1 内政チート研究会にようこそ! ④
石の斧。この場合もう少し正確にいうと磨製石器とは何か?
誰もが一度は歴史の教科書などで見たことがある磨製石器とは、そのまんま、石を磨いて作った石を使った道具である。より正確にいうと、砂と石をすり合わせたり、石と石をすり合わせるなどの方法で表面を滑らかに加工した石器であり、人間、いや人類が歴史上作った道具の中でも相当に古い道具であることは間違いない。
何せ現状発見されている最古の磨製石器は、今から六万五千年前までさかのぼるのだから。
もちろん磨製石器の石斧があることくらいはその当時のぼくも知っていた。一応中学の教科書にも石器時代のことは書いてあるし、某世界的サンドボックスゲームでは石と木さえあれば簡単に作れるし、テレビを見てたら縄文時代の特集とか世界の文明の歴史とかの番組とかでちらりと見たことぐらいはあったから。
けれどさすがに自分の人生の中でそれを作ることになるとは。しかも高校入学後すぐに、部活のオリエンテーションで作ることになるなんて。こんな経験をしているのは日本全国の高校生全てを集めてもぼくだけに違いないと確信できるこの異常事態。
そしてぼくの頭はしばし考えるのをやめた。人間ビックリしすぎると頭が働かなくなるものなんだと他人事のように思っていた記憶がうっすらある。そしてそんなぼくを置き去りに花岡由以子の必殺技がここで初めてぼく相手にさく裂した。
この人、テンション上がるとすっごい一気に話すんだよね。
「ふふ~ん、驚いてるみたいだね! そうだろうそうだろう、意味が分からないといわれても仕方がないかもしれないね。でも聞いてほしい。この石斧を作るっていうことはちゃんと意味のあるプロセスなんだ。まず、前提として文化人類学にとって極めて大事なフィールドワークとは何かを説明すると、これは『何かについて考える時』、『そのために必要な場所に実際に行って』、『その対象を直接観察』し、『その何かについていろいろ考えるための材料を集めるやり方』、そのやり方のことをフィールドワークというんだよね。このフィールドワークというのは文化人類学に特に特徴的なやり方だけど、別に他の人文学系の学問でもよく用いられるやり方で、例えば考古学における発掘調査なんかも広い意味ではフィールドワークといえるよ。次に、当然の疑問として君はこう思ったはずだ。内政チートの舞台である中世ファンタジーっていうんだっけ? の世界に行ったり、歴史上の過去の時代にタイムスリップすることなんて、実際には絶対できないのにどうやって『内政チートについて考える時』に、『内政チートが活躍する世界に行って』、『その対象を直接観察』して、『内政チートについて色々考えるための材料を集める』ことができるのか? 当然こういう疑問を抱いたはずだ。違うかな? そうだよね? うんうん、分かるよ! 実にいい疑問だ。そこで逆転の発想だよ、相内君! 確かに私たちはファンタジーや過去の世界にはいけない。だって異世界に行く道具もやり方も、過去に行くためのタイムマシーンも私たちは持っていない! でもそれができないなら逆に異世界や過去の世界の人間をこっちに引っ張り込めばいいんだよ! とはいえぼくらが行けないのと同じように異世界人も過去の人も、今この場に呼び寄せることなんてできはしない。でもね、相内君。彼らも同じ人間だ。どう思うか、どう考えるかを想像することはできるはずだよね? つまり異世界や過去の世界の人間の人間がどう考えるか、どう思うかをトレースすることができれば、それはつまり異世界や過去の世界に行ったのと近い状態を作ることになるのではないだろうかとわたしは考えたんだ! つまり今回の場合、私たち、ひいては君が石器時代の道具を実際に作ることを通じて疑似的に石器時代の人間の気持ちの一部を理解することで、疑似的なタイムスリップが可能になると考えたわけなんだよ!」
これは聞いたぼくは完全にバカになった。だって唖然呆然ポカンポカーン。石器作って異世界からのドア開く。カモン召喚タイムマシーン。立て板に水どころか、がけの上から水がナイアガラで話が右から左にぐーるぐる。渦を作ってわけわからん。あまりにもあまりな情報量の嵐にぼくの脳みそはまるでそれこそ石斧でぶったたかれたかのように完全にバカとなり、表情筋が仕事を放棄し、脳も理解を放棄し、正直何を聞いたかもよくわからなくなった。台風の時に外に出たときみたいって気持ちになった。今は春で外はこんなにいい天気なのに。
あ、鳥が飛んでる。空がきれいだなぁ。
そんなわけでぼくはたっっっぷり一分ほど黙ってから、まだかな~まだかな~と石の斧片手にウキウキ顔の先輩に向かって真顔で表情筋が死んだまま口を開いた。
「……先輩」
「なんだい? 相内君!」
「長いです。理解できません。だから簡単に。サルでもわかるくらい簡単に。まとめてください」
ぼくがそういうと先輩は途端にガビーンと効果音が聞こえそうなほどがっかりした表情になり慌てた様子で話しだした。
「あわわわ……。ご、ごめんよ……、相内君。か、簡単にだね、それもおサルさんにも分かるように……ってあれ? それって難しくない? え~と、ん~と、その……」
とその場でもじもじしながらあーでもないこうでもないとしばし思案する先輩は、やがて結論が出たのかおずおずと上目づかいにこういった。
「え~と、石器時代の人の気持ちを知るために、石の斧をいっしょに作りましょう。……これじゃダメ?」
オッケーです。何がいいって何よりも分かりやすい。
ぼくは無意識に右手の親指をグッと立ててグッドサインを出していた。
そんなぼくを見てなぜかちょっとおびえながらも少しだけ笑顔を取りもどした先輩もなぜか不慣れな感じでグッドサインを返してくれた。かわいいな、おい。
では早速とばかりに先輩はいそいそと用意を始めた。振り返ってしゃがんだ先輩の前には結構な量の、具体的にはぼくの膝ぐらいまでの高さに積まれた石の小山があって、形も大きさも色もまちまちな石がいっぱいあった。先輩は石斧を足元に置き、その中の比較的小さな長さ10センチくらいの石をひとつ左手で拾ってやおらその場所に座り込み、ゴーグルを装着してからぼくにこういった。
「さてさて、それでは相内君、まずは見本を見せるね。ちょっと離れてて」
ぼくがいわれるがまま一歩後ろに場所を移動すると、興奮気味の先輩はもう一個同じくらいのサイズの石を今度は右手につかみ、振り上げ、その石を左手で持った石へと割と勢いよくふりおろそうとした、まさにその瞬間!
「失礼」
すぅっとぼくの左側からぼくの視線をさえぎるように手があらわれてそのまま先輩の振り上げた手をつかんだのだ。
全く気付かなかった。直前まで人影はなかったし足音もしなかった。ついでに気配も全くなかったのに、その人はいつのまにかぼくの隣、先輩の背後からすっと手が伸ばしてやさしく先輩の細い腕をつかんで止めていた。え? いつの間にこの人ぼくの隣に? そう思い見たそのひとはニコニコと笑う白髪交じりのおじいさんというにはちょっと若く見えるおじさんで、首からタオルをかけた作業服姿。背はあまり高くなさそうだけれど、なんというかしゃきっとしていた。
そんな謎のおじさんは至近距離でおじさん自身の肩越しにぼくと目が合うとすまなそうに少しだけ会釈をしてから、先輩の方を少しだけ怒ったような、困ったような顔で見てこういった。
「おひ……、失礼。花岡さん、お約束は覚えていますね?」
そう言われた先輩が分かりやすくあわてだす。
「あっ、いえ、あの……」
「あの……、なんですか?」
「あの……、ごめんなさい」
しゅんと項垂れる先輩。それからおじさんは「よろしい」とだけ短く言って先輩の手を離し、それからぼくから一歩距離を取ってぼくの目を見て挨拶をしてきたんだ。
「驚かせてしまい申し訳ありませんでした。お初にお目にかかります。私、小野花と申しまして学校の許可を得てこの場所で文化人類学研究会の方々の、そうですな……。顧問の先生の代わりのようなことをさせていただいている爺でございます。以後、お見知りおきを」
そう言ってニッコリ笑うどこまでもカッコイイこの小野花さんこそ、ある意味ぼくの人生に花岡先輩以上のインパクトと影響を与え続けることとなる人になるのであったが、その時はそんなことになるなどとはいざ知らず。びっくりしたままのぼくはとりあえず「こちらこそよろしくおねがいします」と返すのが精いっぱいだった。
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