どうでもいいなら可愛いって言え!
可愛い女の子の手のひらでころころされる情けない男の子が大好き、という気持ちで書きました。
よろしくお願いします。
エミリア・トンプソン子爵令嬢は社交界でも評判の美少女だ。茶髪に緑の瞳と色合いこそありふれているが──否、ありふれているからこそ余計にその美しさが際立つのだ。常に微笑みを形作る桜色の唇、きめ細やかな白い肌。人々が特に魅力を感じる箇所はそれぞれだが、いつかの茶会での彼女の兄の言葉に皆揃って首肯した。
「我が妹は、百点のパーツが揃った総合点の美貌なので」
そんな彼女には、婚約者がいた。婚約者の名はパトリック・オーガスタ。アッシュブロンドと灰褐色の瞳を持つその容姿は平凡ながら、彼はオーガスタ侯爵家の嫡男だった。
二人の婚約は政略のおまけ。
トンプソン子爵は肥沃な領地を持ち、様々な農作物の研究に力を入れ権力欲はないに等しい男だった。しかしどうにもお人好しな面があり、付き合いでいくらか乗った投資が失敗しがち。領民の生活は保たれているものの、子爵一家は貴族とは思えない質素な暮らしぶりであった。
そこに婚約の話を持ちかけてきたのがオーガスタ侯爵。領地を第二の王都とも称される海に面した商業都市に発展させた辣腕の持ち主。彼は子爵の研究に目をつけ資金援助を申し出た。その際に結ばれたのが、エミリアとパトリックの婚約だったのである。
端的に言えば、エミリアはついで程度に金で買われたのだ。勿論心優しく権力欲のない家族には無理に婚約しなくてもいいと言われた。が、将来子爵家を継ぐ大好きな兄が金銭面で苦労してほしくはない。両親にだって引退後は苦労せず楽しく暮らしてほしい。渋って遺恨が残るより、格上の家に喜んで嫁ぎ、家族も楽になるのならそれに越したことはない。当時十三歳のエミリアはふたつ返事で婚約を了承した。しかし。
「……婚約者? どうでもいい。誰になっても同じだろ」
挨拶をしようとパトリックを尋ねた時の事だった。執事に向かって冷たくそう言い放つ彼の言葉に、エミリアはこの婚約を後悔した。ここで婚約を白紙に戻していたらよかった。実際に侯爵家を見て尻込みしてしまった、と。それが許されるくらいには子供だった。しかし、続く言葉はエミリアの闘志に火をつけてしまった。
「誰になろうと、可愛いなんて思えないのだから一緒だ」
許せなかった。
エミリアは容姿以外に特筆すべきところはない、ルックス以外は平凡な令嬢だ。正直に言えば未来の侯爵夫人など荷が重い。しかし、容姿にだけは絶対の自信があった。大好きな両親が、兄が褒めてくれる顔だった。やっかみを言う人々も、絶対に容姿のことだけは貶さなかった。というか完璧過ぎて適当に貶すことさえできなかったのだ。
(それが、なんですって? 超絶ハイパー美少女たるこの私を、可愛いと思えない?)
それは、初めての経験。初めての屈辱。熱烈に妻や婚約者を愛する紳士にさえ、エミリアの容姿は褒められてきた。手のつけようがないと言われていた我儘王女でさえもエミリアの容姿を気に入った。それなのに。
「どうでもいい……だけならいいですけれど、可愛いと思えない? それだけは許せませんわ」
気がつけばエミリアはパトリックの前に立ち、普段の微笑みを消した恐ろしいく美しい無表情でそう言っていた。眼前のパトリックが呆けた顔で「は?」とか「なんで」とか意味の無い言葉を呟いているが関係ない。
エミリアは目の前の男に優雅なカーテシーをする代わりに人差し指を突きつけた。
「絶っっっ対に私のことを可愛いって言わせてやる!!」
こうしてエミリアのくだらない──、しかし本人にとっては己のアイデンティティをかけた大切な戦いは始まったのである。
❀✾❀
エミリアの宣戦布告から早五年──……。
「ねえ? 今日の私、一段と可愛くない?」
「……どうでもいい」
決着はまだ着いていなかった。
侯爵邸のティールームで呆れたように首を振るパトリックを睨みつけてから、エミリアはこの五年でさらに磨きのかかった美貌を鏡で確認した。
この五年、彼女は自分磨きを怠らなかった。美容に関することは勿論、侯爵夫人になる為に必要な教養もマナーも疎かにはしていない。理由こそパトリックとの戦いに瑣末事で揚げ足を取られない為……というものだったが、いまや彼女は文句のつけようがない侯爵家嫡男の婚約者だった。
「変ね……お兄様は全方位どこからどう見ても無敵って言ってくれたのに」
「君の兄上が羨ましいよ……」
エミリアの疑問にぽつりと溜息混じりの言葉を呟いたパトリックを、彼女は先程とは比べ物にならないくらいキツく睨みつけた。
「次、お兄様を馬鹿にする態度をとったら喉笛をかき切って殺すわ……!」
全身から怒気を放つエミリアに気圧されたのか、パトリックがそっぽを向きながら「別に馬鹿にしたわけじゃない……」ともごもご謝罪する。彼女は出かかった舌打ちを理性で飲み込み、渋々謝罪を受けいれた。兄ならば許すと思ったからだ。
「いいわ、でも次はなくってよ。あるとしたらその日が貴方の命日になると覚えておいて」
「いつも思うんだが、君はダグラス殿を好きすぎないか? 未だに好きなタイプはダグラス殿と公言しているんだろう?」
エミリアは婚約者の言葉に肩を竦めた。馬鹿にされたということを感じ取ったパトリックがムッとした表情になる。
「情報が古くてよ、次期侯爵様。私この二、三年は好きなタイプを貴方と答えているわ」
本当にそうかどうかは置いておくとして……、と心の中で付け加える。未だに好きなタイプは兄一択だが、婚約者としての義理もある。何よりエミリアはこのまま彼と素直に結婚するつもりだったので、まあ好きなタイプとして上げても嘘ではないかと思っていた。
しかしどうやら相手はそう思っていなかったらしい。灰褐色の目を大きく開いたパトリックがまじまじとエミリアを見る。彼女はツンと顔を逸らした。
「……今のは本当か?」
「確認すればわかることを偽るほど、愚か者ではないつもりよ」
「…………っ、そうか。君も中々、」
どこかふわふわとした雰囲気の彼が不意に言葉を飲み込んだ。はっとしたエミリアがすかさず得意気な笑みを浮かべる。
「『君も中々、可愛い』? 中々、というところに含みを感じるけれど……まあいいわ。ほら、素直に可愛いと言ってよくってよ?」
「言っていないし、言うつもりもない。中々……健気なところがあるじゃないか、と言おうとしたんだ」
「チッ」
「舌打ちをするな!」
まったく君は……とぶつくさ小言を言い始めたパトリックをよそに、エミリアは優雅に紅茶の入ったカップに口をつけた。ふわりと鼻腔をくすぐる林檎の香りに、エミリアの宝石のような緑の瞳が輝く。
「この前美味しいと言ったところのアップルティーね。覚えていてくれて嬉しいわ、パトリック様」
「俺も偶然気に入っただけだ、君の為じゃない。君のことなんて……」
「どうでもいい、ね? 聞き飽きたわ。そろそろ『可愛い』がほしいのに」
「…………言わないからな」
こちらを睨むパトリックにひらひらと手を振って、エミリアは紅茶を堪能し始めた。こうなった彼は頑なだ。偶に声を荒らげることもある。しかもその後決まって顔を真っ青にして謝ってくるのだ。エミリアは別に彼を虐めたいわけではないので、ここは一時撤退することにした。
(最初は酷い奴だと思ったけど、普通に優しいのよねえ……。『どうでもいい』婚約者との時間もとってくれるわけだし。贈り物もマメだし、センスもいい。顔だってそれなりに格好いいわ)
心中でしみじみと思い返し、茶菓子のクッキーをひと口齧る。エミリアの好きなアーモンドが入った固めのクッキーだ。確かこれはパトリックが苦手だったはず。彼が好きなのはチョコチップ入りの柔らかいクッキーだった。こういう気遣いが憎めない男だ。
「貴方って、好いた人とかいないの?」
「は? い、いるわけないだろう! 婚約者がいるのに、そこまで馬鹿じゃない!」
「あら、婚約者がいたって好きな人の一人や二人……二人は駄目かしら? まあでも、いてもいいじゃない。政略結婚なんだから」
「……君はいるのか?」
「お兄様と顔も性格も声も同じ人がいたら好きになるはずよ」
エミリアの質問に慌てふためいたパトリックは、ブレないブラコン思考にがっくりと肩を落とした。特大の溜息とともに、ゆっくりとエミリアに告げる。
「とにかく、好きな人なんて、いない」
「あら、そうなの? いたらその方を参考にしようと思っていたのに……。でも、貴方ってそれなりに格好いいしモテるでしょう? 好きなタイプとかもないの?」
「喧嘩を売っているのか? 好きなタイプもない。この話は終わりだ、本題に戻るぞ」
「本題ってなんだったかしら?」
「君の誕生祝いだ!」
すっかり忘れていた様子のエミリアに、パトリックは何度目かわからない溜息を吐いた。禿げるわよ、と口の中で呟くが、想像してみるとスキンヘッドも中々に良い。
「また話を逸らそうとしたな?」
「酷いわね、禿げた貴方も中々素敵だと思ってただけよ」
「ウチは禿げる家系じゃない」
「そうなの? 白髪頭もそれなりに良いわ。ねえ、今年の誕生パーティーは二人でゴンドラに乗って上から登場するのはどう?」
「人の老後を勝手に……ゴンドラは却下だ」
逸れた話の間にさらりと挟んだ提案は苦い顔で却下された。甚だ不満であると体現した表情のエミリアは唇を尖らせる。そもそも彼女は自らの誕生祝いなど、言ってしまえばどうでもいいのだ。家族間の質素なものでいい。ケーキの代わりに蜂蜜をかけたトーストで祝う子爵家の誕生日が自分には一番合っていると思っていた。
それでも毎年侯爵家の援助を受けて盛大に祝うのは、エミリアがパトリックの婚約者だから。次期侯爵夫人として恥ずかしくないものを、という考えも勿論ある。が、一番の理由は二人の時は常に仏頂面の婚約者が、その日、パーティーの終わった後だけは笑顔で彼女に祝いの言葉をかけるからだった。
だから彼女は面倒ながらも毎年の演出を考えている。ここ一、二年は結婚披露宴の予行練習として誕生パーティーの場を使っていたりもする。
「派手すぎるかしら?」
「君一人で乗ればいいだろう……。二人で乗ったとして俺はどんな顔をしていればいいんだ」
「私の肩でも抱いて笑っていればいいわ。そうしたら『仲睦まじい婚約者ね』って、憧れの的よ。きっとゴンドラが流行るわ」
「流行を作ろうとするな」
「ごめんなさい、時代が勝手に着いてきちゃうの」
澄まし顔でしれっと言えば、至極真面目な侯爵家嫡男は頭を抱えた。いつまで経っても新鮮な反応をするところも、エミリアのお気に入りポイントだ。熟年夫婦になっても同じことをしている姿を容易に想像できて、薄く微笑む。
何を笑っているんだ……と真正面から地を這うような声で呻いてパトリックがこちらを睨むので、エミリアは肩を竦めて真面目に話し合うことにした。ゴンドラだって真面目に提案したものだったけれど。
❀✾❀
「そろそろ結婚したいわ」
三日ぶりに会った妹の言葉に、兄──ダグラスは目を丸くした。
「まだ話が出ていないのかい? もう十八になるだろう」
てっきりひと月後に行われる侯爵家主催のエミリア誕生パーティーで式の日取りが発表されるのだと思っていた為、彼女の言葉は中々の衝撃だった。妹と同じ色の瞳に荒々しい光が宿る。
「いったい何が不満なんだ? エミリアは完璧だというのに……。誕生パーティーだって侯爵家がこちらでさせてくれと言ってきたから渋々了承したというのに。やっぱり指を二十本ほど折っておくべきか……?」
「まあ、お兄様。今日も素敵に過激だわ」
「可愛いエミリアの為なら一家惨殺も辞さないよ」
「それはやめて」
にこやかに物騒な言葉を交わす兄妹は、傍から見れば美女と野獣。がっしりとした体型ながらそれ以外は凡庸な容姿のはずのダグラス。しかし彼は何故か野性的……という言葉では些か控えめな程野性味溢れる男だった。
どこか肉食獣のを彷彿とさせる彼が微笑めば、子爵家の使用人たちから悲鳴が上がる。しかしそれを正面から受け止めたエミリアは、感嘆の息を吐くに留まった。
「やっぱりお兄様は世界一格好いいわ……」
「パトリック様よりも?」
「パトリック様は可愛さで一位なの」
悪戯っ子のような微笑みのエミリアに、ダグラスは苦笑した。瞳に宿した荒々しい光は、既にどこかに消えている。
「仲が良いのならいいんだよ」
「未だに可愛いと言ってくれないけどね」
「強情な男だな、彼も」
くすくすと笑う──しかしその微笑みすら何故か獲物を前にした肉食獣のようにしか見えない──ダグラスを眺めながらも、エミリアはこの場にいない婚約者のことを考えていた。
エミリアは、パトリックが自分のことを憎からず思っているのを察している。それが友情なのか、それとも親愛や家族愛の類なのかはいまいち測りかねているが、少なくとも嫌われてはいない。
彼に『可愛い』と言わせた暁には自分から結婚の話を切り出そうと思っていた。しかし一向にその気配がない。エミリアは些か苛立っていた。女性の結婚適齢期は十六から十八歳。これ以上過ぎれば婚約の見直しを、などと言う声が出てきかねない。未だエミリアを妻にしたい貴族令息は少なくないのだ。
(まさか結婚まで焦らすつもりかしら? どうでもいい婚約者にそこまでする?)
やはり他に想う相手でもいるのだろうか。
(顔も格好いいし、正直ありえるのよね……)
ちなみにだがパトリックの容姿は至って平凡である。力ある侯爵家の嫡男ながらまったく印象に残らない顔立ちをしており、父であるオーガスタ侯爵からは「ある種の才能。時代が違えば天才スパイになれたかもしれない」と評されるほどの平凡顔だった。つまりパトリックの顔に関しては完全にエミリアの贔屓目が作用していた。
いくら考えてもパトリックが何を思って自分に『可愛い』と言わないのかがわからない。結局エミリアは思考を放棄して、兄と二人のティータイムを楽しむことにしたのだった。
❀✾❀
エミリアの誕生パーティーが三日後に迫った侯爵邸。パトリックは自室で一人頭を抱えていた。
「エミリアが十八歳になってしまう……」
絶望感に満ちたその呟きは、側に立つ執事の耳にしか入らなかったのは幸運だろう。
「パトリック様、失礼ながら変態っぽいです」
「本当に失礼だな」
別に彼は十八歳未満の少女にしか興奮できない変態、というわけではまったくない。ならば何故婚約者が誕生日を迎えることをこんなに絶望しているのか……。
「もう諦めて『可愛い』と言って差し上げたらどうです?」
「嫌だ! 言ったらエミリアに捨てられてしまうだろう?!」
「言わなくてもそろそろ捨てられると思いますが……」
「やめろ、縁起でもないことを言うな!」
何故彼がこんなことを言っているのかというと、始まりは五年前に遡る。
当時十五歳のパトリック少年は、多くの貴族令息がそうであったようにエミリア・トンプソン子爵令嬢に淡い想いを抱いていた。憧れと恋の中間──まだはっきりとした恋にも満たないその想いを胸に、群衆の中からエミリアを見ているだけで幸せな気持ちになれた。いつか、一度だけでいい……彼女とダンスを踊れたら。そう夢想する日々だった。
しかし、ある日突然エミリアがどこぞの令息と婚約したという情報が流れた。後頭部を強く殴られたような衝撃。パトリックは相手の家名を確認することもなく、その場を去った。……が、これが間違いだった。
初めての失恋にパトリックは戸惑った。この悲しみをどこにぶつければいいのかわからない。奇しくも自分に婚約者ができたと聞かされた時は、どうしてこのタイミングなのだと父を恨んだ。そうして、そうして……。
「絶っっっ対に私のことを可愛いって言わせてやる!!」
パトリックの婚約者が憧れのエミリアだと知ったタイミングは最悪だった。エミリア以外なら誰だって同じだとくさくさした気持ちで執事に愚痴った言葉は、すべてエミリアに聞こえていた。しかも何やら多大な誤解がある。
(き、嫌われた……。絶対にエミリアに嫌われた……!)
自らの発言を激しく後悔した後二日ほど寝込んだパトリックは、朦朧とする意識の中で一つの仮説を立てた。
(エミリアは俺が『可愛い』と言ったら、きっと俺を捨てるはずだ……。なら、俺が彼女に『可愛い』と言わなければ? 適齢期を過ぎればエミリアは諦めて俺と結婚してくれるんじゃないか?)
ここで補足しておくとこのパトリック・オーガスタ、普段は優秀で次期侯爵として申し分ないのだが、少しばかり視野狭窄で暴走しやすいところがあった。
そんな暴走機関車は、誰にも相談することなく一つのことを決めてしまった。
「エミリアに『可愛い』を言う時は、婚約を解消する時だ」
そんなこんなで暴走し始めて早五年。彼もそろそろ限界が来ていた。
「エミリア、今日も可愛かった……なんなんだ、どういうことだ? 日毎に可愛さを更新していくのか? 毎日毎日最高に可愛い実は天使だったとか言われても信じられる今日も笑顔を向けてくれた可愛い顔も声も仕草も性格も全部全部可愛いセンスがちょっとアレなところも可愛いもう全部可愛い地上において最強可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い俺なんかが縛り付けてちゃいけないってわかってるわかってるけどでも絶対捨てられたくない好きだエミリア……!」
暴走の結果がこれである。
エミリアにあった日はほぼ呪詛のような賛美をこうして部屋で一人で呟く。ちなみに三年ほど前に彼女の兄、ダグラスにバレて大いに引かれたが、殆ど土下座の勢いで拝み倒して何とかエミリアにバレることはなかった。
今でもエミリアの前では彼女のことを『どうでもいい』と言っているが、そろそろぽろりと本音が溢れてしまいそうになっている。潮時かもしれない、と最近思い始めていた。遅すぎると言えば遅すぎるが。
「エミリア……好きだ。でも、エミリアの為にはもう解放してあげた方がいいのもわかってる……」
葛藤に葛藤を重ねて、パトリックはついに決心した。
「エミリアの誕生パーティーで、彼女に『可愛い』と言う……!」
その日、パトリックはちょっとだけ泣いた。
❀✾❀
そうして、エミリアの誕生パーティー当日。
エミリアはエミリアで一つの決意をしていた。
(むこうが結婚を躊躇っているなら、私からプロポーズしてやるわ! 首を洗って待っていなさい、パトリック・オーガスタ!)
表面上はふんわりとした、しかし隙のない微笑みを浮かべながら彼女は兄譲りの闘争心を燃やしていた。
祝いの言葉を一身に受け、幸せそうに微笑みながらも目はパトリックを探す。暫くそうしていると、些か萎れた様子で招待客の相手をするパトリックを発見した。
「皆様、わたくしパトリック様とお話して参りますわ。皆様もどうぞ楽しんで」
「まあ、仲睦まじいご様子で羨ましいわ」
「エミリア様はパトリック様を想っていらっしゃるのね」
純粋な好意と少しの呆れとやっかみが入り混じる顔見知り以上友人未満の淑女たちに向かって、エミリアは艶やかに笑った。
「ええ、そうですとも。わたくしパトリック様を深く愛しておりますの!」
言い切れば、淑女たちがきゃあっと色めき立つ。絶世の美少女の大胆な告白に、ちくりと刺すように漂っていた悪感情は綺麗に霧散した。
(単純だこと……。まあ、丸っきり嘘ってわけではないからいいわよね?)
淑女に許される範囲の早足でパトリックの元へ向かう。侯爵邸で二人で会う時なら確実に走っていた。周りの目がもどかしい。
ようやく婚約者の元へ辿り着けば、彼は驚いたような、しかしどこか気まずそうな顔でエミリアを見た。
「エミリア、その」
「パトリック様、一緒にお庭を散歩してくださらない? わたくし淋しくなってしまって」
パトリックが何か言う前に可愛らしく小首を傾げた。こういう顔をしている時の彼はろくなことを言わないと経験則で知っている。
いつの間にか近くに来ていたオーガスタ侯爵が頷くのを見て、エミリアはパトリックの返事も聞かずに強引に手を引いた。
「エ、エミリア……?」
「大事な話があるの。辛気くさい顔をなさらないで?」
戸惑うパトリックにぴしゃりと言えば、何かを堪えるように口を噤んだ。
そのまま無言で庭まで歩く。本日の主役が何をしているのだろうか。ふっと頭を過ったその考えはしかし、エミリアにとってまったく意味のないことだった。昔から彼女は、こうと決めたら一直線なのだから。
漸く辿り着いた美しい庭で、エミリアはパトリックと向き合った。真剣な面持ちのパトリックが、エミリアが言葉を紡ぐ前に口を開く。
「エミリア……君の話の前に、俺も大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」
思わぬ言葉にぱちぱちと瞬きしたエミリアは、けれどもゆっくりと頷く。純粋にどんな話か興味があった。
「ありがとう。その……今日の君は、じゃないな、君はいつも…………いつだって、可愛いよ」
「……まあ」
「本当は、ずっと言いたかったんだ。でも変に頑固になってしまって……。でももう俺の勝手で君を縛りつけることはできない。やっと気づいたんだ。……エミリア、婚約を解消しよう」
泣きそうな顔で必死に言葉を探して紡ぐパトリック。そんな彼の言葉をひとつひとつ咀嚼しながら、エミリアは自らの顔がだらしなくにやけるのを自覚していた。
「いやだ……私ったら一人で焦って、恥ずかしいわ」
「エミリア? 焦って、て……もしかして誰か他に」
「でもパトリック様も悪いと思うのよ! こんな熱烈なプロポーズをしてくださるなら、普段からの愛情表現ももっと大胆でいいのではないかしら?」
「ご、ごめん………………えっ?」
顔の周りに疑問符を飛ばすパトリックを見て、エミリアはこてんと首を傾けた。
「え? 婚約を解消しよう、って……婚約を解消して結婚しようってことでしょう?」
心底不思議な気持ちでそう言えば、パトリックは色々な感情が複雑に混じり合い、その中でも一際戸惑いの目立つ顔で「え?」ともう一度声を上げた。
「エ、エミリア? 君は、その、俺のことを……」
「好きよ? あら、言っていなかったかしら?」
どう思っている? とパトリックが声にする前に、エミリアは至極当然のようにさらりと言ってのけた。聞いていない、と心中で叫ぶパトリックのことなどまったく気にしていない様子だ。
「……でも、好きなタイプはダグラス殿のような人なんだろう?」
「? ええ、好きなタイプはね。でも好きなタイプの人しか好きにならないわけではないでしょう?」
「それは……確かに、そうなんだが」
「納得した? もう。まさか私と貴方、同じタイミングでプロポーズしようとするだなんて……なんだか笑ってしまうわね」
エミリアの中でプロポーズとして処理された婚約解消の言葉を反芻して、パトリックは頭を抱えた。穴があったら入りたい。むしろ自分で掘るから埋めてほしいくらいの勢いだ。しかしそれならば、パトリックは彼女に一言、絶対に言わなければならないことがあった。
「エミリア」
「まあ、まだ何か嬉しいことを言ってくれるの?」
「……君が好きだ。愛している」
「嬉しいわ、私もよ。もう一声!」
「も、もう一声? えーと、その」
浮かれたエミリアのからかいに真面目に悩んだパトリックは「これは気の早い話なんだが、」と前置きして、ぼそぼそと呟いた。
「披露宴では……二人でゴンドラに乗って上から登場するのは、どうだろう」
どこか覚えのある提案を聞いたエミリアは、喜びに満ちた笑顔を可愛い婚約者に向けた。
「肩を抱いて笑ってちょうだいね? その時は仲睦まじい新婚夫婦なんだから!」
登場人物紹介
エミリア・トンプソン(18)
ハイパー美少女。
この後婚約者から手紙にあるまじき分厚さのラブレターを三日おきにもらったり、呪詛みたいな愛の言葉を事ある毎に囁かれたりする。が、それを「可愛いなあ」で流せる程度にはパトリックのことが好き。彼のことを尻に敷いて生涯楽しく暮らす。
パトリック・オーガスタ(20)
拗らせ暴走男。
この後箍が外れて普通の人なら引くレベルの愛情表現を連発する。冷静になる度に自己嫌悪するが、最終的にはエミリアが笑ってるのでまあいいかで済ませる程度にはポジティブ。今後もエミリアの尻に敷かれて過ごすが、まあ本人は幸せそうだしいいんじゃないだろうか。
ダグラス・トンプソン(22)
シスコンお兄様。
この後会場に戻った二人の雰囲気でいろいろ察する。結婚っていいなあ、と思っているが相手探しに難航中。ちなみにどうしてこんなに野性味が滴り落ちているのかは本人にもわかっていない。