月光の海
ふ、と意識が覚醒する。
束の間、深優は放心状態にあった。視界は暗い。
昼、遼と宝と食卓を囲んでからの記憶がない。能力を行使した為、深優がそうと悟る前に身体が限界に達したのだ。布団に運び、寝かせてくれたのは恐らく宝だろう。衣服はいつものままだ。怠いが、起き上がり、夜着に着替える。
月光がカーテンの隙間から射し込んでいる。
細く、冷たいほどの清涼な輝き。
静かな夜だ。
深優は月光の清らかさにしばし見入った。
こうしていると異形との戦いも嘘のように思えてくる。悪い夢のように。
部屋の隅に置かれた双剣が深優の夢想に異を唱える。解っている。世界は、常に人に試練を課す。
生き残るには目を逸らさずに戦うより他、ない。
苦しみも悲しみも生きていてこそだ。
だが、今、世界が人に課している試練は、過酷過ぎはしないか。
自分のように戦う術を持つ人間ならばまだ良い。
そうでない人間は、異形の脅威に怯え、異形を生み、そしてその牙の犠牲となる。
かつて、深優の父と母がそうであったように。
それでもまだ深優は恵まれているほうだ。仁に見出され、養育され、戦う術を与えられ。
そして宝や遼、京香らと出逢った。
生きて、守ることが出来る。他愛ない話で笑い語らうという、この上ない幸福を享受している。
カーテンを全開にすると、月光の海に身を浸したようになる。
人口が激減し、夜に点る電気もまばらになった今、月の光は清冽にその存在を誇示している。
青い生地のカーテンの布を握る手に、力が籠る。
宝はまだ起きているだろうか。
異形の活動時間は、幸いなことに日中が多い。それは人の感情から生まれたゆえの習性だろうか。いずれにしろ、安眠とまでは行かないまでも、眠りを得られることは幸いだ。
九州の被害が酷いと遼は言っていた。その記憶はある。
それでは九州まで遠征することになるかもしれない。いや、遼がわざわざ知らせてきたということは、きっとそうなるのだろう。宝も深優も、花泊の中では指折りの実力で名高い。仁の采配で、九州に赴くことになる予想に、深優はそう危機感を覚えなかった。宝も同行するであろうとの安心感が大きい。甘えかもしれない。
「宝……」
声に出して呼んでみる。名前の主がいないからこその、熱を乗せて。
胸にある、熱。
いつからだろうか。宝に恋愛感情を持ち始めたのは。
気づけば彼の姿を目で追い、言動に意識が傾くようになっていた。白銀の髪と、赤い双眸を美しいと。そう思うようになった。京香と笑い合う場面を見れば、胸がちくりと痛んだ。京香に恋人がいなければ、その痛みはもっと深刻だったかもしれない。
置いてある双剣をそっと撫でる。
冷たい感触に、心を慰撫されるようだ。
いつまでこの恋心は秘めていられるだろう。いや、聡い宝のことだ、もう、知られているかもしれない。そう思うと深優は、顔から火が出るような心持になるのだ。布団に戻り、横になる。カーテンは開けたままなので、部屋は月光の海のままだ。その海に揺蕩うように、深優は目を閉じる。そして恋慕をずぶずぶと沈める。
それでも宝の面影は、脳裡から消えはしなかった。