生きたくて死にたくて
美咲を伴い、一行は旧山口まで来た。
古くは岩国と呼ばれていた、美しく大きな橋の架かるところだ。米国の基地もあったそうだが、今では跡形もない。橋だけが、朽ち果てるまま、辛うじて原型を留めている。そもそもが数年おきに架け替えられる必要のある橋だ。原型を留めているだけでも奇跡だろう。日本の匠の技がしのばれる。
錦繍が、城を戴く山を飾り立てている。
今夜はここで花泊の宿を借りる。
花泊はそもそも、ある寺の住職が、特異能力者を弾圧から匿ったことが所以で生まれたらしい。ゆえに、宿を借りるのも僧房であることがたびたびあったが、今回は普通の民家である。
とは言え、いにしえは雄藩が治めていた領地の中でも、城に近い、お膝元である。立派な日本家屋が深優たちを出迎えた。家の人間たちは慣れたもので、宝の大刀や遼の槍を見ても驚くことはない。むしろ、そうした装備を当然と捉えているようだった。いつものように、家人を紹介される。家長である父、母、幼い少女。それだけかと思ったら、一人足りないらしい。
「おい、朝治は?」
「さっきまでいた筈ですけど……」
夫婦が揃って顔を見合わせた時、十七歳ほどに見える少年が、奥から出てきた。
日に焼けて、体格が良い。深優たちをじろりと一瞥する。
「朝治、不作法だろう。花泊でも指折りの方々だ。ちゃんとご挨拶しなさい」
「うるせえ!」
朝治と呼ばれた少年は叫ぶと、深優たちが通された客間を飛び出した。
夫婦を制して深優が動く。
「私が」
短く告げて、朝治のあとを追った。
良くない気配。
胸騒ぎがした。
朝治は白っぽい石が無数に転がる河原に降りていた。
清流には橋脚がぽつぽつと佇む。蒼天の下、流れる煌めきには魚影が見える。
深優が歩み寄ると、朝治が挑戦的な目で彼女を睨んだ。
「俺は親父たちとは違う。あんたらに媚びへつらったりしねえぞ」
「そんなことは望んでいない」
「どうだか」
「よく聴け。君は、異形を生じつつある」
「…………」
「心当たりがあるようだな」
「なあ、あんた。人を殺したことはあるか?」
突然の質問に、深優は面食らう。心の、柔らかい箇所が鈍く痛んだ。
双剣の柄に置いた手に力が入る。
「ある」
「ならさ、頼んで良いか」
「何を」
「俺を殺してくれ」
「――――なぜ」
「生きるのが苦しいんだ。毎日が辛くて仕方ない。うちはこのへんでは知られた名家で、花泊だけど、俺自身には何の能力もない。お蔭で同年代の輪にも溶け込めず、独りだ。いつも。あんたは綺麗で、花泊でも高い能力者で、仲間もいる。俺には何もないんだ」
「莫迦なことを。ご両親が嘆くぞ。妹さんも」
「家族も俺を疎んでいる。解らないだろうけど」
事実、深優には解らなかった。
ただ、少年のひりひりした痛みだけは知覚出来て、胸が軋んだ。
異形の気配が濃厚になりつつある。このままではいけないと思うものの、たかだか生まれて十数年。少年とほとんど変わらない年数しか生きていない深優に、少年を説得する有効な手立てを講じることは出来ない。
「いつも思ってた。終わらせたいって。カッターを手首に当てたことなんか数え切れない。でも、俺は臆病だから、思い留まってしまうんだ。心から願ったさ。俺を死なせてくれって。神仏に。でも、俺の願いは叶えられない。そりゃそうだよな。願うだけで死ねるなら、この世は死者で溢れるだろう。あんたには、異形を生みそうな俺を殺す大義名分がある。その腰の剣で、俺を殺してくれ」
「止めてくれ。それは出来ない」
朝治に答える深優の声は苦渋と懇願の響きを帯びていた。生きて生きて。生き抜いてこその人だろう。死を何より恐れる深優に、朝治の望みは到底、理解出来ない。ただ解るのは、朝治は本音では生きたいのだ。誰より、生を渇望している。ゆえにこそ、歪んだ現状に苦しみもがいている。この不器用な少年を、どうすれば救い得るだろうか。
は、と気配を感じた深優が、朝治を背に庇う。
「願いを叶えてやれば? あんたに出来ないなら俺がやるよ」
金色の巻き毛に青い瞳の美しい少年は、シャツにジーンズという砕けた格好だが、腰には反りの深い剣を佩いている。首にかけた複雑で精緻な木の板が、彼の属する組織を表わしていた。花泊は異形を狩る集団だ。しかし戦闘集団は他にもあり、中でも異形を生む可能性のある人間を無差別に殺戮する過激派があった。
少年が首から下げた板は、その過激派集団である「神の目」に属する人間であるという証だ。深優が双剣を抜く。嫌な展開だ。死を願い、異形を生みつつある少年と、その命を摘もうとする少年。人を守りながら戦うことさえ困難なのに、朝治はむしろ進んで命を差し出しかねない。
宝か、誰か他の花泊がこの場にいてくれたなら。しかし遼であってもこの展開は読めないだろう。朝治は深優に託したと考えるのが妥当だ。深優の苦悩を嗤うように、金の巻き毛の少年が剣を抜く。その刃は血塗られたように赤く、禍々しく美しかった。
 




