MEMOℛY
これは、お題「手紙」のアンソロジーに寄稿しようと書き出したものですが、どうしても筆が止まらず掲載出来ないほどのボリュームに成ってしまったものを作品にまとめた既刊本からの抜粋です。本編とエピローグからなりますが、今回こちらに本編の方を掲載させていただこうと思いました。本当の題名は「MEMORY ‐3.14と3.15のアイダ‐」です。初版はテキストレボリューションズEX2にて委託販売にて頒布しましたものです。副題はエピローグに関連したものである為、今回はエピローグを掲載しないため「MEMORY」だけにしています。5月16日の第32回文学フリマ東京にて改定新版第二刷を頒布予定です。このサイトには改定新版を掲載します。もしご興味いただきエピローグも見てみたいと思っていただけましたら、文学フリマ東京の当日にお立読みいただけますのでぜひ。もしよければ、自ブログにエピローグの途中までを掲載していく予定です。
MEMOℛY
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それは売店で売られている鉛筆を見かけた事でそのきっかけは訪れた。 珍しいものを置いているな、鉛筆など見るのはどれくらいぶりなのだろう そう想いながら男は店先に「掘り出し物」と説明された使いかけの短い鉛筆が入ったそのケースに手を伸ばした。
この店はアンティークまで扱うのか
・・・アンティーク?
そう言った自分に驚き、もうほとんど動かなくなった感情がわずかさざ波を立てた。
経年劣化を防ぐ完全滅菌100%UV人工ダイアガラスの真空無重力ケースの中に、先が尖った9センチほどの鉛筆は浮かんでいた。前時代の遺物である薄汚れた鉛筆とは対極の、無重力装置機関部をクリアメタルでスケルトンに見せたケースとのギャップがこの上無い。あらゆる物体を半永久的に保存可能にした、保存ケースとしての最終形態を極めたこのスマートなケースを無表情のまま、ぎこちなく親指と人差し指でつまむと、ゆっくり目の前まで持ってきて回しながらしげしげと見入った。本物とほとんど見分けが付かない人工眼球の奥から鈍い輝きが手の内に収まる鉛筆に注がれた。すると、瞬間その瞳孔は見開き、能面のような顔つきからさらに表情が消えた。知覚を超えた大きななにかに気付くとき、あるいは大きな物事に触れる時、驚きが大き過ぎると外見はほとんど無反応に近い表情に見える。
いつものように無表情の店員がその男の姿を無言で足の先から髪の先まで眺め回す。「付添い」はその様子を見守っていたが、さきほどから目の前にケースを持ち上げ覗き込み注視したまま、なかなかその場を動かない男におもむろに声をかけた。
私でも実物は初めて見るね、鉛筆は分かるのかね?
その物体に対しては何の興味も無い声で付添いが訊ねる。と、その男はその質問には答えずに、
「手紙を、書こうと、思います」
一呼吸を置いて、一言づつかみしめるように、言葉を返した。
表情をあまり変えなくなった、正しくは変わらなくなった、瞬きをしない瞼を限りに広げ、唇にうっすらと微笑が浮かんでいた。表情のわずかな変化を超える、微妙に震えているような、立ち姿全体から力強い感情が発せられていた。見た事の無いこの男の激しい感情の発露に、付き添いは「変化の記録」の確認をする自分の仕事を忘れるところだった。付き添いは、この男とケーブルで繋がるポータブル外部モニターをのぞき込み、この男にたった今何が起こったのか、画面に映し出されている様々な項目から感情、思考、行為にざっと目を通し、自分が見ていたこの男の挙動と外的行為とされたその内容の変化の様子が記録と相違ない事を目視確認した。
自分の部屋に戻った男は、すぐさま手紙にとりかかった。少なくとも、はやる気持ちは既に、紙に鉛筆を走らせていた。
自分で取り揃えなければならない生活必需品など無く、必要なものは全て与えられており、望めば小遣いも与えられた環境。買い物をするのは何年ぶりだったのか。購入した前文明の記憶の欠片が入った保存ケースを大事に机の上に置いた。
男は時計を見た。この部屋に入って、机に鉛筆の入ったケースを置いてから、はやる心の中で走らせるペンの音が聞こえるようだ、と思っていると、書くには紙が必要だという事を思い出し、一緒に部屋に入っている付き添いの男に頼んだ。
付き添いはそれに返事をしながら、外出用モニターに繋がるケーブルを男の体から外し卓上にあるモニターから出ているケーブルを男に手渡した。男は、ステンレス製の天板と足だけで出来た簡素な机の上にある、この男に与えられた最新のモニター画面から伸びる、自分自身とを繋ぐケーブルの凸部分を頭蓋骨と頸椎との隙間に設けられたインターフェイスの凹部分へ入れた。自分でつけさせることで強制ではないという形式的手続きだった。それをし終えて、男はもう一度時計を見た。部屋に入って最初に時計を見た時から3時間が経過していた。
この男の複数居る「付き添い」は、この男の全ての言動を遮ってはいけないと命じられていた。また必要の為にこちらから男に言葉を掛けるのは1日の回数が決められていた。すると、焦点の合わない目をやや上に向け男が立ち尽くしている間、モニターに思考が流れる画面―そのほとんどは同じことの繰り返しが占めていたのだが―を確認する作業が数時間でも続こうとモニター画面を確認しているという、それが「付き添い」の仕事であった。この3時間など短い方だった。係は、男の傍でそれをしても、別室の同じ画面と男の姿が映し出されているモニターで確認していても同じではあったが、人との接触時間と精神の関係性の記録の為に今回の散歩のように時間を決めて他人の居る環境が与えられた。
いつから、人は文字を書かなくなったのか、思い出せない。いや、私が思い出せないものは、それだけでは無い。もっと沢山の、言葉を、知っていたはずだ、思い出が、あったはずだ。忘れた事を忘れるという喪失ほど恐ろしいものは無い。だが、私は今日、鉛筆が分かった。アンティークや掘り出し物という言葉を読めた、理解した。鉛筆・・これを知っていた、思い出せた。忘却してはいなかった。どれほど前、最後に見たのか分からない、この鉛筆を。これは、文字を書くものだ。しかし、なにより、もっと―――・・・・大変なことが・・・私に、起こっている。。。
「思い出す」というこの経験が男に遠く忘却したものが膨大にあり、ほとんど全てを忘れているということを、そして今も忘れたままになっている思い出せない物事が沢山ある、という事に付かせ、分からせた。こんな大変な事態に気が付いたのに、自分の中でそれほど感情が動かない事が、とても不思議に思えた。
何故私はこんなに冷静でいられるのだろう。いつのまにか、自分自身の今までのほとんどを忘れていた ――――。こんなに恐ろしい事があるだろうか。思い出す機会が無かった。それも、ある。が、・・。
眼に飛び込んで来たこの前時代の遺物が、それがなんであるかが分かる事の驚き、そして同じ瞬間にスパークした遙か昔の記憶が、途方も無い喜びをこの男に起こしていた。そしてこの出来事は、この男に何かを目覚めさせる知覚を超えた衝撃を与えていた。
対象がなんだろうと、それが何かを「分かる」事が、忘れた事も忘れた、完全に忘却していた事をそれを唐突に分かる事が、どれほどの衝撃で大きな出来事であるか、それが当たり前になった者に想像できるだろうか。突然遭遇した鉛筆は、ほぼ同時にあるひと時の、一瞬の記憶をこの男に蘇らせた。この男が、いつか喪失した、その顔とその名前を、もちろん関係性をも思い出させた。蘇えらせた。
ただ、この男には時間の感覚まで蘇る事は無かった。もう時間というものがはっきりと捉えられなくなっていた。ほとんど、無かった。
記憶力には魂の力・磁力の活性化がキーであり、オーラと呼ばれたその広がり同様、脳の外にも脳内の情報が漏れ出ている事はかなり以前から観測されていたが、左脳から発せられる識別信号を解明し即座に言語データに変換する技術が確立出来ると、思考や思いを第三者が閲覧可能になった社会は、言うまでもなくすぐさま究極的な管理社会をもたらした。感情は音や色で可視化可能となりデータ化され格納されていった。初期には有線ケーブルが必要だったが、左脳の遠隔解析を完成させてからほどなくすると右脳の全知的仕事と役割に気付き、右脳の左脳との連携システムとその仕組みを利用する相互粒波テクノロジーを確立した。「相互粒波テクノロジー」とは、右脳は物事を粒子的に、左脳は物事を波状的に認識している事からであり、相互というのは、それら右脳と左脳の認識スタイルの違いがお互いの存在を支え合うという脳の機能の、それぞれが接する閾でそれらが出会い初めて一つの物事の存在を認識する、「分かる」脳の仕組みから付けられた名称だった。簡単に例えて言えば、右脳は本に手を置けば内容の全てをまるごと時間を超えて一瞬で捕らえ、左脳は記述された言葉を読む事で言葉で時間をかけて線上的にその内容を捉えてゆく、という認識スタイルの違い。このお互いの在り方に生じる差により、その「閾」で、存在を、認識を、「分かる」を、「存在」を、可能にする脳。認識できるとは、混沌から分別分離出来たという事だ。それは言葉の機能により仮想的に生み出されたものと言えるものだ。脳とは、「分かる」仕組みそのもの、神の三種の神器の一つ、言葉という剣により、切り取られ分けられた、言葉以前の無と有を超えた大いなる根源の混沌から一旦「分かる」「別かつ」「分ける」、その後で再度脳の中央・間脳で再度仮想的に意味ある一塊の像として事象を結ぶ、仕組みそのものなのである。右脳と左脳と別れている、これは、脳とは分ける仕組みそのものだ、そして一度分けたソレをその間で繋ぎ合わせ、再度それを、二つに分けたソレを再度一つに合成するのだ、と脳自身の形が言っている、そういう構造で機能をしているのだ、と。あらゆる全てであり一塊の混沌だったものを、いったん左右に別々の形態に分けて左右支え合って「存在」にし、さらにその内部の中間で再度一つの物事として言語とイメージとして存在させる。映像的言語的に再現する。そうやって映像的に言語的に脳内に結ばれる神の夢。それはまた例えれば、ユーホーキャッチャーで例えたなら、ボックス内の機械の手とその手に掴まれる景品、様々なものが混然一体と混ざり合っている、に例えて、機械の手が脳だ、言語化以前にその丸ごとを全体をパクっと捉える、そしてこのアームは二重構造だ、同時に整合性ある理論的言葉にしようと欲しその仕事をする。その仕事そのもので言語化を担っている。景品そのものが脳というアームにより、右脳的には全体を丸ごと感じる事で捉えた一つまとまりの物事、物体、これを例えて、ひとまりになっているスジコ状態と言う事にする、そのソレをそしてアームは同時に右脳が捕まえたスジコ状のソレを、言葉としてイクラ状に開放するのだ。その合理性、整合性の機能を持った左脳的に。右脳的な触手のアームの右脳的仕事は、存在をスジコ状で捕らえて一つのまとまりとして存在と出来るが、これを左脳でイクラとして言語化できなければ、それをイメージから論理的言語状の知として知となければ、捕まえた一塊のスジコ状のソレを、イクラ的にコトバとしてパラリと紐解けなければ、出て来たそのクマをクマとして認識できない、一塊の黒いナニカのままである。スジコ状態のままで出て来る事になる。出て来た黒いクマをクマと捉える事で共有できる。それは数学だったとして同じだ。脳というアームをフル稼働させ、右脳と左脳で未知の定理というそのスジコ状の塊を、数と記号というイクラで展開させ、それにより数式で言語化する。。この世とは違う次元にあったものを、この3次元に存在を成せる、自己実現とする、成る、共有のものとなる。今はそのように存在の川は流れている
人の記憶のシステムに、本人の肉体的視野とはまったく関係のないところで途切れることなく世界のありのままを保存しているという、以前から指摘されていたそのシステムがある前提で組み立てた予測からの模型により、理由を説明する事は不可能ながらその機能を応用し利用できるところまでは、わりとつつがなくその目標は達成された。これを利用し、当初左脳からしていた作業を左からではなく右脳から総合的に全てを抽出しデータ化する継続的な脳内ファイルシステムを完成させ、右脳から発せられる電気信号を、粒子として直接拾うシステムは全世界に構築された。ただこの男のように、脳以外の肉体のすべてが人工物に置き換わると外部機器とを繋ぐインターフェイスが必要だった。脳以外が人工的物質に変わると、人を覆う個人で固有の地場、いわゆるオーラが脳周辺のみになる事が分かっていたが、それがどう作用して脳から発せられる電気信号を遠隔で拾えなくなるのかまでは壁があった。また、脳以外が人工的組織に変わったその時、人の内外を覆う兆個の常在菌が99%まで激減する事は例外なく確認されそれが深く関係している事だけは確定されていたが、その先を解明するまでには至っていなかった。
常にモニターされ閲覧可能になった人の脳は、当初は犯罪を実行前に防止する事が期待された。しかしその期待は時間を置かずにこの管理システムの意味を根底から無意味にする欠陥が発見されて終わった。どうしても「時間差」を埋める事が出来なかった。その人間の思考、行動をデータが送信された後に確認をすることは出来たが、それを自動化する事も出来たが、たった今の思考も行為も、収集拠点を一人一つにしようと増やそうと光速演算を達成したところで後手であることに変わりない。光速とは拘束。速度の内側に居るうちは、光の速さの拘束の内側に居るうちは時間の拘束から出る事は絶対に出来ない。起こっている物事を吸い上げ確認対処するまでの時間差が埋められなかった。そして脳の機能として、この為時間を短縮できない要因に、行為と思考の切り分けが必要となりその切り分けの為のひと手間を入れなければならない事も大きかった。脳は、考えただけの事でも「行為」とみなしてしまうのだった。脳は、思考の中だけで他人を殺しにかかる事も、実際に殺しにかかる事も同じに認識していた。思考だけで終わった事と、実際に実行した行為を区別できなかった。悪い事を考えただけで逮捕していたら、自動的に監視対象としていたら社会が成り立たない。人類全員が犯罪予備軍として自動登録され即時行動制限されてしまうシステムなど笑い話だった。しかしもっとも致命的だったのは、また脳にとって
「他人」は居なかった。その人物が認識する目の前の誰か、は、その人物の中にしか居なかった。
ある実験で、日常生活をする人物を坦々と撮影し続けた立体映画を複数人に見せ、その人物に対する観察を行わせた。結果、その観察者の数だけ、立体映画の中で動いている人物の人物像が顕われた。その人物の日常生活を見続けるその複数人の脳内に現れたのは、それぞれで別人のように違う人物像だった。同じ人物を観ているはずの被観察者への人物像データには、一つとして共通の人物の一致が無かった。観察者はどのようにその動画内の人物を観察したか、観たか。ほぼリアルタイムで脳内から抽出される脳内像には、そこでは、多くが自分の一部を投影させて観ていた。他人というのは自分自身の持つイメージそのものでありそれまでの記憶から抽出され合成された想像的創作的概要の塊のような近似値であり、それぞれの脳内で創り出されたホログラムのような者だった。顔つきまで各人の脳内で違う姿に観ていた。直接面談での会話式の場合はもっと顕著であった。これが実際に起こっている事を視覚化データ化する監視システムにとって非常な足枷となった。人類が発生して間もなくの大昔から言われてきた、古今東西の覚醒者たちが口を揃えて この世にはたった一人しか居ない と言った実相が、このような形で証明された。比較的左脳優位タイプの人々は特にそれが顕著だった。中身を大事にしようとする右脳と、その輪郭を大事にしようとする左脳。常に型にハメよう分類しようとする機能が仕事の左脳なのだから当然であった。また右脳優位の人物で立体映像とほぼ同じ脳内像を出す人が多かったが、しかし自分の専門以外、興味を引く人や物事以外は、目の前にいる人物だろうとそのものへの興味が非常に薄くその映像内の人物への「心象」は「限りなく希薄」となるなど興味深いバラつきが出たのが面白い結果であった。結果、誰かのそのアクションが、思考のみのものか、実際に行った行動なのか、その人物自身の行った事なのか、「本当にその事実は在ったのか」、切り分け確認するために絶対確実な方法は、目視確認する他人の目による視認だけであった。この囚人のように。それしか無かった。実際に当人の中におけるその現実、そのソレが実際に現実だったのかどうか、本当に起こった事であったのかどうか知るには、どうしても他人が必要であった。他人の目が。
究極的なまでにデジタル化された社会は、システム化デジタル化すればするほど、人に思いがけないアナログ的作業をさせた。
そしてこのシステムは後からの巨大な確認用記憶データバンクとなった。個人個人が右脳でやっている人生の記録と記憶保持をそのまま外付けメディア化したようなものか。しかしここでもある非常に困難で驚くべき脳の、人の機能の「問題」があった。人は、人の脳は、老化や時間の経過により、あるいはなにかの作用により、記憶の上書きをしていた。過去の出来事を正反対に、まるで別の出来事のように過去にさかのぼって記憶を書き換える現象が頻発していた。過去に起こった、在った、その出来事を、ある日突然全く違う印象や違う出来事の過去として認識し記憶の納め直しをした。これがしばしばバグとシステムに認識され運用を止めた。そうやって完全に記憶を書き換えてしまっていた。そういう事が起きていた。脳はそういう事が出来ていた。これには研究者たちは感嘆した。事件的ショックによりその記憶を無かったことに消してしまう症例はよくある事だったが、人生でよくある何かのひとコマ、思い出の断面、ストレスフルな出来事等々で、その登場人物の言った事や行為が後々に逆に書き換えられたり、それを受けて起こった感情や印象も、当初の激怒から何ともない話、その相手への印象ですら、良かった事を悪かった事に、悪かった事を良かった事にまたあるいはその逆に最良だったと等々まさに千差万別に書き換えてしまうのであった。これは研究者には魅力的な研究テーマとなった。そしてこの研究の結果、他に類を見ない犯罪行為が可能にされた。脳の機能の特性により管理運営には大きな障害となった様々な要因から生じる、その時間差のわずかな穴を利用し、このシステムの要である空気中に在る惑星のグリッドワークをルーターとして送電網とする中央情報管制帯へ、簡単にダミーデータを差し込み流し、マザーシステムを騙す仕組みは直ぐに完成した。第三者が、マザーシステム内の記憶プールの中で、ターゲットの人物の人生を書き換えるのである。当人が自身の人生を癒すために、救うために、神が与えたこの脳の機能を、究極的犯罪に利用した。そしてそれは瞬く間に裏世界で使用されるようになった。闇では専門業者がたちまち乱立しダミーデータの売上はすぐに薬物を抜いた。「脳内」のそのような「悪だくみ生業」をすら書き換えた。この仕組みとダミーデータすり替えにより、そうやって冤罪を完全に可能にした。犯罪行為を隠した。犯罪の抑止どころではなく、完全な冤罪犯罪と犯罪の隠蔽を可能にするシステムが完成した。ドラマのように創作されたヴァーチャル思考と「目で見た言動行為の記憶」が綴った「行動」を証拠として出されたら終わりとなった。冤罪で狙われた者に、無罪証明は不可能だった。この仕組みの穴を埋める画期的なパトロール電波帯を発明した研究者が複数いたが、その方法も複数提案されたが、なぜか実用化へ一歩のところで止まったままになった。結局一般の善良な社会生活者だけが真面目に管理される仕組みとなった。そして当初は吸い上げたメガデータプール内の脳内記憶ファイルを、吸い上げた後で後書きで書き換える方法だったが、脳内に遠隔で直接別の記憶データを植え込む事が出来るようになってからはもうやりたい放題だった。過去の書き換えの機能をそのまま現在進行形でその人物の脳内に遠隔で直接注ぎ込む技術が開発されたのだった。もう現在進行形で直接ニセモノの夢を、たった今の事として「今」を、現実を、たった今起こっている事実として脳内に送り込み書き込むのだ。それをされた者は、白昼夢を見るように、目の前の風景に重なり透明なスクリーンに映画が上映されるように別の物語が展開され、起こる感覚まで「現実」となにも変わらないリアリティで、そして何もせず立って居るだけなのに、その中で展開される「自分の行動」を見た。感情や思考も勝手に流れた。自分のものとして。夢を見るような、実際に本当に抱く自分の感情で行為で景色だった。実際起きていながら二重に夢を見ていた。脳内ジャックと呼ばれた究極的犯罪だった。
そしてこの仕組みの要である、この管理システムを可能にした、データ化された全人口の生活の記録、記憶を24時間休みなく連続して送信し続ける巨大データの無線送電網 ―地球の天然グリッドワークの巨大ブロードバンド― これを保持し磁力を放っている全ての要所地点には必ず軍の基地が置かれた。置かれた、というよりも、予測理論に従い探索され発見されたその全てが、一つ残らず既に軍の基地内に在った、というオチであった。脳の内だけで納まっていなかった不可視の人の記憶の磁力体が、体外にまで漏れ出ている事が発見確認されるとほぼ同時期に、その発見をヒントに地球磁場の「経絡」の存在が推測された。衛星から丁寧に照射サーチされた結果、この地球の生命活動の美しい「経絡」の様子が映し出された。この実績から複数あるいは無数にあるはずだというその仕組みの予測理論が整うと、このグリッドワークを無線ルータとしてデータの送電網として利用できるとする世紀の大発見となった。この大いなる成果からそれを実用化すべく国の補助が注がれ直ぐに国家事業とされ総力を挙げて取り組まれた。そして、その予測値に従い予測地点を探索した結果、狙いを付けたその予測値の「経絡」の噴出口は全て正確に発見され、その理論が正しい事を証明していた。全ての予測地点が全てほどなく特定出来た。特に北緯と南緯の両方のおよそ30度から33度線上に集中していた。数個あった数えられる巨大な拠点から、それに比べれば毛穴のような小さなものまで、グリッドの拠点は地球上のいたるところに、幾何学的に応じる様相で、無数にあった。ちなみにその最大拠点数個を全て繋ぐと地球の周囲は巨大な立体六芒星を描き、南極と北極の極点を繋いで地球を貫通する直線が、その立体六芒星の組み合わさる上・北の四角錐と下・南の四角錐の頂点を繋いだ中心線と寸分たがわず一致して通っていた。まさに、地球は籠目の籠の中に在った。地球は籠目の籠に捕らえられているようでもあり、籠目の籠に守られているようにも見えた。
ちなみに、その軍の基地関係が既に有った云々の話は、ニュースでは「重要な拠点であるためこのまま自然の中に置くわけにはいかない。そのため厳重な管理体制を敷くために全ての場所に軍の基地を建設し軍が管理する事になりました。場所は秘され一般人は見る事も近づく事も出来ません」という概要がアナウンスされた。そしてそれが一般人の思う「真実」となった。そして、この世紀の大発見をした「惑星のグリッドワーク研究グループ」はいつの間にか姿を消した。
またこれは初期だけの事だったが、このシステムが画期的だったのは、著作権や特許の私の方が先だ後だ論争を終わらせた事だった。正当な創作者や発明者がその発明を作品を奪われることも真似される事も即座に防いだ。これは非常に画期的で大歓迎された。もちろんほどなくしてこの素晴らしさもダミーデータによって上書きされ放題となりこの記憶データバンクの実用性の意味を潰された。やろうと思えば、それはダミーだと後からでも発見可能な検証システムは構築可能であったはずだが。
ほぼ無料だった人工眼球は、密かに街中に設置されたライブビデオ同様の機能を持たされていた。「捜査員」という職業は社会から消え、代わりに思考行動データと実際の画像を照らし合わせる視認監視員、行動と思考の間で目視確認する専門の目視要員という職業が生まれた。
神が人に与えた自由は、どんな監視体制をもってしても、最後の皮一枚で保たれるように出来ていた。人の行動監視をどれほどシステム化しようと、人間による確認を不要には出来なかった。
一方、同じように暗礁に乗り上げていたのが「寿命の限界」を伸ばすことだった。実験段階では計算上百歳越えは直ぐに達成されたが、その先に大きな壁が存在した。肝心の実施では人工身体の精度を上げどんなに健康体に再生させる事が出来ても、寿命にばらつきが出ていた。人により延命の長短が激しかった。正常な新生体へと生まれ変わっても、何も身体的には問題のない個体の寿命がある日突然、電気のスイッチが切れるように終わっていった。寿命と、肉体の健康は、ほとんど無関係である事を結論付けねばならなかった。
細胞再生技術による各種臓器等の部品生産で生体の寿命は確実に長持ちしたし、不安定ながらも脳以外を人工体に全て置き換える実用化も順調だった。そして人の寿命が確実に延びていると確認された頃、最初に改定された法律は、量刑だった。細胞の再生や欠損を人工生体に交換するかどうかは当人の自由意志であったが、全体として寿命が延びているなら伸びた寿命分加算されて当然だろうという合理的なのかどうか疑問の残るところだがそういう理論だ。そしてその機会に以前から問題視されていた、簡単に死刑にするより無期懲役のほうが刑としては重いだろうという刑の等級順序が見直された。犯罪被害者の気持ちとしてはすぐに殺してしまうより同じ苦しみを味合わせてやりたい。それは無理だから自由を失くした中で償いの労働を永遠に与えて欲しい。思考や本音が誰にも客観的に閲覧可能となった事で、その人物が本当に反省をしているのか、まったく償いの気持ちが無いのか、さらなるウソを法廷で言うかまでが本人に確認するまでもなく分かるようになったのである。ならば、その気持ちが生まれるまで、自分の行いを悔いるまで無期を、と。細胞を再生させ人工の肉体に取り替え続ければ殺された者と遺族の苦しみの代替に拘束の苦しみを与えてやれる。その上で死刑にしてほしい。被害者遺族のその願いがことのほかスムーズに通った。奇妙に思えるほどスムーズに通った。逆に遺族ですら途中から反対の側にまわる者がいたほどであった。それは人体実験の合法化だと。いくら犯罪者でも本人の意思を無視した人体改造は人道倫理に反している、それはあってはならない拷問刑だと。反対する人権団体はもちろんいた。人体実験の合法化は死刑囚だろうとさすがに人権が、と。実際それはマッドサイエンティスト達を喜ばせた都合の良い建前であり都合の良い建前を得た人体実験の為の量刑改正だった。細胞再生技術によりできる限り命を維持させた無期懲役の後の死刑。この残酷極まりない、まごうことなき拷問である量刑は、しかし当時は不安定だった人工の肉体と細胞の若返り、寿命の延長技術へ飛躍的な多大な恩恵をもたらした。誰もが説明不要に確認出来る「脳内記録」により「えん罪」はありえないのだから、という建前も、囚人の人体実験の合法化改正可決を手伝った。その恩恵を一般市民が受け取れるまでに降りてくると、この非人道的な人体実験は人々の良心の声を黙らせた。犯罪者がその償いに差し出した肉体だ。そのように善悪の感覚を麻痺させた。あくなき実験の繰り返しはほどなく実用実施での百五十歳越えを当たり前にした。
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この同じ手を使い人体実験を合法化するのは何度目だろう、今回もなんなく通った。本当に人類は学習をしないのだ、経験が記憶がひとかけらも残らないのだ。
転生をまたいだそのスパンでの記憶の継続など不可能である事を百も承知の上で、薄笑いを浮かべながらも、安堵もしながら、このポイントを今回も無事通過出来た事を祝うのは、半有機半無機質液体コンピュータ内で生き続けている肉体を無くして久しい意識だけになったなにモノか。いったいコレで何度目か、数えようと思えば数えられるが、思い出すのも腹立たしいからしない。やっとのことで人体再生までたどりつき思考がデータ化される技術まで文明が進むと、そのたび勝手に戦争を始めて自滅する。そして地球はまたアメーバからのやり直しだ。このコンピュータに移行された意識体自身は、時間の終わった銀河でとうの昔に終わった惑星の、最後の時期に寿命を迎えた人工脳の代わりに、コンピュータ内に意識を移すことに成功した、者、者と言っていいのか、昔、ヒトだったもの、である。成功した、というと目的がコンピュータに意識を移行させる事のように聞こえるが、人工脳が寿命を迎えるまでにどうしても自分のクローンに意識と記憶を移行させる技術を完成させる事が出来なかった為に、まずはコンピュータに移行させる技術を開発しいつかまた生身の肉体を持てる時まで一時的に意識を継続させるためのバイパスとしたのだった。そこではすべてが、脳までもが人工的に生産でき人工人体に入れ替える事が可能となり、若返り細胞再生技術が究極的最終形態で実用化され、一千年の寿命を約束されるようになった。が、千年以上の年月は、なぜか生きなかった。千年目の年のある日、電気のスイッチが切れるようにぱたりと人生が終わった。そうやって星が終わった。
意識が半有機半無機の液体マシンの中に入り久しくすると、さらに生身の肉体の素晴らしさと憧憬だけが忘れられないその感覚との比較差に記憶の中で苦しむようになっていった。すべての右脳的感受性、感じ方、は、細胞再生技術で造られた肉体の場合ももちろん、オリジナル身体の生身の時のものに叶わなかった。この人物は、そろそろやってくる人工脳の寿命=冥界からの迎え、死、を前に、自分の意識をひとまずコンピュータ内に移行させる事に成功した。そして、魂の座が空となっているクローン人体を作り意識を移行させ、その寿命を迎えたらまた新たな肉体に意識を移行し、という夢を実現するために、かの実験の続きを行うべく、適当な太陽系に惑星を選んでは、アメーバからヒトを育て文明を与えある程度まで高度な文明で止めさせ、コンピュータに意識を移行させる逆、肉体に継続した意識を移行させる技術の成功を夢見た。
この、意識だけでもを、継続させる事に無心する目的は、なんだったのか。単に寿命を楽しむだけだったのか、そうではない。犯罪の限りを尽くし上り詰めた永遠の奴隷システムのピラミッドの頂点で君臨し続ける事がメインでもない。「意識の永遠の継続」の本当の目的は、その犯罪の限りの当然の報いである無限地獄の清算、人の子として産まれたのであったなら、誰もが避けられない神の審判、これを、永遠に先延ばしにする事だった。それは肉体を無くしても脳だけになったとしても、半有機半無機の機械の脳みそに引っかかっているだけでも、意識の永遠の継続が出来ればよかった。死ねば、誰でも神の裁きが待っている。この世に生まれ出たならば誰も逃れられない審判。これを永遠に先延ばしにする方法、この世での意識の永遠の継続、―あの世に帰らない事― この確立こそが、目的だった。
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人工再生人体の実用化に成功した初期段階のこの実験で、人の寿命を百歳から計算上では二百歳まで延ばす事に成功したマッドサイエンティスト達を悩ませたのは、解決出来ない一番の不可解だったことは「本当に犯罪を犯した者」は、なぜかその寿命が早かった事だった。死刑を待たずにある日突然終わった。それが続いた。人の寿命は健康とは関係が無い。この実験は一番にこれを明確にした。産毛までも精巧に人工的に作り上げた肉体に入れ替え脳以外のすべてを新品に入れ替えても、当初百五十歳までが限界だった。真の犯罪者は。そのような重い犯罪を犯すような人格では、人体維持のためのファクターが弱い事が分かってきた。治験志願の一般人や、密かに軽犯罪者に行われていた人体実験では期待値まで生きるものがあったためそう予想された。しかしそのファクター、何がどう作用しているのかが不明だった。その当時で、計算では、少なくとも200年の寿命はある計算だった。一般の人間でまれに百五十を超えて生きる人が出たがしかし、二百歳の壁を越えるものはいなかった。これを実施で耐えられる者が居なかった。
一般人を相手に確実に帰らぬ人となる治験実験が問題にならなかったのか?もちろん代わりの、本人にそっくりの代わりを替わりに帰宅させればいいだけだった。
実験とはなんだったのか。それは人工放射能を照射し続ける事だった。放射線を浴びせ人工的に老化を早める事で、実際の年齢の早回しを造り出し、計算上での「延命寿命」としてデータにしていた。この方法はワインの醸造期間の短縮技術がヒントとなっていた。百年もののワインなど1日中の有用放射線照射で出来上がった。この技術を応用したのが有害放射線での計算上の老化実験である。寿命の早送りであった。有用放射線での熟成発酵を逆にもし有害放射線で元素半減期を早めたならば、やったならば、と。この悪魔の実験棟はその発想を得た途端から刑務所内に即時的に建設された。しかし、いざ実施では二百年にもならない段階で終わるレベルで足踏みをしている事に苛立った液体内の意識は、正常な一般人での実験を命じた。冤罪により何人もの「第一級犯罪者」たちが実験棟に連れてこられるようになった。その結果、飛躍的に技術は進歩した。しかしその大多数が臓器を変更するたびに人格が完全に別人に変わったが、自分の人格が完全に変わっている事に自分では気が付かないまま過ごし、そして百五十歳を超え出した頃言葉を忘れていき記憶を無くしていき、ほどなくして動物的行動をとり始めた。この症状が起こる事が潮時のサインだった。しかしその中で一人、この液体内の意識が望む結果を出し続ける個体が居た。人としての正常な意識を保ったまま、皮膚感覚の違いを認識し生身の肉体との差異をいつまでも忘れず、日常生活を続けられた。この男はこれをクリアし続けていた。人工的細胞であろうと生きている人の体からは放射線を観測出来た。その半減期が老化や寿命と関係していたがこの半減期を伸ばす事、さらに半減期を迎えるタイミングで無事通過できる事、それを可能にする時間の進行を止める事、これが要であった。1人の個体が継続して元素半減期を超えるタイミングを迎える事が続けられる事が、二百年の壁を越える必須検体であった。するとこの男の他とは違う特殊な性質がその実験を可能にした。
人の細胞は体は、魂の生命力で覆われていた。体の中に生命力があるのではなく、見えない生命力の磁場の海の中で体は保たれていた。魂の中心核から放射する磁力がそれを示していた。この放射する光のかたまりとも観測できる周囲の直径は個人差があったが、密度程の違いは無かった。寿命の長さと磁場密度は比例していた。そして老化現象が顕在化するそのタイミングでその瞬間に人を覆うこの地場が半減した。しかしこの男の場合、それまでの結果とは違う様子を見せていた。老化促進放射線に負けなかった。元素半減期を迎えると同時、半減すると同時に新たに命が吹き込まれるように生命磁場を維持した。
この結果、研究は階梯を上げていき進化を果たしながら飛躍的に進み人工人体の限界寿命をさらに更新し伸ばしていった。この男の登場で他の検体との違い、が重要なテーマとなったが、おそらく間脳の未知の領域に関わっていると確定的に想定されたが、そしてその先にいよいよ人工脳の領域があったのだが、液体に溶けた意識はその研究をさせなかった。自身の延命のみが正義の悪の権化の本能が、なにか、このままでその先、を察知させていた。
この半有機半無機の機械の中に居る意識におもねるサイエンティスト達も治験者でもあったためやや長くは生きた。がその寿命を迎えるたび世代も入れ替わりメガ量子コンピューター・・メガコンと言っても中央のそれは、一つの小さな町ほどの面積の「水槽」・・ここに蓄積される膨大な経過観察記録が引き継がれながら、この人物への実験は繰り返され試行錯誤が続けられた。
やがて重すぎる過酷な精神への負荷はさすがに肉体との乖離を進め記憶を曖昧にさせた。それと比例して意識の磁場に空洞が観察出来、それが広がってゆくのが分かった。胸の魂と相互作用の関係にある間脳というコックピットの状態は、見えない胸の魂の座を反映していたが、背中を覆う地場の広がりの陰りや欠損は、それは魂と肉体との繋がりが断たれ始めている事を意味していた。意識や記憶の蒙昧進行と背中の磁場の喪失の広がりは比例していた。そしてそれを観ていたある日、コンピュータ内の意識は、自分のクローンではなく、この男のこの体に、今にも空となりそうな魂の座に、自分の意識磁場を繋ぎ乗っ取ればいいのだという事に気が付いた。半有機半無機の機械には寿命は無く、寿命のある人工脳よりもそしてクローン体よりも半有機半無機機械へのほうが魂の移動=ダウンロードが簡単だった。そのため生体でもあり機械でもある人工脳の開発よりもクローン体での魂の移動実験を先にさせたかった。しかしここへきて、この男の出現で、生体脳を乗っ取れるのかもしれない事に気が付いたのだった。
人工脳や自分のクローンであればダウンロードは簡単だった。自分の血液を輸血するくらい安全だった。しかし自分のものではない他の生体脳へ、他の肉体に己の意識を移行させるとは異なる血液に入れ替えるほどの冒険だった。そしてその架け橋が不明だった。しかしこの男の出現で、その架け橋に気が付いた。移行先の肉体を維持しつづける磁力=生命力を維持したまま当人の意識と肉体との繋がりを徐々に剥がしながら自らの意識の磁力で浸食してゆきその中身をすり替えれば良い。これに気付いた。これが出来れば、生体脳でのその永遠の繰り返しで良かった。
この男は人工人体の入れ替えに耐えその寿命は期待通りに延命年齢の記録を更新していった。そして期待通りに人としての正気は保ちながら自己の意識はさらに低下し続け意識と感覚を後退させ魂=記憶との繋がりが徐々に外れて行った。生命力という寿命を消化、消耗せずに。それは宇宙に類を見ない最大の犯罪だった。肉体と一体になっている不可分の魂を剥がし外し落として、外されたそこに、胸の魂の座に、他の魂がそこに居座る。押し出された元の魂は、永遠に宇宙に漂う事になる。永遠にだ。死ぬことも生きる事も無く。永遠に。自らの無限地獄を押し出した魂に永遠に押し付ける形だ。今の状態と入れ替わる事であり、逆になるのだ。その後、この先どんなに犯罪を重ねようと、押し出され、永遠に漂うこの個体がそれを身代わりに受ける事と同じだった。なぜなら、この状態で、神はリセットボタンを永遠に押せなかった。死ではなく肉体から剥がされ半分生きたまま押し出された魂、それは宇宙にとって消化、解消できない、回収できない永遠性であり、永遠に因果のレースが編まれ続ける事であり、その状態でリセットボタンを押せば、その因果のドライブ状態と「完結」が矛盾を起こし、その瞬間に宇宙がさらに破片に砕かれ元の原版に戻れなくなる爆発を起こしてしまう。正真正銘、神を失うのだ。原初のホログラムの本当の爆破破壊となってそのまま原版を永遠に失う。それは地球が永遠のように阿鼻叫喚の中にあろうと、それだけは絶対に出来ない事だった。
液体の中でその意識はそれに気が付いて色めき立った。そのアイデアが思い付き、その理論に矛盾が無い事を確認出来ると、半有半無機の液体の中に溶けているこの意識体は勝ち誇ったように、モニターを壊すほど歓喜を爆発させた。
ソノスイッチヲ、オセルモノナラオシテミロ
星を超えて星霜の間貯め込んだ汚泥を腹の底から一気に噴出させるような、底の底からの噴飯の大爆笑だった。
その瞬間まで、あと少しの所に来ていた。
自身も何度か細胞再生技術を受け長寿を楽しみ年齢が百年を越えだした頃、働き盛り、ありふれた家族構成、ありふれた日常のありふれた幸せを生きていた男の生活に突如入って来た云われない冤罪。その瞬間から始まった冤罪への抵抗という獄門。家族と永遠に引き離され、この苦悶の生き地獄から救われたのは、真実を訴える力が消えた125歳を過ぎた頃だった。自分に科された延命治験無期懲役後の死刑という判決と、ここが刑務所である事もその後さらに150歳までに認識出来なくなった。定期的に自分の体を手術される生活。味覚を楽しませたり視覚を楽しませたりする意欲が無くなる事は耐えられても、一番に耐えられ無かったことは睡眠が無くなってしまった事だった。そして読書の時間が永遠に与えられた。昼も夜も本と向き合った。しかし。この男の唯一の楽しみとなった読書すら、ほどなくして、この永い寿命を生きるこの上ない苦痛に変わった。125歳から150歳の間に、この男に何が起こったのか。
脳内をそのまま完全な管理体制の中に置く社会へは当然反発と反逆がたびたび起こっていた。その反抗的人間の多くが松果体が通常より大きくそうではない他よりもその活性が見られ未知数の値を示していた。その為、松果体と個々人の意識との関係を絶つか薄めるか出来ないかと計画された。そこでこの男も実験体に選ばれた。脳の左右を繋ぐ脳梁の下、間脳と松果体の連携を調べる実験で視床の一部の細胞採取を目的とするある実験の後、コンピュータでいうところのメモリー、RAMが著しく低下した。原因が不明だった。脳梁を触ってしまったか?いやそうではないらしい、脳梁に傷はついていない事は確認出来た。脳梁を切断した時と症状は似ているはいるが少し違うようだ、触っていないはずの脊髄まで連携の変化が見られた。記憶を保持する磁力そのものが離れて求心力を失った状態のような様子が確認された。他の生体よりも著しく強い生体維持磁力を持ったこの大事な実験体を台無しにしてしまったか、と実験は失敗かと思われた。が、この失敗により、どうしても出来なかった記憶と肉体のつながりを徐々に絶ちながら同時に生体に徐々に別の意識体=磁力体を繋げてゆく方法と道筋に気が付いたのだった。左脳と右脳の物理的な繋がりは保ちながら磁気的連携を絶ち、その中間にある第三の目、魂のコックピットともいえる間脳、ここへ意識体を物理的に肉体とシンクロさせ入り込ませる方法が、そして胸の魂の座を乗っ取る方法が、別の意識と肉体との縫合が。一度首の裏から一カ所、わずかでも接触させ結びを付けたなら、その体の記憶の消滅分、入り込む事が出来た。それは常在菌の激減分と完全に一致していた。あとは、この男の記憶の完全消失を待つだけになった。その速度を速める為には会話を持たせず絶望と無関心が一番に記憶の喪失を促進した。
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男は教えられた保存ケースの開け方 ― 押すべきボタンの一押し ― を忘れないよう、そのボタンに「押す」というメモを張り付けてもらっていた。ぎこちなく指を出し、保存ケースの解除ボタンを押し、自然重力を受けケースの中でコロンと音を立てて転がった鉛筆をケースの蓋をスライドさせながら、左手の上に転がした。あらためて残り少なくなった9センチ程度の短い鉛筆をまじまじと観た。 よく残っていたものだ。 相当古いものだとは分かる。分かったけれど、この鉛筆が使われていた時代、それが一体いつの事だったのか、その時間的距離感を実感的に思い返す事もそこに考え至る、巡らすエネルギーも無かった。
机の傍らに本が置いてあった。読みかけのページに栞がさしてある。
なぜか、ある日突然、対話の中で相手の話す内容も本の中の文章も意味を成さなくなった。読んでも読んでも、知っている自分の母国語だから、読める、文字は忘れていない、文字は読める、が、意味が入って来なくなった。2、3個程度の単語の意味なら単発的には分かった。けれど、文章が、まったく入って来なくなった。何度、同じ文章を読み返しても、その一行の文章を理解出来なかった。どころか、文章の頭付近の語意がその後の2,3個の語句を読み進めるまでに消えていた。目が文字を追いかけ、文字の意味が入るにつけ、読み進める文章の文字を認識しその言葉が入って来ると同時にすぐその前までの文意が単語がどんどんと失われていった。なんとか必死に文章に言葉に食らいつき、文章の前後の意味を最後まで脳内に保ち、次の文章に目を移そうと繋げるのだが、二行目まではなんとか持ちこたえても、目を移した三行目に別の文章に意識を移し文字が目に入ったとたん、最初の二行分の文章の意味すべてが霧散した。その状態になって、男はふと思い立ち、画面では無く、生身の手で文字を書いてみようと思った。案の定、文字を書けなくなっていた。漢字はおろか仮名まで。モニター画面や本の中に埋まっている無数の言葉、その文字一つ一つは言葉として分かる、し音読は出来る。しかし意味が読めない。まったく入って来なかった。そしてそれを、文字すら目を紙に移すともう思い出せない、書けない。たった今まで見ていた文字が。文字が表示されているモニター画面から目を紙に移した途端、その字が、もう思い出せない。絶望しか無かった。そんな地獄の方がましだという拷問のような日々も、年月というさらに巨大な怪物には適わなかった。どんどんとそれすらも日常となっていった。ただ、合法的人体実験のための囚人という現実を忘れることが出来た。これを認識できなくなった事が唯一の救いだった。文章が理解出来なくなっていた、本が読めなくなっている、という衝撃に意識が完全にロックされている間に、その事態への混乱と底知れない恐怖と、もう一度本に入ろうと格闘しているうちに、自分に起きた事件と置かれた境遇のそれらすべてを、それまでの人生の全ての記憶と共に年月は連れ去った。その生きながらの地獄が日常となって明け暮れだした頃、地獄を地獄とも認識しなくなった頃、消えていったこの世への未練と、何のためかはもう問う事もとうに忘れた生きる目的。RAMメモリーの低下は、そのような思考も奪った。感情の低下と比例して、いつしか家族の事も忘れ、思い出を奪っていった。
この症状が出だしてから定期的に行われている脳のRAM性能・記憶保持タイム検査では、常に5秒と計測され、その数字は突然そうなった当初からずっと変わらないままであった。
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机上の本が目に入り、文章が読めなくなったその初期の衝撃の日々がうっすらと思い出された。本を見れば、自動的に もう一度読んでみよう という無意識領域に出来た思考のルーティンがパブロフの犬のように、脊髄反射のように、起こった。
思い出す という感覚が先ほどの売店の店先に続いてこれで二度目が起きた。不思議な気持ちがした。そういえば、いつからか、自分の周囲にいる人間たちが宇宙服のような制服を着ていない。それを売店の主人を見て気が付いた事を思い出した。
あの付き添いも、そういえばいつのまにか宇宙服を着ていない。
この男への日常放射線照射実験は数年前から止められていた。
本の題名が目に入る。「ソクラテスの弁明」。文字そのものを忘れる事は無かった。読み上げる事は出来る。単語の意味は、一つ、二つだけならばその意味は理解出来た。しかし、長い文章となるとまったく意味が入って来ないのだ。男は、なぜこの本を手元にずっと置いているのか、なぜこの本を選んだのか、なぜこの本がここにあるのか、この本を目にするたび、そう思うのは何度目かも知らないまま、初めて思う様に、そう思った。題名は読むことは出来る。もしかしたら読むことが出来るかもしれない。本を目にし、そう思ってそうする事も、これもルーティンのひとつになっていた。そうしてふと男はまたその本に手を伸ばし、栞のページを開いた。学習能力のほとんど無くなった手には、初めて紙の本に触るような感覚を覚えた。 紙の本は貴重なのだよ、汚さないでくれよ。 いつだったか言われた言葉が、本に触れると同時にやはりパブロフの犬のように脳の別の領域から初めてのように脳内に流れた。
栞を指すまでも無い、最初の一ページ目が開かれた。男は、もう一度果敢に文章の中に飛び込もうとした。何度読み進めようとしたか分からない、初めて読む文章に何度も入ろうとした。何度も何度も。最初の数個の単語で意味が霧散するとすぐに初めから読み返す。読み返す度、初めての文章であった。何度も繰り返していると少しはマシになった。意味を保って居られる文字数も保っていられる秒数も増えた。一行の意味をなんとかクリアしその意味をようやく保持したまま二行目に目を移すとその単語の頭で霧散となった。そうしてまた最初の一行目に戻った。休んで時間を置いてしまうと元の木阿弥になる。時間はいくらでもあるのだから。これを続けて繰り返すと何回目かで二行半まで出来るまでにはなる。すると今までより少し永く意味を脳内に保つ事が出来ている事にほっとするような薄い喜びを感じられた。その喜びを感じられた事に気付きほっとして集中力を解き一息つくと、その途端その文章のもたらす意味と映像は脳内からかき消えた。
通常であれば、書かれている文字を読み進めることで流れるように結ばれ続ける景色や内容をずっと捉え続ける事が出来ないとは、いったいどういう事なのであろうか。自分のうちに既に在るものを言葉に出す事は出来た。しかし、文章からの新しいインプットが、出来なかった。対面してでの会話は、もっと奇妙だった。相手のしゃべる速度を遅くしなければ追い付かないのであったが、脳内から滑り落ちてゆく相手の言葉を必死に押さえつけ、それを脳内に文字として浮かべ置き、その簡単で日常的話し言葉の内容を一旦、相手はこういう事を言っているのだろうと脳内の文字からさっし、それに対して答えを用意し、それを言葉にする、という複数の思考の段階を踏んだ。しかし込み入った内容になると、例えば、だれだれの母の父方の叔父と誰かれの~などとこられるともうついていけなかった。簡単な関係性が追えなかった。館内 ― ここは一つの町のように広い ― を歩く道筋も、初めての場所を言葉では理解できなくなった。それは一人で歩かされて、確認された。3回程度も廊下を曲がる必要があると紙に道順を書かなければ簡単な道順を口頭では覚えられなかった。
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机の上に置かれた開かれた本は、手で掴み上げるだけでも表紙に新たな皺を加工した。つまんだ栞は、布で出来たものだったため折れ目はつかなかった。手の中に本を持とうと、救い上げるように指先を本と机の間に入れると人工関節はキシリと音を立てた。もう片方の手で指先だけでできるだけ少ない力を掛けつまもうとするも、その圧力で紙の表面は太鼓橋のように湾曲した。以前より、四肢のコントロールも悪くなっていた。瞬間的に大きく力をかけるよりも、弱い力をコントロールするほうが体力を必要とした。
そして、自分の中にもう一人、違う意識がある事に気が付いたのも、そんなに最近では無かった。それは会話中に気が付いた。目玉が一つ自分の額に、自分とは別の意識の目があるのを感じた。自分が見たいと思ったものや、見失った相手の話す内容を反芻しようと意識で振り返えろうとすると同時に、その目玉も動くのを脳内に感じた。背骨が、なぜか背中に二本あるように感じたのは、いつだったか、そしていつの間にか、その感覚は三本になっていた。付き添いに尋ねたほどたった。私の背骨に何をしたのだと。もちろん男に尋ねられる前からそれは重要な議題となっていたが、一つしかない背骨を3本あるように何故感じるのか、解析できないままであった。
絶望する自分の感情、そして意識、とは別に、同時に、その意識の深く暗く底知れない欲望が闇の向こうからやってきた。全ての悪を塊にしたような純粋な「悪」を感じ始めていた。その「悪」からこの上ない笑みが漏れる。溢れる。それはしかし自分自身だった。紛れもなく、もう一人のそれも自分でありそうであった。そう感じた。きっと私の意識なんだと思った。自分が分裂したのか、いや、分かれているようには感じない、と考えた。私の心はいつから、こんな邪悪な感情を芽生えさせるようになったのか。男の最後の正気が、得体の知れない意識を認識する。人をあやめる事をなんとも思わない意識だと分かるその邪悪な意識も、しかしそれも自分でもあることを、自分の一部に感じるそれを、男はできる限り見詰め、反芻した。何かを意識し続けるという事は、読書に挑む事同様に、意識の蒙昧の進行を遅くしていた。その反芻の行為は、そうしているうちは自己の意識が支配する領域を、まだ過半数をわずかでも正気の方が魔去っており、その邪悪な意識に肉体を完全に支配されるのを止めていた。
実際男の脳は磁力的に左右を分断され分離していた。その左右それぞれの脳がいつしか別々に違う人格を帯びていた。何かの拍子に左脳と右脳は交互にスイッチングされ微妙な、違う人格の変化が日常的に観測された、し、男にもその自覚があった。不思議な事に、左右脳のどちらかの人格が男性的で、もう一方が女性的に感じた。ただ、問題なのは、一つ目だった。これは物理的にもゴリンとしたものを脳内に感じ始めていた。3つ目の意識だった。これは自分だろうか。違う気がする。そう男は思った。この一つ目は、相手の話す内容を反芻する中で気が付いたものだったが、文字に、文章に集中しようとするほど、それは額の中央で弾力を感じるほど抵抗感として在った。
おそらく、この一つ目のような、ここにある意識が
私の思考、インプット、記憶を阻んでいる
全てを受け入れようとして、しかしその感覚に疑問を持ち、その反発の作用に不信感を覚えるまで、そう思うまでに、数年かかった。
1行目から2行目へ、霧散してそしてまた1行目へ、何度も繰り返し集中力を限界まで用いて保てる映像の量を増やしながら読み進めていくと、脳内で離れていた左右の脳が縫合されていく感覚を覚える事があった。実際に脳の中を見ているかのようにその様子は視覚的にも感じられた。それは実際、重要な瞬間だった。その為に読書をしているようであった。そして実際、その為に読書をすることを本能が仕向けていた。しかしその瞬間、男に恐怖が襲うのだった。その襲われた恐怖に読書を中断させてしまうのだった。言葉とイメージの接触が光の速度を超え始めると、左右脳の縫合が始まり出した。しかしそうやってうまく左右脳が連携をし始め縫合が始まると、その瞬間、なにか急に霧が晴れるようにクリアな意識になるのであるが、得体の知れない何かの予感と共に得体の知れない恐怖が襲うのだった。それは、本当の現実、忘却した自分自身が置かれた恐ろしい身の上を知る事であり、分かる事が蘇る事であり、その現状認識がもたらすものを、そこから来る衝撃波を、本当の現実に気が付きそれを理解する事の衝撃を、先に感じ取るからであろう。
一体私に、何が、起こっているのだ。
以前のように、本が読みたい。それだけだった。しかしどんなに集中しても3行が精一杯だった。読み進め、わずかづつ左右脳が縫合されその距離が縮まり、あともう少しで、というところで、いつも真ん中の弾力に負け、押し戻され力尽きた。
・・・なにか、意欲が、誤魔化しができない、どうしても、正直なところ、本当には、何か、誤魔化せないほど、私はもう、やる意味を持てない、持てなくなっている・・空気の抜けたような気力・・・そこなのだ、、。もし、ここが回復したなら・・
男が気力が足りない、意欲が足りない、と思うのも当然である。心を受ける魂のコックピット、間脳、宇宙との接点の中枢が、半分破壊されていたのだから。左右脳の機能の発露は心との繋がり、間脳の性能=心の魂の大きさ、感情の大きさ、意識の階梯のその段階、経験値次第の、心のエネルギーの、それとの繋がりを半分壊され、魂の半分が外され押し出され、かろうじて引っ掛かっている状態で、その半分は半ば乗っ取られていた。心は、間脳を切られた時に同時に切断されていた。この男と、他の人間との違いはここに在った。本来は胸に収まる心と頭部頭脳は共同作業で人生のドライブを楽しむもだ。その要が脳幹、その間脳にある、が、その状態にある人間は非常に稀で、さらにその状態にあっても脳の機能を全開にする、心の不死性を実現した、頭が心に脳がさぶらっている状態、小我を抑え込めている意識状態を維持している人々、この全世界に網を仕掛けた脳内抽出遠隔収集システムのもう一つのそして最大の目的はそれら特殊な人々を探し出す為というさらに隠された極秘計画があったが・・これにあたる人はさらに稀であると予測され、またそうなるとそのような人々は世間から隠れてしまっていた。さらにこの状態の人間を見つける事を困難にしたのは、そうなるとまた違う周波数にシフトしてしまっており、遠隔でも探すには今の文明が捉えられる素材では無理な領域のものとなってしまっていたため探しようが無かった。しかし、まったく偶然にこの、先天的に心の不死性の実現に可能性を秘めていたこの男を、捕らえていたのだった。
間脳内の一部を切られ中途半端に脱魂された事が、間脳コックピットの機能、脳全体で捕らえられた智を、社会へ実社会へ宇宙から直接もたらされる恩恵を、本来の脳の働きを、偶然にも実験の失敗により封じられ、生きもせず死にもさせずに置かれながらも、この世に繋いでいたものはなんだったのか。脳のさらなる進化を阻み、性能と機能を決める胸の状態の反映が中途半端になったまま。
本来は心が全て、ここが身体の上下の要で押さえ、ここの状態が全てであった。この胸の魂そのものの状態が自動的に反映され全脳の機能を質を決め脳幹コックピットは脳を身体を操縦する自由の要として自動的に機能した。星間を超えて奴隷を操る文明を止められない定めの存在達は、この心と生体脳の權坐園な機能こそが敵であったし自分たちの生存にとっては攻略すべき要であった。その障害物を乗り越えて左右両脳の和解、脳と心の和解を果たし肉体と精神の聖十字をもたらす事をこそ目的とすべきを、しかし人間はその存在達の思うつぼを繰り返した。いつか見えている脳の機能のみを重要視し、見にくい胸の心を置きざりにし、その状態はすぐさま脳の仕組みに反映され間脳コックピットの性能は停止したも同然となって久しかった。脳はいつでも100%フル活動している、が、ヒトの魂の受け皿とした全体像からは、心のシンの齎す本来の恩恵を知らずに排除したまま、その本来のポテンシャルを数%しか使えない状態で脳を酷使しなければならないようになった。この、心と脳が相互に連携反映し合う仕組み、ここから胸に伸びる脳と胸に収まる心との繋がりを中途半端に絶たれた事で、意識はさらに希薄になり悪循環が始まった。なにかにつけて感じていたはずの子供のような喜びは遠ざかり、意欲も、気力も、なにより胸から供給されていたエネルギーの大部分を不完全に放電させ失わせた。この、心との断絶が、喜びも悲しみも希薄なものにし意欲も無くさせた。しかしその中でもこの男は、この間脳の機能が生きており、わずかでも活動させていたのだった。物理的に心身を傷つけられた後でも、まるで仮死状態でありながらも、それは命綱のように、繋がりを保ち続けていた。
・・・これは、手術でどうにか出来ないものなのか・私はなんの病なのだ・・
自分は意識障害の病を起こしてここへ来たのだろう、きっと、と男はいつかこう思う事で施設内では自由でも「外」に外出が許されない理不尽な境遇への整合性を無理に取った。
男の部屋に注文していた人工パルプの紙が差し入れられた。脳内モニター画面を光の速度と同じスピードで男の言語化された思考が、それらと共に思考だけではない肉体の活動、感情、体を流れるエネルギー量、脳内の状態、それら行為行動に伴うあらゆるデータが水が流れるように上から記号と文字で埋め尽くされていっていた。秒単位で頁は積み上がって行った。
なぜ紙?
と、一瞬椅子から立ち上がりながらも、頼んでいないと言いかけて、 ああそうだ、私は手紙を書くのだ と思い出した。男とモニターをつなぐケーブルの重さを感じながら、そして引きずりながら部屋の中をドアまで取りにゆく。紙を受け取ろうと手を差し出す男を横切り、「付き添い」は部屋に入り持ってきた紙を机に置いた。と、係員は男の背中を見ながら後ろ手にドアを閉めた。
目の前の画面の中、思考だけを抽出したページから言語化された自分の想った言葉を見ながら一文字づつ絵を描き写すように紙に鉛筆で書き移そうと男は考えていた。PCには思考や感情などの項目別にそれらだけを抽出し頁を作成するコマンドボタンがあった。これを押せば出来た。そのボタンを操作するのはほぼ係員だけであったが、男にも操作できるようにと、そのボタンにも「思考」や「感情」と書いたメモが張ってあった。
そうだよ、紙に書き出そうと思う
ああ・・私は沢山の文章を読むことが出来ないから、返信はいらないよ。なぜか、読めなくなってしまった
自分からは何かを想う事が出来るし、自分の思った事を、こうして文章に出来るのにね
不思議だ。絶望からも、もう解放されたよ
それも、君のお陰だ
画面に並ぶ言語の中から、いくつか、これだけは間違いなく自分の気持ちだ、と思うものを
見つけられるだろう
今日、君の事を思い出したのだよ
思い出した途端、自分には家族が居たことを思い出せたのだ
思い出した途端、家族というものを 完全にそれを忘れてしまっていたことを、思い出したのだ
この驚くべき・・喪失
しかしそれを思い出したのだ
まだ信じられない、家族を忘れていたという
信じられない喪失状態だったのだよ
恐ろしいね
しかし
思い出せて、本当に本当に良かった
嬉しかった
私には、家族があったのだ
ここがどこなのか、なぜ外出が許されないのか、家族に会えなくなってしまったのか
答えてくれるものが居ない
いやそれどころか、家族を思い出せなくなってしまっていた
忘れてしまうほどの事が、起こっていた
あなたを思い出せたのは、奇跡なのだ、奇跡が起こったのだ
私はきっと悪いことをしたのだ
なぜなら不気味に笑うなにかが、私が、私の内に居る
他人のせいにしてはいけないね、これが自分の責任なのだ
だけど私が私だと思うすべてに自信を失っていたんだよ
様々な想いが私の中から湧いてくるのだが、そして色々なことを思考するのだが
そのすべてが、本当に自分のものなのか、自信が無い、いや、自信が無かった
それが今日、あなたの笑顔を
光の中から、さらに光が 私の中にあなたが顔を見せてくれた
その途端、すべてを理解出来たようだったのだ
私は取り戻したのだ、自分をとりもどしたのだ
全てが曖昧だったところから
確固と、これは私だと信じれる 私を取り戻したのだ
それは愛情だ 愛情を、取り戻したのだ
最近の事はけっこう分かっているつもりだ
だけど、以前の事となるとまるで思い出せない
駄目だ
この事から思ったのだ
記憶とは愛情で保たれているのではないかと
思い出ほど尊いものは無い
こんなに素晴らしいものなのだ
幼い君にはわからないかな
愛情を、心を、取り戻しただけ、記憶を、劣り戻すのだ
その愛情は、自分でどうにか出来るものなのか、分からない
あなたの笑顔を思い出させたものがなんであるのか、私には分からない
ただ、私は、このことをあなたに伝えたい
伝えたいので手紙に書くことにしたのだ
あなたの姿を思い出す前は、時々、無性に、私の中から
「会いたい」という想いが出て来ていたのだよ
何度も何度も、何に対してか分からない 分からないながら
会いたいというその思いは絶えず意識に登ってきたのだ
自信の無い私はそれを眺めた
自分の気持ちを眺めた
これは、この思いは、本当に自分の思いなのかどうか、と
本当に自分の思考なのか
本当に自分の気持ちなのか 願いなのか、思いのか、とね
その気持ちが本当に自分の気持ちであるのか、自信が無かった、それが・・
こんなふうに書くとまるで私の思いではないかのように聞こえるが
絶対的に自分から出ているはずの気持ちなのに、これだけではなく
思う事、思考まで、私のものなのかどうか疑い、信じられなかったのだよ
しかし、娘よ、私はあなたを思い出した
お陰で、会いたいというこの思いは
あなたに向けられたまぎれもなく私の気持ちであったし私のものであったのだ
あなたの姿を思い出す事が出来て、あなたに会いたいという
この思いだけは、自分の思いだと確信出来たのだ
いつか、いつのまに私自身とは思えない、別の意識が、私の中にあった
入り込まれた、いや、その私もわたしなのだけれど
けれど、あなたの姿によって、この私が私だと信じられたのだ
会いたいという想いがあなたに向かっている、それが私から出ている私の思いでありその私が私自身だと
確信できたのだ
これは疑いが無い、疑いが無かった
なにか離れて遊離して存在していたものと、それを、再び
私の想いに、私のものに、出来たのだ
私の想いを、私のものに
今は、誰もがオンラインで離れていても一瞬で思った事を伝えられるようになっているのに
このような原始的な方法で、思いを伝えたいと思ったのは、なにか
こうして文字を書くということが
なにか、こう、私が生きた、ということを、この世に、刻む事に思えるのだ
私が居た、という事を、刻むように感じるのだ
筆跡
ヒツセキ 私の字はどんな字だろうか
これから書くのだよ
どきどきとするね
こんな気持ちになるなんてのはしばらくぶりだね
鉛筆で文字を書くなんて
どれくらい久しぶりなのか思い出せないくらいなのだから
自分がどんな字を書いていたかもひとつも思い出せない
ワクワクとするよ
さあ君に、今から書くよ
娘よ
私の娘
あなたは、初めて自分で字を書いた紙を、私に、大喜びで見せに来たのだ
私の目の前に、その文字の紙を突き出し、頬を赤らめ、満面の笑みをたたえて
男は、机の上の紙と自分の思考が羅列されたモニター画面を交互に見詰めながら、しばらく時間をかけて文章を選ぼうと探した。しかし、目の前の文章は自分の思考であるためか、それでも本を読むよりは楽なようであったが、読み進める事は困難で遅く、えもいわれぬ苦痛と脳内の、脳にしびれるように感じる圧迫感に、読む事を中断しては何度も頭を机に沈みこませた。そうしているうちにも、その言葉は、ページを戻す作業よりも早く思考に関する画面は光速で増え、一瞬にして自分自身の挙動をすぐさま可視化する画面に埋もれて行った。最初の言葉が表示されたページはあっという間に見失った。
フっフっ・・
と、愉快そうな笑い声が聞こえた。姿までもが見えるようだった。そのような声が聞こえてくるのは初めてではなかった。そして一種類だけではなかった。さまざまな疑問が浮かんでは、消え、忘れて行った。そうして数時間はあっという間に過ぎた。先ほどまで外の明かりが室内を照らしていたが、今は室内灯が逆に外の世界を照らしていた。沈黙やしじま。普通であれば一瞬の訪れであるものが、この男にとっては、時間の大部分を占めるものだった。
一瞬にも、永遠にも感じる間が、しじまに空いた。
と、室内の窓側の一面からにわかに、東から真横にビームスポットのような強烈な光線が室内に入り込んでいる事に気が付いた。鳥の鳴き声が聞こえた気がした。
先ほど陽が落ちたと思ったばかりだったのだが。
男は意を決し、左手の上に乗せていた鉛筆を右手に持たせようと右手のそばまで左手を寄せた。掌の上にある鉛筆をケースに入っている時と同じように押さえた。すると
パキッ
と小さな音を立て鉛筆が中央から折れた。長い間食器すら持たなくなっていた手は、力加減などとうに出来なくなっていた。折れて3センチほどになった鉛が突き出た先端側の鉛筆を、さらに潰さないように慎重に人工関節に静かに力を入れる。人工の骨に指の人工関節の数カ所から
コキキココ・・
という音になるかならないかの振動が指先に伝わった。
男の真剣な眼差しが、さらに短くなった鉛筆を持つ震える指先が、鉛筆を保持する事に意識のすべてが注がれる。ほどなく片手では無理だと諦め、ようやく両手で鉛筆を支える事に成功した。
鉛筆をようやく持ち支え、顔を上げた男の前に、モニター画面がある。そのモニター画面の中から先ほどの思考文を探し出すには、普通の人間でも再度探し出すには、量が多すぎた。その上に、この男には、もし書き写す文章を見つけ出せたとしても、その文字を紙面上に書き写すには、その文字の一つ一つを書き写す作業の途中で、画面から目を離し紙へと視線を行き来させる度に、その文章と文字をまた見失うだろう。文字を真横にお手本を置いても一角一角その都度観ながらでなければ文字を書けなくなっていた事を思い出す。そんなことは、いやというほど、繰り返してきた事ではないか。経過した時間からしても、この一瞬だけでも、数える事も出来ない膨大な思考の羅列が流れるページを前に、ただそれらが過ぎていく画面を見るだけである事に、絶望的に圧倒された。
良いアイデアだと思ったのだが
モニター画面にまた一行新たに文章が浮かんだ。
鉛筆の芯が無くなるまで出来るかぎり、文字を書きたかった
書こうと思った
のだが
自分自身の顔だけでなく、後ろの壁まで自分の上半身の影を創りながら照らす煌々と光るモニター画面に、またそう言葉が綴られた。
しばらくの間、力を入れすぎないようにと注意深く両手で支えた短い鉛筆のわずかな感触を感じていると、男の見詰める画面の中にあるカタカナの「アイデア」という文字が男の脳内に届いた。
私はカタカナよりひらがなのほうがいいように思うのだがな
男はそんなことを思うと、目の前に、自分の目の前に、突然、突き出された紙に書かれた幼い文字が浮かんだ。その紙面の向こうには、はち切れそうに満面の笑みを浮かべた幼子の顔が見えていた。一瞬の閃光の中だった。
男は無意識に立ち上がった。必死に最初のひと文字を、目の前に浮かぶそれが消えない内に描写しようとした。最初は「あ」だった。
しかし鉛筆は紙に当てただけで尖った鉛の先が全て砂のように崩れ、木の柄だけを残して鉛の部分は無くなった。
男はすぐに右手の親指と人差し指で鉛筆を持つと、力一杯込めて鉛筆を潰した。さらに机の上に散らばった破片を指で押しつぶした。鉛筆は簡単に木くずと鉛の砂粒に変わった。
男は机に散らばった粉末になった鉛を右手の人差し指の腹の人工皮膚に押し付けた。そして、最初の「あ」を人工パルプ紙に書くべく紙に指を当てた。用紙は当てた指先から音を立てて破けた。A4サイズの紙が二枚に破けた。瞬間的に男は二つになった紙の大きい面積のほうを選び再度指に鉛を付けた指を押し付けた。今度は慎重に。紙を破かないように。指を付かず離れず浮かせながら粉をこすり付けるとは、なんと難しいのか。指先が小刻みに震える。「あ」の最初の横棒を引くのに、紙と指先との間の鉛をこすりつける力加減がなかなかコツがつかめなかったが、男は5分ほどの時間をかけて、最初の「あ」の横棒を書いた。何度かなぞったのでやけに太い最初の横の一角となっていた。紙を押さえる左手指先を動かすたびに紙面は全体に薄鉛色に染まっていった。力を入れずに指先をコントロールすることがこんなに力がいる事だった。なるべく小さくと思っても、その「あ」は6センチ四方の大きさになった。目の前に浮かぶ文字と同じように、縦に、次の「い」を書いた。無意識無自覚に両足を床に踏ん張った。次の文字、そして次の文字と、鉛の粉を何度も何度も指先に付けながら、綴った。精一杯、指を這わせた。4つ目の文字を書いている頃には、もう出なくなった汗の代わりに呼吸と心臓が早鐘を打っていた。踏ん張った右足の床面の絨毯が男の靴底で裂け始めた。指先はかすかではない音を立てて震えていた。その震えを少しでも止めようと左手で右手首を抑えた。男の全ての意識、全神経は指先と文字を書く行為に集中していた。紙が動いてしまうので、左の手首で紙を抑えながら右手を支えた。
いつもは、別の意識の思考に、言葉が脳内に結びそうなイメージをその寸前で、別の意識に割り込まれ、イメージを他の思考に壊されてしまっていたが、今は違った。いつもであればそれは自分でありながら自分と分離して独立して動く視線と走る思考と意識とに阻まれていたが。その阻んできた邪魔な思考。その時、その思考のスピードをわずか追い抜き、自身のイメージを実行する行為が、その速度をわずか上回った。この文字を書く事に集中する事で、この集中により男は自分の脳内を勝手に泳ぎ回る思考を抑え、超え、浮かぶイメージを保持し書く、という行為への没頭が、起こった。それはコントロール不能に勝手に走っていた思考が、光の中に溶けた、自分の意志による「思い」が僅か追い抜いた一瞬だった。
それは5つ目の「い」を書こうと紙に指を這わせた時だった。あれほど何度も何度も飛び込もうとしては押し戻され、出された言葉の光の束・文章の意味の中、意味をたたえた言葉は、それ自体が光を放っていた。離れてしまったその意味為す光の塊と再び意識が一致するためには、光の速度と最低でも同じにならなければ乗れなかった。意識は、思いは光を超える。その光との間に入り込まれた光速に拘束された思考を超え光と心と一体の言葉と再び結ばれるためには、それを阻む「思考」を「思い」が上回わらなければならなかった。何度もその光の中に埋没しようと試みたのに、その光の中に思考を埋没させようと、勝手に暴走する自我の意識を失わせようと、その、いつも寸でのところで遠ざかる光の塊の、いつも自分のすぐ目の前にありながら、絶対に届かなかった言葉の光のその中、その光が、男の脳内、額の中央のいつもの得体の知れない一つ目の居る場所で、その瞬間、文字のイメージとそれを書き写すその行為の中に、一致が起きた。と、同時だった。その額から不気味な声が響いた。いつもの声の、いつもとは違う、獣か、異形か、聞いた事の無い、断末魔の叫び声だった。その断末魔が消え入る声を発した。
あと少し、あともう少し・・もうすこしだったのに―――・・・!!!・・・・・・・・・・・・
と、声が手の形に変わり周囲の空気に掴まり留まろうとしながら音声をどこまでも長く伸ばし、二度と出る事が叶わない闇の中に引きずられ吸い込まれていった。
なんだ?と男は周囲を見回した。
もう一度、男は、
あれはなんだ?
と呟いた。男の眼前には、岩と砂だけの、色彩の無い荒涼とした広大な大地が広がっていた。どこか別の惑星か、その無機質な地面から大きな岩山が少し離れて二つ隣あい、その奇妙な双方の岩山の中腹あたりからその岩山と同じ材質の表面を持って、隣り合う岩山の途中からそこを根にした丸く太い灰色のアーチが伸びかかっていた。少し離れて隣り合う岩山から奇妙に伸びるそれは高い位置で徐々にカーブし、中央でやや細くなりながら虹のようにアーチ状に繋がっていた。そして、根本より徐々に細くなりながらかかるアーチ状の岩の中央部分に、生きた目玉が埋め込まれていた。そう、見えた。埋め込まれているというよりも、むしろそれはそのような生き物だった。目玉部分が少し太く膨れていた。その目玉は生きていた。永遠に生きていた。瞬きも許されない岩に捕らえられて。永遠の時間を、そこに捕らえらえたまま、死ぬことも、出歩き生きることも許されず、永遠の時間を永遠にそこに居る、なにかだった。
男のその呟きに続いて、男のその問いに答えるように、
成れの果て
と、言う声が聞こえた。この声もいつから聞こえ始めたか分からない何種類かの声のうちの一つだった。その厳かな声が、男の脳内に浮かんだ。
画面にはもう一つ「照合」というボタンがあった。そんな映像を受けても白紙の中に意味の結ばない脳をそのままに、ふと机に向き直した際、画面のそのボタンに指が触れた。たちまちたった今自分が見た、白昼夢のような映像と、データバンクに蓄積された膨大な資料との照合が始まった。そしてそれは数秒もかからずはじき出されて画面最前列に開かれた。
―閃電岩―
・・・・せん、でん、がん・・・・。
なるほど、確かにその肌のテクスチャーはその岩肌と似ていた。
―砂漠などで6億ボルトに達する落雷が発生した時、条件が揃っていると融点1800℃の珪石をその温度30000℃(太陽表面の5倍)で融解し瞬時に空洞のガラス管に固め形成される非常に稀な天然石である。―と、説明されていた。男には書いてある事は脳内にはほとんど入っては来なかったが、 神 罰 という言葉が通り過ぎたような気がした。が、男にはそんな事に関わっている時間も興味も無かった。忘れてしまうかもしれない、思い出せなくなってしまうかもしれない目の前に映し出された6つの文字を全て書き終える事を、天の至上命令かのように自分に課していたのだから。そんな景色をなぜ自分は見るのか、さっきの叫び声はなんだったのか、と気を逸らした事に気が付くと、その至上命令を遂行する事に意識を戻し、眼差しをまた、書きかけの紙面上に戻した。紙面に眼差しが戻ると、先ほどの出来事はまるで無かったかのように、男の脳内から完全に消え去った。
全身から力を絞り出すように指先へ集中し直した。指の腹に意識を集中させ、最後の最後で紙を破かないように、持てる最大の慎重さで最後の文字の一角目を、狙いを付けた場所へ指先を置いた。
男は最後の文字を書き上げた。最後の文字が、これが一番難しかった。三重丸のように見えた。
線の全てが小刻みに揺れていた。鉛の粉の粒の大小がそのままバーコードのように指先の太さだけの帯でかすれていた。それらの文字を知っている人が見れば、それらの文字に見えなくもなかった。
男は、全てをやり切った、と脱力して椅子に体を預けた。グッタリとする全身を、しばらく呼吸を整えるために椅子に体を預けた。
初めて感じるようなこの上無い満足感と気の遠くなるような幸福感の中に男は浸った。
これが至福というものだろうか
うつらうつらと、もう来ることがないと思っていた眠気までもが思い出される感覚だった。
しばらくそうしていると、すると「封筒」が必要であると気が付いた。それを「呼び出し」を押し付添いに伝えた。待っている間、宛先を書くために、思い出した娘の名前を一度練習もしたいと、破ったもう片方の紙に書き出した。もう一度先ほどの、奇跡のように思い出したイメージを頭の中に再現しようと意識してみた。目の前のイメージの、この男が思い出すことに成功した唯一のイメージの、笑顔の娘が持っている紙に、娘は自分で自分の名前をひらがなで書き込んでいた。そのもう片方の手には、鉛筆が握りしめられていた。どこかで見たような気がする鉛筆だ、と男は思った。
そうだ・・あれは、あの子が、鉛筆を見てみたいと言い・・私が、アンティークショップを探し歩いて、やっと見つけて買ってきたのだ…
・・しかし・・もっと最近に、なにか、見た気が、するが・・・
男はそう思うが、そう思うだけで、それ以上の思索は続かなかった。
・・娘はこのひどい文字を読み、なんて思うだろうか・・
時間感覚を無くした男は、文字を書く事が出来た、書き上げた高揚感と、ほんの少しの心配と楽しさと喜びと入り交じった感情に久しぶりに、どれほど久しぶりか分からない感情に体を預け、湧いてくる感情に満たされて、久しく感じた事のない幸福感を楽しんだ。この手紙を書き始める前と、今とで、自分の感じ方と認識に変化が起こっている事に気付きもせずに。
すぐに封筒は届けられた。封筒表面に娘のひらがなの名前を同じように指先に付けた鉛の粉で書き込んだ。6文字を書いたよりも随分指先が楽になった感じがした。一文字一文字、時間をかけて、かみしめるように、文字を刻んだ。そして、自分の名前をその下に書こうとして、ここで初めて自分の名前を思い出せなくなっている事に、忘れている事に気が付いた。
しばらく紙を見詰めていれば記憶が戻ってきやしないかと、見詰めていると蘇るのではないかとそれを待った。しかし、それは訪れなかった。
持て余した、鉛で真っ黒になった指先が、無意識にモニター画面にある「思考」のボタンを押した。画面にはすぐさま思考活動の文字だけが抽出されたページが整えられ映し出された。そのまま画面に突き出された鉛色の人差し指の指先で、画面底辺部にあるバーのカーソルを「直近」と書かれたメモの位置までスーっと動かした。すぐさま変わった画面のページから、その最後の方に映し出された「私は父親であることを思い出したのだ」の文章の「父親」を見つけ、ひらがなの「ち」を思い出し、左下に、「ち ち」と書いた。
男は、紙を封筒に入れる前にもう一度、自分の筆跡を覚えておこうと、忘れないようにと、いつでも思い出せるようにと眺めた。男は、持てる力の全てを使い果たして書き上げた、破けた紙面の上の、鉛の粉で綴られた太く大きな自分の6つのひらがな文字を、再度ゆっくりと眺めた。
あ い し い
て る
男は、ところどころ割け、指のずらした傍から出来たシワが無数に刻まれた紙を、ぎこちなく丁寧に折りたたみ、封筒に入れ封じた。
気が付くと封筒を持ってきた「付添い」がその様子を眺めていた。男は、自分に娘がおり、手紙を書いたので、住所は私は分からないが調べて届けてほしいと願い出た。
この鉛筆と出会ってから、3日目の朝が来ていた。
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刑が執行されると、遺品は決まった大きさのケースに入れられ遺族に届けられた。入りきらないものは処分された。男の遺品と言えるものはこの封書だけだった。世界は何世代も時が過ぎていた。遺族は当初遺品の受け取りを拒否した。係員の説明を聞いてもそんな名前の女性は自分の親族にいないし思い出したくも無いと抵抗した。係員は、あなたの曾祖母の母の姉にあたる人である事は完全に調べが付いている事と関係者はその妹の家系しか存在しない旨を説明した。忘れたふりは通用しないと観念すると、かつてむりやり押し込めた記憶が蘇ってくる。大昔に母親から聞いた犯罪者の家族のその後の過酷な生活。曾祖母のさらにその母親の姉は、幼年のある日、残酷な姿となって帰宅した。同時に記憶バンクから自動抽出されたデータの視認精査を終えた「証拠」から特定された犯人が直ぐに逮捕された。その父親が。名字を変え、居住地を変え隠れ住んだ日々。いっそすぐに死刑にしてくれれば、何度も思った。いつまで続くか分からない無期懲役はその家族にも無期懲役が科されたようなものだった。何世代もの時間が過ぎても、犯罪者の家族は、ここまで苦しめられるのか、追いかけてくるのか、と無機質な感情を逆なでた。今は大分落ち着いた生活を送れるようになっていたところへ、突然その苦悶の記憶を思い出させる来訪者に、叩き起こされ、蘇る記憶。
囚人の人体実験が合法化された事は大衆の意識から早く忘れてほしい事であったため、その多大な恩恵や、成果は社会には秘され一切が知らされていなかった。その名前の女性の妹の玄孫にあたるこの女性は細胞の若返り申請はもうしなくていいと「寿命」に任せる日々を送っていたため姿は劣化していた。なぜ今頃・・とっくの昔に刑は執行されていたと思っていたのに。女性は係員に対し、それは何時だったのかなぜ遺品の到着が今頃になるのか、やっとの思いでその二つの質問を出したが、答えられないという返答がまるで機械のように帰ってきただけだった。
女性は係員からしぶしぶとケースを受け取ると、家の中では開けたくないと外に出た。
恐る恐るケースの蓋を開けると、鉛色の封筒が見えた。うす鉛色の封筒の表面にかすれた鉛色のへびが這ったような跡がついていた。女性はその汚れが文字であるらしいと認識した瞬間、
ひっ
と小さく声を発し、手に持っていたケースごと投げて飛び退いた。顔も知らない曾祖母の母の姉・・自分が殺した我が子へ宛てた、執行された死刑囚の書いた手紙など、恐怖以外の感情が無かった。生まれ変わりを信じていたその妹は、その子孫のどこかで、姉と同じ名前を付けてあげる事で、その姉の人生を全うさせてあげられないか、もしか同じ家系に転生が叶うのではないかと思い、その願いを遺言にしていた。その妹の末裔のこの女性は、波打ち、粉っぽい鉛色の封筒の表面に浮かぶ、自分の名前に読めるひらがなの宛名にただ恐怖した。女性は震える手で、その封筒をつまみ上げ、ダスターレーンに投げ入れた。
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刑が執行されると、遺品は決まった大きさのケースに入れられ遺族に届けられた。入りきらないものは処分された。男の遺品と言えるものはこの封書だけだった。世界は何世代も時が過ぎていた。遺族は当初遺品の受け取りを拒否した。係員の説明を聞いてもそんな名前の女性は自分の親族にいないし思い出したくも無いと抵抗した。係員は、あなたの曾祖母の母の姉にあたる人である事は完全に調べが付いている事と関係者はその妹の家系しか存在しない旨を説明した。忘れたふりは通用しないと観念すると、かつてむりやり押し込めた記憶が蘇ってくる。大昔に母親から聞いた犯罪者の家族のその後の過酷な生活。曾祖母のさらにその母親の姉は、幼年のある日、残酷な姿となって帰宅した。同時に記憶バンクから自動抽出されたデータの視認精査を終えた「証拠」から特定された犯人が直ぐに逮捕された。その父親が。名字を変え、居住地を変え隠れ住んだ日々。いっそすぐに死刑にしてくれれば、何度も思った。いつまで続くか分からない無期懲役はその家族にも無期懲役が科されたようなものだった。何世代もの時間が過ぎても、犯罪者の家族は、ここまで苦しめられるのか、追いかけてくるのか、と無機質な感情を逆なでた。今は大分落ち着いた生活を送れるようになっていたところへ、突然その苦悶の記憶を思い出させる来訪者に、叩き起こされ、蘇る記憶。
囚人の人体実験が合法化された事は大衆の意識から早く忘れてほしい事であったため、その多大な恩恵や、成果は社会には秘され一切が知らされていなかった。その名前の女性の妹の玄孫にあたるこの女性は細胞の若返り申請はもうしなくていいと「寿命」に任せる日々を送っていたため姿は劣化していた。なぜ今頃・・とっくの昔に刑は執行されていたと思っていたのに。女性は係員に対し、それは何時だったのかなぜ遺品の到着が今頃になるのか、やっとの思いでその二つの質問を出したが、答えられないという返答がまるで機械のように帰ってきただけだった。
女性は係員からしぶしぶとケースを受け取ると、家の中では開けたくないと外に出た。
恐る恐るケースの蓋を開けると、鉛色の封筒が見えた。うす鉛色の封筒の表面にかすれた鉛色のへびが這ったような跡がついていた。女性はその汚れが文字であるらしいと認識した瞬間、
ひっ
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この後エピローグへと続きます。
https://blog.goo.ne.jp/amaterasital/e/2f63dca9e9928c6799fa743e5d5f5022
(すみません、現在作業中となっております。)