2. 終着点
「……はぁ」
静寂な空間で一人溜息をつく。
最近は学業の多忙に追われ、ゆっくり出来る時間が少なかったために、自然とストレスが溜まっていた。
「あんな言い方、なかったよね……」
でも、いくらストレスが溜まってイライラしていたとはいえ、お兄ちゃんが私の部屋を訪れた際に突き放すような言動をしてしまった。
「……あとでちゃんと謝ろう」
自責の念に駆られた私は、さっさと目の前の課題を終わらせてお兄ちゃんに謝ろうと思った。
「はぁ……終わらないなぁ」
でも、中々終わることのない課題を前に、焦燥感に駆られていく一方。
「会長もあの子も無茶しすぎなんだよ」
生徒会に入ることを決めたのは私とはいえ、流石にこの量を捌ききるのは無理がある。それに付き合う後輩のあの子も大概だ。
「ダメだ……残りは明日やろうかな……。こんなの一日で出来るわけない」
これ以上続行するのは不可能だと思い、早々に切り上げた私はすぐさまお兄ちゃんの部屋へ向かった。
「お兄ちゃん」
扉の前に立ち、ノックする。でも返事はない。
「――さっきはごめんね。少し話がしたいな」
優しく呼びかけても、謝罪を口にしても、中から返事が聞こえることはない。
「……お兄ちゃん?」
ドクドクと心臓が速くなる。身体中の血液が湧き上がるような感覚。ぐるぐると頭を駆け巡る嫌な予感。
「ねぇ、お兄ちゃん! 大丈夫!?」
次第に焦りが募り、扉を強く叩いてしまう。それでも声は聞こえない。
居ても立っても居られなくなり、力任せに扉を開ける。
「いな、い……?」
私の視界に映るのは、誰もいない空虚な部屋。
そんなこと信じたくなくて家中を探し回ったけど、お兄ちゃんの姿は見当たらなかった。リビングにも、お風呂にも、トイレにも。
まだ現実を認識しきれなかった。きっと見落としてるだけで、お兄ちゃんは家にいると、そう思い込んだけど。
「うそ……。どこ行っちゃったの……」
なかった。お兄ちゃんが履いていた靴が。
今のお兄ちゃんは外出することさえままならないはずだった。つまり、私はそれほどお兄ちゃんを追い詰めてしまったんだろう。お兄ちゃんは、勇気を出して私に話しかけてくれたのに。
「そうだ、電話……!」
スマホを取り出し、お兄ちゃんに電話を掛ける。でも、何回コールが鳴ってもお兄ちゃんが出ることはなかった。
「なんで出ないの……!」
際限なく襲いかかる焦りと苛立ち。そして後悔。何も考えたくなくて、居ても立っても居られなくなった私は、すぐに家を飛び出した。
街頭に照らされた暗闇の道を走る。スマホを耳に当てながら、ひたすらに走る。もちろんスマホからは呼び出しコールが鳴り続けるだけ。それでも微かな希望を抱いて走り続ける。
「はぁ……はぁ……」
でも、どこを探しても見つかならなかった。完全に息も上がってしまい、これ以上走るのも無理だった。
でも、それでも――。
「っ!?」
突然、私のスマホのコールが鳴り止んだ。
「お兄ちゃん! 今どこにいるの!」
怒声にも近しい声色で、すかさずお兄ちゃんに話しかける。
『……どうしたの?』
でも、お兄ちゃんは妙に落ち着いた雰囲気だった。
「どうしたのって、突然いなくなるから心配したんだよ! 今、どこにいるの?」
『……リビングに手紙を置いたはずだけど』
「手紙……? そんなの見てないよ……なにを書いたの?」
『……今まで迷惑かけてごめん。邪魔な私はいなくなるから、安心してね』
「な、なにを……言ってるの?」
その瞬間、プツッと電話が切れてしまった。
「あ、お兄ちゃん!」
断続音が耳を貫く度に、心臓の鼓動は強くやっていき、だらだらと冷や汗が垂れる。
このままだとお兄ちゃんが、本当にいなくなっちゃう……。
「――っ!」
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
あの時、どうして優しく出来なかったんだろう。どうしてもっと早く謝りに行かなかったんだろう。一時の感情で行動すれば取り返しのつかないことになるって、分かってたのに。
荒波のように押し寄せる後悔。
「ごめんなさい、お兄ちゃんっ……!」
私の一時の感情でお兄ちゃんを傷つけて、追い詰めて、それで出ていったお兄ちゃんの居場所さえ分からない。
もう、どうしようもなかった。
今の私には、ただ心の中で何度も何度も謝ることしか出来なかったぐらいに。
―――
『邪魔』
その言葉が私の脳裏から離れない。しつこく付き纏って、私の精神を追い詰めていく。
私は邪魔な存在。だから消えてしまえばいい。そうすれば、誰にも迷惑かけずに済むのだから。私がいなくなっても、誰も困らないから。
そう考えてから、全てがどうでもよくなった。
「…………」
とても心地がいい夜風だった。ずっとその風に煽られていたいと思えるほどに。でもそれは叶わない。覚悟が決まっているうちに、早く自分の人生に終止符を打たなければならないから。
「……はぁぁ」
深い、深い深呼吸をする。取り乱さないように、まだ生きていたいと思わないように。
前に広がる大きな川に足をつける。冷感刺激によって徐々に体温を奪われていく。
何度も何度も深呼吸をして、一歩一歩着実に進んでいく。やがて足先の感覚が途絶えても、止まることはない。
もうすぐで楽になれる。
邪魔な私はこの世にいらない。誰からも必要とされていない私は、消えてしまえばいい。
もうこれ以上、苦しむこともなくなる。これで全てが終わるんだ。
「……ばいばい」
ここが、私の人生の終着点なんだ。




