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世界的理不尽模様

「くぅー!」


 椅子に座るカタは背伸びをした。

 長時間モニターと睨めっこしているとあちこちが辛くなってくる。


「たまにはフィールドワークもしないとな」


 そして、その機会はもう間もなく。例の情報屋との接触は自分ですることになっていた。物質圧縮技術と、人間工学に基づいた快適空間を約束されたインビジブルトレーラーは過ごしやすいが、やはり家のゆったりした広さというのは懐かしい。

 もっとも、あいつさえいればどこでもいいのだが。


「けほけほ」

「死因がジュースは笑えないぞコスモ」


 急に咽せたコスモに気を配る。それとも、あいつに背中を擦ってもらう作戦なのだろうか。参考になりそうだ。


「首を横に振っても治らんが。背中擦ってやるから」


 なんとも言えない顔をするコスモ。自分と二歳ほどしか違わないのに、八歳児でも相手にしているようだ。六歳年下の妹はもっとしっかりしていた気がする。

 加藤の望みは、この年不相応の子供に普通の人として生きる道を提示すること。

 そのために世界を見せる。知識を与える。


「ふむ。散歩でもするか?」

「え……?」

「せっかくだ。お姉さんがいたいけな処女に手解きしてやる」


 純粋に興味が湧いてきた。男どもより上手くできる自信がある。

 それに。


(加藤にもアピールできる)


 不意に、コスモが何とも言えない表情となる。


「また変な顔してるなお前は」

「うむぅ……」


 コスモが妙な声で唸っていた。



『待て待てまだ早い。時期尚早だというのに!』

「お前はいつも遅いんだ。やることなすこと。今はまだ安全だが、そのうちやすやすと外出もできなくなる。そうなる前に、少しでも外に触れていた方がいいと思うが? あたしは何か間違ってるか? 暮人」

『俺はどっちでも構わんがね』

「ほらな」

『しかしな』

「お前も何か言ってやれ、コスモ」


 地方都市の真ん中で。コスモはビル群を眺めて呆けている。だが、雑多な人並みの傍にいても苦しがる様子はない。

 遮断性に優れた特製帽子のおかげだ。片菜製。特殊繊維で編みこまれた柔らかな白のニット帽が生体情報を遮断する。


「あの……私は、大丈夫です」

『君はまだ経験が不足している。カタがいれば安全に違いないとは思うが。くれぐれも気を付け――』

「長いな、終了」


 片菜は通話を切った。あいつのセリフは平凡だ。その先は容易に想像できる。

 なんなら、今どんな風に騒いでいるのかも手に取るようにわかる。

 伊達に十年以上付き合ってはいない。

 そう、十年以上。なんもなかった。


「はぁ」


 なんとなくため息を吐く。時間は残酷なものだ。


「どうして身構えてる?」


 警戒心丸出しのコスモはニット帽にゆっくり触れる。驚いている。


「すごい、です。カタ」

「当然だな。誇ることでもない」


 片菜の工作技能をもってすれば。

 妙に嬉しそうなコスモと共に、永遠の別れを告げた日常の中へ紛れていく。


「あれが見えるか。牛丼屋だ。道に迷うサラリーマンの友だな」


 道すがら、コスモに街という存在をレクチャーする。コスモは興味津々だ。


「そしてあれが回転寿司。チェーン店だが、複数ある競合他社に比べてもダントツでうまい。回らない寿司には敵わないものの、近場にあるのなら、あそこを選べば間違いない。本当は高級路線の方がうまいが、財布の中身と相談しないと子供には難しいだろう」

「ふむ」


 次に指したのは昔からある懐かしい看板。学生の強力な味方。


「あれはハンバーガー屋だ。ファストフードの定番だな。味が上のチェーンは存在するが、一番メジャーなのは間違いなくあの系列。安いし速い。味もほどほど。だが目玉はハンバーガーではなく、付け合わせのフライドポテト。人によってはハンバーガーなど飾りだと豪語する者もいる。個人的な激押しは朝限定のメニューだな。正直なところ、あれを二十四時間やってほしいと思っている。全てがうまい。異論は認めるが、そんな奴とは一生わかり合えないだろう」

「へぇ」


 カタたちは派手な色のレストランの隣を通り過ぎる。


「今通ったのはファミリーレストラン。その名の通り家族向けのレストランだが、これも安価で高校生のたまり場になりがちだ。黄色、赤、緑……色鮮やかな単色で、存在をアピールしている。和、洋、中、その店のテーマは決まっているが、メニューの端にはメインとしないジャンルの料理が載っている。そのため、複数人で好みがわかれている場合でも、殴り合いの喧嘩はしなくて済むだろう」

「けん、か……」

「食事とは戦争だからな」


 一度ママとおばさんが喧嘩したことがあるが、戦車まで出動する騒ぎになってしまった。あれは本当に……。


「なかなか楽しかった」


 ぎょっとした表情でコスモが見ている。


「それであれがラーメン屋だ。ラーメンは特に好みが出る。醤油、塩、みそ、担担麺……オーソドックスが好きな者もいれば、変わり種が好きな奴もいる。あたしは辛い奴が好きだが、加藤は苦手なようでな。いつも悶え苦しんでいた。暮人はなんでもいけるから誘いやすかったが」

「加藤……」


 憐れむような眼差しでコスモは両手を合わせた。


「これまで様々な店を紹介してきたが、ここらへんでのあたしの一押しはあそこだ」


 先に見えるのは古びたステーキ屋だ。昔からあるレストラン。


「あれはうまい。本当にうまい。一度食べたらリピーターになること請け合いだ。全てが完璧で、なんなら付け合わせの獅子唐にすら感動を覚える。肉と合わせると、こんなにうまいのか、と。噛めば肉汁が溢れ出す柔らかい肉。しょうゆベースのソース。後は白飯。それだけで十分だ。食べているうちにこう思えてくる。あたしはこれを食すために生まれてきたのか、と。そしてこうも思う。こんなうまいものを作るあのじいさんは、人間ではないのかもしれない、と」


 ごくり、とコスモは喉を鳴らす。そして我に返り、首を横に振った。


「あの、カタ……食べ物の話ばかり」


 カタはようやく自覚した。なぜ気づかなかったのか疑問だ。


「そうか、お前は――」


 コスモはうんうん、と頷く。気づいてくれたことを喜んでいるようだ。


「腹が減っているんだな」

「えっ」


 呆けるコスモと合点がいったカタ。


「寄り道はしない予定だったが、仕方ない。処女には全てが刺激的だ。我慢は体にも悪い。加藤に説明した通り、こんな風に緩やかに過ごせるのは今のうちだ。外食と無縁になる前に、一度食べておくのもいいだろう」

「えっ、えっ」

「さて、そうと決まればあのステーキ屋だな。本当にしょうがない、しょうがないな」

「……うん」


 諦めたコスモと共に、カタはステーキハウスへと入店した。


「おお」


 コスモはきょろきょろと周囲を見回している。全てが珍しいのだ。

 あらゆる刺激が、少女の中に吸収されていく。それも、自己選択の刺激だ。

 強制的に脳へダウンロードされる情報とは違う。

 その動作に、コスモは戸惑っている。

 そして、喜んでいる。


「加藤はお前に普通の人生を歩んでほしいと思っているが……ふん、普通などと言われても、あいつにはわからん。いい手本じゃない」


 水を飲む。この店に入ると水すらうまいのではないかと錯覚する。


「カタは、普通?」

「いや……違うだろうな」


 立花家を普通だとは言えない。自分が同年代と比べてどれだけずれているかは知っている。

 ただ、それを知ったところでどうしようもない。あたしはあたしだ。


「結局のところ、生き方なんて自分で選ぶしかない。少ない選択肢の中からな。だが、お前は選べなかった。だから、加藤は選べるようにしたいと思った。選んだ結果がどうなるかなんてあたしは知らない。加藤もそうだ。いい結果に終わる話もあれば、そうじゃないこともある。それでも、選べないよりは。挑戦できないよりはマシだとは思う」

「カタはそう思ってる」

「あたしは……そうだな。あたしもかつては選択肢がなかった。というより、選ぶという発想自体がなかった。それでいいと思ってた。だが、あのバカは違った。例え他人に敷かれたレールを進むとしても、そのレールに乗ることを決めるのは自分だと。他人から言われてやっているとしても、そこには必ず自己決定がなければならない」

「自己決定」

「自分で選ぶのと、他人に強要されること。やることは同じでも、その在り方は天地の差だ。だからあたしは自分で選んだ。今をな。だが、お前はまだ、違うな。まだ、流されている。あたしたちについてきた理由も、よくわかってないだろう」

「それは……うん」

「だから過ごせ。学べ。経験しろ。そして何がいいのかを自分で決めろ。その結果、離別することになっても加藤の奴は何も言わない。だから、まずは判断しろ。お前は……どうしたい――何が、食いたい?」


 当惑するコスモ。メニューをいきなり渡されても、何がいいのかわからないのだ。


「直感を信じろ、コスモ。メニューを一人で決められない奴は、自分の生き方すら選べないぞ」

「温度差が……」

「ここの温度は適温だぞ。さぁ、早く」

「うぅ……これで」


 コスモはランチ用のステーキボールを選んだ。


「正解だ。昼飯なら絶対それだ」


 店員に注文する。厨房の入り口から謎めいた老人が見えた。


「大丈夫、なの?」

「敵に捕捉されないかどうかか? 気にすることはない」


 コスモが水を飲んで驚く。


「どうせそろそろ気取られている。いないものを完璧に隠すことは無理だ」


 コスモの顔が不安に満ちる。


「私のせいで」

「心配無用だぞ、処女には難しいだろうが。加藤のお義……親父殿やあたしのマ……母親、沙也おばさん、頼りない父親に夜依葉、そして童貞爺などは、露見したところで、手を出した方がマイナスだ。コストに見合わない。暮人は家族がいないしな」

「暮人……あの人も、私と同じ」


 コスモは家族がいないとは聞いている。良識ある家族なら、娘が道具同然の扱いをされて黙っているはずがない。

 そしてその良識は、世界のためという大義の元葬られる。

 ただ、それでも奴とは比較できない気がする。


「どうかな。あいつは変な奴だ。だが、悪い奴じゃない」

「暮人もカタのこと、同じ風に言ってた」

「……あいつとも腐れ縁だ。加藤のバカより百倍マシな男だよ」


 日影暮人。変わった奴だ。初対面の時は、そこらへんに生えている雑草のような印象を受けたものだ。


「彼は、いったい……何者?」

「そういうのは本人に直接聞くんだな。それよりも……戦争の時間だ」


 ステーキボールが目の前に運ばれてくる。

 開戦の火蓋が切られた。



 ※※※



「うまい……」


 ステーキという知識はあったが、実際に食べたのはこれが初めてだ。

 研究所にいた頃は全て調整食。レジスタンスの食事も決して豊かとは言えなかった。

 普通の人々は、これほどうまいものを毎日食べてきたのか?


「ファミレスのステーキでそんな顔する奴初めて見たわ。料理人も大喜びだろうぜ」

「っていうか、サイキッカーが普通の店に堂々と入るのって大丈夫なんですか?」


 私は周囲を見渡す。食事はうまいが落ち着かない。

 周りの人全てに監視されているような気がする。


「スキャナー無効のお守り、持ってるだろ? 後は身体検査でもされない限り、一般人に気づかれることなんてそうそうないって」

「でももし――」

「むしろ、気づいちゃった奴の方が可哀想だと思うぜ」


 トリアは隣で食事を終えた処刑人の方を見る。


「確かに」

「リリウム君」

「はい!」


 思わずいい声で返事をしてしまう。注目を浴びて萎縮する。ただでさえ黒ずくめの男と、片腕のトリアは目立っているのだ。例え安全だとしても、流血沙汰は避けたい。


「君にいいものをあげよう」

「はい……?」


 紙袋を手渡される。ずしりと重い。袋を少し開けて中身を見て、


「うええ!」

「静かにしろって」


 トリアに注意される。でも仕方ない。仕方ないんです。


「こ、こここれって銃……?」


 リボルバータイプの拳銃。鈍い銀色。年季の入った銃だった。


「確実に必要になるからね」

「そんなことはないと思います……」


 こんな銃は見たことがない。普通のリボルバーとはディティールが違う。

 撃てと言われてもどうせ撃てない。


「君なら間違いなく使えるはずだ。ただし、多用はしないようにね」

「だから、使わないですよ……!」


 やむなくバックパックに突っ込む。ファミレスの真ん中で拳銃なんて物騒なものを渡されるとは思いもよらなかった。

 しかしここでもし発見されても、処刑人は汗一つ掻かずに離脱……いや、散歩するに違いない。それが処刑人という男なのだ。


「実はサイキッカーだったりしません?」

「むしろそれだったらよかった。ギリ納得できたんだよなー」


 遠い目をして、トリアが呟いた。



 ※※※



「こっちだ、コスモ」

「うん……」


 片菜は人気のない場所へと移動していた。大通りから外れた、誰もいない路地。

 そこに接触対象の拠点があった。厳密には複数あるうちの一つが。

 雑居ビルの中へと入り、扉をノックする。


「くぅーいいねいいね最高だね! 嘘だろこんなん信じてくれるのひゅー! 騙し冥利に尽きるぜ! これだからフェイクはやめらんねぇ!」


 ノックが足りなかったようだ。思いっきり、ドアを蹴り破る。


「どぅあなんだ!?」

「なんだとは失礼だなクズ」

「げぇ! カタの姉御!」


 モニターの前の椅子に座っていた軽薄そうな男。眼鏡をかけた黒髪のクズを、片菜は氷のような眼差しで見ていた。


「またフェイクを流してたな。懲りない奴め」

「高度な情報戦って言ってくださいよ姉御。超楽に儲かるんすから」

「どっちに流してる?」

「どっちってそりゃあ、どっちにも? 人間さんはサイキッカーが人を食べてたって言うとめっちゃ大喜びしてくれますし? サイキッカーさんは人間がサイキッカーを発電所の燃料にしてるって言うともうほらすっごく元気よくなって――」

「今からお前も元気にするか?」


 威圧的な片菜を前に、男は小さく委縮する。


「いや、結構っす姉御……!」

「お前みたいな奴がいるから情報収集が面倒くさくなる」

「けどさぁ、みんな真実より都合のいい嘘の方が好きなんだもん。しょうがないんだもッぎゃあああああ」


 片菜はクズの足を思いっきり踏んだ。


「ちなみにあたしはお前が流したピスタちゃんのガセを一語一句思い返すことができる。そのたび、あたしの怒りは燃え上がり、お前への殺意を膨れ上がらせる」

「しつこいっすよ姉御……謝ったでしょ? それに、証拠はないけど、たぶんあれ、絶対に中身は五十代のおっさ痛い痛い痛い痛い」

「さぁ殺そう」

「待って待て待てその子怯えてるよ!」


 確かにコスモが震えている。片菜は仕方なく足をどかした。本当に残念だ。


「って、っていうか姉御。ここに来た理由忘れてるっすよ」

「お前を殺す以外にか?」

「姉御が、探せって言ってたでしょ! アレの強化パーツ!」

「そういえば、そうだった。クズのくせに探し物は得意だからな。クズのくせに」

「うまい嘘をつく場合はある程度真実知らないと話にならんすからね」


 嘘つきのハードルは思いのほか高い。上級になれば上級になるほど、賢くなければ生き残れないのだ。上手い嘘を考えて、ハマる人間を選択し、いざという時の保険を掛ける。そうしなければ即座に看破されて狩られてしまう。

 いや、こんな奴は狩られていい。本当は今すぐ狩りたいところだが。


「クズも役に立つことはあるもんだ」

「っていうか腕は姉御の方が上でしょ。多忙だから俺に押し付けただけで」

「忙しくなければ処理できるのにな。残念だ」

「あっちに置いてあるっす姉御」


 クズ男は探し物がある場所を示す。隣の部屋にあった。片菜は汚い部屋の真ん中にある黒い箱を見つけ、その中身を検める。

 黒色のガンベルトという表現が一番わかりやすい。端末を取り出し罠がないか調べてくると、隣室から会話が聞こえてくる。


「あ、君が例のパッケージね。ああ名前は名乗らなくていいよ知りたくないし。ねえさ、君はわかってくれるよね? あの人酷くない? はぁ、ついてねえ。まさかピスタのファンにこんな化け物ハッカーいるとか普通思わないっしょ。仮にいたとしても、ガセ流した本人特定して押しかけてくるとか怖すぎでしょ。ピスタの情報セキュリティの固さにもビビるんだけどさ。あんなヴァーチャルアイドルに手を出すんじゃなかった」


 このクズなフェイク屋と出会ったきっかけは、まさにこの男が話した通りだ。ネット世界には大小様々な嘘が転がっている。いや、割合だけで言えば九割が嘘だと断言してしまっていいほど、嘘が蔓延している。

 この男も、嘘で釣られた人間のアクセスで金を稼ぐ小悪党だった。それだけでなく、依頼を受けてガセを流す情報操作まで行っていた。

 しかし、これについて本物のようだ。実に嘆かわしい。


「嘘なら嘘で気分よく排除できたんだが」


 ため息をつく。奴につけられた傷はこの程度では癒えない。よくピスタを侮辱する奴は死刑という意見があるが、全く同意できない。

 死刑程度ではぬるすぎだ。


「君もさ、あんな奴といっしょになると人生不幸になるって」

「お前みたいにか?」


 片菜は扉を開ける。投擲したナイフが畳に突き刺さった。

 ひえっという声が二人分。


「なんでお前がビビるんだ」


 コスモを脅かしたつもりはないのだが。


「驚かない方が無理――どぅわ!」

「お前は不幸らしいからな。どんどん幸せをなくしていってやろうと思ってな」

「ナイフを喉元に突き付けるのはやめてっ」


 青ざめるクズの姿に満足した片菜は箱をコスモに渡した。


「これを預ける。帰るぞ」

「う、うん……」


 なぜか一歩引いているコスモと共に部屋を後にする。


「ひええ嵐のような女だぜ、全く。きっちり金は払ってくれるからありがたいけどねぇ。……さて、次回はこの情報をいくらで売るぎゃあ!」


 独り言ちていたクズの眼鏡が弾き飛ぶ。壁にはナイフが刺さっていた。


「それで? お前が隠しきれていると考えている小型転送デバイスの所在についてだが」

「わかった、わかりました、言いますよ姉御!」


 クズ男は素直にデータを片菜の端末に送ってくる。最初からそうしていればいいものを。


「今度こそ帰るぞ。おい?」


 コスモは髪色と同じくらい顔を青くしていた。意味がわからない。怖い要素などあっただろうか?


「や、やっと帰ってくれます……?」

「や、そういえば忘れてた」


 片菜がクズに向き直ると彼は背筋をピンと伸ばし硬直した。


「お前、管理局でもレジスタンスにでもいい。この子が来たことをリークしろ」

「へっいいんすか? ありがたいですけど」


 コスモの情報は今や世界中が欲しがるお宝と言えるものだ。高値、なんてレベルではない金額で売れるだろう。

 片菜はにんまりと笑う。


「ぜひともやれ。今度こそ躊躇いなく始末できる」

「俺は一生姉御の味方ですから殺さないでください!」


 見事な土下座だった。




 車まではトラブルなく辿り着いた。後はトレーラーに戻り装置の調整をしなければならない。やることは盛りだくさんだが、久しぶりの外食でテンションは高い。

 この場に加藤がいれば申し分なかったが。

 片菜は箱を後部座席に入れてコスモを助手席へ誘う。

 だが、コスモは苦しそうな表情をしていた。ニット帽に手を当てて、思い直したように下げる。そして、また手を伸ばし葛藤している。


「どうしたんだ?」

「なんでも、ないです」

「隠し立てはよくないぞ。さっきもいい手本を見ただろ」


 あのクズは教材としては満点である。コスモは一瞬顔を青く染めた後、申し訳なさそうな顔を作った。


「あの……かゆくて」

「かゆい? あー……しまった」


 普段被らないので失念していたが、帽子の中でもニット帽はかゆみを誘発しやすい。チクチクするのだ。


「外していいぞ。一瞬だけな」

「はい……うっ!」


 帽子を外した瞬間、コスモはふらついた。何が起きたかはわかる。


「どこだ?」

「あっち、です」

「身から出た錆か」


 片菜は車の後ろに回り、トランクを開けて長物を取り出した。



 ※※※



 世界は理不尽に満ちている。そういう生まれだからという理由で迫害され、管理さえ、命さえも奪われる。

 恭順しても何もいいことはない。真面目に生きていたところで、不真面目な奴に台無しにされる。

 ならばこちらも……理不尽を与える側になればいい。


「ねぇ、どんな? どんな気持ち? ねぇねぇ!」


 楽しそうな笑い声が暗闇の中に響いている。

 この廃倉庫の外では、大勢の真面目な人々がせかせかと働いている。

 そして今、裸にひん剥かれ、鎖で繋がれている女もその一人だった。

 女はしゃべらない。体力的に限界が近いのだ。

 そんな女の態度を、超能力者の女は気に入らなかった。


「聞かれてるんだからしゃべれよ!」


 バチバチと雷が鳴り響く。鎖につながれた女の身体があらぬ方向へ反発する。その姿を見て女は気分を良くした。


「酷いことされてるって思ってるでしょ? でも、マシなんだなぁ。私がされたことに比べれば、全然マシなんだなぁ。だからさ? 君に文句言う権利なんてないよ? というかむしろ喜ぶべき。君の反応が面白いから、こうして生かされてるわけだからさ? 本当だったらもう死んでるよ。ほら言って? ありがとうって」


 女は沈黙している。また超能力者は憤慨した。


「言えっ! ありがとうって、言え!」

「ありがとう」


 正面から感謝の言葉が放たれた。

 氷のような表情をした女が、倉庫の扉を開けて入ってくる。


「誰だ?」

「肉の次は魚の気分だ。違うか?」

「は?」

「メニューだ。夕食の」


 女は平然とした様子で歩み寄ってくる。仲間たちが女を囲い始めた。

 よく見ると、手に長い棒のようなものを包んだ袋を持っている。


「今日の晩飯の話だが」

「気でも狂ってるの?」


 女超能力者は仲間に目配せする。にんまりと笑う男は高速移動の能力者だ。人攫いのキーパーソンの一人。

 この狂った女を瞬時に戦闘不能にできる。

 男が動く。音速で。

 そして、派手な音が響いた。

 女が吹き飛んだ音。

 そうだと思った。だが。


「ぐう……なんだ?」


 しばらく理解に時間がかかった。棒で男が殴り飛ばされた事実に。


「オーソドックスに塩焼きか……いや、しょうゆか? みそでもいい」


 女は何事もなかったかのように袋の紐を解き始めた。


「煮魚という手もあるか。しかしあいつに作れるかな」

「油断したが次は本気だぜ女ぁ!」


 怒りにかられた男が感情任せに突撃し、


「うわッ」


 何かが女超能力者の顔にかかった。それを拭って確かめる。

 赤い液体。


「おおそうか」


 女の位置は先ほどと変わっていない。手には光り輝くものを持っている。

 刀。

 赤い液体が付着した日本刀。


「辛い味付けもありだな」


 女は刀に付着した血を払い歩き出した。


「拘束しろ!」


 念能力者に指示を飛ばす。だが、反応しない。


「何して……ッ!?」


 よく念能力者の顔を見る。頭にナイフが刺さっていた。

 即死していたのだ。ようやく身体が死を自覚したのかゆっくりと倒れる。


「そうだ。辛い味付けだ。なぁ、お前? 何かいいメニューを知らないか?」

「し、知るかぁ!」


 雷を飛ばす。あらゆる人間をこの雷で殺してきた。

 この女も例外ではない。雷の前に、人は無力なのだ。

 超能力者は人間より優れているのだ。

 稲妻が女を屠らんと迸る。


「やった――あ?」


 視界がぐらりと揺れる。赤いものが迸る。

 そして、顔を見る。女の顔を。紫の髪を持ち、氷のような眼をした顔を。


「ものすごく辛くしてやろう。夕飯が楽しみだ」


 世界は理不尽で満ちていた。



 ※※※



 ファミレスでの衝撃体験の後は、宿で休憩をとっていた。これもまた私にとっては初めてのことだ。

 処刑人の元にいれば絶対安全。トリアの言葉が脳裏をかける。

 けれど。


「これはちょっと……」


 処刑人とトリアがいないタイミングを見計らって私は二人の荷物へ近づいた。

 持っているのは紙袋。

 昼間にもらった古い銃だ。


「こんなものもらってもしょうがないから……」


 処刑人のカバンを開けようとする。が、開かない。手袋がチャックに引っかかってしまった。

 仕方ない。

 手袋を取りチャックに手を伸ばし、


「は――あ、あああ!」


 頭が痛い。割れそうだ。この情報は私には耐えられない。

 咀嚼できない。呑み込めない。窒息する。

 理解できない。

 けれど、頭はわかろうとしてしまう。


「うわあああああああ!」


 ……つになった――える――。

 しかし――諦め――い。

 私の標的――が関係――。

 パッケージ――逃が……い。

 コスモ――くれば――処刑――。


「――――なにこれ」


 頭を押さえて、座り込む。

 しかし今の断片は。

 処刑人の思考は、私の頭から離れない。


「嘘だ」


 しかし世の中は理不尽なのだ。


「まさ、か……まさかまさか」


 あの人たちの狙いは。

 処刑対象は。


「コスモ……?」



 ※※※



 耳を澄ませばあらゆる音が聞こえてくる。

 そんな音を聞くのが趣味だった。喜びだった。楽しみだった。


「ああ、いい音。いい声。心が豊かになる声音色。いいおもちゃを、見つけちゃった」


 そして今日もまた、よい音が聞こえる。

 翼をはためかせて、空を舞った。

 天使のように。

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