その後。
どれくらい経ったのか。気付いた時には刑事さんが私の肩を叩いていた。
「奥様には争った跡や、抵抗した跡が見られず、色々と不可解で、ご主人にも話を伺わざるを得ません。お話を聞かせてください。」
フラフラと立ち上がる俺を、椅子に座るように促し、俺はどこを見ていたのかも、何を話していたのかもろくに覚えてはいない。何を聞かれて何も考えられなかった。うまく思い出せなかった。うまくこたえられなかった。
大きなため息をついて刑事さんが
「ライブレコーダーはお持ちではないでしょうか?」
と言ってきた。
黙って自分のレコーダーを差し出した。
「よろしければ、奥さんの物も回収させて頂いてよろしいでしょうか?」
「…どうぞ。」
これが警察が来てから初めての、精一杯のまともな返答。
「えっと・・・どこに・・・」
警察にそう言われて気が付いた。妻のペンダント型のレコーダーは首になかった。そしてその時にやっと気付いた、妻と子の首に残る青黒い痣。
「これは…?これって・・・??」
あまりに生々しく残る痣に、当然気付いているとでも思っていたのか、振り返った俺に刑事さんが困ったような顔をしながら、一言。
「ですので、奥様のライブレコーダーが一番の手掛かりになるかと…」
普通は怒り狂って暴れだすものなのだろうか?いつでも抑え込めるように身構える刑事さんの前で、私はまた力が抜けて床に崩れただけだった。
行動の読めない私に、刑事さんは
「こんな時間ですが、ご両親や親しい方にご連絡して頂けませんか?現場検証のため、まだしばらくお邪魔することになりますが、ずっといるわけにもいきません。しかし、あなたを一人でここに置いていくこともできません。」
「妻は・・・子供は・・・どうなるのでしょうか?」
「少なくとも自然死ではないのは明らかなので、遺体は私共で預からせて頂きます。」
「…わかりました。回収されたら連絡を取ります。今の妻と子を、妹に見せたくありません。」
私の両親も妻の両親も他県にいて、もし連絡が取れてもすぐ来られる距離ではない。しかし妹は会社が近い…のもあったが、結婚前から妻と仲が良く、生まれた子を一目見たときから息子にもメロメロで、育児手伝いためにわざわざ近くに越してきてくれていた。下に兄弟のいない妻も、誰よりも子供を可愛がってくれる妹が大好きだった。
妻からも妹からもよく
「今日一緒に○○行ってきた~♪」
と聞いていたものだ。
そんな妹に今の妻を見せたら、私以上に発狂してしまうに違いない。そう思って、妻が引き取られるのを待って連絡した。
半分寝ぼけていたようだが、私の
「ちょっときてくれないか?」
の一言で、何も聞かずに来てくれた。
まだ残っている警察に動揺しつつ
「…美香りんは?ゆ~たんは?」
そう聞かれて、何も言えない俺に、妹も黙った。
しばらくして
「ご飯食べたの?なんか作ろうか??」
そう聞かれて俺は一人で呑気にビール片手におつまみを頬張る自分を思い出し、吐き気を催しトイレに駆け込んだ。それを追ってきて背中をさすりながら、理由もわからず「ごめんね」を繰り返す妹。
便座を抱きかかえたまま、俺も泣きながら妻と子に「ごめん」と繰り返した。
見かねた刑事さんは
「ろくな部屋も用意できませんが、署にいらっしゃいますか?形式通りの重要参考人として、部屋を用意することもできます。もちろん、聴取など行うつもりはありません。提出いただいたご主人のレコーダーは一週間以上記録し続けているようなので、まずはこちらを解析いたします。」
即座に妹は
「大丈夫です。ありがとうございます。何があったのか、まだ何もわかりませんが…兄が冷静になるまでは私が面倒を見ます。兄が冷静になって、話してくれるなら、きっと今度は私を支えてくれるでしょう。」
ああ、もちろんだ。情けない兄で済まない。胃も涙も空っぽになってきた頃に聞こえてきた、妹のしっかりした言葉にどれだけ助けられたことか。
ゆっくり立ち上がって、キッチンで口をゆすいで、水を飲み、水で顔を洗う。タオルで顔を拭いたとき、妻と香りの好みをアレコレ言いながら柔軟剤を一緒に選んだ記憶が蘇る。また溢れ出した涙を誤魔化すため、早く冷静になるために、
「顔だけじゃダメだ、暑い。」
と言って今度は頭ごと蛇口の下へ。俺はどれだけ火照っていたのか。いつもぬるめな水道水が今日はやたらと冷たい。しばらく頭を冷やしたところで、妹が水を止めて、タオルを頭にかける。息を止めて顔と頭を雑に拭いて、タオルを横に丸める。息を吸った時に、微かに柔軟剤の香りがして、また涙が溢れそうになる。
やっと自分で涙を止められるようになり、
「由紀、ありがと。」
妹の頭に手を乗せながら、刑事さんにもお礼を言う。
「刑事さん、ありがとうございました。お仕事が片付いたならどうぞお帰り下さい。お手数おかけしました。」
「わかりました。我々ももうすぐおいとまします。そして、また…アレですが…奥様のレコーダーについて、わかることがございましたらご一報ください。」
そう言って名刺をくれた。
「あれ?首にありませんでしたか?私と同じ、これ。一緒に買ったのですが。」
妹が口を挟む。
「ちょっと見せて頂いてよろしいでしょうか?」
刑事が、妹のライブレコーダーの型番をメモする。
「他に何か映像を記録するような物はありませんか?なかったらこれで…」
そう言われて、思い出す。
「由紀…お前結局買ったのか?見守りレコーダーとかなんとかって。」
「ん?タンスの上にない?パンダの置時計。それだよ?」
…これだろうか?
「録画してるのか?これ?」
「うん。スマホ同期したら、ライブ映像見られるし、鼻押すと記念写真も撮れるんだよ。こんな見た目だけど高かったのよ?買ったの私じゃないけど。」
「だそうです、刑事さん。もしかしたら、これが録画していたかもしれません。」
「…すみませんが、お借りしていきます。」
警察が帰り、段々と正気を取り戻した俺は、俺がわかる範囲で妹に話した。案の定、妹はさっきまでの冷静な妹ではなくなったが、テレビでこのことを知るよりはマシだと思ったので伝えた。それぞれの両親へは次の日の朝に伝えた。会社にも連絡を入れ、マスコミなどの迷惑がかかるかもしれないと伝えた。有給や育休で可能な限り善処してくれ、弁護士なども必要なら紹介する、ゆっくり休んでほしいと言ってくれた。
警察の方では、「パンダ」が非常に優秀で、容疑者はすぐに特定されると同時に、俺への疑いは皆無となり、検死も俺からの希望がない限り不要。遺体を傷つけずに帰せるとのことだった。
後日、「被害者の権利」を説明に来てくれるそうだ。