魔術の大精霊の性格が終わってる
あれからどれほど経ったかわからない。
背中に感じる地面の感触、鳥達の鳴き声、しかしその環境に似つかわしくない腐敗臭。
あの化け物が出した液の残り香が、鼻の中に漂う。
ゼンタは重い瞼をゆっくり開けた。
大きな空が見えたと同時に、そこには美女と呼ぶには、あまりにも言葉足らずなほど美しい女が、自分の周りをウロウロとしているのが目に入る。
褐色肌を愛する人種すらも見惚れるほど白くきめ細かい肌に、和紙を濡らしたように艶のある長い黒髪は後ろで束ねられている。キリッとした大きな目は、猫目と呼ぶにはあまりにも気高くネコ科最強百獣の王を思わせるほど美しい。高くしなやかに筋が通った鼻は彼女の人格もそうであるだろうと思わせる程で、それらを含めた顔のパーツが、完璧な位置に配置されているのだから、芸術品と呼んでも疑わない程の黄金比を醸し出していた。
「もう死ぬ人間の生命力を食うんだからこれは殺しではない」
ブツブツと独り言を呟き、親指を噛むと右へ左へ移動する。
組んでいた腕を解くと何かを決めたようにゼンタの近くに腰を下ろした。
「そうだ……うん……放っておいても死ぬのだから、勇者の奴も文句は言うまい。むしろ私の糧になれるのだからこれは良いことをしている……絶対そうだ……」
うんうん、と首を上下に振ると、思い悩む表情から、まるで宝物を見つけた子供の様な表情に一変し、ゼンタをジッと見た。
「では………いったっだっきまーーーす!」
ゼンタの腕を両手で持ち、美女はそれを自分の口元に運んだ。
自分の体から何かが抜けていくのがわかる。
何かはわからないが、体から何かを吸われている様な感覚。
かと言って、それが気分の悪いものかと言われればそうでもなく、むしろ心地良さすら感じる。
とうとうゼンタは口を開いた。
「何してるんですか?」
「ブーーーーーー!!」
その美女は目を見開いたかと思うと、盛大に口から何かを吹き出した。
「オエッ! ゴホゴホ! てめえ! びっくりするだろうが!」
「いや、と言われても。見ず知らずの人に腕を噛まれたら誰だって……」
「というか貴様! 何で喋れる! 何で生きていられる! ネイチャーバグに殺されかけたんじゃねえのか!」
「ネイチャーバグ? ……」
ゼンタは全て思い出した。
あれからどれほど経ったかわからないが、自分が村を襲うでかい化け物に殺された事を。
ゼンタはガバッと起き上がると首を回し辺りを一望する。
「村は! ここはどの辺りだ!」
「ああ……近くの村なら消えたよ。ネイチャーバグ。お前がやられた、あのモンスターによってな」
「嘘だ……夢なんだろ……あれは……現にあんな目にあった俺がこうして……」
すると涼しい顔をしていた女は思い出したように、しかめっ面に変わり、ぐいっとゼンタの顔ににじり寄った。
「そういえばそうだ! お前なぜ生きている! 辺りを見るにネイチャーバグの毒液をお前も浴びたに違いない。そうでなくともB級モンスターであるネイチャーバグと相対して、ただの村人風情が生きていられる訳などないのに!」
「いや、それは俺にも何が何だが……」
「それに! ただでさえ、久しぶりの食事にがっついてしまい、お前の生命力をふんだんに食ったのに……」
「生命力? 食う? ……何を言っているんだ? あなたは一体……」
自分が生きているだけでも不思議なのに、自分の前に現れた美女の不可解な言動がより状況の整理を邪魔する。
「私か? ふふふ……」
美女は不敵に笑うと、次に両手を広げ天を仰いだ。
「聞いて驚け! 私は精霊! 名などないがこの世で最も優秀とされる大精霊の1人なのだ!!」
「精霊様? ……」
「おうよ……フェイといえば聞いた事はあるだろう。そのフェイの中でも1番、究極で偉大で天才で猛烈で小粋な存在! それが私だ!」
「フェイ……魔術の精霊とも言われる……あの……」
「驚いたか、しかも言ったように、ただのフェイの精霊ではない。私ほどの実力を持つ精霊は世界に四人といない!」
精霊と名乗る女はゼンタの目の前に指を3本突き出した。
「ノームやウンディーネのような四大精霊すらも足元に及ばねえ、種族や総称などを超越した実力を持つ個体! 最高位三大精霊の1人なのだ! うわっはっはっはっは!」
自慢気にペラペラと自己紹介を続ける彼女の様子は張子の虎のようにしか見えなかったが、なぜそんな精霊様が自分の前にいるのかわからなかった。そこでゼンタは一つ仮説を立てた。
「精霊様が死の淵にいた俺を助けてくれたんですか?」
「はあ? 私が? お前を? 馬鹿言うな、そんな訳ねえだろ」
「いや、でもそうでないと、俺が生きてる理由が」
「むしろ逆だ。この世界の精霊はみな生命力を食って生きている。花や草木、動物や虫……そして人間のな」
精霊と名乗る女は呆れたような表情で説明を始める
「その中でも人間の生命力は精霊からすれば馳走。無論食えば人間は弱り、最悪、死に至る。私はお前の生命力を食おうとしてたんだ」
「精霊が人の生命力を食うというのは聞いた事があるけど……でもそれは自然や住む土地を豊かにしてもらう為の交換条件で儀式的なものだと」
「人間の生命力を食わずとも生きていけるからな……が人間という生き物がいないと存在意義を失う精霊もいる。故に、たまに向こうから差し出される人間の生命力を少々頂くか、自然界にとってあまりにも酷い人間達を間引く時にしか食わねえんだよ」
「でも、あなたは俺の生命力をさっき……」
「いや、私はな……私は……」
精霊は伏し目がちに、わなわなと震え出すと
「人間の生命力しか食えねえんだーー!」
と大声でそう空に叫び、ゼンタをギロリと睨んだ。
「他の精霊達も人の生命力を馳走として扱ってはいるが、主食は草木や花々! 自分の宿り木にしているものの生命力を食って生きている!!! でも私は苦手なんだ! あの味! 他の精霊がムシャムシャ食える意味がわからない! ベジタリアン共と違って私は常に飢餓状態なんだよ!」
「は、はあ」
「60年前までは私も腹が減っては人間の生命力を無造作に食っていた! が! あの勇者の野郎にボコボコにされてからと言うもの! あいつが人間の生命力を無作為に食う事を殺人として禁じ、それからという物、腹が減っては大嫌いな草木の生命力で飢えを凌ぐ、そんな生活をしているんだ!」
あまりにも荒唐無稽な話にゼンタは単純に困惑したが、殴りかかるように睨みつける精霊の怒りは少なくとも自分に向けられている訳ではないと解釈した。
「繰り返しになりますけど……さっき俺の生命力を……」
「……それが不思議なんだ。なぜお前ピンピンとしてるんだ」
「いや、俺にもさっぱり……」
2人は見つめ合うも沈黙は続く。微風の音すらはっきりと聞き取れる静寂に耐えかねたのは精霊の方でだった。
「も、ものは試しだ! もう一度お前の生命力を食わせてはもらえねえか?!」
「は? 嫌に決まってるだろ!」
慌てふためき精霊の提案を拒否する。今の説明が虚言で無いのならばこの申し立てを了承するほどゼンタの懐も深くは無い。
「ただでとは言わねえ。私の仮説が正しければお前は死なないし、もし生きていればお前の命とは吊り合わんほどの褒美をやる」
「いや、そんな事で俺の命を引き換えにしろだなんて無茶な」
「安心しろ、さっきのように一気に食ったりはしねえ。ゆっくり食ってお前自身、死を感じたり、体に異変を感じれば、やめる事は約束してやろう」
「と言われても…」
「四の五の言うな! 人間風情が! さっさと腕を貸せ!」
ゼンタの返答などお構いなしに、精霊は腕を無理矢理引っ張り自分の口元に運んだ。先程からの凶暴な態度と人を貪り食うような姿を見て、まるで怪獣のようだと圧倒され抵抗すらする間もなく、肉を噛まれる。するとゼンタの体に先程と同じように何かが抜けていく事だけが、じわりと二の腕から感じられた。
「どうだ? 体に異常はないか?」
腕を噛む事をやめるでもなく精霊はゼンタに問いかける。
「何かが抜けていく感覚はあるが……それ以外は特に何も……」
体に異常が起きている訳ではないのだから大精霊の行いを無下に断るのも野暮だと、ゼンタはなされるがまま腕をさし出し続けた。そのまま3分ほどが過ぎたが、変わらずゼンタ自身の体に何も異常は出ていない。
「おい、一体いつまで食ってんだ? 普通人間はどれくらい食われれば死ぬもんなんだよ」
すると、やっと精霊はゼンタの腕から口を離した。手の甲で自分の口元を拭うと思い詰めた表情でその大精霊は呟いた。
「50人…」
「は?」
「今食った生命力の量を人数にすれば健康な人間50人は死んでいる」
「は? 死ぬどころか俺の体は健康そのものだぞ」
「つまりそう言う事だ………名前は何という?」
「は? そう言う事って何がだよ。お前、本当に生命力を食っていたのか?」
「名前を教えて欲しい」
先程までの乱暴極まりない態度とは違う、しおらしい声と、奥ゆかしい態度に驚いたのか、ゼンタは相手の問いに素直に答える。
「えっ……名前はゼンタだけど……」
「ネイチャーバグの毒液をくらい、これだけ生命力を吸っても死なないなら、それしか考えられない」
「それしかって………まさか……俺は……」
「ゼンタ様……あなたは死なない肉体を持っているのです。文字通り、どうか私を一生ゼンタ様の側にいさせて下さいませ」