少年の両親は形見を残そうと会議する
「お父さん、お母さんおやすみなさい」
蝋の火が淡く揺れ、少年を照らす。布団に潜る幼い我が子に、2人は微笑みながら「おやすみなさい」と優しく返し寝室を出た。
2人きりになった母親と父親の顔は、息子を見ていた優しい表情から一変し、暗い顔に変わる。
「療養のためにこんな田舎まで来たが……僕たちの寿命は、もう長くないだろう」
「ええ、2人して毒の花束を貰うなんて……」
椅子に腰掛け、木造のテーブルを挟むと2人は項垂れた。
「ゼンタがあまりにも可哀想だわ……」
母親の声は震えていた。
「こんなに小さなうちから、私たちがいなくなったら、あの子がどうなるか、考えるだけで胸が張り裂けそうよ」
「いっそのこと、王国に戻って誰かにゼンタを預けようか。今のうちに引き取ってもらえば、ゼンタのショックも少しは……」
父親が提案するが、母親はすぐに反論した。
「冗談はやめて。あの子に何もしてあげないままお別れなんて、私には耐えられないわ。それにゼンタは、この村を気に入ってる」
母親は肘をテーブルにつけ、顔を覆う。手の隙間からはポタポタと涙が落ちる。
「ただでさえ魔力がない子なのよ! 私たちまでいなくなったら、この先ゼンタが、どんな苦労をするか……」
父親は息子が眠る寝室の方に、ちらりと目を動かす。
「農業や商売の知識もない。当然剣も教えてあげれない。私たちがあの子のために教えてあげられることは魔法だけだっていうのに……」
「農業のことなら、村の人たちに教えてもらえばいい。僕たちの印象も悪くないはずだし、お願いすれば手伝いくらいはさせてくれるよ」
「あの子は昔からずっと言ってる! 勇者になるんだって! この歳で夢見る事もできずに孤独にやりたくもない仕事の手伝いなんて可哀想じゃない! 周りが魔法を使って仕事してる中、あの子だけが手作業で……手を泥だらけにして……」
母親の頬をつたう涙が次第に滝のように溢れ出す。
「今回の魔力測定はなんとか誤魔化せたんだ。まだ周りには魔法を使えないことはバレていない」
「それも時間の問題よ。お友達のナケイアちゃんなんて、10歳にもなれば王国の基幹病院で働くんだそうよ」
「ナケイアちゃんも魔力が少ないからこそ、病院で働けるんだ。もしかしたらゼンタにも……」
「……スキルがあるって言いたいの?」
「何も不思議な話じゃないだろ? 魔力の少なさはスキルがある事の証明。ゼンタだって、例外じゃないはずだよ」
「少ないんじゃなくて、ゼロなのよ? そんなの聞いたことないわ。それに、5歳になってもスキルの片鱗が全く見えないなんておかしいじゃない」
口論とも口喧嘩とも言えないやりとりが続く。2人の気持ちは同じなのだから、意見の違いはない。ただ、2人で納得のいく結末を探しているだけなのだろう。
「あの子が生きていくために……そして、あわよくば……勇者になる希望を持ってもらうために、私たちができることはないの?」
母親が小さく呟くと、父親は大きなため息をつき、棚の引き出しを開けた。テーブルの方へスタスタと戻り、1冊の本をポンとテーブルの中心に置いた。
「僕たちが死んでもゼンタを守る方法はある。ただ、これをするとなると、僕たちは無法者として死ぬことになる」
ボロボロの本から、不気味な雰囲気が漂う。カビ臭い匂いのせいか、それとも漆黒の書影がもたらす何か異様な印象のせいだろうか。
「まさか……これは禁忌の……魔法?」
ゴクリと唾を飲み込む音が喉から鳴る。
「ああ、解読しないとわからないが、この禁忌魔法は魔力を一切使わない魔法らしい。まるで今のゼンタの為に存在しているようじゃないかい?」
「魔力のいらない魔法?……そんな物が魔法と呼べるの? 魔法の事しか知らない私達でも解読できるの?」
「君と僕なら、この魔法を解読し会得することができるはずだ。問題は、どうやってその力をゼンタに授けるか、そして僕たちにその覚悟と猶予があるか……」
母親が勢いよく立ち上がると、椅子がガタンと後ろに倒れた。その本を両手で持ち、吸い込まれるようにじっと見つめる。
「あの子のためになるなら、どんな覚悟でもできるに決まってるじゃない。猶予が少ないなら、すぐにでも取り掛かりましょう……」
静かな部屋で、母親の荒い息がしばらく反響した。
「わかった……善は急げだ。僕はこの禁書の解読から取り掛かる。君は近々旅に出て、魔術の大精霊を探してくれ。そして彼女に禁忌魔法について聞いて………」
父親の言葉が終わるより早く母親はすぐさまローブと杖を手に取った。どちらも埃がかぶっていたが、そんな事お構いなしに身に纏う。
「魔術の大精霊様は昔からこのエリア内にはいるみたいだけど各地を転々としているらしいわ。ある程度長い旅になると思う」
旅の支度をしながら話す母親の姿を見て、父親は止めるでもなくただ申し訳なさそうにそれを眺めていた。
「すまないね。男の僕がいければいいんだけど。僕に精霊は見えないし、実戦経験もほぼないから……」
父親の方が申し訳なさそうにいうと母親の方がニコリと笑った。
「違うわ。私にできない事をあなたがしてくれているのよ」
そういって人差し指を口元に持っていく素振りを見せると、寝室の扉を静かに開けた。スヤスヤと眠る我が子の寝顔を見てシャボンを触るように優しく額にキスをする。
寝室を出るとすぐさま出入り口のドアに向かった。
「ゼンタにはよろしく言っておいて。くれぐれも無理しないでね」
「はは、それはこっちの台詞だよ」
そのやりとりと同時に扉は閉まり夜明けも待たずに母親は家を後にした。
母親がこの家に帰ってきたのはそれから半年後となる。