秋の蛍
酒宴の後、深優はビルの屋上に出て夜風に当たっていた。澄んだ空気の空には満天の星が光っている。その煌めき、輝きは無数の点となり、頭上のどこまでも広がる。大戦前。空気はもっと汚れ、街中の夜空など見るに値しなかったと聴く。そうであれば、皮肉なことに人は多大な対価と引き換えに、この星空を得たことになる。深優の白い指が彷徨うように動き、宙を舞う。それは流麗と言うより、子供が何か欲するものを求める姿に似ていた。
ふわりと。
目の前を浮遊するものがあった。
星とはまた異なる光。
近衛蛍だ。
大戦後に突然変異として生まれたこの蛍は、年中、活動し、明かりを点す。
名前の由来は、昔、皇族を庇い死んだ宮内庁の人間の魂が変じたもの、と見なされたところから来ている。時系列はおかしいが、名の響きは美しい。ふわふわとした点滅は深優にまとわりつくようだ。
「絵になるね、お嬢さん」
声にはっとして双剣の柄に手を掛ける。
屋上に、深優以外の人影がある。
橙の上衣、黒袴。「神の目」の少年・輝。
臨戦態勢に入る。
「なぜここに」
「監視役さ。護衛も兼ねてる」
「神の目が、なぜ私を。それに、もう一人の金髪の少年は私を殺す積もりだった」
「いや、葉摺は腕試しをしたかっただけさ。あんたを殺せば、それこそあいつが殺される」
「意味が解らない」
輝の大きな黒目が細められる。何も知らぬ幼子を見るかのような表情は、少年を年経た老人にも見せた。近衛蛍は黙して二人の周囲を飛び交う。
「この、広がる砂漠の中に落ちた宝玉。それが俺たちを導く始祖だ。そして始祖にとって、あんたこそが宝玉」
「謎かけをせず要点を言え」
「それはまだ禁じられている。言えることはただ一つ。神の目はあんたを待っている」
そう告げると輝は後方に跳ね、屋上から飛び降りた。
「待てっ!」
橙の色が遠くなる。この高さから落下すれば死は免れない筈だが、深優は不思議と輝の存命を確信していた。あの目は生を求める者の輝きだ。安易に投げ出す人間ではない。深優はしばらく地上に視線を落としていたが、やがて元の立ち位置に戻ると、再び天を仰ぎ見た。近衛蛍が目の前をよぎる。輝たちの思惑は知れないが、深優が「神の目」に行くことはあり得ない。「神の目」は可能性のある命をもみ消す。危険性が大きいというだけで常人を殺害する彼らの方針は、深優には受け入れ難いものだった。深優の手も血に染まっていない訳ではない。朝治に答えたように、異形ではなく人間を殺したことがある。止むを得なかったというのは言い訳だ。綺麗ごとばかりでは生き抜いてこられなかった。異形を生じ掛ける寸前の人を斬った。「神の目」の中でも末端の、より過激な人間を斬った。手はとうに赤く染まっている。そのことに、傷つき絶望している自分を深優は知覚する。
「深優」
宝の静かな声。気配には気づいていた。
「宝。済まない」
「何が」
「私の醜さを許してくれ」
ぶわ、と近衛蛍が一斉に発光した。淡い光は瞬きの間、天然のライトアップと化した。その中央に、青い衣を着て悄然とする深優は、痛ましさ、美しさを感じさせこそすれ、醜さの欠片も見出せない。
「お前は自分を解っていない」
「そうだな」
「解っていない。――――――――お前は美しい」
深優の目が見開かれる。
宝の赤い双眸はいつもと変わらず、無表情から読み取れる感情はない。
秋の蛍が浮遊している。




