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アンサー

 吹く風の匂いが変わったと感じる。

 かつて下関(しものせき)と呼ばれた地点まで深優たちはやってきた。九州に渡ればそこは異形の群れなす巣窟だ。その昔、通じていたらしい海底のトンネルは、今や見る影もなく使用不可だ。よって、一行は花泊の協力者である漁船に乗り、九州へ渡る。宝と住んでいた家の近くにも海はあったが、今、目の前にある潮風は、そことはまた異なる匂いを感じる。天頂にある太陽は今日も照り輝き、海面を眩くする。


 漁船の中、深優は一人蹲り、雁金の言葉を反芻していた。敵の大物が足を運び、直々に深優を勧誘しに来た事実と共に。


〝母上がお待ちです。深優様〟


 あれは単に天国にいる母を指しての言葉ではないように思える。あの言い方ではまるで。まるで――――――――。


 宝がもの言いたげに自分を見る視線を、深優はあえて意識から遠ざけた。

 岩国から去る際、深優は朝治に、もしまた死にたくなったら、自分を呼べと告げた。そう告げることで、自らをストッパーとする積もりだった。意図が伝わったのか、朝治は神妙な顔つきで頷き、ありがとうございますと言った。あれで恐らく、彼の中にあった異形の萌芽は潰えただろう。人の感情ばかりは、どう転ぶか解らない。異形を生む素地ならば、深優にも、宝や京香にとてあるのだ。人間誰しも、負の感情が皆無な者などありはしない。

 波に船がぐらりと揺れる。


 漁師が、新鮮な釣果を振舞ってくれた。単純に刺身にしたもの、あら汁にしたもの、どれも胃が快哉(かいさい)を上げんばかりのご馳走だった。味噌も醤油も、貴重な調味料を惜しげなく使われている。ふぐは薄い白身の刺身にされ、もみじおろしと醤油で食べた。絶品だった。毒を取り除く腕を持つ漁師ならではの振舞いだ。


 遼と宝が昼間から呑んでいる。これも漁師に勧められたらしい。美咲は少し呆気に取られた顔で、京香は苦笑して彼らを眺めている。見るともなしに彼らを見ていた深優と、宝の目が合った。反射的に視線を逸らす。恋慕の厄介さを思う。こんな時にでも宝の存在を意識せずにいられない。京香や、美咲は美形だ。宝の気が彼女たちに向かうのではないかと、やきもきしてしまう。


 この想いの行方が解らない。

 告げて破れるのは怖い。


 雁金の言葉を思い出す。


 怖いことや、不可解なことが何てこの世には多いのだろう。

 波間に漂う船は、自分に似ていると思う。しかしこの船は行き先が明確であり、それに沿って進んでいる。対して自分の行き先はどうだ。船のように漂いながら、その癖、終着点が見えない。


「深優」


 宝に呼ばれて顔を上げると、思いがけず至近距離に彼の顔があった。心臓に悪い。白髪に縁取られた輪郭のなか、一対の赤は綺麗な宝石のようだ。その宝石が今は自分を映している。


「大丈夫か。船酔いしていないか?」

「うん。宝たちも、余り呑み過ぎないようにな」

「心配ない」


 宝が軽く笑うと、いつもは鋭く吊り上がって見える目が柔らかに和む。

 深優の胸は、それだけで柔らかく締めつけられる。彼の中で、自分は恐らく庇護すべき妹のような存在なのだろうと思ってはいても、逸る胸の鼓動は止まらない。


「この海底には先の大戦で沈んだ戦艦が多くある」


 遼の、独り言のような声が聴こえる。


「戦闘機もだ。だから俺たちは今、まさに墓標の上を旅している訳だ」


 自分もいつか、沈むだろうか。

 深優は考える。

 生きたいと願いながら死んで沈むだろうか。

 宝への想いが破れて沈むだろうか。

 その答えは誰も知らない。





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