へ駆け寄ってくるのを視認した。
今まで何度も見てきた。身長が小さくて、軽そうで、小柄で可愛くて。私の大好きな人。
「お兄ちゃん……!」
そのまま勢いよく私の身体に飛び込んだお兄ちゃんは、有り余る力の限り私を抱きしめた。
「怖かった……寂しかった……やっと、一緒になれたっ!」
嗚咽と共に吐き出される言葉の裏に、一体どれほどの苦しみがあっただろうか。
「ごめん、一人にさせてごめんね……!」
お兄ちゃんを抱きしめ返す度、心の中で様々な感情が渦巻く。
もう絶対に離したくない。寂しい思いをさせたくない。監禁してしまいたい。お兄ちゃんには私だけいればいい。
でも、それは出来ないこと。してはいけないこと。
「大丈夫だった? 誰かに何かされてない?」
「うん……この人が助けてくれて」
お兄ちゃんが指を差した方に、一人の女の子が立っていた。
私より少し身長が小さく、華奢の体型に豊かな髪が風に揺れるその姿は、まるで絵に描いた様な美少女で……。
「こんにちは、先輩」
私のよく知る人。私に懐いてくれている、学校の後輩。
「あなた、どうして……」
困惑する私とは裏腹に、表情一つ変えずに挨拶する。その姿がなんだか一瞬不気味に思えて、ついお兄ちゃんを腕で隠す。
「……やっぱり。その子、人が怖いんですね」
意を突かれた言葉に、私は一瞬動揺するが表には出さない。
「どこまで知ってるの……?」
「それだけです。その子と一緒にいたら、嫌でも分かっちゃいます」
もし本当にそれだけだとしたら、この子の正体も見破られていないはずだ。
「そう……ありがとう、助けてくれて」
「いえいえ。先輩に随分似ていたので、もしかしたらと思いまして」
本当なら今すぐにでもお兄ちゃんと彼女を離したい。でもお兄ちゃんが彼女に対して拒否反応を示さないあたり、彼女のことを信用しているのだろうか。
「……先輩って、妹さんいたんですね」
彼女の何気ない言葉に、私とお兄ちゃんが固まる。
「あ、あれ? 言ってなかったっけ……?」
「初めて知りました。いつもお兄さんの話ばかりしていたので」
彼女が発言した瞬間、ギクッと心臓が止まったかのように感じた。
「……え?」
お兄ちゃんが不思議そうな顔で私を見つめる。
「い、いやーそうだったかなぁ……?」
「そうですよ。あれだけ聞かされた私の身にも――」
「わーっ! 喋らなくていいから!」
口を滑らせる直前、咄嗟に彼女の口を手で塞ぐ。
「先輩ってば、照れちゃってかわいいですねー」
「か、からかわないで……!」
彼女はいたずらの笑みを浮かべ、私の反応を楽しんでいるようだった。
「ね、ねぇ……」
そんな私たちのやり取りを見ていたお兄ちゃんは、そっと私の服を摘んだ。
「どうしたの?」
「ちょっと、距離近いと思う……」
お兄ちゃんは些か怒っているような、眉間にシワを寄せて不機嫌そうに呟いた。
「ご、ごめんね……嫌だった?」
咄嗟に目を見て謝ろうとしても、すぐに視線を逸らされてしまう。
「……うん、いや」
嫉妬、してるのだろうか。私が彼女と楽しそうに会話しているのを見て。
心臓が高鳴り身体が震えるほどの感情が湧き上がる。お兄ちゃんが私に嫉妬してくれているというこの現状が、私を高揚させてしまう。
「――ごめん、私たちもう帰るね」
「そうですか、分かりました」
「この子のこと、ほんとにありがとう。いつかちゃんとお礼させて」
「はい、楽しみにしてます」
もしお兄ちゃんが、以前のようにあのまま私だけを求めていたら。私に縋っていたら。私だけを見ていたら。愛していたら。
今の私なら、どうしていたんだろう。
―――
「疲れたでしょ、もう帰ろっか」
「……うん」
妹の後輩らしい人と別れた後、 極度の緊張状態から解放されたからなのか、謎の安堵感に包まれる。
「……お兄ちゃん?」
「ご、ごめん……足が動かなくて」
そのせいなのか、膝の力が抜け落ちて立つことすらままならない。
「おんぶするよ」
でも妹は嫌な顔一つせず、私に背中を貸してくれる。
あったかい。それに、いい匂い。
以前はもっと、この匂いと温かさに包まれていたのに。もう、それも出来なくなってしまった。
「あの人、悪い人じゃなかった」
妹の背中に揺られながら、あの人のことを思い出す。
「あの人って、私の後輩?」
「うん。なんていうか、キミに似てる感じ」
「に、似てるかなぁ……?」
似ていた。
私があの時感じたのは、まるで妹と一緒にいるような感覚だった。安心感も、信頼感も、優しさも、どことなく妹と似ていた。
「……また会いたい」
この私が無意識に呟く程には、私はあの人に妹を重ねてしまっている。
あの人なら、私は過去を克服できるかもしれない。
あの人なら、私は妹から離れることができるかもしれない。
あの人なら――。
「……そっか。なら、私から話してみるね」
もう一度会ってみたい。妹以外の人間で、初めてそう思えたから。
「…………」
妹が一人、寂しそうな悔しそうな……腑に落ちない表情をしていたことを知らずに。




