人気のないスキー場のペンションで飼われている金魚が水槽から飛び出して死んだばかりでなく、女子大生も死んじゃった冬の日
第五回なろうラジオ大賞参加作を書いていたはずが、文字数が収まらずどうしてこうなった、という作品です。
全部で13個中、10個「コスモス/雪山/温泉/和菓子/5年/金魚/帽子/三日月/文化祭/暖炉」のキーワードが出てきます。
*イジメ、性犯罪の描写がありますので、閲覧注意です。
スキー場と温泉が売りだが冬でも混雑することはない雪山の、若夫婦が経営する小さなペンションで起こったことだ。
三泊の予定で一室だけ使っていた大学四年生カップルは、早めの卒業旅行としゃれこんでいたのだろう、スキー後風呂を浴びると、暖炉を囲むくつろぎスペースで談笑していた。
オーナーの奥さんは、夫の知り合いだというと女性客に地元の甘味とお茶を出し、男にはビールを勧めた。
その後しばらく奥さんが夕食の支度をしていると、男が青い顔でキッチンに現れ、連れの女が体調を崩したから救急車を呼んでくれと叫んだ。
近隣で開業する高齢の医師が救急車より早く来てくれて、頻脈と過呼吸からパニック発作だろうとの診立てだったが、瞬く間に容態は悪化し、心肺蘇生も功を奏さず亡くなったという。
連絡を受けた刑事たちは、麓の署から雪の山道を四駆で駆けつけた。
「刑事さん、お茶かお菓子にきっと毒が! 愛菜はこれを食べた後急に息が荒くなって!」
男は、アフタースキーにお茶とお茶請けをサービスしたペンション側の立場も考えずにわめいた。
見た目は線の細い今時のイケメン、派手系の愛菜とは美男美女でお似合いとも言える。
愛菜が食べた菓子は三日月型した地元の銘菓だが、謂わば三角形をした京都産の生八つ橋のジェネリック、全く同じ味だ。
ペアで出された和菓子の卓上に残っていたほうと、茶をその場で鑑識に確認させる。
詳細は科捜研に回しその分析待ちとなるが、鑑識が持っている毒物解析簡易キットでは、特に異常は見られないとのこと。
オーナーは胸を撫で下ろしたようだが、宿泊施設で死人が出たとあっては今後のビジネスに響くので、逆に迷惑な客だと機嫌が悪くなっていった。
「ご、ごめんなさい、疑ってしまって。プ、プロポーズしようとしたんです、この指輪を見せて……。それがいけなかったのかも、きっと、オレのせい、喜んでくれると思ったのに……。内定ももらえてるし、幸せにできるって……。それが、どうしてこんなことに……」
泣き崩れる男は無視し、刑事の視線はソファーの向こうにある異様なモノに釘付けになっていた。
二人は向かい合って座っていたのだが、男が座っていた側の後ろに水槽を載せたキャビネットがあり、雪明りに増幅された窓からの西陽が、腹を向けて水面に浮かぶ金魚の死体を照らし出している。
1匹だけかと問うと、もう一匹は水槽を飛び出し床の上で出水自殺。
刑事が「金魚解剖するか」と鑑識に声をかけると、奥さんが縋りついた。
「この金魚は子ども同然なんです、お墓に埋めたいのでどうか解剖はやめて……」
刑事は小学生じゃあるまいし、と奥さんに冷たい目を投げかけたが、
「まあ、水質さえチェックすれば金魚のことくらいわかるか」
と呟いて、水を採取した試験管も科捜研に提出するよう指示した。
「明日には愛菜さんの親御さんがこちらに到着される。その頃には不審死かどうか、もう少しわかっているはずだ。君はこちらに残れるかね?」
刑事は泣き止んだらしい大学生に、冷ややかに問いかけた。
「もちろんです。愛菜置いて帰れない。ご両親とも面識がありますので……」
「こんな時ですから、私どもも延泊料をいただいたりはしませんから」
苦虫を嚙み潰したような顔でだが、オーナーは何とか言ってのけた。
翌日、ご家族、恋人の男、オーナー夫妻、死亡を確認したおじいちゃん医師をペンションの食堂に集めて、刑事は説明した。
科捜研からの詳細報告によると、死体からもお茶菓子からも、あるはずのない物質は見つかっていない。
胃の内容物は、お茶やその和菓子、昼食に食べた成分のみ。
もちろん、金魚の水も問題ない。
科捜研も、監察医も、愛菜が不整脈気味だったことも考え併せ、不審死ではないとの見解だった。
結局、愛菜の死に事件性はなく、パニック発作が心臓の負担になった悲劇なのだろうと結論付けられた。
それから5年後の夏、麦藁帽子を片手で押さえて、冬にはスキー場に変わる高原のコスモス畑から、潰れたペンションを見つめる女がいた。
「ホント、バカ。私が誰だか気付かないなんて。高1の文化祭で同クラだった愛菜が女装させ化粧までした陰キャ男子。愛菜は自分に惚れてた先輩たちを唆して、私相手にBLごっこさせて動画を撮った。トラウマから私の男性機能は不全、私の性自認自体が滅茶苦茶になった」
女は手当たり次第に花をむしり取って、虚空に投げ上げながら、コスモスの間を散策した。
「大学デビューってか、ちょっと顔弄って外見を垢抜けさせて、男のままで有名大学に入ったら、近くの女子大に通ってた愛菜が近づいてきた。昔イジメた私だと知らず『恋人にして』とか言うし。3年になる頃には勝手に彼女面しだして、抱いてもらえないことにイライラしてるのが可笑しくて」
愛菜を思い出させる妖艶なワイン色のコスモスを摘んで、黄色い花芯ごと握りつぶした。
独特の匂いが鼻につく。
「クリスマス後に身体から落とそうと思ったんでしょ、『知り合いがペンションやってるスキー場があるから連れてって』とねだった。そのオーナーが、私を壊した首謀者だったなんて、ホント笑える。あの奥さん、どこまで気付いてたんだろ、『愛菜、和菓子好きなんで、マカロンとかじゃなくて全然いいですよ』って私が言ったこと、黙っててくれた……」
女は帽子を取って長い髪を風に遊ばせた。
「ま、もうどうでもいいか。これからは心置きなく女として生きられるんだから」
同じ頃、科捜研には生八つ橋を頬張りながら、新入り時代を振り返る男がいた。
「まぶしてあるこの粉は肉桂から採れるニッキ、シナモンと同じ桂皮アルデヒドだ。そしてクスノキも同属。クスノキといえばカンフル。ニッキにもカンフル成分は含まれている。そう信じての結論だった」
白衣を着た化学科職員はざらざらの無精髭を撫でた。
「でもあの事件、山のおじいちゃん医師が蘇生にカンフル剤使ってなかったとしたら、あのカンフル数値は異常だ。今時、強心剤はアドレナリン作動薬だろ? 血中は元より、胃の中のカンフル濃度が高すぎたんじゃないか? それを俺はニッキをまぶした和菓子を食べたんだから当然と見做した」
実験台の横の椅子に座り、背もたれに体重を預けだらしなく伸びをする。
「カンフルとは樟脳のことでもある。防虫剤として精製されたものは有毒だ。和菓子の上に小さな樟脳の結晶を載せておく。食べた彼女の心臓は振り切れた。発作にもなるだろう。もうひとつ出されていた菓子の上の樟脳は回収して金魚の水槽へ」
頭を掻きむしってみた。
「なぜ水槽へ? 樟脳隠すなら靴の中とか衣類とかに付着させとけばいい。早晩揮発する。わざわざ水槽に入れた意味、金魚を殺すことに意味があったとか?」
全く不健康そうな容姿の白衣の男は、ガタンと立ち上がって辺りを歩き回る。
「樟脳は水に溶けない。水面に薄く広がり揮発してゆく。しかしその暇もなくあの金魚たちは、水面に落ちて来た白い塊を餌だと思って口にしてしまったんじゃないか? そしてすぐさま神経錯乱、狂ったように泳ぎ水槽を飛び出した。その様子を、犯人は被害者に見せた。『お前が今食べたのはこれだよ。お前はこんな風に死ぬんだ』などと言いながら」
白衣を脱ぎ捨てて男は、机に投げつけた。
「何てことだ、怨恨による計画殺人じゃないか!! 容疑者は恋人か奥さん。あのペンションは空き家になったと聞いている。関係者の足取りは……?」
男は署へ電話をかけようとした。
だが、金魚の死体も土に還ってしまった今となっては証拠不十分、立証は難しい。
クスノキから採れる精製油の、カンフルとしての医療使用と樟脳としての毒性。そして、シナモン、ニッキとの類縁性を知ったかぶりした自分のミスだ。
とりあえず、親しい刑事を酒に誘いその場で話を聞いてもらうか。
立件できなければ一生背負って後悔し続けようと考え直して、受話器を元に戻した。
ー了-