一人目ー第五章 9話 全滅……!
夢を見た。ゆめをみた。ユメヲミタ。yumewomita。湯女を魅た。
ひどく妖艶で、ひどく残虐で、ひどく官能的な夢を。ひどく綺麗で、ひどく汚くて、ひどく純粋な夢を。
ああ、これほど素晴らしい夢がこれまであっただろうか?
……落ち着け。何を考えている。寝ぼけているにもほどがある。夢に湯女など出ていない。そんなものに魅せられた記憶などない。冷静になって見つめ返せ。
一度大きく息を吸って、吐く。再び息を吸って、吐く。深呼吸をし、酸素が脳に満ちて行くにつれて、少しずつ冷静さを取り戻していく。そうして、冷静さを取り戻し、やがて遅いスピードながらも思考能力を取り戻していく。
こんな原始的な方法に頼らなくてはならないほど動転している。それは腹立たしいことだが、事実だ。目を背けたくても背けられないほどに純然とした事実だ。ならば、ここまで動揺する理由は一体何だ?
冷静に思い返してみる。いや、夢を思い返すことに意味などないというのが定石だが、一応思い返しておく。点と点を結ぶように、線と線を交差させるように、立体と立体を重ね合わせるように思い返す。
そして、修太郎は思い出した。そうだ。彼は夢を見たのだ。さっきまで言っていた淫蕩じみた夢などではない。そんな欲望に満ちあふれた吉夢などではない。
それは悪夢だ。悪夢を修太郎は見たのだ。自分がクラスメイトたちを殺す夢。創や勝喜たちを殺す夢を。
だが、それがどうしたというのだ? なぜ、人が人を殺す夢を見ただけでこんなに苦しまなくてはならない? まさかこの期に及んで自分は人殺しに抵抗を覚えているというのか?
「ありえない」
修太郎は頭に浮かんだ考えを瞬時に切り捨てる。やはり、自分は相当おかしくなってしまっているのだと修太郎はため息をつく。
何を今さら馬鹿なことを言っている? 自分の行いを振り返ってみろ。お前は一体何人殺した? 数だけならば立派な大量殺人鬼だ。いや、手段、動機、数、どれを取っても社会から外れた殺人鬼そのものだ。そんな男が殺人に対して忌避感など覚えるものか。
罪悪感ではない。ならば、なぜ自分はあの夢に嫌悪感を感じる? 不快感を感じる?
まるであの夢が――。
……馬鹿馬鹿しい。自分でもよく分からない夢を見て混乱している。今は何も考えなくていい。そうでなくてはならないと予感も告げている。
そうとも。自分は何も悪くない。自分は何も間違ってなどいない。じブんハ……。
「……待て。何を言っている?」
そこで修太郎はハッとなった顔になり、右手を顎に当てる。予感云々ではない。なぜ、修太郎は自分が創たちを殺した夢を見たのだと思い込んだのだ?
実際は違う。創たちを殺していたのは顔も見えない謎の影だ。顔も姿も何一つ見えない真っ黒な影だ。それこそがあの夢の下手人だ。その人物こそがクラスメイトたちを日本刀のようなもので斬り殺したのだ。そして、その人物が件の人物だとしたら、理解が及ばない点がある。いや、それ以前に本当にあの夢は現実なのか?
「……確かめてみるか」
修太郎は今一度深呼吸をすると、何のためらいもなく、勘に従って適当に歩きはじめた。その足取りに迷いはない。ただひたすら、歩いていく。その先に自身の知るべきものがあるという直感に抗うこともなく……。
○○○○○
道中一度も立ち止まることなくひたすら歩き続けた修太郎はフラついた足で森の中を進んでいく。先ほどとはうってかわって足が重い。森に入ってから、どうも調子がおかしい。体が自分のものではないような、そんな感覚に陥っていた。
「……」
しかし、歩くのに支障が出るほどではなかった。修太郎は重く感じる足に鞭打ち、ひたすら進む。
この先に彼が確認すべきことがある。それは疑いようのない事実だ。ならば、一刻も早く確認しなくてはならない。そうでなくては、正確に確認を行うことができない。そんな予感がしている時点でこの先に何があるのか容易に見当がつくが、あえてその推測から目を背ける。
そうとも。自分は何も関係ない。何せ、夢ではこんな森はなかった。なかったはずだ。そう。自分は何も殺していない。自分は何も悪くない。
そう自分に言い聞かせながら修太郎はひたすら歩く。無理矢理壊れた機械を動かすかのようにひたすら交互に地を踏みしめ続けた修太郎の両足が不意に止まる。同時に修太郎は冷めた目で目の前に広がる光景を見ていた。
森に入って一キロほど歩いたところに開けた草原のようなところがある。周囲が山に囲まれ、鬱蒼と木が生い茂っているというのに、ここだけ木々がなく、緑色の雑草が規律正しく生えそろっている。いや、生えそろっていたというべきか。なぜなら、緑色の雑草などすでに見つけるのが難しくなるほどに色が変わってしまっていたのだから。
「……やってくれやがったな。おい」
思わず呟いたその言葉に感情は感じられない。修太郎自身怒りを抱いているつもりだったが、それ以上に冷静に目の前の事実を受け止めてしまっているようだ。いや、むしろ信じられずに必死に悪あがきしているだけなのかもしれない。
そこに生えている緑色の草のほとんどを赤く染め上げるほどの夥しい量の死体。その大半が生き残っていたクラスメイトたちだった。魔王を倒すための切り札を取りに行くと言って分かれて以来姿を見ていなかった朸の亡骸もあった。それだけでない。日下部や南美、勝喜といった光一グループの人間の生き残りや善継や龍河を除く善継グループの人間、創や地夜といったどのグループにも明確に属していない人物の死体まであった。
これまで修太郎を混乱させていた事象の一つ、『謎の裏切り者による暗殺』の被害を受けなかったクラスメイト。それが彼らの共通点といったところだろうか。もっとも、どう考えても下手人は件の裏切り者なのだろうが。
だが、共通点を持ちながら散乱した無数の死体の中には例外があった。伊丹公平。谷崎家と対立した際に協力関係をほんのわずかな間だけ結んだ彼の死体があったのだ。
死体の身元の全てを把握すると同時に足音が聞こえてくる。反射的にそちらに視線を向けると唯が返り血を浴びた状態で立っていた。右手には日本刀のようなものが握られている。
「唯……。まさか、てめえが……?」
修太郎が力のない声でそう聞く。だが、唯は答えない。修太郎はさらに問い質そうとするが、目を見開いて動きを止めてしまう。
なぜなら、唯の目から涙が一筋流れていたからだ。心底辛そうな顔で泣いていたからだ。修太郎は詰め寄ろうとする足を止め、困惑した顔で口を開く。
「……泣いてるのか?」
その問いに唯はやはり答えない。それどころか、一瞬にして彼の前から姿を消してしまう。修太郎はそれを追うことができない。そんなことができるほど、頭の中で理解が追いついていなかった。
先刻まで冷静に状況の把握に努めていた男と同一人物とは思えないほど修太郎は狼狽していた。その理由は何なのか。その理由すら分からないほど、今の修太郎は混乱していた。
「うわー。驚いたなぁ。まさか相生唯がこんなことをしでかすとは」
「!」
そこで女の声が聞こえてくる。混乱していたせいで、まるでその人物の気配を察知できていなかった修太郎は跳ねるように振り返って声の主を見る。
「セレナ……」
そこにいたのは真紅の髪に白い瞳を持つ美しい少女――セレナ・キューゲンペグだった。セレナは修太郎を見て綺麗な笑みを浮かべる。大抵の男が見とれると断言できるほど美しい笑みだったが、修太郎には小馬鹿にされているようにしか見えなかった。もちろん、それがただの思い込みであることは重々承知であるが、実際のところ、どうなのかなど分かりはしない。興味もない。それよりもこの場にセレナがいて、なおかつ微塵も驚いている様子を見せていないということの方が遥かに重要だ。
「君たちの内紛のようなものは前々から聞かされていたけど、まさか彼女がやっていたとはね。君から見て、彼女はこんなことをやりかねないほど危険な人物だったのかい?」
セレナの言葉に修太郎は視線を鋭くする。それにセレナは苦笑しながら両手を上げる。
「おいおい。そう睨むなよ。僕はただ客観的に事実を述べただけだ」
「……まだあいつが犯人だと決まったわけじゃねえだろ」
「それ、本気で言ってる? 返り血を全身に浴びて、血まみれの日本刀を片手に持つ。そして、この現場は全員が日本刀で斬り殺されている。それは一目で分かることだ。ならば、相生唯以外に犯人は考えられないと思うけど?」
「…………」
その言葉に修太郎は何も答えない。返す言葉がないわけではなかった。ただ答えることができなかったのだ。言えるはずもない。この凄惨な現場を作り出したのが自分かもしれない、など。
この草原は修太郎の記憶にはない。少なくとも夢では見ていない。修太郎が覚えているのは影がクラスメイトを刀のようなもので殺したところだけだ。だが、直感に従った結果、この場に来れた以上この草原に一度も足を運んだことがないとは言い切れなかった。
修太郎は再度セレナから現場の方に視線を向ける。常人ならば吐き気を催し、一生もののトラウマになってもおかしくないほどの光景だが不思議と今の修太郎にとっては心を落ち着ける精神安定剤のような役割を果たしてくれていた。セレナと会う前まではこの光景を見て錯乱していたと言っても過言ではないほど心が乱れていたのに、今は心を落ち着かせる精神安定剤になるとはつくづく自分のことが理解できないな、と修太郎は内心笑う。
そこで修太郎はとあることに気付く。それは一度落ち着いた後に改めてセレナのことを考えたことで浮かんだ疑問だ。
修太郎が初めてキューゲンペグ家を訪れた際、修太郎はセレナと初めて会った。その時、修太郎はなぜセレナをあの大晦日に会った少女だと思ったのか。彼女は異世界の人間だ。普通に考えて面識などあるはずもない。
確かに現実世界との転移手段はあるにはある。それは自分たちがこの世界に来たことからも明らかだ。だが、それはあの幼かった子供が簡単に行き来できるようなものなのか?
「なぁ……」
修太郎はセレナにふと浮かんだ疑問をぶつけようと顔の向きを変え、わずかに目を見開く。だが、すぐに瞑目し、ため息をつく。セレナはいつの間にかいなくなっていた。考え込んでいたのは確かだが、こんなに早くいなくなるとは想定外だ。いや、自覚がないだけでいつの間にか長時間考え込んでしまっていただけかもしれないが。
修太郎は頭を掻きつつも、あえてセレナを探し出そうとはしなかった。今はそんなことをしている場合ではない。ほとんど朧気になってしまっている自分の記憶の中だけにある邂逅と目の前にある惨状。どちらを優先するかなど分かりきっている。修太郎はひとまずその場を離れることにし、夢の中にあった殺害現場を探し出すことにする。
調査は嫌いだが苦手ではない。現にこの世界に来てすぐに殺人事件を一つ解き明かしている。犯人こそ逃がしたが、悪霊といえどもミスをするということは分かった。このクラスメイト殺しをやっているのが人間ならば、まず確実にどこかでミスを犯しているはずだ。これだけの数の人間を殺しておいて、一切の痕跡も証拠も残していないということはありえない。どれほど隠密行動に徹していたところで、完全犯罪など不可能だ。
修太郎は再び直感に従って歩きはじめる。その道中、カスミが慌てた表情で獣道を走ってくる。修太郎は怪訝そうな表情で足を止める。
「どうした? そんな走ったりしたら危ねえぞ」
「それどころではないんです!」
「何があった?」
修太郎は眉をひそめる。正直、今は一刻も早く調査をしてしまいたい。犯人が残した痕跡が消えてしまう前に証拠を回収してしまいたい。
カスミはそんなことを考えている修太郎に狼狽しきった表情で爆弾を投下する。
「お父様を含む四大名家のご当主たち全員の死亡が先ほど確認されました」
あまりに突然の訃報に修太郎は目を見開いた。カスミはそんな彼をじっと見つめていた。その表情はとてもではないが実の父を失った娘のものではなかった。しかし、修太郎はそれに気付くこともなく、混乱しきった頭を落ち着かせ、冷静に出来事を整理しようとする。
状況は誰にも予想しない方向へと歪んでいく。否、たった一人の怪物を除いて、この先の展開を読める者など存在しない。そう、どこにも。




