一人目ー第五章 8話 巻き
修太郎は一人、畔道を歩いていた。その心中は複雑なものだった。ざわめいているわけではない。だが、落ち着いているわけでもない。形容しがたい心情を抱きながら、リョウセの滝から三十分ほど歩いたところにある公園までやってきた修太郎は古ぼけたブランコに座り、小さく息を吐く。そして、自分の両手を見つめ……。
「……確かに今までとは違う感覚だ。だが、はたしてどれほど力が変わったのか……」
今の修太郎は完全に疑心暗鬼の状態だった。何も分かっていないと言ってもいい。都合よく人型の魔物でも出てきてくれれば力を試すことができるのだが、その気配はない。かといって、その辺の雑魚を潰したくらいでは力の上昇具合を測ることなどできはしない。
「……ん?」
そこで修太郎は正面から誰かがやってきたことに気付く。目を凝らすまでもなく、その人物の正体を理解した修太郎は苦笑を浮かべながらも、内心しめたと考えていた。その人物は肩にかかる程度の長さの黒髪を後ろにまとめ、黒縁の眼鏡をかけた中年の男性だった。男性は修太郎の五十メートルほど前で立ち止まると、嘲笑を浮かべ、話しかけてくる。
「ふん。誰かと思えば貴様だったか」
「……まさか、あんたがここに来てるとはな。渋谷さん」
「相変わらず礼儀のなってない若造だ。天音様に好かれているからといって調子に乗るなよ」
ゴミでも見るような目で見てくる男に修太郎は肩をすくめる。渋谷宗源。それがこの高慢な男の名だ。天音の腰巾着であり、修太郎と反目している男だ。貞男曰く、気吏也と共に天音にこちらの世界に派遣された本命らしいが、彼が気吏也に匹敵する実力者だとは思えない。まぁ、あくまでこれは修太郎の主観だが。
ちょうどいい。新しい力を試す実験体ができた。この男ならば殺したところで何の問題もない。遠慮なく力を振るうことができる。もっとも、大して力を発揮することなく終わってしまいそうだが。
「それで、貴様は……」
渋谷の言葉を最後まで聞くことなく修太郎は拳を振るう。その常軌を逸した威力と速度を持った一撃に渋谷は反応すらできずに顔面をぶん殴られる。
あまりにも拳速が速すぎたのか。あるいは威力が高すぎたのか。それとも、その両方か。理由は分からないが、修太郎の拳はそのまま渋谷の首から上を消し飛ばし、同時にその余波で渋谷の首から下を縦一文字に裂く形で真っ二つにする。
ドチャッ、と力ない音と共に渋谷の遺体は崩れ落ちる。修太郎は赤く染まった自身の右手を見て、鼻を鳴らす。
「……まさかの一撃かよ」
拍子抜けにもほどがある。まともに戦えるとは思っていなかったが、それでも一撃で決着がつくなどとは考えもしなかった。確かに力の上昇具合をわずかに感じた。だが、この程度の力は修練の前でも有していた。これでは実験にならない。
「はぁ……仕方ねえ。適当にその辺の山をぶっ壊して確かめてみるか」
こうなっては人相手の実験は厳しいかもしれない。ただでさえ、特典を振るうだけでも敵がいなかったのだ。対人戦を期待するのは苦しい。同じクラスメイトと当たれれば実になるかもしれないが、今となってはどれだけ生き残っているかも分からない。
それにあまり手の内を晒しすぎるのもよくない。どこで誰の目があるのかも分からないのだ。癪だが下手に実験しようとしない方がいいかもしれない。せいぜい、これまでのようにどこかでこっそりとやる程度にしておくべきだ。
修太郎は渋谷の死体を放置し、公園を出る。畔道をしばらく歩いたところで足を止める。正面に立っていたのは修太郎よりも若干背の高い同世代くらいの赤髪の少年。
腕を組みながら、仁王立ちする少年は明らかに修太郎を待ち受けていたのだろう。修太郎が立ち止まったのを見て、その口を開く。
「……君が櫛山修太郎か?」
「何だぁ? お前は」
「俺はシュード家直属部隊、討伐隊副隊長、ナエワン・ソートラス。グレノン様の命で君を殺しに来た」
「はっ!」
少年――ナエワンの言葉を聞いた瞬間、修太郎は笑った。それを合図にするかのようにナエワンが殴りかかってくる。
驚きはない。四大名家は魔王を倒されたくない節がある。ならば、魔王を倒そうとしている修太郎が邪魔になって殺そうとするのは何もおかしくはない。
修太郎は余裕の態度でナエワンの拳をいなし、カウンターとして右ストレートをナエワンの顔面に放つ。ナエワンはそれを身を反らす形で回避し、修太郎の背後に回ると右手に血管を浮かび上がらせるほど力を溜める。一瞬にも満たない時間で溜めた右手で引っ掻くように修太郎の後頭部を攻撃する。当初は小さく回避しようとしていた修太郎はあることに気付き、その一撃を右に大きく飛ぶことでかわし、同時にナエワンの右手を凝視する。
「なるほど……。両手を変質させて炎を放つ能力か」
「まぁ、そんなところだ」
最初に殴りかかってきたときナエワンの両手はごく普通のものだった。しかし、今は両手の手首から先が真っ赤に染まり、爪が先ほどの十倍以上にまで肥大化していた。何か特殊な手甲などをつけたという線はない。あの一瞬でそれを行うことは不可能ではないが、そんな素振りはなかった。つまり、あれはナエワンの両手が変質・変形したものだということだ。
先ほどの攻撃は爪を伸ばしたことにより強化されたリーチに加え、炎を纏うことで広範囲攻撃を行っていた。それは小さくかわした程度では避けきれないものだ。だからこそ、修太郎は大きく飛ぶことで一度間合いを取らざるを得なかった。
「悪いが、こちらも悠長にしているわけにはいかないんでな。さっさと決着をつけさせてもらう」
ナエワンは両手の爪を広げ、赤い炎を纏わせる。温度自体はそう大したものではない。しかし、その鋭利な爪による攻撃力が合わされば、相当面倒なことになるのは明らかだ。修太郎は腰を落として、構える。
ナエワンは単純な突進攻撃を仕掛けてくる。振り下ろされる爪を炎による攻撃範囲上昇も加味し、少々大きめにかわす。ナエワンの攻撃は止まらない。連続で放たれる凄まじい速度と火力を持った攻撃を修太郎は余裕で回避していく。このままでは攻撃が当たらないと踏んだナエワンは攻撃速度をさらに上げ、修太郎の左肩を狙って爪を振り下ろす。修太郎は左腕を振り上げ、ナエワンの右手の平にぶつけることでその攻撃を止める。
鍔迫り合いのような形になったところでナエワンの右手から発せられている炎の温度が一気に上昇し、修太郎の強化された左腕をわずかに焦がす。
「ほぅ……」
修太郎はそれに動じることなく、ナエワンの腹を蹴飛ばし、距離を取る。あまりの威力にナエワンは地面に転がり、咳き込むが修太郎はそれに目もくれず、自身の左腕を見やる。
言うまでもないことだが、このナエワンという少年。かなりの手練れだ。その赤い爪から放たれる炎の一撃は油断できない。広範囲高熱の一撃は魔物を焼き尽くすには充分。少なくとも、この少年は同じNo2の地位にいた上神よりもずっと強い。それは確かだった。
けれど、それだけだ。新たな力を手にした修太郎の敵ではない。しかし、好都合でもある。この男ならばある程度は力を試すことができる。
修太郎はある設定を施し、ナエワンを見据える。
「さて、そろそろこっちの攻めでいいよなぁ?」
「……っ!」
凄絶な笑みを浮かべる修太郎にナエワンは腹を押さえながらも右手の爪を構える。そして、右腕を振りかぶろうとし、ふと右腕の喪失感と凄まじい激痛が彼を襲う。ナエワンが呆然とした表情で右手を見ると、右腕の肘から先が消失していた。
「探しモンはこれか?」
「!」
肩を跳ねさせながら、修太郎の方を見ると、彼の左手に握られた自身の右腕があった。修太郎は見せつけるかのようにナエワンの右腕をぷらぷらと揺らし、適当に放り捨てる。
「いつの間に……」
「いつの間に? 聞くまでもねえ。どうせ、てめえはもう死んでるんだからな」
「が……っ!」
ナエワンは血を吐きながら、その場に膝をつく。必死の形相で自身の体を見る。先ほどのように何らかの攻撃を仕掛けられたと踏んでいたが、外見的には何の変化もない。だが、胸の中を右腕喪失以上の激痛が暴れていた。
「なるほど。こういう感じか。ありがとよ。いい実験ができた」
修太郎はそう言って、その場を去っていく。待て、と呼び止めようとするが声が出ない。ナエワンはそのままうつ伏せになって倒れてしまう。声も出ず、胸部は激痛が走り、足も手も動かない。戦意を失うことはなかった。けれど、圧倒的な実力を持つ修太郎を前にどうすることもできず、ナエワンはその命を無様に散らした。
○○○○○
ところ変わって、コンフリクト地区の郊外。そこに数少ないクラスの生き残りである創と勝喜がいた。二人は大きな岩に並んで座り込んで、何やら話し込んでいる。
「……何か、元気ねえな。何かあったのか?」
「いや、何でもあらへん」
「そうかよ……」
覇気のない勝喜に創は怪訝そうな表情をしつつも、それ以上は追及せずに話を戻す。
「にしても本当なのか? その話……」
「らしいで。目撃者の井上も教えてくれた久我路もおらんから、今となっては確認できんけど、桐石を殺したんは櫛山の可能性が高いっちゅうんが俺の見解や」
その言葉に創は唸る。先刻まで二人は桐石研の事件について話し合っていた。といっても、主な内容は勝喜からもたらされた情報についてのことだったが。
何でも、そのすぐ後に殺された井上数理が研の殺人現場の近くを歩く修太郎を目撃したらしい。おまけに彼は真っ赤な血を全身に浴びており、それは彼自身の血ではないことは明らかだった。それならば、到底まともに歩くことなどできないほどの血を修太郎は全身に付けていた。彼自身の血でないならば、誰の血なのか。それを考えれば、自ずと修太郎は限りなくクロに近いと言わざるを得なかった。
「でもなぁ…………」
「言いたいことは分かる。俺も闇天で唯一相手を再起不能にすることにこだわったあの男が簡単に人の命を奪うとは思わん。せやけど、目撃証言が出てる以上無下にはできんやろ」
「まぁ、そうだけどよぉ……」
創はどこか納得いかないといった表情で腕を組む。修太郎が研を殺した。確かにその可能性は決して低くはないだろう。研の殺害現場に血まみれで修太郎がいたという数理の目撃証言を頭ごなしに否定することはできない。
勝喜も似たような気持ちらしく、複雑そうな表情だ。やはり釈然としない。闇天に所属しながら、一人も殺さなかった男がそんなつまらない殺しをするだろうか?
「ともかく、油断は禁物や。かといって、俺も余計なもんに気ぃ取られてる暇はない。ホンマ難儀な話や……」
勝喜は嘆息しながら、そう呟く。創はそんな彼を感情の読めない瞳で見つめる。勝喜はその視線に気付くことなく、気付こうともせずに天を仰ぐ。
そこで足音が二人の背後から聞こえてくる。決して大きいわけではないが、普通にしている分には耳に入ってくる音。
「ん?」
創はわずかに眉をひそめて振り返り、動きを止める。創の様子に気付いた勝喜が訝しげな顔で後ろを振り返ると、背後に立っていた人物に大きく目を見開いた。
「さぁ、次はお前たちの番だ」




