デイサービス・バトル! in2080
2080年、日本。某デイサービス施設。
「ご新規さん。職員が何か飲み物をお持ちします。なにがいいですか?」
「うーん、あったかい緑茶でももらおうかのう」
西部劇さながら、ガラの悪い常連老人たちがクスクスと意地悪く笑い始める。
「おいおいこいつ、緑茶なんて頼みやがった」
「ヒエッ……」
まともな老人はすっかり怯えてしまっている。
「あのぅ、み、みなさんお静かに……」
「あぁん? うっせーよクソガキぶん殴るぞ! いいか? 俺がおめーくらいのときにはよぉ……。あ? おい聞いてんのかクソが!」
今日もいつも通りになるなという覚悟を決めながら、職員の右は今日も思った。そうだ、ここは普通じゃない。
*
2080年、日本。
建物も職員もすっかりくたびれてしまったこのデイサービス施設に、見知らぬ老婆が1人――。
その老婆は、凛としていた。少なくとも、ミギにはそう見えた。
くたびれたエプロンを着られている自分とはまるで正反対な、ウグイス色の着物に身を包んだおばあさん。
曇りのない澄んだ瞳をみてミギは確信した。医療技術の発展による弊害で生まれたデイサービスの闇など、この人は微塵にも知らないのだろう。一体どんな間違いでこのような掃き溜めに迷いこんできたのかは知らないが、だったら自分が教えてあげなければ。
ミギは埃まみれになったエプロンをパンパンしてからおもむろに立ち上がる。さきほどクソジジイ共に一発かまされた傷跡がまだ痛むのだ。腹部をさすりながら、気弱な声で老婆に話しかけた。
「あの、おばあさん」
「はい?」
清く美しい声だ。世界が違う。なぜか緊張して、目を見ながら話すことさえ躊躇われる。
「あのぅ……。一職員として言わせてもらいますけど。こんなところ……来ないほうがいいっすよ」
「どうして?」
「いやどうしてって……」
いやっ、と老婆がミギを見たまま短い悲鳴を上げた。
「よくみたらあなた、そんなにボロボロになって……。一体どうなさったの? 大丈夫? 待ってね……。赤チンあったかしら……」
あわあわしながら手提げ袋をガサゴソやっている。
赤チンという知らない言葉が引っ掛かりつつ、情けないなとミギはすさんだ気持ちになった。――こんなおばあちゃんに本気で心配される成人男性って。
「あった! おでこの傷に塗ってさしあげる。私のお友達が非合法で製造した赤チンなのよ」
上品ながら輝く笑顔にミギは本能的な危機を感じた。
「や、よく分かんないっすけど大丈夫なんで、慣れっこなんで。とにかく帰ってください。ここは貴方が来るような場所じゃあないんですって」
「ダぁメよ! キズをほったらかしていたら痛い目みるんだから」
ほんっと年寄りって人の話きかないよな。後半の俺の忠告はどこに切り取られてしまったのか。
ミギが軽く苛立っていた、その時だった。
「やべっ、あいつらが帰ってきた!」
「ヒィィィィヤッッッッハアァァァァァァァァあああああ!」
猿よりも猿らしい雄叫びを挙げて飛び回る、筋肉隆々のクソジジイ第一号。必要ないはずの杖を剣代わりに空中で振り回したのち、勢いよく地面にぶっ刺すというフリースタイルである。もともとヒビだらけのコンクリートの床が、今日も今日とて元気よく大破された。
――やめてっていってるでしょ!
その言葉が何度口まで出かかったことか。しかし半グレ老人に堂々と切り出せるほどの度胸など、ミギにはない。
タバコの煙をミギに向かってモクモクさせてから、
「お~~誰だァ? そのご婦人は。ひょっとしてミギぃくぅんのセフレかい?」
通称『おサルのバン』。83歳。要介護0.01。
「ちょっ冗談やめてくださいよぉバンさん! こんな租チンにセフレなんているわけないっしょ!」
「そーだな! ギャハハハハハハハァ!」
しわがれた引き笑いで手を叩いて盛り上がる、取り巻きの半グレ連中。要介護平均0.05。
言葉の意味を理解していないのか、赤チンを持ったままの老婆はきょとんとしている。
「クズが……」
怒りで震えながら放たれるミギの呟きも、うつむいているせいで老人ヤンキーの耳には届かない。
「あぁん? なんだってぇ?」
おサルのバンは幹のような小指で鼻の穴をかっぽじって、下がったミギの頭にためらいなくそれをなすりつける。
「…………。なんでもありません」
ミギは、うつむいたまま堪えていた。いくらあざ笑われようと、ぶん殴られようと、鼻くそをなすりつけられようと、経営陣にとってこいつらは上質な『お客』。決して気分を害してはならないのだ。
体裁は、通所介護が必要なか弱い老人たちと、その老人たちに暖かい介護を提供するデイサービス施設。だがその実態は、家族や社会からも疎まれ、せめて日中だけでもと都合よくぶちこまれた半グレどもの動物園。今や0.00刻みとなった要介護判定に、意味なんてない。
ミギの脳裏に、たまたま街中で見かけた政府の弾幕が甦った。
何が健康寿命100歳越え万歳、だよクソが。
若者の未来を食いつぶしやがって…………!
「あのう」
柔らかな声が降り注いだ。老婆のものだ。
おサルのバンの間抜けな「あ?」と共に、ミギは顔をあげる。
「よく分からないけれど、けが人にそんな真似、よくありませんわ」
今のやりとりから、流石に穏やかではない関係性であることを読み取ったのだろう。その声音には戸惑いとお咎めの色が混じっていた。
「あぁん? なんだよクソババア。おめー出張マナー講師かなんかか?」
思春期の高校生みたいな悪態であったが、見た目の年齢的にほぼ同期みたいなもんだろ、とミギは人知れず毒づいた。
おサルのバンの取り巻き共も、盛り上がっている。
「なんちゃてマナー講師か、そんな奴らいたなぁ~~~~」
「いたいた。俺らの若いころに流行ってたべ?」
盛り上がっている取り巻き共をバックに、おサルのバンは地面にぶっ刺していた杖を再び手に取った。杖先を銃口のように老婆に向ける。ミギは無意識に老婆の前に立って手を広げた。
「マナー講師だか何だかよく知らんがね、神聖なるこのデイサービス施設『白虎大戦争』の洗礼にケチつけるたぁ、善良なる一利用者としては納得できねーよ」
「うちの施設をそんな名前に変更した覚えはありません」
思わず冷静にツッコんでしまったミギであったが、年相応の難聴であるバンの耳には届いていないようだった。
「おりゃあ女だろうが平気でやるぜ。どうだ、そっちが白虎大戦争に乗りこんできたっていうんなら、一発ケンカといこうかい?」
「申し訳ありませんが、できません」
そりゃそうだ、とミギは思った。180㎝の毛深い老人相手に度胸がある物言いだな、とも感心した。
「まずはこの可哀そうな青年に赤チンを塗ってあげなければいけないもの」
その感心は一瞬で吹き飛んだ。
「え? ま、まずは?」
へ? なんで後でならいいですけどみたいな返事してんのこのおばあさん。……え? 実は極道の関係者でした、的な的なテキーナ?
ミギが理解できない返しを半グレが理解できるわけもなく、まあまあ苛立っているようだった。
「いや赤チンチンってなんやねん。ごちゃごちゃ言わんと今すぐケンカさせろやあ!」
杖を投げ捨てたバンが、老婆の肩を勢いよく揺さぶる。
「ああ危ない……! バンさん! いやバンたま、ああ噛んだ、バンさま! こんなか弱いおばあさんに手を出すのはやめて! きっと何かの間違いで乗りこんできただけなんですから……!」
「だめです、大事な赤チンが!」
「いや心配するとこそこ?」
「あぁ、ちょっと……!」
赤チンのボトルが老婆の白い手から滑り落ちる。
……ぽちゃん。
まもなく響き渡る轟音。
小道具のようにあっけなく崩れ去る壁。
即席で完成した青空教室。
一滴の雫が、大爆発を引き起こしたのだった。
なにがどうしてそうなったのか? 爆発の衝撃でお約束のチリチリパーマと化したミギは呆然と立ち尽くす他なかった。室内のはずなのに日光に晒され、とりあえず次の就職先どうしようという思いが脳内を渦巻いていた。
「あれ……これ赤チンじゃくて赤リン……? ん? 赤リン、プラス不純物……?」
だがなにより恐ろしかったのは、老婆の身体に傷ひとつついていないことだった。拾い上げたボトルのラベルを読み上げながら、きょとんとしている。
コメディ作品の法則なのだろうか幸いにも死人は出ておらず、半グレ老人共も黒焦げになりながら生き残っていた。
「やべえこいつ、自爆テロか!」
普段は杖で暴れている半グレ老人も、流石に命の危機を感じてしまったようであった。
「ごめんなさい! 私、そんなおつもりでは…………」
「分かったから! ちょっ、とりあえずその瓶動かさないでまた爆発する!」
「ちょいバンさん、こんな爆薬使いに勝てっこないっすよ! 俺おしっこ漏らしちゃいました……」
「ああ。こうなりゃ、俺たちで『あの技』使って対抗するしかねえな」
「ちょっと! いくらなんでもこれ以上暴れないでくださいよ!」
あまりの理不尽さと急展開のフルコースに、ミギはあのおサルのバン相手に大声をかませるほどまでに成長していたのだった。
「あの技……?」
再びきょとんとする上品な老婆を見て、おサルのバンは満足そうに口を歪める。
「婆さん、あんたただ者じゃねえぜ。この俺にあの必殺技を使わせるなんてなあ」
「おめーら、整列だ!」
2人が聞き返す間もなく、半グレ共はおサルを先頭にして縦一列に並んだ。
「一体何が始まるんだ……」
一列となった半グレ共がみな足を開いて中腰になったまま、一人一人微妙に違うスピードで円を描くように頭を動かしている。これまた乱れの無い綺麗な円を描くのだ。
「これは……。えぐ、ザイル?」
時代は2080年。20代のミギには分からなかったが、世代である老婆にはピンときているようだった。
異変はここから始まった。身体を動かすスピードが段々目で追えないほどに速くなり、あまりの爆速さに風が生まれ、トルネードを引き起こしていく。
「なんだこの強風は……!」
台風のような勢いにのまれそうになりながら、着物の袖をバッタバタさせながら、老婆がミギに向かって大声で解説してくれた。
「ちゅうちゅうトレインです。あの方たちのちゅうちゅうトレインが速すぎて、それがありえないほどの風を引き起こしているんです!」
「どうだあ! これが俺らの『爆風☆厨厨トレイン』よぉ!」
爆風吹き荒れる中、おサルの半グレとおばあさんの応酬が始まった。
「おやめなさい! なぜこんなことをするの!」
「なんでって、てめーの自爆テロに対抗するためだろうがあ!」
「違います、あれは赤チンと赤リンの間違いで……!」
「うるせえ! 赤チンとか誰にも伝わってねーーんだよ!」
「この場所でこんなことをしたって、なんの意味もないじゃない……!」
その言葉は地雷だったらしく、一瞬おサルのジジイの動きを止めさせた。
「意味ないからなんなんだよ。俺らはなあ、若いときから世間に邪魔もの扱いされて、社会の糸くずとか言われて、そんなんばっかりだった……! いいか、おめーら若者や中年が、介護だとか言ってテキトーな理由つけて俺ら年寄りをここに閉じ込めてんだよ、なぁそうだろう!? 生きていて意味のねーやつぁ生きてちゃいけねえってのかよ! あぁん⁉」
「そこまで言っていないじゃない。……ここでちゅうちゅうトレインをする意味はないけれど」
最後の一言で、あ、着実に堪忍袋の緒を切りにいったなこりゃ、とミギは思った。なぜか冷静であった。
「…………。うるせええええええ!」
般若の形相でブチ切れ老人共が再び回転を開始したそのとき。
「風力発電!」
凛とした声が響き渡る。
「は?」「はあ?」ミギと半グレ共の声が重なった。
「風力発電! 巨大扇風機! もしくは人力エアコン!」
よく分からない単語の羅列が風を止ませ、静寂を生んだ。
老婆はここぞとばかりにまくし立てた。
「どうしてその素晴らしい特技を、社会に活かそうとしないの。私は、『この場でやるのは』意味がないと言っただけ。地球温暖化で困っている昨今、貴方がたならエコな風力発電だってできる。巨大扇風機にだってなれるのだから。電気代の浮く、素敵な仕事よ。貴方がたにだけしかできない方法で、人々のお役に立てるのよ。そこに至って初めて『意味』がある。こんなに素敵なことってないわ!」
「なに言ってんのおばあちゃん……」
「そーだよ。そんな……そんなこと……」
数秒の間。
「考えたこともなかったっス………」
一体何を思ったのか、半グレ老人共は一斉に大泣きし始めたのだった。
「えぇ……」
困惑するミギをよそに、おじいさんたちとおばあさんの和解(?)は進んでいく。
「俺たち……やり直せるかな。この歳からでも…………!」
「ええ。きっとやり直せる」
「おばあさん…………!」
こんなやりとりがあったのち、老婆の後におサルのバンや取り巻き共が列をなすかたちで、長い長い行列を作って去っていった。噂によれば、あの半グレジジイ共は、今もどこかであり得ない程のエネルギッシュな爆風を生み出しているという。多くの人々に感謝されながら……。
ミギは、未だに謎に思っている。あの老婆は、あの日なんのためにこの施設に足を踏み入れたのだろう、と。どうにかもう一度会うことは叶わないのか、と。
「職場ぶっ壊したの弁償してほしいんですけど……」
青空に、名ばかり施設長のむなしい呟きが昇って行った。