1 内政チート研究会にようこそ! ②
ともかくそうして初めて足を踏み入れた【文化人類学研究会】の部室は、何というか……とんでもなくカオスだった。
元々図書室だったためだろう、通常の教室ふたつ分ぐらいの広い空間の奥側の一教室分のスペースには本棚が並んでいた。そこはいい。誰もが見たことのある学校の図書室そのものだったから。
ただその手前の部分、つまり普通の教室の半分のスペースに置いてあるものが学校の教室にあるものとしては明らかに異質だったのだ。
何故か農業で使う鍬とか、東北は秋田が誇るなまはげであろう衣装一式とか、黒塗りの鞘に収まった刀、複雑な文様の縄文土器のようにみえる器に、西洋のタペストリー、どこの国のいつの時代のものかも分からない文字らしきものがかかれた石板? いや、違う、粘土板? などなど、他にも色々所狭しと置いてあるそれらに共通するのは古いものっていうことぐらいしかなかった。ただ時代も地域も用途も全部ぐちゃぐちゃなそれらがなんとなく整理されたと感じさせるように並べられた空間がそこにはあった。
「あはは、すごいでしょ」
「はい……。すごいです」
振り向きながら答えたらキャスター式のホワイトボードが近づいてきていた。そして部屋の残り四分の一のスペースも目に入る。
古めいた物ばかりの先ほどの景色とは対照的に、中央に置かれたモダン調のガラスの長テーブルと黒いソファーのテーブルセットと窓際の武骨なスチール製の机は学校とかでよく見るあれで、そしてその上の最新型らしきシャープなフォルムのデスクトップパソコン。
どうぞとソファに座るように促され席についたぼくに先輩はホワイトボードを背にこう切り出した。
「あらためて我が文化人類学研究会へようこそ。はじめまして。私が部長を務める二年の花岡由以子です」
「あ、は、はじめまして。一年の相内、相内拓人って言います」
「うんうん、相内君だね。よろしくね! 相内君! さて説明だったね。ええとじゃあまず……、説明だっけ? 説明って私は何を説明したらいいのかな?」
思わずずっこけた。ニコニコ笑いながらう~んと悩む先輩を前に、ソファに腰かけたぼくのお尻の位置がずれた。恥ずかしい、芸人さんみたいなことをリアルにやってしまった。
思わず口をついてどうでもいいことを聞いてしまう。
「えっと……、じゃあまずさっき先輩が言ってたじーえいちきゅー? って何ですか?」
しまった、どうでもいいことを聞いてしまった。そして期待していた質問ではなかったのか、先輩のニコニコ笑顔がとたんに恨めしそうな顔に変わった。
「え~、ん~、【GHQ】っていうのは【Go・Home・Quickly】の略で、つまりは帰宅部のこと。うちの学校は良くも悪くも由緒正しい古い学校だから、未だに形式的には全生徒が一度は部活動に所属しないといけないってルールが残っててね。それでうちの部活はそんな生徒たちご用達の部活なんだ。だから代々名簿上の部員数はけっこう多いんだよ」
え? 部活って全員所属しないといけないの? っていう知らなかったことを知った驚きと同時にあれだけ多くの新入生がいたことにもそれで納得がいった。なるほど、だからあんなにいっぱい入部だけしようって人が来ていたのか。でもそれなら別に謎の部活である文化人類学研究会なんてものではなく、他にも実質帰宅部みたいな部活はあるだろうにどうして? 何故あれだけ多くの人がこの部活に席を置こうとしたんだろうって考えが浮かび、それがまたそのまま口から出た。
「えっと、それなら別になんの部活でもいいんですよね。じゃあ何故この部活にあんなにいっぱい入部希望者が?」
「それは、えっと、うちの部活に所属してると受験にご利益があるっていう一種のジンクスが理由だね。うちの部の創設者、つまり初代部長がね、当時ほとんど勉強もせずうちの部活でやりたい放題やってたのに、そのくせ全国模試でほとんど毎回一番を取ってたらしいある意味伝説の人だったみたいなの。それで部活を立ち上げる時に、名前を貸してくれた人たちに個人的に勉強を教えてたらしいのね。その結果、その人たちみんなが全員志望校へ一発合格。そこから始まってうちの部活に所属してた人が代々やたら受験でいい結果を出し続けたものだから、そのうちうちの部活に所属するイコール受験でいい結果が出るっていうジンクス化したわけ」
これも一種のオカルト、もしくは呪術ともいえる。そう考えるとこれも文化人類学の研究範囲だね、と言葉を結んで先輩は口を閉じた。
入部希望=帰宅部希望の人が多かった理由はわかったが、それはそれとして今先輩が聞き捨てならないこといったような。オカルト? 呪術? それが研究範囲? 【内政チート】といい、今の【呪術】って言葉といい、完全にファンタジーとかゲームの用語じゃん。それが研究範囲って文化人類学ってマジでなんなの? やばい、この人と話せば話すほど謎が、いや知らないことが増えていく。
う~んと頭を悩ませていると先輩と目が合った。うっわ、改めて近くで見ると異常なくらいかわいいな、この人。整った顔立ち、クリッとした目、艶やかな黒髪。整い過ぎてる。その整い過ぎた顔の中でも燦然と輝く瞳がこういっている。そんなことを聞きに来たんじゃないだろうと。早く本題を話しなさいと。
ほんと眼力強いよ。まさに目は口程に物を語るとはこのこと。あとミスった。初対面の、しかも超かわいい女の人相手に初手から会話ミスった。こういう時に小粋でおしゃれなトークが何でできないのかな、ぼく。そんな初対面の女子相手に小粋なトークができたらコミュ障を自称しないだろ? ぼく。
それはともかくとして、先輩の反応でぼく自身あることに気が付いた。自分自身の中で疑問というか論点というか、そういうものがあいまいだったのだ。ぼくは部活の説明をしたもらいに来たけれど、これは確かに漠然とし過ぎている。野球部やサッカー部、軽音楽部に美術部のような分かりやすい他の部活動ではないのだ。今目の前にいるこの人は【文化人類学研究会】というぼくにとって未知の部活動をしているよくわからない人。
つまりぼくは。
――何を説明してもらいにきたのかを彼女に説明しなくてはならないのだ。
そう思った瞬間、ぼくはぼくの中にトーンと沈み込んだ。
沈み込んだ自分の中で、こういう時ぼくは自問自答する癖がある。
こんなふうに。
――まずなぜここに来たのか?
それは【文化人類学研究会】という部活について話を聞くためだ。
――ではなぜ【文化人類学研究会】という部活について話を聞こうと思ったのか?
それは【新入生部活合同説明会】の会場で、目の前にいるこの花岡先輩が唐突に【内政チート】って言葉を知っているなら【面白いこと】があるって言った言葉に興味を持ったからだ。
――それだけ?
正確には自分自身に高校に入ったら何か新しいことをしてみる。面白そうと思った部活に入ってみると約束したからだ。
傍目には急にぼ~っと考え事を始めたぼくを、珍しいものを見たような顔で先輩がぼくを見ているのが見えてはいた。けれどそのままぼくの考えは続く。
――では、この場合のキーワードはこうなるのではないだろうか? と自分自身との思考のキャッチボールは終わり、パズルのように言葉を並べる。
キーワードは【部活に入りたい理由】・【内政チート】・【文化人類学】・【面白いこと】の四つ。
それをそのまま並べてできた文章を読み上げる感じで話しはじめる。
「えっと、高校生になったら何か新しいことをしたくなったので、部活に入ろうと思ってました。えっと、でも運動部はちょっと無理かな? って思ってて、でもでも軽音楽部とか美術部とかメジャーな文化部もちょっととか思ってて」
【部活に入りたい理由】クリア。
すっと先輩がほんの少し前のめりになった。真剣に話を聞く態勢に変わったのだとわかった。言葉を続ける。
「内政チートって言葉はぼく、ネットで流行の漫画とか小説とかけっこう読むほうだから知ってたんです。あれですよね、なんか中世ヨーロッパ風の世界に転生したり過去の世界にタイムスリップした人が、ぼくたちの知ってる現代知識を武器になんかうまいことやっていくそんな物語の設定ですよね、内政チートって」
【内政チート】クリア。
ウンウンと我が意を得たりとばかりに頷く先輩。さらに続ける。
「だからぼく、あの日、先輩をはじめてみたあの日の体育館でスマホを使って調べたんです。文化人類学。それで調べたんですけど全然何が何やら分からなくて」
【文化人類学】クリア。ウンウンと頷きつづけている先輩。おかげでポニーテールが縦揺れしてすごいことになっている。そして満面の笑み。軽いホラーである。正直怖いから帰りたくなってきたけど、ここまで来たら最後まで言っちまえとばかりぼくはこう締めくくった。
「それで先輩、あの時、言いましたよね。面白いことがあるからって。ぼく、高校生になったら何か面白いことしてみようと思ってたから。だから一回話を聞いてみようと思って」
最後。【面白いこと】クリア。
どうだ? すごいくいついてたように見えたがどうだ? ちゃんとぼくの意図伝わった? そう思いながらふるふるとなぜか震えている先輩を恐る恐る見ていたら、先輩がその後唐突にやおら立ち上がりぼくに向かってこういった。
「相内君! よくぞ、よくぞ来てくれた! 私は君のような子を待っていたんだ。よし! よ~しよし、じゃあ説明しようそうしよう。さてとはいえ何から説明しようか? 文化人類学という学問とその特徴について? それとも現実の学問である文化人類学と物語の設定であるはずの内政チートとの関連について? いやいや、それとも私がなぜこのテーマを自分の研究テーマに選んだかについての経緯と理由についてだろうか? う~~~~ん、悩むなぁ」
でも、と区切って先輩はニッコリ笑ったあと、
「文化人類学といえばやっぱりとにもかくにもフィールドワークだよ。その説明も含めてまずは相内君自身に内政チートを体験してもらうところからはじめないと!」
そう言い切った。何故か腕と指を伸ばしてボーイズビーアンビシャス的なポーズを決めながら。そんな先輩を前にぼくの頭は混乱の極みであった。
だからフィールドワークって何? 内政チートを体験? この人マジ何言ってんの? そして何故今ポーズ取ったの?
こうしてぼくの部活体験という名の内政チートと文化人類学の実践的ガイダンスが始まることとなる。
さて、それではここで問題です。
ぼくはこの後、この文化人類学研究会というおそらくほとんど誰も聞いたことのない奇妙な部活のオリエンテーションで何をさせられるでしょうか?
ヒントは、【文化人類学】、【フィールドワーク】、そして【内政チートを体験】です。
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