被害者事後報告
さて本題の1年後報告。
「後悔:なし。」
前述の通り、世の中の平和の為に必要だった、と俺は考えている。俺があれ以上の解決法を未だ見つけられない、というのもあるのかもしれない。
「事件にかかわる被害・復讐:なし」
ふざけた名前に勝手に改名したことで、犯人の親類などに恨まれるのが一番の不安だったが、実は逆に感謝されてしまった。あまりに仮名のインパクトが大きく、実名をわざわざ調べて覚えている者などほぼ皆無。報道が鎮静後、引越し、「犯人の親族」と言われることがなくなり、「慰謝料・弁護士費用」として元私の弁護士へ無理矢理な送金と感謝の手紙があった。
犯人の顔も名前も「遺族の強い希望」を振りかざして規制してしまい、世間からの反感もあったが、
「もし世間に出ることがあっても、指一本すら動かない状態にします。犯人が皆さんに危険を与えないことを私が誓います。だから犯人の顔も名前も知るに値しません。事件のことなど気になさらないでください。どうかこの被害者のワガママを聞き届けてください。」
この声明を発表後、一時的に加熱したが、すぐ収束した。
「その他」
事件のことは忘れられない。でも、事件後の数日以外、自殺は考えていない。「俺が殺されたなら、妻にそんなことは望まないから。」そう考えるようになって、思いつく限りの「たとえ死んでも、して貰えたなら嬉しい事」をこなす毎日だ。例えば「早く忘れて幸せになって」は理想論で、「実はちょっと寂しいな」と俺は思った。そもそもそんな簡単に忘れられないし、忘れたくない。
だから、思い出を大切にしている。二人で決めた洗剤や柔軟剤、切らさないように買い貯めて、それでも不安でメーカーに「パッケージを変えても、香りを変えないで」と要望を送ってしまった。今も妻がいた頃と変わらないタオルの匂いだ。
思い出すのは辛いと思われがちだが、最近は懐かしい・愛おしいという感情のほうが強い。同じ家、同じ匂いのせいで、よく妻を思い出す。最初は酷い喪失感に襲われ、異常に家が広く感じて、ただただ悲しかった。カウンセラーに言われた通り、我慢せず好きなだけ泣いた。二人のベッドと柔軟剤のタオルは脱水症状を引き起こしそうなくらい俺の水分を奪い取った。