風邪を引いたので、クラス1の美少女に看病して貰う妄想をしていたら、妄想ではなく現実だった
「ヘックショーン!」
盛大なくしゃみが、俺・新堂祐馬の部屋の中に響き渡る。
説明するまでもないだろう。風邪を引いた。
バカは風邪を引かないとよく言うけれど、あれ、やっぱり迷信なのな。だって赤点常連者の俺が引いたわけだし。
何がいけなかったのかな? 冬にも関わらずエアコンを冷房のままにしていたこと? それとも風呂上がりにパンツ一丁でゲームのイベントを周回していたこと?
……多分、両方だと思う。寧ろ今まで体調を崩さなかった自分の丈夫さを称賛したいくらいだ。
しかしいくら丈夫でも限界はあるらしく、残念なことに俺はこうして風邪を引いてしまったわけだ。
体が重い。頭が痛い。咳が出る。などなど。立ち上がることすらままならないくらい、体調はすこぶる悪い。
風邪なんて久しぶりにかかったわけだけど、こんなにも辛いものだったんだな。
我が家は共働きで、両親が帰ってくるのは夜遅く。きょうだいはいないので、つまり俺は深夜まで一人で風邪と戦わなくてはならないわけで。
「お母さん助けてよぉ」なんて情けないことは言わないが、弱っているせいか心細さは感じていた。
「……お見舞いとか、来てくれないかな」
欲張りは言わないし、下心だってない。
ただ少しわがままを言うとしたら……可愛い女の子に介抱されたいな。例えば、クラス1の美少女で知られる大内円香とか。
……嘘つきました、ごめんなさい。凄い欲張り言いました。あわよくばという下心めっちゃあります。
しかしこうも欲望に忠実になってしまうのは、ひとえに体が弱っているからだ。全部熱のせいなのだ(完全に責任転嫁である)。
だけど、大内さんが俺のお見舞いに来るなんて、そんなこと天地がひっくり返ってもあり得ない。
だって俺と大内さんの間にはクラスメイトという関係しかないんだぞ? 彼女が俺を認知しているのかさえ疑わしいくらいだ。
しいて言えば……一度だけ清掃ボランティアで一緒になったことがあったかな。まぁその時は、お互いに名乗ってすらいなかったんだけど。
あくまで俺が一方的に意識していただけだ。
でもさ、俺は今風邪を引いているんだ。少しくらい夢を見たって、バチは当たらないだろう。
妄想に浸ったって、怒られないだろう。
と、いうわけで。
ベッドから起き上がることも出来ず、手持ち無沙汰なので、俺は大内さんに看病して貰うという妄想に耽ることにした。
◇
「……大内さん」
俺が何気なく呟くと、「なーに?」という声が返ってくる。
驚いて目を開けると、ベッドのすぐそばで大内さんが俺の顔を覗き込んでいた。
「大内さん……どうしてここに?」
「えーと……玄関の鍵、開けっ放しだったよ?」
「いや、どうやって部屋に入ったのかを聞いているんじゃなくて」
確かにそれも気になるところではあるけれど、俺が聞きたいのはどうして大内さんが俺を訪ねたのかということだった。
「だって新堂くん、今日休んだでしょ? はい、これプリント。なんと届けに来てあげました」
「……それはどうも」
なんだよ。てっきりお見舞いに来てくれたのかと思ったけど、そういうわけじゃなかったのかよ。
がっかりしながらも起き上がり、俺は大内さんからプリントを受け取る。
彼女が持ってきてくれたのは……生徒会だよりだった。
生徒会だよりとはその名称の通り、生徒会が発行している配布物だ。A4サイズの普通紙に最近の校内での出来事や生徒からの投書を載せている。
何十年も前から毎月発行されているものであり、しかしながらここ近年はどこか形骸化されている部分もある。
生徒会が作り、配布するのが目的となっているというか。読んでもらうか否かはどうでも良いというか。
だから生徒会だよりは、配布物の中でも一番要らないものなのだ。
「生徒会だよりだけなら、明日学校で渡してくれても良かったのに」
「家まで押しかけられたら、迷惑だった?」
「いや、そういう意味じゃなくて。これを渡す為だけに立ち寄ってくれなくても良かったのにって意味で言ったんだ。訪ねてきてくれたことは、素直に嬉しいよ。ありがとう」
「そっ、そう? 迷惑じゃないなら、良かったけど」
髪を指先でクルクル巻きながら、大内さんは言う。その仕草は、なんとも可愛らしかった。
しかし生徒会だよりを届ける為だけに寄り道してくれるなんて、大内さんは本当に優しい人なんだな。他の生徒だったら、絶対机の中に突っ込んで終わりにするぞ?
それどころか、ゴミ箱にフリースローして初めから生徒会だよりなんてなかったことにするかもしれない。
……もしかして、本当は俺の家に来たかっただけとか? 生徒会だよりは、口実に過ぎなかったとか?
あり得ない話ではない。なぜなら目の前にいる大内さんは、熱にうなされている俺の生み出した妄想なのだから。
妄想の中の彼女くらい、自分に都合の良い存在でいて欲しいものだ。
「ねぇ、新堂くん」
妄想の中の彼女は、きちんと俺を認知してくれる。ちゃんと俺の名前を呼んでくれる。そのことが、なんだか嬉しかった。
「折角来たんだし、看病させてよ。何かして欲しいことない? 遠慮なく何でも言って」
「……何でも?」
「あっ、エッチな要求はなしでお願いします」
何でもと言いつつ性的要求をきっぱり拒むところは、リアリティーがあって高評価だ。妄想大内さん、再現度高いな。
しかし、大内さんにして欲しいことか。そう言われるのを心待ちにしていたわけだけど、いざその状況に直面すると悩んでしまうものだ。取り敢えず。
「着替えたいんで、一旦廊下に出てもらっても良いですか?」
男とはいえ、裸を見られるのは恥ずかしい。
◇
妄想の中の大内さんは、かなりの料理上手だ。特に家庭料理に関しては、日頃から作っているせいかプロ顔負けの腕らしい。
そんな大内さんだからだろうか? 俺が頼むまでもなく、彼女の方から「お粥作っても良い?」と言ってきた。
美少女にお粥を作って貰うなんて、男としてこんなに嬉しいことはない。大内さんのお粥が食べられるのなら、風邪を引くのも悪くないものだ。
暫くして、大内さんがお粥の入った器をお盆に乗せて俺の部屋に戻ってくる。
蓋を開けると、ごま油の良い匂いが漂ってきて。お腹なんて空いていなかった筈なのに、不思議と食欲が湧いてきた。
「じゃーん! 大内円香特製の卵粥でーす! おかわりもあるからね!」
「……見ただけでわかる。絶対美味しいだろ」
早速レンゲと小皿を取ろうとした俺だったが、その前にレンゲも小皿も大内さんに横取りされてしまった。
「えーと、大内さん?」
「新堂くんは風邪を引いているんだよ? 無駄な体力を使うべきではありません」
そう言ってレンゲでお粥を並々すくうと、フーフーと息を吹きかけて冷ます。火傷しない程度に冷めたところで、「はい」とレンゲを俺の方に差し出してきた。
「……自分で食べられるんだけど」
「はい!」
どうやら大内さんに引くつもりはないらしい。これが妄想効果というやつか。
恥ずかしいからと無駄な抵抗をすれば、そちらの方がかえって体力の無駄になる。俺は素直に大内さんの「あーん」を受け入れた。
「どう? 美味しい?」
「……美味しいです」
「なら良かった!」
その後も俺は大内さんの「あーん」でお粥を食べ進めていく。
ごま油で味付けされている筈の卵粥は、どういうわけか甘いように感じた。
◇
お腹がいっぱいになると、今度は眠気が俺を襲ってくる。
風邪を治すのに最も効果的な方法は、やはり睡眠だ。いつもならゲームしたいが為に睡眠時間を削ったりするけれど、今日ばかりは大人しく眠っておくとしよう。
俺がうとうとし始めると、どうやら大内さんもそれに気付いたようだ。
「子守唄でも歌ってあげようか?」
「良いのか?」
「勿論! 通常バージョンと演歌バージョンとヘビメタバージョンがあるけど、どれが良い?」
個人的にはヘビメタバージョンが気になるところだけれども、まるで眠れる気がしないので通常バージョンをお願いした。妄想大内さんは料理だけでなく、歌も上手だった。
その美しい歌声は人に安らげを与え、俺自身の眠気も促進させた。
あっ、これは眠れるな。そう思った瞬間、俺は無意識のうちに「好きだ」と口にしてしまった。
大内さんの子守唄が、ピタッと突然やむ。そして「えっ、あっ」といった感じの反応を見せた。
「好きって……子守唄のことだよね? そんなにこの歌良かったかな?」
「んー? 子守唄じゃなくて、大内さんが好きなんだよ……」
薄れゆく意識の中まぶたを僅かに開けて大内さんを見ると、彼女の顔は真っ赤になっていた。
「私のこと好きになってくれて、ありがとう。それで、返事なんだけど……」
眠りにつく直前、唇に何やら柔らかいものが触れたような気がしたのだが……きっと勘違いだろう。だって目の前にいる大内さんは、妄想の産物なのだから。
数時間後、俺は目を覚ました。
熱は既に引いている。妄想療法、素晴らしいじゃないか。今度モテない友人たちに教えてあげるとしよう。
あたりを見回すと、部屋の中に大内さんの姿はない。まぁ、当たり前だよな。
どんなに幸せなひと時も、所詮夢に過ぎないのだと実感する。
風邪が治って正常な思考が出来るようになって、真っ先に襲ってきたのは喪失感。続け様に羞恥心が俺を蝕む。……なんつー妄想してたんだ。マジでキモいな、俺。
次の日。1日ぶりに登校した俺は、下駄箱で本物の大内さんと出会した。
大内さん、妄想の中とはいえ、君に色々なことをさせてごめんなさい。心の中で、俺は謝罪する。
朝の挨拶すらせず、大内さんの横を通り過ぎようとすると……彼女の方から、俺に声をかけてきた。
「おはよう、新堂くん! 昨日は、凄く嬉しかったよ」
昨日って……え?
「だから、その……これからもよろしくお願いします」
頬を赤らめながら、大内さんは言う。
どうやら大内さんが家に来たのも、俺が告白したのも、キスされたのも妄想じゃなかったみたいだ。