一人目 nomal end
魔王は静かに上体を起こす。だが、それすらもやっとという様子であり、明らかに今の魔王に余力らしきものは見当たらない。
倒すならば今だ。ここで倒さなければ永遠にそのチャンスを失ってしまう。そんなことは百も承知であり、修太郎は迷わず攻撃しようとして、ふと止まる。
先ほどから予感がしているのだ。魔王を倒してはならないと。それは罠だと。
思わず拳が止まる。何を馬鹿なことを言っているのか、と。あまりにも荒唐無稽な警告。だが、今まで頼りにしてきたものなだけに即座に切り捨てることはできなかった。
先ほどまでも考えていたではないか。魔王のような超越者は自身と対等の実力を有していた場合、歓喜するか貶めすかしかしないと。
ほんのわずかに考え、修太郎が選んだのは拳を振り上げることだった。もはや魔王に抗う術はない。こんな単純極まりない――攻撃にすらなっていないパンチでも何の問題もなく倒せる。それは彼の有する攻撃力や速度に何も関係ない。
罠などない。目の前で無様に座り込む少女にできることは何もない。もうこの戦いは終わったのだ。ようやく、彼はこの波乱の劇に一段落をつけることができる。これで彼はようやく呪縛から解き放たれるのだ。
ナんノジゅバくカラ――?
突如頭の中に謎の声が響く。それは至極どうでもいいものだった。今の修太郎にとってはまともに脳に残らない、些細な言葉だ。彼がやるべきことはただ一つ。目の前の障害を叩き潰す。それだけだ。
修太郎の拳は防御も回避もできない無防備状態の魔王の頭蓋に突き刺さり、頭皮を突き破って脳髄まで一瞬で貫いていく。拳は留まるところを知らず、魔王の頭部を粉々に砕き、その拳は魔王の股をも突き破り、魔王の体を真っ二つに両断する。
魔王の体は縦一文字に裂かれ、魔王の肉体を形作っていたうちの一部が左右に分かれる形で崩れていく。夥しい量の血液が流れ、普通の人間ならば間違いなく即死の状態だ。もちろん、目の前の少女は魔物たちを統べる大元。この程度では死なない可能性はある。だが、先ほどの様子を見るにこの少女は相当なダメージをその身に負っている。その状態でこの傷は決して優しいものではないだろう。
半ば勝ちを確信しつつも修太郎は一切の油断を見せずに見るも無惨な姿に成り果てた魔王を見下ろす。これで終わりとは言えなかった。修太郎はこの世界に来て、それで何度か痛い目を見ている。ましてや相手はこの世界のラスボスだ。決して油断はできない。
事実修太郎の判断は正しかった。体を両断され、頭部を砕かれ、胴体と脚部の大半を失った状態でもなお魔王は動いた。魔王は残された右手をわずかに動かし……一言。
「あり……が……とう……」
魔王はそう言って事切れた。口はもちろん声帯も破壊された状態でどこから声を発していたのかも分からない。かすれ声ではあったが、本来それすらも出せない状態だったはずだ。やはり、油断せずにいて正解だったと修太郎は内心思う。
修太郎は小さく息を吐き、張りつめていた緊張を解く。ようやく一段落がついた。やっと、これで少しは楽になれるはずだ。
今まで心の中にあったモヤモヤを無理矢理振り払い、戦闘中完全に存在を忘れてしまっていたカスミたちの方へ振り向く。これでカスミたちも喜ぶだろうと思いながら、顔を向けると彼女たちは不可解な表情をしていた。
「ごめんなさい、修太郎……」
彼女たちは笑っていた。それ自体は何の問題もなかった。だが、彼女たちの笑みは明らかに喜びによるものではなかった。心の中にある苦しみや悲しみを無理矢理押し殺しているような、込み上げる罪悪感を隠すような、そんな笑みに見えたのだ。
なぜ、そんな笑みを浮かべているのか。その理由を修太郎は次の瞬間悟る。
「なんだ……? これは……!」
突如、修太郎がいる部屋が真っ黒に染め上げられていく。光源がなくなり、真っ暗になったというわけではない。空間そのものが徐々に消失しているのだ。
何が起こっているのか理解できずに修太郎は戸惑う。だが、この不可解な状況を見てなお笑みを崩さないカスミたちを見て修太郎は悟る。自分はとんでもない失態を犯してしまったのだと。
やはり、予感を聞いておくべきだったのだ。なぜなら、予感は魔王を攻撃してはならない、ではなく、魔王を倒してはならないと言っていたのだから。
つまり、罠とは魔王が修太郎を倒すために仕掛けたものという意味ではなく、修太郎が魔王を倒すことによって作動するものという意味だったのだ。
だが、今さらそれに気付いても遅い。修太郎は為す術もなく暗黒の闇に呑まれ、意識を失った。




